第7話
読経が聞こえる中、葬儀の会場の隅に立ち、ひっそりと父を見送る。実の父といえど、身内の葬儀に出ている感はない。4歳まで一緒に暮らしていたと言われても、既に記憶がないのだから仕方がないのかもしれない。
背を丸めて小さくなっている祖父母の姿。真緒梨はその姿を見て、心に何かが沸き起こった。同情? 憐憫? 判らない。けれど子に先立たれた姿は哀れを誘う……
母と共に真緒梨を育ててくれた祖父母と重なった。
「貴士ぃ、貴士ぃぃ! あぁ……圭佑ぇ、ああぁぁ」
息子と孫の名前を呼ぶ、祖母の号泣する声が響く。柩が出棺する際は、腰が抜けたように這いつくばっていた。
「マオ」
出棺を見送ったあと、母は真緒梨を外に促した。外に出ると、真緒梨は無意識に深呼吸をした。独自の空気に呑まれ、知らず知らずのうちに緊張していたようだ。
「これからどうするの? もう帰ってもいいの?」
「これから火葬よ。そのあとに骨あげがあるけど、もうそこまではいいと思うわ。本当は精進落としまで付き合うのが筋かもだけど、新幹線の時間もあるしね。着替えて帰りましょうか」
母の言葉にホッとする。葬儀が終わったのなら、一刻も早く帰りたかった。弥生にだけは挨拶しておこうと人垣を見回した時。
「里沙さん!」
祖母の嗄れた声が響いた。
「里沙さん! あんた何しとんね! このまま帰るつもりか!」
憎しみさえ籠っていそうなその声に、里沙の顔が引き攣る。
「お母さん、もう止めて! 来てくれただけでもありがたいのよ。これ以上里沙さんを困らせないで」
「弥生! あんたは勘当した人間や! 余計な口出しすんやないわ! 里沙さん! あんた離婚したとはいえ情の沸いた相手やろ。このまま帰るなんてそんなん人としてどうなんや! 最後までキチンとせんか!」
「お母さん! お母さんがそんなこと言える立場!?」
真っ赤に充血した祖母の目が真緒梨に留まる。
「あんた……真緒梨か? そやろ? 真緒梨やろ!?」
祖母の剣幕に答えたくなくて、返事に窮する。
「あんたのお父さんの葬式やもんな、真緒梨はちゃんと来てくれたんやな。なぁ真緒梨。あんたはこんな途中で帰るなんて薄情な真似はせんわな? あんたの血の繋がった、実の親やもんな?」
この小さな身体のどこにそんな力があったのか、真緒梨の肩をがっかり掴んで離さない。祖母の落ち窪んだ眼窩に縁取られた眼から、何かが飛び出してきそうな錯覚を起こした。
「お義母さん、真緒梨はもう水瀬家とは何の関わりもありません。離して下さい!」
「あんたはようもそんな薄情なことを言うね! 死んだのはこの子の親じゃ! 最後まで親を送るのが子の努めやろうが!」
「お義母さん!」
「喧しいわ! お前ら何しとる。さっさと家に戻らんか!」
「お父さん! 里沙さんはもう水瀬の人間じゃないのよ!」
「お前は黙っとれ! 余計な口出しすんやないわ!」
「判りました! 判ったから、離して下さい」
「マオ!?」
「そやろ? そやろ!? あんたはよう判っとるなぁ。やっぱり貴士の娘や。薄情な母親とは大違いやな! 大っ事なな? 大っ事な話があるんやで」
「マオ、無理しないでいいのよ」
「大丈夫、お母さん。少しだけでしょ?」
これだけの間にも、充分人目を引いている。こんな風に晒し者にされるのは願い下げだった。
「里沙さん、真緒梨ちゃん……こんなことになってごめんなさい」
真緒梨はあのまま帰りたかった。しかし田舎とはいえ、葬儀場で人目を浴びるよりは家に行った方がいいのは判っていた。それに祖母が何を考えているのか知らないが、このまま諦めるとはとても思えない。
祖母の非礼を詫びたのは弥生だった。
「ごめんなさい、嫌な思いをさせたくなかったのに……」
「伯母さん、大丈夫です。少し話すれば落ち着くんじゃないですか?」
「そうだといいんだけど……」
真緒梨の目には、小さくなって号泣していた先程の姿が焼き付いていた。
そうして、水瀬家に揃う親族。その中で祖母が提案してきたことは、とんでもないことだった。
「真緒梨を水瀬の家に返してもらうで」
衝撃的なことを祖母はいとも平然と言ってのけた。真緒梨を意思あるひとりの人間として見ている言葉ではなく、ただの駒のように見なしている言葉。
「ちょっとお母さん! 何言ってるの!?」
「弥生は黙っとれ! いいか? この水瀬の家を継ぐ人間が居らんようになってまったんや。水瀬の家は代々続いてきた大きな家や。それをここで絶やしてはご先祖様に申し訳が立たん。そんなことも判らんのか!」
顔を真っ赤にして一気に捲し立てる。
「それにやな、貴士と離婚した里沙さんは確かに他人やけどな、この真緒梨は貴士と血を分けた実の娘なんや。血の繋がりは紙っ切れ1枚で断たれるもんとちゃうで。親の意思を継ぐのは子の使命や」
「その通りや。子どもは親の言うことを聞くもんやでな。この水瀬家を継げるんやで感謝せい」
何……何、言ってるの? この人たち。一緒に暮らしていたわけでもない、ただ血が繋がっているというだけの───他人。ここの家にも、人にも、何にも馴染みもない。思いを入れ込んでもいない。
なのに、そんな中で勝手なことを喚いている。真緒梨には理解出来ないことを捲し立てている老夫婦。
そんな風にしか捉えられなかった。
母が離婚した理由の一端が判った気がする。夫である父との間にも何かあったのだろうけど、この舅と姑との確執も大きかったに違いない。娘に言わなかったのは、母の優しさ、強さなのかも……
「真緒梨が水瀬に戻ったら早速結婚やな。相手は私がよーく考えて選んだる。そんで何人でも子どもを産むんや。あんた、ちゃんと真っ当な子ども産める身体やろな? 汚れてへんな?」
「お母さん、何言ってるの! 真緒梨ちゃんはまだ高校生なのよ!」
「すぐにでも病院で診てもらえ。そんでアバズレかどうか判るやろ」
「お父さん! 何馬鹿なこと言ってるの!」
「喧しい! 弥生! お前こそ儂らの言うこと聞かんと何処ぞの馬の骨とも判らん男と結婚しくさって! 水瀬家を放り出したお前にとやかく言う権利なんぞない!」
息子と孫を一度に亡くして、混乱しているんだろう、気持ちの持っていきようがないんだろう……と思っていたけれど。真緒梨は顔を背ける。同情なんてするんじゃなかった。
「マオ」
「お母さん、帰ろう」
「真緒梨! 何言うか! まだ話は終わっとらん!」
「そんな話なら聞きたくありません」
「真緒梨が居らなんだら水瀬の家は絶たれてまうんやで!? あんた、それでもいいんか!?」
「関係ありません」
「生意気言うな! 儂らの言うこと聞かんか!」
実の父の葬儀でも、来るんじゃなかった。こんな不愉快な話をもう一言だって聞いていたくない。席を立ち、襖を開けて外に出る。
「真緒梨!」
祖母の怒声が飛んできたが、真緒梨は振り返る気にさえならない。そのまま玄関まで向かおうとした、その瞬間。
一気に全身に鳥肌が立った。
何……何!?
疑問に思った次の瞬間には、異様な気配を感じた。重くて、苦しくて、粘り付くような異質な気配。悪夢を見たあとの金縛りと同じ。あの黒い靄、黒い影───
濃度や粘度が、今までと比ではないほど濃い。その全てが真緒梨ひとりに向かいくる。声にならない悲鳴が迸った。
「マオ!?」
娘の異変を母の里沙は察して抱き締める。抱き締めた腕の中で、真緒梨はガタガタと震えていた。
「何や、あんた身体どっかおかしいんか。病気持ちか? 伝染するようなもんやないやろな」
祖母の声をどこか遠くで聞いた。
「お、母さん……お母さん!」
絞り出すような声をあげる。
これは何!? 何かに身体を引っ張られるような感覚。身体は自分の意思ではピクリとも動かないのに。蜘蛛の糸のような粘り気のあるものが肌を這う。
身体が引っ張られているんじゃない……
引っ張られているのは、私の中身───私の精神だ!
直感する。左足首がドクンドクンと冷たく脈を打つ。あの痣だ。