絶望するほどの愚
「ノージ!竜人たちはまだ健在だ!」
コボルトやオークになった騎士たちが元に戻ったのに、竜人たちはまだ竜人らしい。
オユキ様の力で粉砕され粉となったニュートラルチーズが口に入ってもなお、竜人たちの動きは止まらないのか!
「ああ、ああ、ああああ!」
「こら逃げるな!」
「逃げるんじゃねえ、ヅケース様をお守りするだけだぁ!」
一方で騎士たちは逃げ出している。
口では屋敷に攻め込まれたから守るとか言っているが、明らかに何かが切れている。
「これが現実だろ」
「村人たちは自分の故郷の人間の不始末を自分の手で付けようとしていると言う」
「その口の減らなさが貴族の才能かよ」
キミカッタの吐き捨てるようなセリフにも、ツヌークの舌だけは止まらない。部下に置き去りにされたも同然なのにどうしてこんなに威張れるのか。
「自分がその魔物に喰われてもいいのか!今のお前には盾もないんだぞ!」
「そうなれば悲しむでしょ、その必要もないのに……」
そのブサイクな顔のままウインクまでしてみせやがる。いや実際の顔はブサイクでもないが、言葉がブサイクだ。
「姉上様……やはり奥方様の…」
「黙りなさいメイド、いや奴隷の分際で!」
「奥方様は毎日、姉上様たちに自家製のチーズを作ったお料理を食べさせていなさったのです。シェフの方がいらっしゃるのに」
「シェフに任せていては私たちが不安だと言って下さった、その気持ちあんたのような奴にはわからないでしょうね!」
「そうでもしなきゃ勝った気になれねえんだろ、ハラセキの母親に!」
「エゼトーナとか言う女性の記憶などないわよ、これは嘘でも何でもないんだから!」
その口のままハラセキの心までなぶりにかかる。
俺はともかくミナレさんやコトシさんたちならば口から出た言葉が嘘か真かなんてすぐわかる、そしてその上でどうするかすぐわかる。
「どこまでも、どこまでも……これが同じ血を分けた姉妹か!」
「確かに、妹に姉を思う心はあるが姉に心などないからな」
「本当に、本当に……何が聖女よ、人々の心をたぶらかし反乱を誘発する文字通りの悪女じゃないの…!」
その挙句に悪女と来た。
「悪女だとぉ!」
「そうよ、私を惑わしヅケース家を壊す存在は全て悪女!騎士たちも騎士たちよ、どうしてみんな惑わされるの!」
当然の如く村人たちは激昂するが、ツヌークとか言う女にはちっとも届かない。
あくまでも自分以外のせいにする事をやめない。もうこれ以上付き合いたくないと思わせるには十分だ。
「ああもういいわ、ノージ、あんた私の夫になりなさい!」
……俺は自分の耳がおかしくなっていない事に気付くまでに数秒の時を要し、自分の頭がおかしくなっていない事に気付くのにもう十数秒の時を要した。
「あんたさえ私たちにひざまずけばすべてが解決するの!そんな悪のメイドなんか捨てて貴族の一員になりなさい!」
「そんなもんここにはいねえよ!」
「王族に嫁ぐはずだったのに冒険者であるノージに頭を下げようなど」
「その責任を取らせて何が悪いの!」
王族の存在を知っているはずなのに。考えてみりゃ俺のせいでその縁がぶち壊れたから出兵しているはずなのに。
「お前の願い事は何なんだよ!」
「ただあるべき姿に戻るだけ、あるべき形に!」
「死ね!本気で死ね!」
「まったく、そこまで魅了されるほどに魅力的か、本当恐ろしい女だなハラセキっつーのは。寝取ってやろうか?」
——————————もしこれが、チーズのせいだって言うんなら。
「逃げるしかない、のか……」
他に何も言う気になって来ないし、する気にもならない。
同じように強大な力を持つ物を摂って来たのに、どうしてこうなるのか。
チーズの力に気付かない俺を利用し、たくさんのチーズを作らせて安値で買い取った人もいた。
俺自身が囮になって逃げ回り、ギビキが魔法を貯めるまでの時間を稼がさせられる事もあった。
だけど、何も気にならなかった。
チーズを生み出すなんて言う力の持ち主がいないから余裕を持てていた?
そんな訳あるか、俺自身俺にはない力の持ち主をたくさん見て来たのに。
(故郷はもうこれでおしまいかもな……)
今更のように郷愁も感じる。
チーズのせいでバケモノになってしまった村の仲間たち。
いや、そう思っているのは俺だけ。
その存在たちの怒りを全力で買い、さらに村人たちから離れて過ごした時間を共にしたアックーさえも俺を全力で殺そうとしている。
逃げ回った所で何が解決するのか。
人頼み。
自分が大事にして来たはずの存在を犠牲にして、ただ生き延びるだけ。
本当に、我ながら醜い。
今までは耐えられたのに。
自分と同じように、チーズの力と共にあった存在が、ここまで腐っているだなんて。
キミカッタ、ツヌーク。それからクロミール。
目の前が暗くなる。
「俺も、いずれ……」
「ノージ様!」
……え?
「ノージ様!!」
視界が、急に開ける。
真っ白な光が目の前を覆い、足を止めさせる。
「ハラ……セキ……」
「あのチーズをください!!」
「あの、チーズ……」
「お願いします!」
チーズ。
これまであまりにも多くの運命を壊して来たシロモノ。
本当に、与えていいのか。
俺の大事な、存在に……。
「お願いします!!」
「あ、ああ……」
俺の体が、動かない。
本当にいいのか。ハラセキを……苦しめやしないだろうか。
「ハラセキ……俺の事を恨まないでくれるか!」
無理くり絞り出した声と共に、俺の体が浮かび上がった。
誰かに抱えられている訳じゃない、まるで別の何か…………。
「あなたは大丈夫、私も大丈夫、だから……!」
心が急に軽くなる、俺に何をすべきか、教えてくれる。そんな光。
その光に抱えられながら、俺は必死に力を込めた。
そして作り出したひとつのチーズ。
「えっ…」
だが、そのチーズはあっけなく消えた。
ハラセキの、口へ—————。




