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暗がりに鬼を繋ぐ  作者: 紬希
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第29話


「さて」


 その一声で、老僧の纏う空気が変わった。


「今現在、高気寺にて社を構え、祈りを続けておる。アサの霊魂を鎮めんことには纏わり憑いたもんも大人しゅうならん。けどもの」


 老僧は真緒梨をじっと見つめる。


「そろそろの、限界や。いよいよ悪霊然とした風体となってきとる。このままではまた昔に逆戻りや。水瀬家の子どもらが居らんからの。どうにも淋しゅうて四方八方に手ぇ伸ばして引き摺り込もうとしとる」


 その告げられた言葉の重みに、真緒梨は全身の肌が粟立った。淋し過ぎて、がむしゃらに手を伸ばしている。その結果が恐らく、今回の3人が亡くなった()()だ。水瀬家の人間の気配を追って、真緒梨の異母弟(一番年若の子ども)に狙いをつけた。しかしそれは口にすべきではない。口にする必要のない傷付く現実だ。淋しくて淋しくて、気配を追った。同様に、真緒梨を追い掛けて学校にまで現れた。


「成仏させるということですか?」


 真緒梨のその問いに、老僧は少し眉を寄せた。


「何とか成仏させてやりたい。そう思っとる。けどもの、時間が経ち過ぎとるんや。時間が掛かり過ぎた霊魂いうのは悪霊や。悪霊になってまうと徐霊するしかのうなる。憑いとるもんから無理矢理剥がして、強制的に排除させるんや。死者が生者に干渉するは摂理に逆らう大罪やでな。魂の消滅や」


 転生も何もない、消滅───


「アサの苦しみ、恨みを清め、逝くべき道を教えてやりたい……そう思ってきたがの」


 哀しみの色を瞳に称えて、僅かに目を伏せる。


「限界や。このままではアサに引き摺られ取り込まれた子どもらも全くもって救われん」


 その言葉の重み。死者の尊厳を保ち、礼を尽くして供養をする。しかし、あくまでも優先されるべきは生者であって、死者ではない。


「あの……」


 真緒梨は躊躇いながらも口を開く。


「アサが居るっていうお社……お参りした方がいいんですか?」


 何かしないといけないと思いながらも、何をすればいいのか判らない。僅かでも何か解決の糸口になるのなら……そんな思い。真緒梨の問い掛けに、しかし老僧は首を降った。


「止めとくがええな。社に(まつ)ってはおるがの、アサが居りたがる場所はこの家や。この家でないと成仏出来んのかもしれん」


 老僧は小さく息を吐く。


「成仏出来たとして、アサの逝く先は険しい道や。どんな事情があったにしても、アサが殺した子どもは数知れずや。赦されることではない」

「……」

「儂らのご先祖様からの願いや……宿願といってもいいほどのの。けどもの、もう悠長なことは言っとられん」


 繰り返された罪業───赦されざる罪。


 狭間に揺れる幼き魂。


 真緒梨の閉じた瞳から一筋の涙が零れた。




「儂は寺に戻って(やしろ)を祓うでな。ここは頼むで」


 老僧は孫である慈晏に声をそう掛けた。


「最善を尽くします」


 慈晏は短い返事を返す。


「嬢ちゃん、たくさん(よぅけ)食べとけな。こういう事案は体力勝負やでな。腹が減っとっては気力が出ん。よぅけ食べとけな」

「はい」


 真緒梨は老僧に頷いたものの、告げられた()()()()()()というものがいまいち理解出来ない。いや、理解はしているつもりだが、そこに自分が加わるというのに違和感を拭えなかった。


 老僧を見送ったあとは静寂が訪れた。今の今まで揺蕩(たゆた)っていた世界が真緒梨を離さない。一度大きく深呼吸をして、現実に立ち戻る。取り敢えず言われた通り食事の準備を始めた。老僧に説教を受けた祖母は祖父とともに部屋に閉じ籠ってしまった。


「いいのよ、放っておけばいいわ。昔から気に入らないことがあるとああなるんだから」


 弥生伯母にそう言われ、祖父母の分は作らずに用意を進める。


「あの……慈晏さん。ご一緒にどうですか?」


 時間的に朝昼兼用の中途半端な時間になるが、部屋の中央に座り目を瞑っている若僧に声を掛ける。


「結構です。お気になさらず」


 断られればそれ以上勧めることは出来ない。


「いただきます」


 真緒梨と里沙、弥生でリビングの食卓を囲み、有り合わせのもので食事を始めた。


「ねぇ、お母さん。これから何するんだろう」

「判らないけど、お祓いするのよね」

「あのおじいちゃんはそう言ってたよね。お社とこっちで同時に何かするのかな」

「アサを成仏させるのよ。無理矢理でもね。だから真緒梨ちゃんにたくさん食べて体力付けろって言ってたのよ」

「それって、やっぱり私が関係するの?」

「そりゃそうでしょう! 狙われてるのは真緒梨ちゃんなのよ」


 弥生伯母のその言葉に、胃が重く沈む。自分が直面した事態に現実の色が失われて行った。


「私、今までこういうこと信じてなかった」


 砂を噛むような食事を無理にでも続けながら、真緒梨は呟く。


「こういうことは本やテレビの中の世界だけだと思ってた……」

「そうね……こんなことになるなんて、まさかよね」


 真緒梨と同じく箸の進まない様子の弥生伯母が相槌を打った。


「伯母さんは昔から感じてたの? 霊感っていえばいいのかな……そういうのがあるの?」

「そんなんじゃないわよ。ただ何か変な感じがするだけだったし。この家でだけね」


 何かを思案しているのか、弥生伯母は箸を置いた。


「でも霊感っていうと何か(あや)しげだけど、神仏の助けって言われると妙に納得出来るわ。見守ってくれてる感じがある。やっぱり身近なのかしらね」


 老僧は決して霊感、霊能力とは言わなかった。意識を高く持ち、神仏の助けを借りている、と。そこにはやはり、目には見えないが大切な存在があるのかもしれない。

 神仏を身近に感じられるのは、折に触れ日本には八百万(やおよろず)の神々が居るという昔からの神話。それは宗教というほど大々的なものではなく、ごく自然に幼いころから染み付いてきた良き風習。


「……成仏させるって言ってましたけど、難しいことなんですね」


 里沙も重い口調で口を開く。


「そうね。あんな話を聞いたあとじゃ、気分的にもね……」


 アサも好き好んで祟っているわけでも、彷徨(さまよ)っているわけでもない。


 哀しみの記憶。


 魂に刻まれた傷が忘れられなくて、昇華出来なくて、逝く道を見失っている。けれど優先されるべきは、今生きている者。母と食卓を囲む、当たり前の光景。アサは、こんな時間を持つこともなかったんだ……


「アサは、本当に可哀想だと思うわ。だけどもうどうしようもないのよ。水瀬家の子どもたちが避難するようになって永い時間が経つわ。ただでさえ色んな霊が集まってるのに、淋しくて堪らない状態だっていうんだから、相当ヤバイのよ」

「やっぱりそれって、アサが……殺してたってことなんだよね」


 真緒梨は自分の人生の中で「殺す」という単語を口にする日が来ようとは思わなかった。


「狙いを定めて、取り憑いて、引き摺り込んで……遊んでた、んじゃないかな」


 弥生伯母が言いにくそうに話すのは、目の前に座る姪がその標的にされているからだろう。真緒梨は霊的世界のことは何も知らない、判らない。だが、弥生伯母の言葉には疑うことなく納得出来る。一度精神を持って逝かれそうになったのだ。あのまま引き摺られ、取り込まれ……真緒梨の霊魂全てが摩耗するまで振り回され───


 そして、癒しも、来世も、何もかもがどす黒く穢れた闇に呑み込まれる。


 容易に想像出来るその未来に、ゾクリと震えが走る。真緒梨の足元には、黒々としたおぞましい穴がぽっかりと開いていた。


「マオ……」


 母が娘の手を握る。この手の温もり。それを脅かされる日が来ようとは思いもしなかった。


 怖い思いはしたくない。逃げられるものなら即座に逃げ出したい。けれど自らの未来のために、今、立ち向かうしかなかった。






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