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家出娘とボケ老人  作者: 杉下栄吉
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ガソリン満タン

ガソリン満タン


 先日、コンビニからの帰りに家に帰る方向がわからなくなってしまった栄吉はひどく落ち込んでしまった。傘寿のお祝いをしてもらったばかりだったのに、自分の老いを思い知らされる出来事だった。しかしそんな事件のことは家族には話せていなかった。話してしまったら家族にも老いを認めさせることになり、認知症で病院へ行けとか免許証を返納しろとか言われそうで堅く口を閉ざしていたのだ。あの時のように突然意識がおかしくなるようなことは滅多にないから、日常の生活では不便を感じることはなかったのだ。

 しかし年が明けた3月、その事件は突然起きる。栄吉はいつものようにコンビニによってコーヒーを飲んだら、本屋にでも行こうかと考え、いつものように愛車を走らせようと車に乗った。エンジンをかけた時、給油サインが出ていることに気がついた。

「ガソリンを入れてから行こう。」と考え、最初に川向こうの隣村にあるガソリンスタンドを目指すことにした。月に2回程度は通うなじみの場所だ。いつものように軽快なサウンドで水平4気筒のエンジンは今日も元気だ。左右を確認して駐車場から公道に出た。高齢者の運転なのでスピードを出すわけではない。しかしスムーズな加速でアスファルトに吸い付くように走り出した。橋の手前で信号に捕まりそうになったが間一髪で通り抜けた。右折して橋を渡る間は信号もなければ交差する道路もない。まっすぐ伸びる道をスピードを上げながら進むと道は下り坂に差し掛かる。やがて工場と工場に挟まれた道路は窮屈な感じになり、やがて国道に交わる大きな交差点に差し掛かる。さらにこの交差点を右折して目指すガソリンスタンドに到着した。交通量が多いので右折してスタンドに入るのは危険なので、慎重に前方から来る車が途絶えるのを待って入っていった。

「いらっしゃいませ。」青と赤の縦じまの制服を着た若いスタンドマンが笑顔で出迎えてくれる。所定の位置に車を停めてエンジンを切ると

「レギュラー満タンですか。」と聞いてくれる。彼の笑顔にこちらも自然と笑顔になり軽く頷いて満タンにしてもらうことに同意してガソリンカードを出した。彼は機械にカードをかざしてノズルを給油口に差し込んで給油を始め

「カードをお返しします。」とカードを渡すとフロントガラスを拭き始めた。いつものことながら見事な仕事ぶりだ。その間、ガソリンを流し込むモーター音が静かに流れた。栄吉はその音を聞きながら

「この音、どこかで聞いたことがあるような気がする。何処の音かな。」と考えこんだ。しかし何の音か思い出せない。しばらく考えているとスゥーと目の前が真っ白になる感覚で眠りに入る寸前のような感じがした。ガソリンが満タンになるまでなのでほんの1分程度だろうか。軽い眠りに入ってしまったような不思議な感覚。運転席でハンドルを握ったままで座っていただけだが、ずいぶん長い間そこにいた気がしていた。その時スタンドマンの彼が

「終了しました。サインをお願いします。」と言って伝票を差し出してきた。栄吉はドアウインドウを開けて彼が差し出してきた伝票に何かを書いた。しかし何と書いたのか自覚がない。自分の名前を思い出せなかった。しかし何となくペンを走らせてサインらしきものを書いた。すると彼は

「有難うございました。」と大きな声で言って道路に出て車が来ていないのを確認して行動に出るように手招きしている。彼の誘導に任せて栄吉は車を始動して国道に入っていった。12月のコンビニ事件の時よりも明らかに重症だった。国道に出たのは良いが、自分が誰なのか、目的地はどこなのか、自分の家はどこなのか、何もわかってない高齢の認知症患者のドライブが始まってしまったのだ。そこからどの道をどのように通って行ったのか定かではない。ただ毎年、高齢認知症患者の行方不明者は1万8千人近く発生している。ただ警察に行方不明の捜索願が出されても70%はその日のうちに発見され、29%は1週間以内に家に戻されている。しかし1%未満だが家に戻れず行方不明のままの人もいるらしい。



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