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暗がりに鬼を繋ぐ  作者: 紬希
30/40

第30話


 夕闇が漂う逢魔が時───……


 徐々に闇が濃厚さを増し、肌に棘を刺すようなザワザワとしたものが大気を染める。


 真緒梨には何の力もない。けれど自分を取り巻く空気が変わる……変わるのが判る。昼間の暖かい世界から、冷たい悪意を孕む異質な世界になりつつあるのを肌で感じていた。腐った臭いを振り撒きながら、周囲を巻き込み近付いてくる。慈晏によると、昨日の集まっていた雜霊雜鬼達は祓ったと言う。となると今真緒梨に近付いているものは、また新しく()り集まって来たものということ……


 それだけの吸引力がアサにはある。つまりはそれだけの魔障(ましょう)の力。


「真緒梨さん」


 慈晏が真緒梨と向かい合う。


「お気付きかと思いますが、アサが来ます」

「……はい」


 自身で感じていても、それを慈晏から聞かされると恐ろしさが伴う。


「障りは祓います。斬ってでもアサは送らねばなりません」

「……」


 その斬るというのは、アサを()()()()()()()()、という意味が含まれているのだろう。


 優先されるべきは生者。もちろん、真緒梨も自らの生を諦めるつもりはない。ただ、ヤエやアサのことを思うと……哀しみや、やり場のない怒りを覚える。

 時間的にも能力的にも、今更アサに何かしてやれることはない。けれど心の中で、アサのために哀しみを感じていることくらいは許されるだろう───


「真緒梨さん。必ず祓います。私を信用してくれますか」


 慈晏のその力強い言葉に、震える声で答える。


「お願いします。全てお任せします」


 頼れるのは、この人しか居ない。慈晏は真緒梨の両手を取り、自身の手で包み込んだ。その暖かさを真緒梨は胸に刻む。頼れるのは、この人だけ───この、暖かさだけ。決して忘れてはいけない。




 ザワザワと、ザワザワと───


 全身の肌が粟立つような空気が纏わり憑く。真緒梨は母の里沙と弥生伯母と手を握り、息を潜めた。心臓が激しく脈打つ。一段と臭いが強くなる。穢れた空気を吸い込み、肺の中までもが黒く染まるように感じる。


 ザワザワと───……


 狙いを定めて、四方八方から微かな影が動き出した。始まりは小さな音。


 ピシッ


 パキ、パキパキ……


 家鳴りのような小さな音は、やがて遠慮なしの大きな音になった。ある意味慣れた、慣れてしまった音だ。


 アレ、が来る。()()が───()()()が。


 この世のものではないものが我が身に纏わり憑く恐怖。正体が判っていても身体の芯が冷える。部屋の四隅の盛り塩は取り除いた。全ての決着を付けるには、アサの、ひぐいの全てを引き摺り出さなければならない。そのためには防御の壁を巡らせていてはそれは敵わない。

 慈晏を信じている。慈晏は私を助けてくれる。老僧に渡されたお札を握り締めて、真緒梨はただ無事にことが済むことを祈った。


 そうして、小さな音が鳴り出してからどれほどの時が経っただろうか。






 ひ───────────────……






 微かなその声に、真緒梨の身体がビクッと震える。里沙と弥生が真緒梨を抱き締めた。






 あ────────────……






 ひぃ───ひひぃぃぃぃぃぃ─────────






 耳を塞ぎたくなる、この世のものでない嘲笑(ちょうしょう)。部屋の四方から聞こえてくる。昨日は全てを拒絶されていたことを、ひぐいは覚えているのだろう。全ての角度から様子を見て、こちらを窺っているようだ。






 ううぉぉぉおおぉぉぉぁぁあああぁぁぁ






 ひ───ひぃひひひぃぃぃぃ─────────






 バキッバキッバキッバキッ!






 咆哮と嘲笑、狂笑(きょうしょう)






 げっげっげっげっげっげっげっげっげっ






 げらげらげらげらげらげげげげげげ






 遮るものがないと判った魔障は、まるで嬉々としてその本性を剥き出しにする。真緒梨たちが身を置く部屋は、水瀬家の和室。それは揺るぎない現実であるにも関わらず、今この場は確実に深淵に立っていた。


 (こご)った闇は、依り合い、練り合い、蜘蛛の巣のような形を形成する。粘つく触手を糸のように伸ばし、狙いを定めた獲物を逃がさない構えだ。中心で何かが蠢めく。内側から膨らみ、何かの姿を形作ろうとしている。


 慈晏も真緒梨も……黙って見ていた。


 膨らみ方は異様で、痛みなど感じていないのだろう、動きに合わせて肉塊が飛んでくる。ぐじゅ、ぶじゅ、と嫌な音を立てて弾け、臭気を撒き散らす。真緒梨はその気持ち悪さに眉を(しか)めた。昨日の襖にこびり付いていたのは()()だったんだ。


 生前の姿を取り戻そうとしているのか、凝った闇は様々な形を成していた。鳥、昆虫、金魚、犬、猫───……本来の姿を無理に模倣して。金魚の大きさは人の頭ほど……その口の中には目の無い鳥が無数に蠢いている。犬と猫は顔が半分づつ溶け合い、ダラリと垂れたふたつの舌は真っ黒な(すす)で穢れている。

 その所々から無秩序に生えているのは昆虫の脚。おそらくマンションの部屋で蠢いていた蜘蛛と同じもの。眼球から、額から、頬から飛び出している節足動物の脚は恐ろしいほどに巨大なもの。毛の生えた脚や、百足(ムカデ)のような無数な脚。それらが勝手バラバラに、有り得ない方向に向かって動く。


 何というおぞましさ。その不気味さに呼吸もままならない。同じ空間に身を置いているだけで、我が身までもが穢れていく。


 触手が伸びて、真緒梨の横を掠めた。真緒梨の前に立ちはだかる慈晏の足元にもそれは伸びる。しかし触れようとは、捕まえようとはしない。それを何度か繰り返している。


「……遊んでいる」


 厳しい眼差しの慈晏が呟いた。真緒梨は悲鳴が喉で凍り付き、声が出ない。慈晏はそんな真緒梨の様子に気付いたようで、鋭い視線は外さないまま腕を動かし、真緒梨を庇った。


「遊んでいるんですよ。どれほど雜鬼が集まっても中心に居るのはアサだ。幼い子どものように、こちらの反応を見て楽しんでいる。こちらをからかって遊んでいる」


 幼かったアサ。


 (しいた)げられ、抑圧されていたアサ。


 こんな姿になってまでも、その求めが、その慟哭が、哀し過ぎる───






 げらげらげらげらげらげらげらげらげら






 おおおおおおおおおぉぉぉぉぉぉ






 犬猫の口から有り得ない嘲笑が響く。






 ひ───ひひひひ─────────






 声帯を持たないはずの魚からは(うつ)ろな鳥とともに狂笑(きょうしょう)が。巨大な昆虫の脚は、こちらが総毛立つほどの不気味な動きを見せる。そこにあるのは、生ある者を憎む気持ち。


 ───なぜ。


 ───なぜ、自分が死ななければならなかったのか。


 ───なぜ、棄てられなければならなかったのか。


 ───なぜ、お前たちは生きているのか。


 なぜ、なぜ、なぜ!?


 なぜなぜなぜなぜなぜなぜなぜなぜ!


 まだ生きたい! 生きていたい!


 人間に棄てられたもの、弱肉強食の連鎖の(かて)にされたもの。(ねた)み、怨み、(そね)み、憎しみ、全ての怨嗟が渦を巻く剥き出しの思念。


 生きたい! 生きたい! 生きたい! 生きたい!


 ───恨めしい……生ある者が妬ましい! もう一度生きたい!


 生に対する執念はこれほどまでに凄まじく恐ろしい。


 真緒梨は脳に響く剥き出しの声に耳を塞いだ。目も閉じたかった。けれど目を閉じたらその瞬間にこれが全て自分に向かってくるように感じて、目を背けることは出来なかった。


 幼いころからの悪夢の具現に、逃げてはいけないという意地だったかもしれない。


「臨!」


 たった一声の鋭い声が、この場の空気を変える。


「臨・兵・闘・者・皆・陣・列・在・前」


 慈晏の力強い声が響いた。


「ノウゼン サンマンダ バザラダンセンダ マカロシャダ ソワタヤ マカロサャダ カラタワ ウン タラタ カン マン」


 聞き慣れない真言(しんごん)は真緒梨の塞いだ耳にも確かな力を持って届いた。


「ノウゼン サンマンダ バザラダンセンダ マカロシャダ ソワタヤ マカロサャダ カラタワ ウン タラタ カン マン」


 慈晏の身体が清浄な光に包まれる。


「ノウゼン サンマンダ バザラダンセンダ マカロシャダ ソワタヤ マカロサャダ カラタワ ウン タラタ カン マン!」


 破邪の真剣を振り上げて、巣食う魔を一太刀で切り裂いた。異形は消えた。消えたが、すぐにまた闇が凝る。悲鳴が残響となって、そこかしこから纏わり付いてくる。


「ノウゼン サンマンダ サラバタタギャテイビャク サラバボッケイビャク サラバタタラタ センダマカロシャダ ケンギャキギャリ サラバビギナン ウンタラタ カラタワ カン マン」


 3人は身を寄せ合って慈晏の真言を聴いた。


「東方東方角夜叉明王、南方南方角軍茶利夜叉明王、西方西方角大威徳夜叉明王、北方北方角金剛夜叉明王、中央黄方角大日大聖大勝不動明王」


 慈晏の大きな背中が、尚一層ゆらりと大きくなった。


「明王炎王の縄にて絡め取り、縛り絡めるけしきは不動明王、締め寄せて縛り絡めるけしきは、念かけるにかなにわかなやだわなきものなり。死霊、悪霊絡め取り玉へ縛り賜るは炎固める不動明王」


 慈晏の唱える真言がどんな意味を持つのかは判らない。判らないが、慈晏は真緒梨たちを守ろうとしてくれている。それは痛いほど感じる。


「オン キリキリ ビシビンバサラ カラシンバリ ソワカ!」


 清浄な光はまるで炎のように一瞬で燃え盛り、蠢いていた異形はその光炎(こうえん)に飲み込まれた。怨念も執着も全てを断ち斬って、逝くべき処へ強制的に送り込む。部屋に満ちていた悪意が、怨嗟が消えた。




 小さく、浅く、早い呼吸を繰り返す。


 ───終わった? 終わったの?


 ゆっくり呼吸しようとしても、身体中の力が抜けず、落ち着くことが出来ない。真緒梨は里沙と目を合わせるが、里沙の瞳の中にもまだ緊張の色が見える。慈晏の背中もまだ力を緩めていない。


 ───まだだ。


「真緒梨さん。今は雜鬼を祓っただけです。まだアサはここに居る」


 アサに纏わり憑いていた雜霊雜鬼たち。知らず知らずのうちに、アサにとって鎧の役割を果たしていた。それらを剥がし、中に潜むアサをようやく見る。初めて目の当たりにしたアサは───




 小さく小さく、(うずくま)った姿だった。




 アサ───


 こんなに小さく、こんなに震えて……


 鎧を取った姿はこんなにも幼く、哀愁を誘う。守られるべき小さな存在。


「いけない!」


 慈晏の鋭い声が真緒梨に現実を見させる。


「同情してはいけません。その心に魔障は入り込んでくる。隙間を狙っているんです!」


 その言葉に真緒梨は目を見開く。同情? この思いは同情なの?


 震えている幼子を抱き締めてやりたいと思う気持ち。抱き締めて、もう大丈夫だと安心させて。それが出来る腕を持っているのだから。こう思うことさえ魔障の影響なのか。それは、まるで吸い寄せられるように───


「真緒梨さん、いけない!」

「マオ!」


 真緒梨が半歩踏み出した、その瞬間。アサが顔を上げて、真正面から真緒梨を見据えた。


「ひッ!」


 その顔は───


 落ち窪んだ眼窩からはドロリとした黒い液体が流れ。


 鼻は無く、耳元まで裂け割れた口からは乱れて腐った歯茎が剥き出しになっている。


 そこに蠢くのは無数の蛆虫。溶けた頬の肉の間からもぞわぞわと這い出している。


「見るな!」


 慈晏が咄嗟に真緒梨を抱き締めて視界を遮ったが、強烈過ぎるその顔は一瞬にして脳裏に焼き付いてしまった。本能的に感じる嫌悪に身体がガタガタと震える。恐ろしさに、おぞましさに嘔吐感が込み上げた。

 強く強く目を瞑っても、アサの顔が迫ってくる。アサの顔が有り得ないほど大きくなり、その口がガバァと開く。そこは何もない真っ暗な空間───


 逃げなくては、と考える間もなく飲み込まれた。






    ───ねぇ、あそぼう






    ───あそぼう、あそぼう……アサとあそんで






    ───鬼ごっこしよう、アサが鬼ね






    ───ねぇ、早く逃げんと、捕まえてまうで






    ───きゃはははは……






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