殺人の方法の検討
七宝 様 主催の『合法殺人企画』(企画期間:R5.10.28〜サイトが消えない限りずっと)に参加したくて書いた作品。
企画概要ページにある、『あなた。今殺したい奴、いますよね。』という言葉から、殺したい奴を思い浮かべて書いた作品。
あまり気持ちの良い作品ではないので、殺人とか死とか血とか、得意でない方は閲覧をおすすめしません。
自分自身を殺してやりたいと思う。
消えてしまえばいいのにと。
庭の畑で掘り起こしたじゃが芋の山を見詰め、ソラニンの過剰摂取を想像する。
日の当たる場所に置き、表面が黄緑に変色したじゃが芋を想像する。
ボツボツと生え出た芽をもぎ取って、緑色のポタージュスープにトッピングし、自然の恵みに感謝する、そんな想像を。
右手で握ったピーラーで人参の皮を剥きながら、チラチラ目に入る左手首に浮いた血管に心惹かれる。
血管ごと、人参の皮も手首の皮も、一思いに剥ぎ取って、どばどばと血を流す、そんな想像で自分を殺す。
現実的に考えて、家の中なら一番の候補地はやはり風呂場だろうか。
風呂釜にたっぷり湯を張って、鮮血滴る手首を浸し、血が止まらぬように、とめどなく流れるように。
現実的に考えて、先ずはカビキラーと排水口掃除だろう。
通報によりやって来るだろう警察、消防に、恥ずかしくない風呂場にせねば。
混ぜるな危険、それも有り。
けれど、第一発見者など、人を巻き込む可能性を否定できない、現実的でない。
外出すれば車にひかれる想像で自分を殺す。
いつかバイクにはねられたみたいに、ドンッと吹き飛ばされる。
一瞬で死、一瞬で無。
看板が倒れてくる想像で、トンネルの天井が崩れてくる想像で、埋もれ死ぬ自分。
命は大事。
命は一つ。
命は尊い。
飛び降りたら脳みそがへしゃげるだろうか。
脊椎を損傷するだろうか。
手足も首も、あらぬ方向に曲がるだろうか。
顔が潰れるだろうか。
深海魚が陸に上げられたときみたいに、煮魚の目玉みたいに、自分の目玉も飛び出るだろうか。
人の死の報道を聞きながら、遺体を自分に置き換える。
死んだのは自分、殺されたのは自分、バラバラなのは自分、切り刻まれたのは自分。
いつか、自分が痴呆になったとき、生と死の区別がつくのだろうか。
自分を殺しては駄目なのだと、正常に判断ができるのだろうか。
窓枠に鉄格子、入り口のドアには外から鍵、生きながらに死んでいく自分。
死に焦がれ、死に憧れた、死に損ない。
閉ざされた病棟の中、ただ死の訪れを待ちわびる。