3-1 白百合城
牢から脱走した後、アッシュは共に行動する理由がないから早々にドワーフや半獣人と別れた。後にアッシュは異なる体で二人と再会するが、僅かな時間を共有した相手が、観察眼に優れた盗賊と五感に秀でた獣人であったことが意味を持つまでに、まだ少しの時間を要する。
アッシュの復讐対象は二つ。二年前に彼の生まれ育った村を焼いた部隊と、先日ユシン達を虐殺した銃士隊だ。
(先ずは居所がハッキリしているバーンだ。俺は自分を殺した相手に意識を移して生き長らえることがことができるらしい。となれば、バーンよりも強い奴に殺されればいい)
銃士隊の副隊長を倒せる存在は限られるが、キーシュの記憶に心当たりがある。
(銃士隊の隊長か、凱汪四輝将軍。いずれかの体を手に入れる。魔銃がない俺には隊長格は殺害できない。だが、逆は容易だ。襲撃して返り討ちにあえばいい)
他国への侵攻を主任務とする凱汪銃士隊と異なり、凱汪四輝将軍は防衛を主任務とし、各々が皇国の東西南北を管轄している。全員が銃士隊の隊長格に匹敵する戦力だと噂されているが、皇国が他国から侵略されたことがほとんどないため、彼等の強さや能力を目にした者は少ない。だが、銃士隊の隊長と四輝将軍が、魔銃使いの最強格であることは疑いない。バーンを殺害するためには、アッシュはこの十七人の誰かに殺されれば良い。
アッシュが狙い定める標的は北方将軍シルフィア。北方将軍は皇帝の不興を買ったため、都から程近い白百合城に軟禁されているという噂だ。凱汪銃士隊の隊長格よりは接触しやすいだろう。白百合城はロアヴィクラートから北西五十キロメートルに位置する。人の手が入っていない鬱蒼とした原生林を遠慮するように道が一本だけ通り、その先の開けた場所に白亜の天守を中心とした城が建つ。天守は三階建てで各階に二部屋。城壁は戦時の防衛用ではなく野生動物の侵入を防ぐためにあり、銃眼や見張り用の尖塔は備わっていない。ロアヴィエ皇国の長く続く血塗られた歴史の中で、処刑するわけにはいかない者を幽閉するために建てられた。廃位した王の妃であったり、王族の子を身ごもった侍女であったりが軟禁されてきた城に、今は皇国最強格の一翼がいるはずだ。
アッシュは森に潜み、将軍の居城を三日ほど観察した。
「出入りする者は使用人の女だけ。日に一度の外出で運び込める食材で事足りるということは、城内にいるのは数名か。あの娘の体を奪うか? いや、無理だ。あの女に俺を殺せるとは思えない。仮に殺されたともしても、無関係の娘が死ぬ。それに……」
アッシュは自分の能力を完全には把握していない。過去の状況から察するに、自分を殺した相手の体を乗っとることは確かだ。だが、能力が発動するために何か条件があるかもしれない。
「殺されるだけか? 相手が魔銃使いであるという制約はありうる? 体を乗っとる回数に制限は? 駄目だ……。分からないことが多すぎる。慎重にいかなければ」
西の空が茜に染まり始めても、出入りするのはいつもの侍女のみであったため、アッシュはその日の夜に城へ侵入する決意をした。アッシュは森に潜み、数時間を待つ。時間を無為に過ごすことには慣れている。兵士になる前は放牧で生計を立てていたのだ。野に放った家畜が草を食べる間、アッシュは絵を描いたり雲を数えたり木の人形を彫ったりした。時折、様子を見に来るアイリと他愛のない話を楽しんだ。
「アイリ……。君が皇国の銃士になっていたことには驚いたが、生きていてくれて良かった」
二年前、故郷ペールランドはロアヴィエにより滅ぼされた。放牧から戻ったアッシュが目にしたのは、焼け落ちた村だった。アッシュは両掌を見つめる。兵士とは思えないほどに白く細い指だ。生存者を求めて火の残る瓦礫を掻き分けたときの火傷はない。
「俺はもうアッシュではなくキーシュなのか? アイリ、俺が正体を告げたら君はどんな反応をする? ……余計なことは考えるな。今はシルフィアに殺される方法だけを考えろ……」
薄暗い森の中で思考は迷子になり、懐古の念がわだかまる場所を右往左往した。アッシュは思考をバーンへの復讐心だけでは塗り潰せなかった。どうしても、アイリとの哀歓たる思い出が色鮮やかに浮かび、再び彼女との時間を過ごせないだろうかと未練が湧いてくる。
「駄目だ。考えるな。アイリにはきっと今の生活がある。今さら俺が名乗り出たところで迷惑だ」
思考の迷路から抜け出せないまま、陽は完全に没した。アッシュは月が雲に隠れた機に、城の外壁を昇り始める。
「くそっ。キーシュめ、軍人のくせに鍛えていないな……! 三メートルもないような壁すら、やっとか!」
魔銃を所持していないアッシュは、キーシュの身体能力だけで壁を登らなければならなかった。野犬は防げても小鬼の侵入は許しかねない高さだ。
「凱汪四輝将軍のシルフィア。復讐に利用しても、心が痛まないようなクズだったら文句なしだが……」
整層積みされた石の壁を上り終え、呼吸を落ち着けながら改めて壁内の様子を観察する。
(シルフィアの寝室は、普通に考えれば、あの一番大きな建物の最上階だが……)
城内には城司の居所となる天守を中心にし、火災対策として別棟になった調理場、厩舎、礼拝堂の他に庭師や使用人用の小屋がある。アッシュは警戒しながら城郭へと侵入する。キーシュは能力の性質上、隠密行動に長けていた。斥候として敵地に潜入偵察した経験が何度かある。そういった体を使っているからこそ、アッシュは潜入が可能だと判断した。だが、それは慢心と油断であった。
「振り返れば首を落とします」
「なっ……!」
天守の三階にある窓から侵入するため、外壁に手をかけたところで、首筋にナイフが当てられる。背後から聞こえた低い男の声には、有言実行するであろう圧があった。
気配もなく現れたのはボーガ・ルドフェル。かつては凱汪銃士隊の前身ともいえる黒狼騎士団に所属していた初老の男だ。その卓越した身体能力は、現役を退いた今でさえ衰えを見せない。ボーガはグレイヘアの下にある真黒な瞳を細める。
「気配の絶ち方からしてコソ泥ではないと思いましたが、銃士隊の者ですか」
ナイフを首筋に押し込められ、アッシュは反射的に声を出してしまう。
「待て」
咄嗟のことなので、殺されて体を奪うという考えは出てこなかった。
「北方将軍に伝えたいことがある」
「次からは礼法に則り城門よりお越しください」
「正式な手順では伝えられない内容だ」
「……」
でまかせではない。キーシュやバルヴォワの記憶の一部を得たアッシュは、銃士隊の不穏な動きに気づいている。将軍相手に取り引き材料として使えるであろう情報だ。
僅かな沈黙の後に、上方から声が降ってくる。
「ボーガ、殺さずに連れてきなさい。暇つぶしくらいになるわ」
童女とも娼婦とも思える不思議な声音だが、シルフィアだろうか。アッシュはボーガに連行され天守に入った。




