3-17 鈍る復讐心に怯える
使用人が立ち去るとシルフィアは表情を崩す。
「四輝将が出てきたら却って都合がいいでしょ。貴方が殺されればいいだけ」
「確かにそうだが……。いや、四輝将同士の戦闘など起きたら、街に被害が及ぶ。なんの関係もない人々に犠牲が出る」
「ねえ、何を躊躇する必要があるの? 復讐をしたいのは貴方のはずよ。命を賭してまで私の城に乗り込んできたくせに、随分と弱気ね」
「それは、そうだが……。いや、待ってくれ……」
シルフィアの指摘が正鵠を射ていたため、アッシュは愕然とした。何故、殺す覚悟で会いに来たシルフィアとのうのうと雑談した挙げ句に、復讐を躊躇しているのだろうか。凱汪四輝将軍と凱汪銃士隊が衝突して戦力を削りあうのなら、歓迎すべきだ。決着のいかんに拘わらず、皇国の戦力は削がれる。シルフィアが年端もいかない少女だったから、利用することに抵抗があるのだろうか。
(違う……!)
ユシンが殺された瞬間の、全身を焦がした復讐の炎がいつの間にか弱くなっている。
(時間が経ったから? アイリが生きていたから? シルフィアという強力な後ろ盾を得たから?)
アッシュは手のひらを見つめる。剣だこすらない綺麗な手をしている。故郷の村が焼き払われたとき、瓦礫の中に生存者を捜し求めて手に負った火傷は、今の身体にはない。復讐の火にくべるものが、掌中にないのだ。
「どうしたの、アッシュ」
シルフィアが間近から覗きこんでくる。それはアッシュの体がグラハム・ルドフェルのものだったときには許さなかった距離。白いおでこ、細い首筋、滑らかな鎖骨。匂いを嗅ぐだけでは我慢できない。舌を這わせて味を堪能したい。アッシュの肉体は意識とは無関係に、シルフィアの幼い容姿に欲情し、マグマのような情欲を抱く。
「ねえ?」
シルフィアの薄ピンクの唇が言葉を紡げば、視線が引き寄せられる。吸いついてみたい。いったい、どれほどの美味だろうか。
「違う!」
アッシュは我を忘れて声を荒らげ、シルフィアに背を向ける。
「俺はアッシュだ! グラハム・ルドフェルじゃない!」
アッシュは一心不乱に駆けだし、小屋から飛びだす。天守に戻り、割り当てられている部屋に飛び込むと、チェストの上に飾った木彫りの天使像を手にする。
「……ユシン! ユシン! 俺は、アッシュだ。アッシュだ……!」
人形を握りしめると、アッシュは床に崩れ落ちて涙した。この人形だけがアッシュの肉体だったときの所有物だ。これだけが今のアッシュを、アッシュだと確信させてくれる。
「何故、俺は都へ行くことを躊躇った。無関係な人々を巻き込む? 違う。あそこには、キーシュの家族が住んでいる。バルヴォワが入れこむ娼婦の女が商売している。酒癖の悪い友人ガゴズがいる。都での戦闘なんてもっての他だ! 違う! これは、偽りの記憶だ! 俺は、アッシュだ……! 故郷を焼いた奴等を絶対に許さない。バーンを俺の手で……!」
「ふーん」
いつの間にかシルフィアがベッドに腰かけていた。
「一人にしてくれ……」
「毎日を退屈して過ごす私が、貴方みたいな面白い存在を放っておくわけないでしょ。貴方、新しい体の記憶も継承していくのね」
「ああ……。些細なことや古い記憶は分からない。だが、最近のことや強い記憶は嫌でも知ってしまう」
「グラハムが私に何をしたのかも、知っているの?」
「ああ……。昨晩、お前にユウナとの関係をもつように言われたとき、体の記憶を探って知った……」
グラハムはそのおぞましい記憶を心の中央に抱き、色あせないようにしていた。未遂に終わった性犯罪を、いつか現実のものにするために、シルフィアに従っていた。
「おへそ舐める?」
シルフィアはベッドに寝転がり、全身から力を抜いて無防備な姿を曝けだす。
「大人をからかうな。記憶があるだけだ。俺にそういう趣味はない」
「アッシュ。記憶があるなら、私が貴方に感謝していると信じてもらえるわよね。貴方は既に私の復讐を成し遂げてくれたのよ。だから、私は貴方の復讐に協力するわ」
「あ、ああ……。けど……。俺は……」
「いつでもいいわ。貴方のタイミングで復讐しなさい。私はいつでも力を貸すわ」
「ありがとう……」
「あら、素直」
「子供相手に見苦しいところを見せた。忘れてくれ」
「ふーん。やっぱり子供扱いしてくれるんだ。嬉しいわ。ねえ、それはグラハムの記憶が影響しているの? それとも、貴方も子供が好きなの?」
「子供は好きだが、意味合いが違う。グラハムなんかと一緒にしないでくれ……」
「少し元気が出たじゃない。とりあえず銃士隊を滅ぼすのは後日にしましょう。紙を用意させるわ。狼やユニコーンを描いて。貴方の知る、色んな動物の姿を教えて」
こうしてアッシュはシルフィアの要求に応じて、日が暮れるまで動物や建物など、記憶にある様々な物を描いて過ごした。最後に帳面を一つ貰い、アッシュはその日から日記を書き残すことにした。己を失わないために。




