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暗がりに鬼を繋ぐ  作者: 紬希
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第25話


「当主様、あの山の沼なんやけど……うちの(せがれ)が何や怖い思いしたみたいなんや」

「うちとこもや。いや、いつも近付かんようには言っとるんやけど、何分子どもやもんで……」

「近付いた倅らが悪いんやけども、あそこ何かあるんやろか」

「今までもあの辺で遊んどったけど、こんなん言い出したのはつい最近や」

「水瀬の奥様。儂らは何も感じんのやけど、子どもらが(なん)かに追い駆けられた言うんや。何やろな」

「当主様、うちの女房も何やあそこら辺気味悪い言うんや。ちょっとそういうの感じるの鋭いヤツやしな」

「水瀬の奥様、何かあるんか調べてもらえんやろうか」


 村の()が様々な言葉で訴える。その内容は、知らず知らずのうちに水瀬家を非難するものだった。最初は全て無視していた。しかしそれもすぐに通用しなくなる。声はどんどん大きくなった。

 ヤエの姑、タキが行動を起こした先は寺。このままでは水瀬家のためにならない。タキはそう判断した。全ては、水瀬家のため。


 広く冷えたお堂の中で、タキは日比谷(ひびたに)の老僧と向き合った。


「───何や、ザワザワしとんな。何ぞしたか」


 自分よりも歳上の老僧に深い色の眼差しを向けられ、タキは居たたまれなくなる。全てを見透かすようなこの眼差しが、若いころから苦手だった。おまけに水瀬家はヤエの葬儀の際に、この老僧からの怒りを買っている。こんなところに来たくもなかった。お堂の中に鎮座している仏像も、今日はいやに威圧感があるように思う。腹立たしい。


(ぬし)の周りに(おん)が漂うとる。心当たりあろうな」

「また(あや)しい霊力とやらで見えるっちゅうんか」

「主とそれについて今更論ずる気はない。主とは話すだけ無駄や」

「……」

「何ぞした。来たからには懺悔でもする気になったんやろ」


 怨と言われて、気持ち良くは感じない。勝手に死んでいったヤエとその鬼子が憑いているとでも言うのか。死んでからも水瀬家に仇なすようなことをして、腹立たしいことこの上ない。腹に溜めた怒りを思い出し、身体に力を入れる。この老僧に頼るのも腹立たしい。けれど水瀬家をこれ以上窮地に立たせるわけにもいかない。


「……鬼子が産まれたんや」

「鬼子? いつの話や」

「10年前や」

「主の孫の跡取りが産まれたころか」

「そうや。貞正(さだまさ)に取り憑いて産まれた鬼子や。前の世で心中を図った不届き者や!」


 自らの悪意を隠すことなく持論を叫ぶ。


「何を愚か(たわけ)なことを言っとんや。そんなもんはただの迷信や。くだらん。それで? 貞正が産まれてからそんな話は聞いとらん。水瀬家で徹底して隠し通したんか───ヤエの時のように」


 老僧を包む空気が鋭くなった。


「あれは貞正(跡取り)の生気を吸い取って産まれたんやで! それだけで罰当りや!」


 老僧の怒りと鋭い視線にたじろぎながらも、自らを奮い起たせるように大声を上げる。


「何や、私らが悪いんか! 鬼子が悪いんや! 畜生腹の(ヤエ)もな! 水瀬家のためにも鬼子なんか居ったらあかんのや!」

「黙り」


 現実に目の前に座るタキの周りを見据えて、視点を変える。違う世界のものを見る視線───その力。タキの周りを漂う空気を読む。()()に居るということは、既に生者ではない。産みの母のヤエの苦痛……無念。鬼子と忌み嫌われたアサ。幼くして(のこ)されたアサの哀しみ……憎しみ。






    ───お母さん……お母さん、どこ?






 何よりも、生きることへの執着。






    ───暗い、昏い、怖い!






 どこに向けていいのか判らない想いを持て余し、叶うことのない願いを泣き叫んでいる。






    ───お母さん! お母さん!






 まさに慟哭(どうこく)と呼べるもの。声にならない悲鳴が聴こえてくる。






 熱くなった目蓋を閉じる。一時、静寂が落ちた。アサの慟哭が残響となって頭の中に鳴り喚いている。


「……アサは独りで()うなったんやな」

「アサ? 誰のことや」

「主らは名さえ付けてやらんかったんやな……」


 哀しみの響きを溜め息とともに吐き出す。


「名とは強力な守りのひとつや。名のあるものはみなその名に護られる。だからこそ、産まれたばっかの無垢な赤子に最初に贈られるものが名や。願いと祈りが籠められた最も強力な護りや。それを主らは放擲(ほうてき)した」


 見透かされたことに、タキはグッと押し黙る。低い声音と共に伝わる怒り。


「苦しみ、哀しみ、悔しさの中で名付けたヤエの気持ちを思いやれ」


 老僧の怒りを真正面から浴びて、タキはそれ以上水瀬家を擁護する言葉が出てこなかった。


「主らは何ぞした?」

「……ふん。お得意の霊能力で全部お見通しやないんか」


 青冷めた顔で、それでも皮肉気に噛み付く。


「儂らの力は神仏からの助けを乞うておるんや。主には判らんからいうて、ようそないに馬鹿に出来るな。例え見えん、感じんでもそれは確実に()る」


 先程までの怒りを凪ぎ、その分視線の力を強くする。


「主は何しに来たんじゃ。主の口から言わんのなら意味がない」

「……」


 タキの強く閉ざした口は開く気配がない。


「時間の無駄や。主が喋らんなら貞丞に聞く方が良さそうやの」


 溜め息とともに、タキに言葉を投げ掛ける。時間だけが過ぎていった。音のない寒さが降り注ぐ。夏場でも冷えているお堂は、今の時期殊更に寒さが厳しい。その中で老僧は身動(みじろ)ぎもしない。タキは寒さからか、犯した罪の重さからか、身体が震え出す。


「……鬼子が死んだんや」


 ようやく絞り出した声には、水瀬家の権力者として君臨している普段の様子は片鱗もなく、弱く、掠れたものだった。絞り出した声に、老僧は一瞬足りとも視線の力を緩めずに無言で見やる。


「……5年前にヤエが死んで、先月鬼子が死んだ。鬼子のことは村の衆は知らんのや。アレが産まれた時の産婆にもよーく口止めした。水瀬家から葬式なんか出せん。やで……」


 力なく呟き、一旦言葉を切る。曝かれる水瀬家の悪行。


「……」

「何ぞした。言え」


 躊躇い、躊躇い、 ようよう口を開く。


「……山の、沼に沈めたんや」


 そう告げた瞬間、ふたりを取り囲む空気が激しく(ざわ)ついた。






 ───






 ──────……






 音が消えた。生あるものの声が聴こえなくなる。僅かにも身動ぎしない沈黙の中で、タキの、水瀬家の人間たちの悪意を思い知る。


「アサをか」

「……」


 老僧の腹の底から、胸の奥から込み上げてくるもの。


「アサを山の沼に沈めたんか」

「……あぁ」


 老僧は目蓋を強く瞑る。






 ───アサ!






「この糞だわけが!」


 腹の底からの一喝。普段から読経をあげて腹式呼吸をしている人間の怒声は恐ろしいもの。


「何を考えとる! 護りを与えてやらんかった上に、死者の尊厳を保つことさえしてやらんかったんか!」


 老僧の身体が大きな壁のように立ちはだかり、タキはその勢いに呑み込まれた。背後に在る仏像も、その(おもて)に憤怒を浮かべてタキを睨む。穢れを祓う(ほむら)がその身から揺めき立っているようだ。何者も逃れることは叶わぬ聖なる炎。


「糞だわけが! アサを救わないかん!」

「や、やけどももう……重石も付けたし……」


 タキのその発言に、老僧は血走った目を見開いた。


「そないなことしたんか! 主らこそが鬼じゃ! 人間の皮を被った鬼じゃ! 悪鬼じゃ! 主らの所業、神仏が見逃してくれると思うなよ!」


 およそ僧らしくない発言も、アサを思う激しい怒りゆえ。その言葉の重みに、タキは硬い石のように身動き出来なかった。


 老僧の行動は早かった。村の男手を借り、それだけでは足りず伝手(つて)を辿って人夫(にんぷ)を集めた。陽が昇るとともに、老僧の指示のもと、山の裾に広がる沼を(さら)う。沼の水は淀み、水中に入っても何があるか全く判らない。それでも、人の手で汚泥を(すく)い出すしかなかった。

 過酷な作業だった。水瀬家の面々もそれに従事する。村を挙げての強制作業に、頂点に立つ家の人間として無視することは出来なかった。ただし、ヤエのことも、アサのことも、何も言わなかった。


 やがて───陽が沈み始める。昼の太陽が暖かく見守っていた時刻から、夜の闇が支配する時刻へ。


 夕闇が漂う逢魔が時(おうまがとき)───……


 老僧はざわぁとした雰囲気を感じ始めた。


 逢魔が時は、オオマガトキ───大禍時(オオマガツトキ)。一日の中において忌まわしく、禍々しく、魔物に遭うとされる時刻。闇や魔に属するものがそこかしこに佇み、彷徨(うろつ)き始める。そして、薄く朧気なくしていたものが徐々に輪郭を得て、力を帯びる。


 生暖かい風が吹く。それは大気を巡る自然の風ではなく、沼から吹き掛ける魔に干渉された風───


「いかん……」


 小さく呟いた時。


「ひいぃぃぃ!」

「居ったぞ!」


 わっと声が挙がる。沼の中に居たアサを見付けた。


「居ったか……」


 沼から引き揚げられたアサは酷い状態だった。身体は異様に膨れ上がり、顔は造作が判別出来ないほどに崩れている。毛髪は抜け、頭蓋骨が露出している部分までもあった。


「遅うなってすまんかったな……」


 瞳に深い哀しみの色を浮かべ、躊躇うことなくアサを抱き締める。独りで居た淋しさを、少しでも癒してやりたかった。


「お寺様、いつの間にそんな土左衛門(どざえもん)が?」

「そいつが何か祟っとったんやろか?」


 アサの腐敗は進み、肉が溶けたことによって重石はすっかり外れていた。その代わりに藻が絡み付き、浮上を遮っていたと思われる。だから今までアサは見付けられなかった。

 老僧とアサを取り囲んだ村人から、腰が引けつつも疑問が飛んだ。水瀬の貞丞をチラリと見ると、顔が強張っている。怒りを持って睨み付けた。


「……見付けて欲しいって必死やったんや。儂がちゃんと供養するで安心しいや」


 もう水瀬家とは関わりを持たせてはならぬ。(すさ)んだアサの魂を浄めて、天に昇らせてやらねば。


 アサを見付けたことによって、異様な気配に満ち始めていた大気は薄まった。未浄化の霊は仲間を欲しがる。それが引き寄せられ、集まり、ひとつの大きな塊になってしまった時。浄化などは望むことなど出来ぬほどの悪霊となる。何百、何千と()り集まり、複雑に絡み合った悪霊は最早成仏も出来ず、強制的に除化、消滅させるしかない。例え虫や動物などからの畜生道(ちくしょうどう)からでも転生出来ず、欠片も残らない魂の消滅。


 アサをそんな目に遭わせたくなかった。


 アサの淋しい、哀しい、憎いと思う叫びが、既にそこらに漂うだけだった未浄化の霊を呼び集めていた。それは古くからの人間の霊だったり、ここに棄てられた動物だったり……淋しがっていた個々の霊たちがアサという憑者(入れ物)を見付けた。アサを取り込もう、アサに取り込まれようと縋り憑いている。それらをアサから引き剥がすことはまだ可能だった。


 引き剥がし、浄化させ、アサの気持ちを落ち着かせる。


 生者の気持ちは変わり、流れる。一所に留まらないように出来ている。しかし、亡者の想いは変わらない。寧ろ強くなっていくもの。時間が経つにつれ、それは強く深くなっていく。浄化にどれほどの時間が必要なのか判らない。けれどやらねば。アサの魂を救えるのが、今、自分だけならば。


 アサが求めているのは自分ではない。得られなかった肉親からの愛───


 憎むと同時に、無意識に同じだけ求めている。愛されなかった現実に絶望し、その絶望ゆえに執着し、天に昇れずにいる。


 アサ……落ち着いてくれ。もうここにはお前を傷付ける者は居らへん。怖い思いをすることもあらへん。安心して眠っても大丈夫や。ヤエも、お母さんも迎えに来てくれるで。アサ……安心しや。






 ───闇や暗がりが、今よりもっと濃く、昏く、深かった時代。






 これは、遥か昔の悲劇───……






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