第二十話
優佳と真一は、それぞれ親友であった渚と惇哉に異世界での出来事を語り始めた。魔法はもちろん、スキルもステータスも存在しない異世界で、転移してしまった市立第三中学校の生徒たちは困難を乗り越えるために何を失い、何を手にしたのか。
雷が校舎に落ちる激しい音が轟いたかと思うと、市立第三中学校の生徒たちは目の前が真っ白になり、そのまま意識を失ってしまった。そして白とも黒ともつかない空間に自分達の意識が飛んでしまうと、死後の世界とはここなのだろうか?と長尾真一は思った。死後の世界。というワードが自我を認識させると、真一は瞼に力を入れた。すると、自分が教室の上で仰向けに倒れている事に気づいた。
「おーい」
真一が最初に話す事が出来たのはそれだけだった。
「みんな、大丈夫か?」
続けて言葉を発したが、意識がはっきりしないせいで粘つくような言い方になってしまった。
「生きているよ、その声は長尾君?」
返事があったのは柴田優佳だった。
「柴田さんかい?そうだよ。他のみんなは?」
「俺は三隈、何とか生きている」
真一の言葉に三隈元一郎が答えた。それをきっかけにして、多くの生徒たちがうめき声を上げ始めた。
「藤雅也、生きています」
「八代葉子、生きているよ」
八代葉子と藤雅也も声に出して反応した。クラスメイトの声が耳に届いて次第に感覚が冴えてくると、真一はようやく身体を起こした。そして、先程まで点いていた教室の照明が落ちている事に気づいた。
「一体何があったの?」
渡瀬日菜子も、戸惑いとまどろんだ意識が混じった声で答えた。
「学校に雷が落ちて、そのまま激しい光に包まれて気を失ったんだ。俺は」
真一が気を失った時の事を、辛うじて思い返しながら答えた。
「私もそう、雷が落ちたと思ったら頭が内側から破裂するような感覚に襲われて」
優佳も同じように意識を失った時、真一と同じような感覚を味わったらしかった。そして教室の電気が消えている事に気づくと、彼女は窓の外に広がる景色が深い霧に覆われている事に気づいた。
「ねえ、外が霧に覆われているよ」
優佳の言葉をきっかけにして、多くの生徒たちが窓の外に注目すると、各々が声を上げて驚き始めた。
何が起きているんだと、真一は立ち上がって教室の窓を開けた。さっきまで激しく降っていた雨はいつの間にかやみ、雲の中にいるような深い霧が校舎を覆っている。そして、どこかの高原に居るような湿った土の匂いが鼻を打った。それで真一の意識ははっきりして、元の感覚を取り戻すことが出来た。
何なんだよこれは。と真一が胸の中で漏らすと、背後から佐渡美幸の「あれ?」という声が聞こえてきた。
「ねえ、電気が付かないよ」
「停電したの?」
美幸の言葉に優佳が答えた。
「わからない、ブレーカーが落ちたのかも」
美幸が答えると、安藤良純がこう続けた。
「俺は職員室に行ってみる。何かあったのかもしれない」
「頼むよ」
竹中真輔が答えた。そのやり取りの後、教室は学校を覆う霧に同化するようにしんと静まった。何が起きているのか分からないという混乱が、その静けさを通じて教室内に居る生徒たちに共有されたのだった。
「おい、大変だ!」
職員室から戻ってきた良純が、引きつった顔で教室に向かって叫んだ。
「職員室に人が誰もいない。先生も非常勤講師の人も」
「そんな!?嘘でしょ?」
日菜子が声を上げた。
「本当だよ。誰もいなかった」
良純が答えると、教室内に居る生徒たちの不安は一気に高まった。自分達が落雷と共に意識を失い、経験した事のない環境に置かれているだけでも不安だというのに、大人たちがいないという事実が、より彼らの不安を強くさせた。
「とりあえず、みんなで学校に誰かいないか手分けして探そうよ」
優佳が提案すると、生徒たちは頷いて学校中に散らばった。
それから生徒たちは学校内部をくまなく探し回ったが、自分たち以外の人間を見つける事は出来なかった。散らばった生徒たちのうち、何人かが外に出ようかと思ったが、濃い霧に入ると二度と帰れないかもしれないという恐怖が、彼らを校舎の外から出る事を拒んだ。
十五分ほどくまなく探したが、彼らは自分達以外の人間の姿を見つける事が出来なかった。生徒たちは諦めて教室に戻り、今後の事を話し合った。
「電気もつかないし、スマホもつながらない。恐らく水道とガスもダメ。これからどうする?」
自分のスマートフォンを片手に、教室の机の上に胡坐をかいた元一郎が他人事のように漏らした。
「どうするもこうも、緊急事態でしょ」
日菜子があきれたような様子で答えたが、彼女も本心は元一郎と同じだった。霧に覆われて、どうすることも出来ない正真正銘の五里霧中状態だったから、ただやり場のない気持ちを胸に抱き続ける以外なかった。
重苦しい空気が教室内に立ち込めると、外の様子はどうなっているのだろうかと優佳が外を振り向いた。しかし霧は濃いままで、晴れる様子が一向になかった。
生徒たちは外に出る事も、学校の外部とも連絡を取ることが出来ずに、ただ時間だけが経過していった。そして空腹感が彼らを襲ってくると、葉子が「お腹減ったね」と漏らした。
「確か、職員室近くの倉庫に災害備蓄用の食糧と水があったはずだよ。持ってこようか?」
「良いのか、非常用の物を持ち出して?」
真一が訊き返すと、日菜子がこう続けた。
「今が非常時なのだし。別に問題は無いんじゃない?何人かで持ってこようよ」
「そうだね。持ってこようよ。あとライトとか毛布なんかも」
優佳が賛同して、真一たち生徒四人は備蓄倉庫に行き、そこから食糧と水、それに照明用の懐中電灯とマットレスと毛布を持ち出した。自分たちが学校に在籍しているときは絶対に使わないだろうと思っていた代物が、彼らの手によって持ち出されて使用することになってしまった。非常食糧と水は一日あたりの消費量を記述した紙が入っていたので、彼らはその使用量を守って、乾パンと長期保存水の食事を終えて、一つしかない三年生のクラスの黒板には一日を過ごした×印をチョークで書きこんだ。そうするうちに、霧に覆われている周囲が暗くなり始めた。生徒たちは男女別々の教室に分かれ、体育用のジャージを着て毛布に包まった。
「みんなに、クラスの三〇人には行き渡った?」
真一が不意に訊いた。
「いや、二人分余ったよ」
荷物の仕分けを手伝った元一郎が答えた。
「二人分?誰と誰だい」
真一が訊き返すと、優佳がこう答えた。
「島原渚と、新田惇哉君。あの二人、今日休みだったよ」
優佳の反応に、真一は無言で頷いた。自分達と同じ目に合わなかったのは、幸運なのかズルなのかと思ったが、この場に居ない人間に不満を向けても仕方なかった。
全員にマットレスと毛布が行き渡ると、生徒たちは男女別に分かれた。懐中電灯の明かりしかない男子の教室で真一がこう漏らした。
「まさか、学校に一泊するとはね」
「普段の学校生活の流れならちょっとした刺激になったけれど、本物の非常事態だからな」
真一が漏らすと、元一郎が続けた。最初は余裕ぶっていた元一郎だったが、事態が一向に進展しない事に不安を感じている様子だった。
その不安な一夜を過ごすのは、隣のクラスの女子生徒たちも同じだった。
「とりあえず、今日はもう寝ようか」
「明日には元通りになっている事を祈りましょう」
優佳のつぶやきに日菜子が合わせると、ほとんどの女子生徒たちが毛布に包まった。そうして一日が終わってしまったのだった。
翌日、教室の窓から差し込む朝日で目が覚めた優佳は包まっていた毛布から顔を出すと、昨日学校中を覆っていた霧が晴れている事に気づいた。
「霧が晴れ始めているの?」
優佳は声に出して起き上がり、窓の外を眺めた。昨日あれだけ濃かった霧が嘘のように晴れたのは良かったが、開けた視界の先にはあるはずの地元の街の光景が存在していなかった。
「ねえ、街がない!」
優佳が悲鳴にも似た声を上げると、その声をきっかけにして眠っていた女子生徒たちも目を覚まして、ぞろぞろと窓の外を見た。
「本当だ、街がない!」
美幸が悲鳴にも似た声を上げた。空は晴れ渡り、抜けるような青空が何処までも広がっていたが、そこに彼女たちの住む街は無く、代わりに青々とした雄大な草原が続く光景が目の前にあった。
窓を開けて頭を出すと、自動車や工場の排ガスに薄汚れていた街の空気は、手付かずの大自然が作り出すさわやかな空気に変わっていた。一体なぜこうなっているのか、何でこんな光景が広がっているのか、ここは日本で自分たちの住んでいた世界なのだろうか。という様々な疑問が一度に頭の中で生まれ、濁流となって優佳の思考を一杯にした。
「こんな大草原、日本にはないぞ」
隣の教室から、同じように頭を出した真一が叫んだ。優佳と真一は窓から出した顔を見合わせた。
「何がどうなっているの?」
優佳が叫んだ。
「わからないよ。でも想像以上に悪い状況になっているみたいだ」
真一は素直な感想を返した。




