5-6 シルフィアの去った後
同じ副隊長ではあるが、物心ついた頃から騎士教育を受けてきたバーンやグラトと異なり、二年前まで僻地の田舎娘だったアイリは左顧右眄するばかりで、何も事後処理ができないでいた。同じように室内に取り残されたイナグレスや、何故か侍女の服を着たエナクレスに指示すべき立場ではあるが、アイリはへたりこんだまま動けない。
しばらくすると、十一番隊隊長ヴィドグレス・グレイズイールが副隊長の執務室に音もなく現れる。女性かと見紛う程に長い黒髪が腰まで届く美丈夫である。
「ヴィ、ヴィドグレス隊長ぉ……」
アイリは安堵で大きく息を吐いた。グラトが推察したようにヴィドグレスはシルフィアの魔力に気付くと同時に気配を消して、隊舎の外に隠れ潜んでいたのだ。騎士であれば臆病者の卑怯な振る舞いではあるが、該博たる彼は己の能力の特性を十分に理解した銃士であった。戦争の際に通常の軍隊を先行させて補給路を用意してから、魔銃使いに馬を乗り継がせて前線へ素早く展開させる戦術を考案したのはヴィドグレスだ。ロアヴィエ皇国において五大貴族と称される名門グレイズイール家の当主は、世襲の権力に縋りつくだけの貴族と異なり、新しい時代に適用していた。彼はまさに、新時代を啓く異数の銃士である。
馬上の騎士が家名を名乗り、驍名馳せる敵と一騎打ちをする時代は既に終わったと確信するからこそ、彼は十一番隊隊長ルルアッド・ルドニクルと共謀し、皇弟バルフェルト・フォン・ロアヴィエの後ろ盾を得て、皇帝に反旗を翻そうとしていたのだ。そこにもたらされたのが、皇弟の訃報とシルフィアの来襲だ。策謀が瓦解しそうな状況に陥って混乱の渦中にはあったが「状況を報告しろ」という彼の短い言葉は、普段と変わらない平静さを持っていた。
「北方将軍のシルフィア卿が突然やってきて、バーン副隊長を出せって。それから信じられない威力の蹴りでバーン副隊長とグラト副隊長を吹っ飛ばして壁に穴を空けて、訓練場の方に跳んでいきました」
「そうか……」
ヴィドグレスは壁面に穿たれた穴と、その先にある抉れた地面を睨みつける。彼の元に特使が訪れ、バルフェルトがシルフィア卿の従者に暗殺されたことと似姿が送られてきたのはつい前日のことだ。
(北方将軍は、まさか皇帝の命令で動いているのか? 我々の叛意に気づいたのか? 仕儀によっては排除せねばならんな)
彼は目下、北方将軍の暴虐に対処しなければならないが、不用意に他の隊を関わらせるわけにもいかない。ヴィドグレスにとってアイリは遠ざけておきたい存在であった。十三番隊とは協力関係にあるし、ペールランド出身のアイリならば皇国への反逆にも協力するだろうが、確証はない。
「大事にするわけにはいかん。これは戦闘訓練ということにし、北方将軍は十一番隊と十二番隊で対処する。アイリ副隊長は他の隊の者が来たら、問題ないと伝えておけ」
「りょ、了解しました」
「エナクレスはイナグレスを安全な所に避難させたら、動ける銃士を集めて待機しておけ」
「了解しました」
エナクレスは反射的に返事をし、部屋を出ていくヴィドグレスを見送る。
「私はもうシルフィア様の侍女みたいなものなんだけど、どうすればいいのよ……」
「姉さん……」
エナクレスは弟と再会した。二週間前まで同じ顔をしていた弟は、既に異相である。目元は包帯で覆われ、額や頬には赤褐色のミミズ腫れが走り、髪は短くなっている。アイリの魔銃は内部から治療していくため、外見の修復は後回しになるのだ。
「北方将軍の能力はもしかして――」
互いの無事を確認するよりも先に、イナグレスは姉の耳元である仮説を囁く。彼はキーシュが殺される直前、シルフィアの居城を魔銃スコープで観測した。壁越しだったためハッキリと見えたわけではないが違和感を抱いていた。そして今、装着型魔銃使いの副隊長を一蹴する様子を耳に聞き、一つの仮説を立てた。その仮説が正しいことを、身の回りの世話をしたエナクレスは知っている。
「それは……でも……」
間違いなくシルフィアの弱点になる。エナクレスはシルフィアと二週間ほど生活を共にしただけだし、シエドアルマにおいて奴隷であるエルフに情は湧かない。皇国最上の狙撃手であるヴィドグレスにシルフィアの秘密を教えれば、確実に殺せるだろう。だが、騎士道にもとるとして、エナクレスはそれを口にすることを躊躇してしまう。
ヴィドグレスやグラトが騎士である矜持を捨てて銃士として行動するのとは異なり、エナクレスの精神性は旧来の騎士に近い。これは彼女の家が、グレイズイール等の名門よりも格が低いことに起因する。領地や財産を十分に持つ上流貴族と違い、エナクレスには弟を貴族として栄達させたいという望みがある。俸禄を貰う雇われの兵士ではなく、広大な領地を治める領主にさせたいのだ。そのためには騎士として皇宮の宴会や社交界に参加する必要がある。皇宮で求められるのは、魔銃使いとしての戦闘能力ではなく騎士としての教養や振る舞いだ。
(どうすれば、いいのよ……。なんで私達は姉弟そろって、暗殺に向いた卑怯な能力なのよ……。バーン様のように剣で戦う能力だったら、シルフィアの弱点を知る私が戦うのに!)
エナクレスにはこれと定められない、将来へ続く路が幾つかある。マレン家を継ぐ弟を補佐して家を再興する路。マレン家の息女として適当な貴族と結婚して領主婦人になる路。戦功を立て、魔銃使いとして栄達する路。
最後の路はあまりにも果てない。どれだけの戦功を立てれば良いのだろうか。今まさに台風の目となり銃士隊の隊長格を翻弄するシルフィアですら、侯爵位を持ちはしても領地は有していない。シルフィアは皇帝直臣でもないのだから、立場としては放浪貴族となんら変わらない。家名すらないのだから、貴族とすら呼べないのではないか。女が戦場で出世して貴族になった前例などない。
「姉さん? どうしたの?」
「なんでもない」
決意は定まらない。彼女の魔銃スコープを使えば、気配を断つ前のヴィドグレスを、まだ見つけられる。戦闘態勢に入られてしまえば、皇国最上の狙撃兵を探しだすことは不可能になる。だが、今すぐ追いかければ、シルフィアの弱点を伝えられる。以心伝心したわけではないが、双子の弟が姉の手を、両手で包む。
「姉さん、僕は父さんのような騎士になりたい」
「……そう」
弟の言葉は姉の中に青天の霹靂ともいえる論理展開を起こした。既に彼女は、戦う者としては父を超えている。弟は幼少期から、父のような騎士になり家を継ぐよう教育を受けてきたが、姉は異なる。父のような騎士になどなりたくなかった。エナクレスは弟の目元を覆う包帯を剥がした。他人からは見分けがつかなかったであろう顔は、醜く焼けただれている。
「イナグレス。貴方は父のような騎士になりなさい。私は違う路を行く」
エナクレスは立ち上がり弟に背を向けた。もともと双子とはいえ男女がここまで同じ路を歩んできたことが異常なのだ。別れるべき時はとっくに過ぎていたのに、二人とも魔銃に適合してしまったから、同じ集団に所属して行動をともにすることになっただけだ。




