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暗がりに鬼を繋ぐ  作者: 紬希
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第28話


「じゃあ……どうして、私なんですか? 私はもうそんな小さい子どもじゃないのに」


 4歳のころの幼いうちならともかく、今の真緒梨は完全な大人とはいえないが、成人に近いまでに成長している。


「アサは高気寺の社に納めています。今や明確な思念はありませんが……根底にあるのは、愛されたい、遊びたい……この心です」


 愛されたい、遊びたい。何よりも、自らの血に連なる者から。()()という形を(うしな)っても、それでも尚強く求める気持ち───


「アサは慟哭しています。その叫びに低霊雜鬼は呼び寄せていますが、淋しさは埋められていません。本当に求めているのは己れの血に連なる者ですから」


 その言葉に胃の辺りがズンッと重苦しくなる。お札を握る手に力が入る。その真緒梨の指先を見て、慈晏が少し頭を下げた。


「怖がらせるつもりはありませんでした。ご容赦を」

「いえ……」


 厳しい目に、真緒梨を気遣う色が浮かんでいる。小さく呟いた声は、慈晏の耳に届いたかどうか。里沙の手が、真緒梨の震える指を優しく包み込んだ。


「以前接触した時、真緒梨さんの痣が己れの付けた印だと認識したと思われます。大人は怖いが、己れの付けた印を持つ人間なら……と。それほど淋しくて、執着している」


 左足首にあった小さな痣は、()()()()()()()()()に広がっている。ひぐいの、アサの───標的の印。そこに意識を向けると、ドクンと冷たく脈打つようだった。


 アサ───


 それほどまでの絶望を、哀しさを抱える妄執をどうすればいいのか。


「どうすればいいんでしょうか……」


 唇が震える。死後の世界や、霊界について一通り本などを読んだこともある。夏になれば関連のテレビ番組を観たりもした。頭から否定する気はない。かといって全てを信じる気もない。真緒梨にとってこういうことはあくまでも空想の理論だった。その前提が全て崩れた。こんな世界が在るとは思わなかった。


「嘘や。そんなこと起こるわけあらへん。ちょっと考えれば判ることや。鬼子やらひぐいやら、そんなもん居おるか! 私は騙されへんで!」


 (しゃが)れた喚き声に、誰かの溜め息が漏れる。


「何が鬼や! ひぐいや! 人間、死んだらそんで(しま)いや! そやろ!? 転生やら何やら信じられるか! んなことあらへん!」

「お母さん、もう止めて!」

「弥生! あんたもこんな馬鹿げた話信じるんか! こんなインチキ坊主どもの話なんか聞くだけ無駄や! 昔は子どもが弱かったんや! やから死んどったんやろ! それ以外に何があるっちゅうんじゃ!」


 老婆の叫びに慈晏は軽く眉をしかめたが、そちらに目を向けることはない。その凪いだ目は、老婆を見るだけ無駄だと言っているようだった。


「おキヨ婆。主はある意味一本筋が通っておるの。そこまで躊躇いなく言い切れば天晴(あっぱ)れじゃて」


 老婆とは対照的に、のんびりした老僧の声が響いた。


「信じる信じんもそれぞれや。けどもの、今話したことは真実や」

「ふんッ、何が真実や! それがご自慢の霊能力ってか? 阿呆らし、んなもんインチキに決まっとるわ!」

「主は相も変わらずやの……」


 礼を欠いた祖母の言い様に、老僧は怒ることなく鷹揚(おうよう)に構えた。


「ほんなら主の心には何が居るんや? あの世とか神仏とかを信じる心は微塵もないんかいの」

「んなもんあるか! 目に見えんもんはあらへんのや!」

「儂らは神仏の助けを借りておる。そのために意識を高く保つ修行をしておるんや。儂らは神仏に絶えず見られておる」

「だから何やね!」

「お母さん!」

「神仏の助けを借りて、儂ら自身も修行して、そのうえで霊を説得して浄化させとるんや。あるべき場所へ導いてやらんと誰のためにもならん」


 柔らかい表情に力を込めた声で続ける。


「人は産まれていつか必ず死ぬ。産まれた瞬間から死に向かって歩いて行くんや」


 老僧の言葉は重い。


「もう少し死について真剣に考えてみる気はあらへんか」


 死してのち───


 真緒梨が幼いころ、悪戯をしたり嘘を付いたりした時、桜庭の祖母に「悪いことすると閻魔様に舌を抜かれるよ!」と怒られていた。祖母に見せられた本の、憤怒の顔をした閻魔様は震えるほどに恐ろしく、夢にまで見て(うな)された。成長とともに恐ろしさも忘れ、そんな死後の世界が在るかもしれないということも忘れた。忘れたというか考えたことがなかった。


 老僧の言葉に無意識に気が引き締まる。


「のぅ、おキヨ婆。死んだらそんで終いか?」


 老僧に見据えられて、祖母が口籠る。


「目に見えんもんは()らへん? 主のその理屈で言えばこの世は自分勝手に好き放題に生きた(もん)、例え悪人でもやった者勝ちやな。やったらこの世は人の皮を被った魑魅魍魎(ちみもうりょう)で溢れてまう。それは恐ろしいこっちゃで」


 老僧の声が静かに響く。


「悪事を働こうが、善行して徳を積もうが結果はみな同じっちゅうこっちゃ。それやったら人は簡単な方に流される。判るか。人が人として住む世界が崩れてまうんや。それでええんかいな」

「……」


 厳しい眼差しを老婆に向ける。


「この世はの、霊魂が肉体を得て修行を受ける場にすぎん。肉体はあくまでも仮の身や。霊魂が生きる本当の世界はあの世の方や。それを考えんと好き勝手に生きて、死んでからあの世で()()()()()()()()()()()()()奴がよぅけ居る。そこで後悔しても遅いんや」


 どうにもならへんようになる……それは、つまり。


「……それは、地獄に堕ちるってことですか?」


 祖母が何か口を開く前に、弥生伯母が質問を口にした。穏やかな光を眼差しに宿し、老僧が言葉を続ける。


「人は死んだ時からが本当の試練の時や。一口に地獄と言ってもの、無数の階層がある。最近は絵本までもがあるな。なかなかに沿った内容やったわ」


 真緒梨が幼いころに見せられた絵本と似たような物だろうか。


「地獄は堕ちる。どんどん下に堕ちるしかない。下層に堕ちるほど凄まじく恐ろしい(ところ)よ。無慈悲、恐怖、憎しみ、(おご)り、(ねた)み……ありとあらゆる残虐邪悪邪心罪業の負の思念が渦を巻いてとんでもない世界を形成しとる。上にはまず上がれん」


 老僧の恐ろしさを孕んだ言葉。


「そこにはどんな情けもない。そこに堕とされるっちゅうことは、それだけの罪業を犯したっちゅうことや。神仏の赦しがたい罪にまみれておるんや。やから血反吐(ちへど)を吐こが命乞いしよが償いという責め苦を容赦なく負わされる。まさに無限地獄と呼ばれる処よ」


 桜庭の祖母の昔話が思い出される。


「地獄へ堕とされる霊魂は肉体を亡くした時に直感と本能でそれを悟るんや。恐ろしい方法で罪を償わさせられるてな。やで生きとる人間に憑依(ひょうい)したりして必死に現世にしがみついて足掻いとる。堕とされる先は永遠に続く地獄の責め苦や」


 老僧の深い色の目には、どんな景色を映しているのか。


「死ぬほどの痛みを味わっても、死ぬことは叶わん。もう死んどるんやでな。気が狂うことも許されん……例えそれが終わっても、次は畜生道からのやり直しや。人として産まれることは叶わん」


 あの世とこの世を綱渡ししている老僧からの言葉に恐ろしいほど引き込まれる。


「人は産まれた時と同じように、死ぬ時も丸裸や。死ぬ時は何も持ってけぇへん。持ってけれるのは儂らがどうやって考え、生きたか。その心だけや」


 一旦言葉を切り、幾分力を緩めた目で祖母を見る。


「のぅ、おキヨ婆。脅すわけやあらへんけどの。それを思うと、少しは考えられんか?」

「……」


 沈黙した祖母の肩に、弥生伯母が気遣うように軽く手を添えた。


「ちぃと話が逸れたの。今現在起こっとる霊障についてやな。このままでは嬢ちゃんはアサに引っ張ってかれてまうでな」


 老僧はスッと目を細める。


 神仏の助けを借りている僧たちにはどんな世界が視えているのだろう。公慈と慈晏に見つめられて、真緒梨は自身の周りに漂う空気が冷えたように感じた。







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