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暗がりに鬼を繋ぐ  作者: 紬希
38/40

第38話


 恐ろしい内容に、恐ろしい現実に脳が激しく殴られ、全身が震え竦む。どうすればいい? このまま、どうなる?


 ───慈晏、落ち着き。焦らんでもええで。


 老僧の声とともに、真緒梨と里沙を包む光が暖かさを増した。


 ───気を静め。ガチガチになっとったら身体が動かん。主には出来るはずや。


 老僧の声は、真緒梨だけでなく慈晏にも呼び掛ける。祖父の助言に慈晏は深い呼吸をした。表情から焦りの色が消える。


 ───嬢ちゃんたちは心配せんでもええ。儂と慈幹の身が締めが届いとるはずや。


 暖かく優しい空気はそのためか。


 ───火回咒(かかいじゅ)でいくで。呼吸を合わせ。


 慈晏が深く細く、息を吐き出す。吐ききったあとは、指先にまで酸素を活き渡らせるように吸い。揺るぎない毅い声で、真言が力強く滑り出した。


「ノウゼン サンマンダ サラバタタ───」


 ふたりの声が重なるその瞬間、招かれざる闖入者(ちんにゅうしゃ)は誰も感知することは出来なかった。


「あんたらいい加減にしてや! さっきから(うるさ)いんや!」


 遠慮なしに、思い切り襖を開けると同時に罵声を上げる。なぜ、今!? 予想外の老女の侵入に、慈晏も咄嗟に反応することが出来ない。


「お母さん! 何してるの!? 出てって!!」

(やかま)しいわ! あんたらこそこの家が誰の家か判っとるんか! 人が黙っとりゃいい気になって! くだらんインチキしとらんとさっさと出てけ!!」


 慈晏の注意が切れたその瞬間、異形たちがその刹那を見逃すはずはなく。脚先の鋭いナイフのような切っ先で慈晏に襲い掛かる。頬に、肩に、腕に、腹に、脚に───一瞬で黒衣の若僧は血塗れになった。


「慈晏さんッ!」


 血に濡れた手で印を組もうとするも、その手を刃状の脚が貫いた。


「ぐぅ……ッ!」

「慈晏さんッ!」


 貫いた脚を引き抜くことなく、畳に縫い着ける。これでは戦えない。慈晏の動きは拘束されてしまった。






 ひ──────ひひぃぃぃぃぃぃ──────






 げっげっげっげっげっげっげっげっげっげっ






 おおおおおおおおおおおぅぅぅぅぅぅぅぅ






 昏く下卑た(わら)い。犬が、猫が、蟲が、鳥が……生あるものを無理に模倣した生き物擬きたちが、喜びの声を挙げる。喜んでいる。自分たちを邪魔する若僧を排除出来て、喜んでいる。穢れた喜び。慈晏を留めた置いた異形たちは、ぬらり、と真緒梨に意識を向けた。






 ひひぃぃぃ──────ひ───ひ───






 げらげらげらげらげらげらげらげらげらげらげら






 嗤いが治まらないとはこのことだろう。真緒梨を標的に捕らえ、風船のように膨らむ。


「真緒梨さんッ!」


 黒い蜘蛛の触手を四方八方に蠢かす。


「慈晏さん……ッ!」


 触手を全て真緒梨に向けて、老僧の護りも弾き飛ばして真緒梨を取り込んだ。




 アサ!!




 真緒梨が咄嗟に助けを求めた相手は、母ではなく、慈晏でもなく───




 狭間で一緒に遊んだ幼子だった。




 里沙が絶叫する。真緒梨の頭に、(うなじ)に、腕に、横腹に、脚に。異形たちの牙と爪が突き刺さる。


「……ッ!」


 全身を襲う衝撃に声が出ず、息も出来ない。目が(かすみ)かかる。


「な、何しとんや。真緒梨がふざけたことしとんのか!」

「カン マーン!」


 祖母の喚く声をかき消して、慈晏が真言を張り上げる。


「ノウゼン サンマンダ バザラダンセンダ マカロシャダ ソワタヤ マカロサャダ カラタワ ウン タラタ カン マン!」


 自身を貫く痛みを無視して、慈晏が真緒梨を救うべく片手で印を結ぶ。縫い着けられた手は、畳を血に染めていく。慈晏の手刀で滅せられても、異形たちは次々と群がった。己の身も省みず、慈晏が止める間もなく母が娘の元に飛び込んだ。


「マオ! マオ!」


 飛び込んだ(こご)った闇はぐじょりと粘り、里沙を拒絶する。


「マオ! どこなの! どこに居るの!?」


 お母さん!


 母の声は耳に届いているが、真緒梨は闇に圧迫され、声が出せない。






    ───マオ、大丈夫……






 微かに聞こえた小さな声。アサの、あの小さい手が身体に触れた───気がした。アサの手を確認する前に、それは離れてしまった。


 次の瞬間、異形たちがザァッと引き摺られる。真緒梨に牙を立てていた異形が一体も残らず。


「マオ!」


 血だらけになった真緒梨を、里沙は急いで手元に引き寄せた。慈晏の手にしぶとく残っていた残滓(ざんし)は慈晏が斬り捨ている。真緒梨の目線は、ただ一点を見つめている。慈晏の視線も()()に。


「……アサ」


 狭間で一緒に遊んだ幼子が、そこに居た。朧気に揺蕩(たゆた)い、異形の通り道にされていたアサ。それが今や、凶暴な異形たちを全て引き摺り、支配している。慈晏と真緒梨が見ている中で、アサは異形を取り込んだ。


「アサ!」


 真緒梨と里沙の前に、(いまし)めを解いた慈晏が立ちはだかる。自身の手からボタボタと垂れる血には無頓着のようだ。異形を取り込んだアサは、闇と溶け合い、凝り、混ざり合い、爆発するかのように四方に闇の触手を伸ばした。


「アサ!」

「な、何や!? この化けモン!」


 キヨの絶叫に、闇はぐらりと揺らめき。ボコリと唐突にアサの(ただ)れた顔が浮かんだ。


「ひぃ!?」


 その顔は有り得ないほど大きく、そしてその目は激しい憎しみを内包し、キヨをひたと見据え───


「ひいぃぃぃぃ!」


 昏い口を大きく開いて、キヨに向かった。アサの口に呑み込まれたキヨは、その一瞬のあとに廊下の壁に叩き付けられた。衝撃にそのまま失神する。


「アサ!」


 ぐちゃぐちゃと闇が蠢く。アサの顔の輪郭も何もかも無視して、ボコボコと凹んで膨らんで肉塊を飛ばして。






    ───マオ






 ううぉぉぉおおぉぁぁあぁぁぁぁぁぁぁぁぁ






 げげげげげげげげげげげげげげげ






 ひひぃ─────────ぃぃ──────






 犬が猫が鳥が蟲が魚が、数え切れないほどの異形が各々の存在を主張して。その中から、アサは身体を引き千切りながら飛び出し、真緒梨の元に飛び込んだ。瞬間、アサが空気に溶けて真緒梨を包み込む。






    ───マオ、ありがとうな……






「アサ!?」


 微かに聞こえた声と、異形たちが真緒梨に向かって来たのはほぼ同時。


 その先は、一瞬一瞬がすべてコマ送りのように真緒梨の目に焼き付いた。


 空気に溶けたアサが、真緒梨に年相応に柔らかく微笑み。意識を異形たちに向けたのが判る。


 まるで()()()()()()()()()()()()()、両者の間に空気の膜を張った。その後ろで、アサを助けるように慈晏と公慈の真言が響く。


「ノウゼン サンマンダ サラバタタギャテイビャク───」


 ───サラバボッケイビャク サラバタタラタ センダマカロシャダ ケン ギャキギャリ


 公慈と慈晏の真言が絡み、重なり、その勢いに呑み込まれるような錯覚を起こす。


「サラバビギナン ウンタラタ カラタワ カン マン!」


 穢れた異形を焼き尽くす聖なる光炎。神仏の助けを借りた圧倒的な力は全ての穢れを祓う。






 異形たちも───()()も。






「アサ!」






 真緒梨は必死に手を伸ばした。






 アサが逝く───逝ってしまう!






「アサ!」






 無我夢中で手を伸ばして───……()()()()






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