5-5 失恋
(やっば、やばい、やばい! なんでバーンもグラトもこんな簡単にやられてるの!)
アイリは既に戦意喪失。同じ副隊長格だが、近接戦闘においては二人より遥かに劣る。二人が先制攻撃を仕掛けたとき、彼女はどさくさ紛れに使い魔を一体召喚しただけだ。アイリは『灰色の天使』を最大で六体まで操るが、とてもではないが呼びだす前に殺される。しかも、召喚済みの一体すら、目の見えないイナグレスを庇うため背後に移動させてしまっている。彼女には自身の身を護る術がない。グラトの8.2x26㎜魔力弾が通じないのだから、アイリの6.4x23㎜魔力弾は試すまでもない。彼女の身体は、平均点な魔銃使いとは比類しようのないほどに強固な魔力場で覆われているが、シルフィアの前であれば裸と変わらない。
(蹴られたら、私、絶対、死んじゃう……!)
膝が震えて立っているだけでも精一杯のアイリに、シルフィアがゆっくりと近寄る。シルフィアはアイリなど眼中にないから、壁に空いた穴に向かっているだけだ。だが、眼前に迫った嵐の進路など、渦中で翻弄される人の目に分かるものではない。アイリは自然災害の如き魔力の接近に怯えるしかない。
(ひ……。イナグレスだけでも護らないといけないけど、無理、無理無理!)
アイリは魔銃能力で幻惑された可能性を疑い、唇を噛んで切るが、痛いだけで目の前の光景は何も変わらない。
(竜殺し経験のある二人を近接戦闘で圧倒するような化け物が、本当にいるの?!)
「シルフィア様。私の役目を奪わないでください……」
アッシュはただ話しかけただけを装い、シルフィアとアイリの間にさりげなく割りこむ。彼もアイリと同様に呆然としていたが、僅かに早く自失から立ち直った。シルフィアの攻撃がアイリに及ばないように庇った形だ。
「バーンは私の仇です」
「本当にアレが副隊長なの? 銃士隊でも屈指の実力者と聞いたから、少しだけ強めに蹴ったのだけれど、あんなに弱いとは思わなかったわ。他人の空似ではないの?」
「シルフィア様基準で考えないでください」
「そう」
シルフィアとアッシュはアイリの前を通り過ぎる。シルフィアは壁の穴に足をかけ、外でよろめきながら立ち上がる銃士を、嘲る。
「踏みつぶされたくなかったら、市外へ行きなさい」
「くっ、ふざけ――」
「落ち着け!」
バーンが反発するのをグラトが抑える。両者ともに折れた骨は内臓に刺さってはいないが重傷である。
「シルフィア卿の指示どおり、訓練場へ向かうぞ……」
「テメエッ、怖じ気づいたか」
バーンはグラトにさらに食って掛かろうとするが、その苦渋に満ちた横顔を見て堪える。彼等は良き理解者同士ではない。嫌でも目につく好敵手だ。強者を前にして怖じ気づく奴ではないと、他の誰よりもバーンが認めている。
グラトには考えがあった。十二番隊隊舎で騒ぎが起きた以上、必ず隊長のヴィドグレス・グレイズイールが気づいている。ヴィドグレスは展開型の狙撃兵なので近接戦闘には向かない。既に気配を断ち事態の推移を観測しているはずだ。隊長の加勢を期待するのなら、隊舎から離れなければならない。
さらに、皇都南東の平原ではルルアッド・ルドニクル十一番隊長の指導で百名以上が訓練中だ。百名の魔銃使いと隊長格二人が合力すれば、シルフィアに負ける理由などない。懸念材料は隊長が両名とも近接戦闘を苦手とすることだ。両隊長と共闘するには盾役のバーンとグラトが先に倒れるわけにはいかない。グラトはバーンとともにシルフィアの身動きを封じて、隊長二名による遠距離攻撃で我が身ごと焼き尽くしてもらうしか手はないと判断した。シルフィアと初めて邂逅した時のバーンと同じ判断である。
「バーン。我等は騎士である前に、銃士だ。訓練場へ向かうぞ」
それは、誇りにかけて一対一で戦う騎士ではないという宣言。変革しつつある精神性においてもグラトは副隊長として先頭に立つ存在であった。彼は個の勝利より、全体の勝利を選んだ。その決断は無言の内にバーンに共有された。本人達は認めないが、似た者同士たるゆえんである。一対一に拘泥するようでは、副隊長に任命されるはずもない。
「シルフィア卿、こちらです」
ブレードを前腕甲に収めて頭を下げると、グラトは全力で踏み切った。全速力についてこられるか試し、僅かでもシルフィアの能力を把握しようという狙いがある。幸い、隊舎は第三円区にある。家屋の屋根を足場にするため何件か倒壊するだろうが、相手が中流市民や下流市民なら後でどうとでもなる。もしこれが中央だったら、貴族や上流市民の邸宅を破壊し、問題になる怖れがあった。
壊れた壁の穴からシルフィアは副隊長達を見送り、駆けていった方向のみ確認する。見失ったら追いつけなくなるなどとは考えもしない。決死の覚悟をした副隊長達と異なり、シルフィアはマイペースであった。自分はエナクレスに案内させてゆっくり歩いていけばいいくらいに思っている。だが、室内に振り返り、アッシュの瞳に宿る炎を見て、考えを改める。
「準備はできているようね。行くわよ」
逆光の中でシルフィアがアッシュに手を差し伸べる。アッシュはかつてペールランドの羊飼いだったころ、成人する際にでかけた都市の大聖堂で見た荘厳な宗教画を思いだした。小さな手はまるでアッシュを壮大な物語に誘うもののように見えた。アッシュはその手と、室内で震えるアイリを見比べる。アイリに伝えたいことや聞きたいことがたくさんある。
――はずだった。
アッシュはアイリを愛していた。しかし、それは既に身を焦がすような熱い愛ではなく、記憶に過ぎない。庇わないといけないと判断したから、シルフィアとの間に入った。冷静な思考に従った行動だった。我を忘れての行動ではない。
アッシュは復讐心を絶やさないように毎日何度も木彫りの天使像を握りしめ、誓いを新たにした。失った火傷痕の代わりに、木彫り人形の跡を何度も手に刻んだ。新しい体を得て古い記憶になろうとも、復讐心だけは捨て去ってはいけない。アッシュがアッシュでいるために必要な感情。それは愛ではなく、復讐心であった。
粉塵舞う薄暗い隊舎で身動きがとれずにいるアイリから背を向け、アッシュは光の中に立つシルフィアの手を取る。
「振り下ろされないようにね」
「ああ」
シルフィアはアッシュの腕を引き、些か不格好ではあるが自分より大きな女性の身体を抱き上げると、空に向かって大きく跳躍した。
その様子を見たアイリの瞳に涙が湧いてくる。いつか、ノイエッテの私邸で見た絵画を思い出した。人族の女との密通を禁じられた光の神アルゼが、雷光に変化して寝室にやってきた場面だ。
「あ、あれ、なんで……。埃でも入ったのかな……」
さしぐむ内にわけもなく胸が苦しくなって、アイリはその場にへたりこんだ。ただ、エルフが差し伸べた手を侍女が握る場面を見たに過ぎない。それだけなのに、ノイエッテはまるで失恋でもしたかのように、悲しくなってしまった。




