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暗がりに鬼を繋ぐ  作者: 紬希
32/40

第32話







    ───ねぇ、あそぼうよ






    ───ねぇ、あそぼ……






 アサの声が響く。真緒梨は強く目を瞑り、頭を抱えて(うずくま)った。


 来ないで! あっち行って!


 目を瞑っているのに、アサのあの顔がまざまざと視える。


 見たくない! そんな顔は嫌!


 そう強く思った時、溶けたアサの顔が消えた。周りには真っ黒な、穢れた闇───その中でポツンと白い顔の生首が浮かんだ。それは遠くから……生首だけが真緒梨の周りを旋回して近付いてくる。目を瞑っているのにその動きが全て判る。アサと繋がってしまった証なのか。いくつもの白い顔の中に(ただ)れた顔が交ざる。






    ───あそぼう、アサを見つけて






    あ───そ───ぼ─────────……






    あ───そ───ぼうぅぅぉぉおぉぉぉぉ






 うおあああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ






 嫌! 嫌だ!






 ひ────────────……







 あ は は は は は─────────






 狂笑(きょうしょう)が何重にもなって響いた。唐突に、真緒梨の目の前一杯にアサの顔が迫る。


「ひッ!」


 心臓を鷲掴みにされるほどの衝撃。恐怖に凍り付く一瞬のうちに、その顔はがらりと変わる。白い肌の、普通の女の子。目に映ったのは一瞬で、その顔はすぐにかき消された。余りにも唐突で思考がついていかない。


 今のは……


 アサの爛れた顔と、白い肌の顔が交互に真緒梨の顔の横に、現れては消える。


「止めて……止めて!」


 目紛(めまぐ)るしいその動きに悲鳴を上げた。そしてまた唐突に全ての顔が消える。


「……」


 自身の荒い息遣いが響く。真緒梨はぎこちなく、涙に濡れた顔を上げた。周りを見渡しても何も見えない。変わらない、粘り付く闇があるだけ───


 ガクガクと震える身体を抱き締める。冷たい……寒い。けれど、まだ生きてる! 闇に目を凝らし、震える身体を必死に支えた。どれほど嫌な場に身を置いていても、それはいつしか慣れてしまう。周りの変化があったわけではない。けれどいつまでも警戒し続けるのは無理だった。恐怖に心が麻痺しているのかもしれない。

 真緒梨は涙を拭き、顔を上げた。何も見えない。背中がゾクゾクと震える。けれど、ここに居るのはアサだけのはずだ。アサは私と遊びたいと思っている。だったら……


「……ねぇ」


 意識して発した言葉は、細く掠れて、すぐ目の前の闇に呑まれた。


「どこに居るのよ」


 掠れた声は震えて、それでも振り絞る。


「出てきなさいよ。遊びたいんでしょう?」


 心臓が激しく打ち、息苦しくなる。生気が無くなりつつあるのに気力を振り絞っているからか。周りを見渡すも、何も変化は起こらない。小さく、浅く、呼吸を繰り返した。


 ───お母さん。お母さん……助けて。


 こんな処に連れてこられて、どうすればいいのか判らない。場所も、時間の流れも判らず。このままここで朽ち果てるしかないのか。それは容易に想像出来て。真緒梨はその恐ろしさに身体が震え、拭ったばかりの涙が溢れ落ちた。


 お母さん、伯母さん、慈晏さん。


 ───生きたい。私は、まだ生きていたい! そのためには今を(あらが)わなければ。


「アサ……出てきて。どこに居るの?」


 力を籠めた問い掛けに、遠くの闇に、白い肌の顔がポツリと浮かんだ。穢れた闇の中に、ピリッとした空気が流れる。


 アサ……


 先程と同じように、白い生首と爛れた顔が交互に現れる。真緒梨は不気味なその顔を睨み付けた。


    ───あそぼう


 白い肌の顔が内側に向かってボコリと陥没する。眼球が潰れて垂れ下がり、ドロリとした液体と血管が厭な色を撒き散らす。


    ───アサとあそんで


 頬の肉が溶け、歯茎が溶け、小さな歯が闇に落ちる。


 その変貌を、真緒梨は目を逸らさずに見ていた。おぞましさに目蓋がピクピクと痙攣する。心臓はこれでもかというほど激しく打っていた。






 ひ───────────────……






 あ は は は は は は は は は






 突然の狂笑に肉塊が飛んだ。


 ───遊んでいる。


 慈晏の言葉が脳裏に浮かぶ。そうだ、アサはまだ小さい子ども。閉じ込められて、虐げられて、精神的にも肉体的にも成長を歪められた幼い子ども。遊びたくてもその方法を知らない子ども。こうやって顔を変えるのも、遊びのつもりなのか。


    ───ねぇ、あそぼう


「遊んでって言うなら、そんな風に顔変えないでくれる?」


 意を決して、真緒梨は話し掛けた。すると爛れた顔の変貌がピタリと止まった。


「……」


 真緒梨は自身の言葉がちゃんと伝わったことに、少し驚いた。言葉の意味が伝わっているのなら……


「その顔じゃなくて、白い肌の顔に戻れる?」


 爛れた顔は瞬時に白い肌の子どもらしい顔に戻った。これがアサの本来の顔───


 肌は白く、瞳は大きく……闇の中に居てもその目の漆黒は深い色を称えている。欠けていた鼻も、溶けていた頬の肉も、子ども特有の柔らかい線を描いていた。


「首から下の身体はどうしたの?」


 真緒梨が訊くと、アサはちょっと小首を傾かしげるような仕草をすると、視線を下に向けた。瞬く間に身体が形成される。アサは正真正銘、幼い子どもだ。真綿が水を吸い込むが如く、瞬時にこちらの意を汲んで実行する。


 その意思に、力に、真緒梨は息を呑んだ。この場は、この子に支配されている。


「いつもどうやって遊んでたの?」


    ───鬼ごっこ……かくれんぼ


「ちゃんと遊べてた?」


    ───アサはいっつも鬼


「……」


    ───だれもアサを見付けてくれへんの……ずっと待っとるのに


 信じられない思いを抱えながら、真緒梨はアサと言葉を交わす。


    ───みんな、泣くん……お母さん、お母さんって


 口の中が渇く。


    ───アサもお母さんに会いたい……んでも会えへんからあそぼうって言っても、ちっとも聞いてくれへん


 アサが言うあそぼう、は、子どもたちにとって死の宣告だっただろう。


    ───泣いとるとあそべへんから、色んな顔して見せるんに、だれも笑わへんの


「色んな顔……」


 真緒梨の言葉に呼応するように、アサは半分だけ爛れた顔になり、骨だけの顔になり、どす黒い血に染まった赤い顔になり、蛆虫が沸いた顔になり───


 恐ろしくおぞましい唐突な顔の変化に、真緒梨は心臓が鷲掴みにされるほどの恐怖を受ける。白い肌の顔を既に見慣れたからか、その変貌は全身に震えを走らせた。取り囲む空気が一気に澱む。


    ───みんな泣いて、逃げてくん……


 心臓がバクバクと脈を打ち、唇は震えて声が上手く出ない。


    ───だれもアサと一緒に居ってくれへん


 小さくても、死に属している者。それをまざまざと見せ付けられた思いだ。自らとは違う世界のものには、恐ろしさが憑き纏う。


「みんな怖いのよ……」


 高校生の真緒梨でも、芯から震え上がるほどの恐ろしさを感じている。それは小さな子どもだったら尚更恐怖に雁字搦(がんじがら)めにされるだろう。


「いきなりこんな処に連れてこられて、それだけでも怖いのに、そんな怖い顔見せられたらもう泣くしか出来ないわ」


    ───アサが怖いん?


「その顔を見せたんでしょ? 凄く怖いわよ」


 真緒梨のその言葉に、アサはポカンとした表情を浮かべた。相手が怖がっているのか、楽しんでいるのか……この子には判らないんだ。誰にも教えられず、誰にも愛されず───水瀬家の子どもたちを何人取り込んでも、遊び方さえ知らず……


 真緒梨の頬を涙が伝う。息苦しい。呼吸をしようとしても、澱んだ闇の中では充分な酸素が無い。


 ここは死が支配する闇の領域。その中で、真緒梨はアサのために涙を流した。






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