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暗がりに鬼を繋ぐ  作者: 紬希
3/40

第3話


「おはよー」

「おはよう」


 活気溢れる校内。そこに身を置けば、寝不足で重い頭も晴れていくようで、ホッとする。真緒梨は自分の席に着き、近くの席の友だちと挨拶を交わし、他愛ない話で盛り上がる。授業が始まれば真面目に受け、お昼になれば友だちと机をくっつけてお弁当を食べる。

 学校が終われば週に3回のペースでコンビニでバイト。その平凡な毎日に何の不満もない。


 その平凡な毎日の一部分の中で、それは起こった。5時間目の歴史の授業を受けている時───


 お腹が満たされ、教科書を朗読する教師の声を聞いていると目蓋が下がってくる。ただでさえ眠くなる条件が揃っているうえ、昨日は例の悪夢で睡眠不足。閉じてしまわないように必死に手を動かしてみても眠気に抗えない。自分で自分の手を(つね)ってみても効果はない。


 寝たら駄目。まだ授業中……寝たら駄目。それでも睡魔の誘惑には抵抗出来ず、とうとう目蓋を閉じた。


 瞬間、目蓋の裏いっぱいに広がったのは、()()()()()()()()()()()()


 それが自分の顔目掛けて飛んできた。同時に、痣のある左足首が誰かに掴まれたような錯覚を起こした。


「ひ……ッ!」


 目を見開き、思わず引き()った声が漏れる。声が漏れた瞬間、教室内がシン、と静まった。


「……何だ、桜庭」


 自身の朗読を邪魔された教師が不機嫌そうに声を掛けてくる。


「居眠りでもしてたのか?」


 教壇を降りて真緒梨の席に近付く。クラスメイトは今後の展開を脇目も振らずに見守る。


「ん? 何だ、顔色が悪いな。冷や汗もかいてるのか? 桜庭、具合でも悪いのか」


 鏡を見なくても判る。恐らくよっぽど酷い顔をしているはずだ。寒くないのに歯はカチカチと当たって鳴り、全身からは冷や汗が噴き出している。


 夜寝ている時だけじゃない。こんな心の隙間を縫うようにして、あの悪夢の片鱗を見るなんて───

 たかが夢だ。たかが夢なのに、どうしてこんなに恐ろしい?


「具合が悪いなら保健室に行くか? おい、今日の日直は……」


 教師が教室内を見回した時、真緒梨はふらつきながら立ち上がった。


「すみません、先生……保健室行ってきます。ひとりで行けます」


 真緒梨が力なくそう言うと、教師も特にそれ以上問答することなく「そうか」と言うと教室から送り出してくれた。生徒みんなが教室内に居るというのに、妙に疎外感を感じる授業中の廊下を歩き、階段を降りたところでその場に座り込んだ。


 ───怖い。


 今まで、こんなことはなかった。夜悪夢を見ることはあっても、こんな僅かな居眠りの時でさえ悪夢が現れるなんて。

 ただの夢なのに。それが自分を見張っているように感じて、真緒梨は自分の腕で自分を抱き締めた───




 フルタイムで母が働いている分、家事は真緒梨の仕事だった。別に母がそう言ったわけではないが、外で必死に働いている母を助けたいと思う心から、真緒梨は家事に精を出していた。

 いつもなら夕食の準備をする時間。真緒梨はリビングで塞ぎ込んでいた。


 部屋でひとりになるのが怖い。


 結局今日は保健室で休んでから早退した。授業中のあの奇声は具合が悪かったためということで追及はされなかった。家に帰り、母のスマホに『早退してきた』とメッセージを送ると、しばらくしてから『今日は早目に帰るから休んでなさい』と返事がきた。

 母が気遣ってくれているのが嬉しい。けれど仮病で学校をずる休みしているような、妙な罪悪感もある。悪夢を見たから具合が悪いなんて、自分はこんなに弱かっただろうか……


「ただいまー。マオ」


 落ち込んでいたところに、母の里紗(りさ)が帰ってきた。母が帰ってきた。それだけで真緒梨の心は安心して浮き足立つ。


「お帰りなさい、お母さん」

「あら、寝てなかったの? 具合悪いんだったらちゃんと休まないと」


 母の心配する言葉が胸に刺さる。


「あんまり顔色良くなってないわね。寝ないと」

「……寝れないの。寝るのが怖い」


 真緒梨の言葉に里沙は眉を(しか)めた。


「朝言ってた夢のこと?」

「うん……夜寝てると悪夢を見るし、今日学校でほんの一瞬寝たらその時も見たの」

「今日早退したのはそのせい? 風邪とかじゃなくて?」


 小さく頷く。そんなことで……と、怒られると思った。


「仕方ないわね。寝不足で調子が悪いのは本当なんだもの。でも寝ないと本当に倒れちゃうわよ」

「でも夢だって判ってても怖いの! 目を(つぶ)ると捕まりそうで……」


 得体の知れない───黒い影のような、蜘蛛の糸のようなものに追い掛けられる夢。その悪夢を見たあとは決まって金縛りにも遭う。


 真緒梨は母に全て打ち明けていた。


 夢だと判っていても続く不愉快な現象を、自分の胸の内に納めておくことは真緒梨には不可能だった。怖い思いをした時ほど母に聞いてもらいたい。母は最初から信じてくれていた。


「最近、ちょっと多くなってきた気がする。この夢見るの」

「そんなにしょっちゅうなの?」

「うん……」


 以前は、2~3ヶ月に1回程度だけだったのが、ここしばらくは1ヶ月に4~5回は見るようになっていた。毎日ではないが、今日はあの悪夢を見るかも……と考えてしまう日々は、安眠をもたらしてはくれない。


 しかもそれは昼間に転寝(うたたね)する程度でも、夢として現れる。


 ───何か良くないことが起こりそうで、真緒梨はひとり不安だった。


「じゃあ今日はお母さんと寝る?」

「うん」


 母の提案に真緒梨は速答した。


「一緒に寝れば怖くない?」

「うん」


 まるで小さな子どものような娘の返答に里沙は苦笑したが、自分が一緒に寝ることで悪夢を見ないなら安いものだ、と思う。こんな大きくなってからでも自分を頼ってくれると思うと、嬉しくもありくすぐったくもあり、親離れ子離れを考えたりもする。

 娘が悪夢を見続けている、というのは里沙も心配だった。これ以上酷くなるようなら一回受診しないと、と考えていた。精神的に何かくるものがあるのだろうか。


 けれど今はアレコレ考えるよりも、娘の睡眠だ。


 簡単で消化のよい物を作り、お風呂に入らせる。真緒梨がお風呂を出てから里沙も入った。久し振りに娘と一緒に眠る、というのは里沙にとって秘かに嬉しく感じることだった。自分の枕を持ってきた真緒梨と一緒にベッドに入る。こんな早い時間にお風呂に入ったのも久し振りなら、こんな時間にベッドに入るのも随分久し振りだった。


「お休み、マオ」

「お休みなさい、お母さん」


 お休みの挨拶をしてから目蓋を閉じる娘の顔を見つめる。小さなころから変わっていない愛らしい顔立ち。小さなころ、真緒梨はいつも里沙の肌を触りながら眠っていた。流石に今は触ってこないが、手を繋いでいる。その大きくなった手が妙に柔らかく小さく感じて、規則正しい寝息が聞こえてくるまで娘の寝顔をジッと見つめていた。




「おはよう、マオ」

「……ん、お母さん?」


 寝惚けているのか、真緒梨の動作に幼さを感じる。昨日寝る前に小さなころを思い出していたからか、欠伸をする顔も赤ん坊のころの顔を彷彿させた。


「おはよう、もう朝よ。良く眠れた?」

「もう朝?」


 ベッドの中から見上げてくる顔は驚きの表情を浮かべていた。


「凄い……グッスリ眠れた。こんなの久々」

「眠れた? なら良かった。着替えて朝ご飯にしようか」

「うん……ありがとう、お母さん」


 ちょっと照れながらベッドから出ていく娘が愛しいと思う。自分の隣で安心して眠れたなんて、母親冥利に尽きるもの。娘の続く悪夢について心配ではあるが、大きくなってからはあまり触れ合いのなくなっていた真緒梨と一緒に眠れたのが嬉しくて。里沙は思わず微笑みながら着替えた。


 今日は平日。真緒梨は学校、里沙は仕事へ、普段通りに過ごさないといけない。いつもより早目に起きたので、時間に余裕はあった。トーストとグリーンサラダ、コーヒーを用意したテーブルに向かい合って座る。点けてあるテレビからは、今日のお天気情報が流れていた。


「いただきます」

「いただきます」


 今日、まさかこんな気持ちでいられるとは思わなかった。またあの悪夢を見て重い頭でうんざりしているんだろう───そんな予想をしていたのに。母と一緒に寝ただけで、こんなスッキリした気持ちになれるなんて。元々自覚はしていたが、自分はマザコンだ……


 まぁ、それでもいいか。ふたりきりの家族なんだから。


 けれどもう高校生なのに、いつまでも一緒に寝るわけにもいかない。今回は里沙が早く帰ってきてくれたが、悪夢を見る度にそんなことをお願いするわけにはいかない。それを考えると、上がっていたはずの気持ちが落ちていく。

 たかが夢だ。現実の私に何か異変が起こるわけじゃない、と真緒梨は思う。思いながら───不安が付いて回る。なぜなら心当たりがあるから。


 真緒梨がまだ幼いころ、両親がまだ離婚していなく、父の実家に揃って住んでいたころ……


 真緒梨は、何か異質な───()()()()()に、追い駆けられていた。


 ザラザラとした、得体の知れないものが自分を絡め取ろうとする。あれから何年も経っているのに、(いま)だにその時の恐怖に捕らわれている。


「真緒ちゃん、おはよー」

「おはよう」

「具合どうなの? 大丈夫?」

「うん、もう平気」


 朝、登校して声を掛けてくる友だちと挨拶を交わす。


「あ、桜庭。はよ」

「あ、おはよ……」

「昨日は風邪引いたのか?」

「うん、そうみたい」


 前からちょっと格好良いよね、と友だちが話していたクラスの男子からも声を掛けられた。今まであまり話さなかったのに向こうから話し掛けられて、真緒梨は僅かに緊張する。


「治って良かったな」

「うん、ありがとう」


 予鈴が鳴る。


「じゃ」


 短い一言を残して、各々の席に着く。真緒梨の後ろの席の友だちが背中を軽く突ついてきた。


「真緒ちゃんのこと心配してたんじゃない?」

「えぇ? そんなことないよ」

「だってわざわざ声掛けてきたじゃん。そんなことフツー気になる子にしかしないことない?」


 友だちは意味ありげに「ふふ」と笑う。真緒梨は声を掛けてきた男子の方をちらりと見るが、真緒梨より前の席のため後ろ姿しか見えない。気になるとか、そういう感情はよく判らない。中学生のころも、早い子はもう男子と付き合っていた。

 好きとか、付き合うとか、真緒梨にはまだいまいち判らない。高校2年生にもなって自分は周りの子たちより遅れている、とは思うが。あの悪夢を見続けている限り、そんな気にはなれないだろう、と自分で判る。あの悪夢と金縛り。学校でさえもあの悪夢を見た。たかが夢なのに。ただ見ているだけの夢に振り回されて。


 お弁当を食べる時間は、決まって恋愛話。雑誌に載っている芸能人が格好良いとか、前日観たドラマの話。勉強の愚痴。()()()()で盛り上がる友だちの輪に交じって、真緒梨はひとり苛立ちを抱えていた。






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