第九話
猛獣を倒した剣士は血が滴り落ちる剣を持ったままゆっくりと立ち上がった。持っている剣は鉈と日本刀の中間のような形で、服装は中央アジアの遊牧民と日本の武士が着る鎧直垂を足して割ったような、灰色の服を着て、両手は革を加工したらしい、ナックルガード付きの指ぬきグローブを嵌めている。頭は日光を遮るためのフードを被り、口元は陸自の普通科隊員が式典の際に身に付けるような赤スカーフで口元を覆っている。そしてその間から覗く眼差しは、多くの修羅場を切り抜けてきた本物の戦士の眼差しを惇哉に向けていた。
「動くな!」
只者ではないと悟った惇哉は、剣を持った男に89式小銃の銃口を向けた。顔を隠した剣士は一瞬目の色を変えたが、すぐに敵意の眼差しから、柔らかい眼差しに変わった。
「新田惇哉?新田惇哉なのか?」
異世界の剣士は、惇哉の名前をフルネームで二回、それも日本語で呼んだ。この男は自分の事を知っている、その気づきが惇哉に混乱とかすかな安堵感を与えた。
「お前は?」
動揺を押し殺しながら、惇哉は剣士に訊ねた。猛獣の襲撃に驚いた渚も、突然馬に乗って現れた剣士が登場し、銃を構えた惇哉と睨み合っている光景に目を奪われていた。
「俺だ」
剣士はそう答えると、剣を振って鮮血を落とした後、左手で腰につけていた雑嚢らしき袋から羊皮紙のような物を取り出して、剣に付いた猛獣の血糊を吹き払った。その様子は時代劇、それも戦乱があった時代に、何人もの人を刀で切ってきた侍の所作そのものだった。
剣が鞘に収まる心地よい音が響くと、惇哉は89式小銃の安全装置に指を掛けた。同時に剣士は被っていたフード払い、口元を覆っていた赤いスカーフを下げた。そこには、惇哉と渚がよく知る人物の顔があった。
「俺だ。長尾真一だよ」
真一は素顔を見せて、小さく口元で微笑んで見せた。惇哉は立ち上がると同時に安全装置を掛けて、三年ぶりに再会した同級生の顔を見た。二年生の夏から同じ塾の夏期講習に通い、学校では三人しかいない剣道部の部長だった生徒だ。それが今、異世界の猛獣を切り捨てた剣士として、惇哉の目の前に立っている。
「長尾、長尾なのか?」
惇哉は目の前に立つ剣士が長尾真一なのか確かめるべく呟いた。顔つきはこの三年間の彼の大きな変化を物語っているのだろうか、やつれや苦労の色ではなく、多くの修羅場を潜り抜けた戦士の顔に変わっていた。自衛官見習いとなった今の惇哉には、真一はアフガニスタンやイラクの戦場を駆け抜けた歴戦の兵士と同じ凄みを宿しているのが判った。
「そうだ。君と同じクラスで、同じ塾の夏期講習に通っていた長尾真一だよ」
惇哉は放心状態で真一に近づき、89式小銃を方に回して抱擁のしぐさを取った。そして真一と軽い抱擁を交わすと、「長尾君?長尾君なの!?」と渚が駆け足で二人の元に駆け寄った。
「そうだよ。島原さんも久しぶり」
真一はそう答えて、駆け寄ってきた渚とも抱擁を交わした。渚は勢いよく真一に抱き着いてしまったが、強くなった真一には殆ど衝撃は無い様子だった。
「よかった、生きていたんだ!」
嬉しさのあまり、渚は目の前の状況をそのまま口にする事しか出来なかった。嬉しさと懐かしさで胸がいっぱいになった瞬間、また背後から一頭の馬が駆け足で近づいてくるのが判った。それに気づいた渚と惇哉は喜びの感情を断ち切って、駆け寄ってきた馬の方を見た。馬の上には、黒い真一と同じような服装に身を包み、赤いスカーフを襟元に巻いた浅黒い肌の男がいた。
「シンイチ、何なんだこの二人は?」
馬上の男は渚と惇哉の事を真一に訊いた。真一は彼の方を振り向いてこう答えた。
「大丈夫だよ、オリオール。俺の友人だ」
真一が答えると、オリオールと呼ばれた男は怪訝な眼差しを渚と惇哉に送った。その視線に惇哉が気づいて彼を見ると、オリオールは長い弓と矢筒、それに真一よりも少し小ぶりな剣を携えていた。先ほどの矢の一撃は彼が放ったものだと惇哉は直感した。
「友人、この人たちが?」
「そうだ。俺たちと同じ国から来た。この二人は同級生、まあ、同じ故郷に住んで共に子ども時代を過ごした間柄だ」
オリオールは何か言いたげな表情だったが、真一と親密な間柄を築いているのだろうか、彼は二人を見てこう告げた。
「馬上から失礼する。私はアクライ国騎士団、騎士団長イートン・ベルシに使える者、ザニー・オリオール。騎士団長の命により、政商ジロム・バルガス氏のご子息ユーリ・バルガス氏を護衛し、その帰路についている」
まるで侍のようなオリオールの名乗りを受けた惇哉は、慌てて襟をただして、オリオールの目を見るとこう答えた。
「自分は陸上自衛隊高等工科学校生徒三学年、新田惇哉です。この度は危険な場面を助けて頂きありがとうございます」
惇哉は生まれて初めて、同世代の自分と同じような戦闘組織に身を置く人間に向かって自己紹介をした。その惇哉の対応に、オリオールは同属としての親しみを感じたのか、少し表情が緩んだ。
「自己紹介ありがとう」
「新田、お前は自衛隊に入隊したのか?」
二人の自己紹介のあと、真一が惇哉に質問した。
「ああ、と言ってもちゃんとした自衛官ではなく、高等工科学校だけれどな」
「高卒の資格もらえて自衛隊の三曹になるやつか。すごいな。俺も二年の時に、駐屯地のイベントに行った時、募集係の人に入らないかって言われたよ」
「俺が入った理由は話すと長いんだけれどな」
惇哉と真一が二人だけの会話をしていると、中に入れない渚はバツが悪そうな表情で、どう口を開けばいいのか考えあぐねた。それに気づいた真一は渚の方を見た。
「自衛隊に入った新田はともかく、島原さんは何でここに来たの?」
「あたしも話すと長いんだ。いろいろと事情が複雑で」
渚が言葉を濁す様に答えると、真一はまあいいやといった様子で鼻を鳴らした。
「そうか、その事はこれからゆっくり聞かせてもらうよ」
「旧友との再会を懐かしむのもいいがシンイチ、俺たちの使命を忘れた訳ではあるまいな?」
感慨に耽っている真一にオリオールが声を掛けると、真一はしまったという感じで我に返り、慌てて近くにいた自分の馬に駆け寄って跨った。
「そうだ、大事な事を忘れていた」
「お前らしくもないぞ、油断するなんて」
「すまん」
オリオールに平謝りする真一を見て、渚がこう質問した。
「何をしていたの?」
「護衛任務だ。ジロム・バルガスのご子息ユーリ様の護衛だ」
真一がそう答えると、渚は「護衛任務?」と小さく返した。
「こっちも色々あって話すと長い、着いてくるなら着いて来いよ」
そう答えた真一は馬に乗り、オリオールと共に現れた方向へと引き返していった。その進行方向を渚が見ると、一頭の馬に乗った人間が一人と荷物を積んだらしい、縄に繋がれたラバ五頭の姿が見えた。
「ねえ、あれ交易品を乗せた商人じゃない?」
渚は外れた識別帽を被り直した惇哉に声を掛けた。
「商人が居るという事は、進む先に街があるんだろう、行ってみよう」
惇哉がそう答えると、二人は小走りに真一とオリオールの後を追った。




