第13話
その日の夜、真緒梨は母と伯母と枕を並べて眠ることにした。伯母は祖父母に散々こき使われていた。伯母も言われっぱなしではないので、すぐに口論になっていた。祖父母の言葉は酷く汚い。
「ごめんね。里沙さん、真緒梨ちゃん」
結局、祖母から昔の話を聞き出すことは出来なかった。
「伯母さんが謝ることじゃないですよ」
「ウチの母、昔からああで……人のこと考えられないのよね。それで里沙さんにも随分嫌な思いさせちゃって。本当にごめんなさい」
「お義姉さん、もう済んだことですよ」
「ありがとう……そう言ってもらえると、気持ちが楽になるわ」
自身も嫌な思いをしているだろうに、真緒梨と里沙を気遣ってくれる。あの祖母とこの伯母に、母子の血の繋がりがあるという現実が不思議なほどだった。弥生は鞄の中から何か白い物を取り出した。
「ちょっと蒲団敷くの待ってね」
見ていると、部屋の中にパラパラとそれを撒き始めた。
「……祓い給え 清め給え 守り給え 御祓給え 六根清浄」
「伯母さん、それは……?」
「これね、赤穂の天塩」
「?」
真緒梨と里沙は顔を見合わせる。おおよそ部屋中に塩を撒き終わった弥生は、掃除機を出してきて、今度はそれを吸い始めた。
「祓い給え 清め給え 守り給え 御祓給え 六根清浄」
何度も唱える伯母の声に、何か心地好さを感じる。最後に白い器に大きく盛り塩をして、部屋の四隅に置いた。
「お待たせ」
「伯母さん……これって、何かお祓い?」
「そんなに大したものではないんだけどね、気が済むって言うか……何か変な感じになった時はこれをやってるの」
弥生も何かを感じるのだろうか?
「本当は玄関も廊下も全部やりたいんだけどね……母があんなだから、取り敢えずこの部屋だけでもね」
少し、部屋の空気の明るさが増した気がした。
「私もね、時々何か変な感じがしていた時があるの」
3組敷いた蒲団の上に座り、弥生の話を聞く。
「初めにこの家の謂れについて聞かされた時は何も感じなかったけど、11歳になってここに戻ってきた時から……何て言うかね、ザワザワする時が増えたの」
あの厭な感じを、弥生も味わっていたのだろうか。
「誰かに見られているような……自分の周りに何か張り巡らされているような、凄く厭な感じになった時もあったわ。金縛りも遭った。弟は何にも感じてなかったみたいだけど。だからお寺の住職さんに部屋を清める方法を教えてもらったの。気になる時はいつもやってる。効果があるかどうかは判らないけど、やらないより気持ちがマシだからね」
結界、みたいなものを張るということなのだろうか。ならば、この部屋は安全? あの黒い影や蟲たちはこない?
「母に相談しても無駄だった……あの人は目に見えないものは信じない。うぅん、自分が信じたいものしか信じない。それに、周りの人間を思い通りに動かさないと気が済まない質よ。私もどれほど振り回されたことか……だからとにかく、早くこの家から出たかった」
弥生は口を噤み、頭を軽く振った。
「ごめんなさい、愚痴っちゃった。真緒梨ちゃん。私は何か見えるわけじゃないけど、真緒梨ちゃんも多分、何か感じてるのよね?」
弥生の言葉に真緒梨は無言で頷いた。
「こないだの真緒梨ちゃんの様子は只事じゃなかったし、この家の謂れも普通に考えておかしいわ。昔はそりゃ子供は育ちにくかったと思うわよ。だから7歳までは神の子として育ててたんでしょうし。でもいつの時代って話よ。時代錯誤もいいとこだわ。医療レベルだって格段に違うし、家に居るから死ぬなんて、そんな迷信頭から信じられるわけないわ」
真緒梨と里沙の心の声を、弥生が代弁してくれているようだ。
「何も信じないくせに、水瀬の家は昔からこうだって言って、何も考えてないんだから……」
あの祖父母にとって、家が───家だけが、拠り所なのだろうか。
「明日、住職さんに会ってみない? 昔のことは水瀬の人間より知ってるかもしれない。母は頼りにならないし」
「お願いします!」
弥生の提案に、是が非でも。事情を知っている人と話をして、少し先が明るくなった気がした。
だから。
弥生と話をして、真緒梨は少し落ち着いた。そして母と伯母に両隣を囲まれて安心していた。だから、水瀬家に居るというのに熟睡することが出来た。ここしばらくゆっくり眠れなかったのだから、真緒梨も里沙も深い眠りの中に入っている。
───
──────……
水瀬家に、そろそろと近付く何か───
家の空気は冷えて、身体に纏わり憑くような粘り気を帯びる。
ズル……ズル、ズ……ズ……
ガリガリ……ガリガリ……ガリ……ガリ
大気中から、土の中から───悪意を持ったものたちが、集い始める。シン、と静まった家の中。和室の中には3人の寝息が落ちている。
ズ……ズズ……
カサカサ……カサカサ……
何かに導かれるように、真緒梨が居る部屋に向かう。それは真緒梨を「真緒梨」として認識しているわけではない。ただただ、求める、取り込む「もの」として狙っていた。他はない。玄関も、部屋の敷居も、それには何ら障害にならない。
ズズ……ズ……ズ……
ガサガサガサガサガサガサガサガサガサ
部屋を区切る襖も関係なしに、黒い触手を伸ばす。その先が、弾かれたように拒絶された。
ぎいいぃぃいいいいい……
求める「真緒梨」はすぐそこに居るのに……
歯軋りにも似た音が漏れる。何度触手を伸ばしても弾かれる。黒い影に怒りに似た感情が生まれた。正確には、黒い影の中に居る白いものに生まれた感情だ。
ぎぃ……
ああぁぅぅぅぅう─────────
邪魔をされたことなどないのに。望めば、いつでも望む場所に行けるはずなのに! 遮るなんて許さない!
黒い、蜘蛛の触手を拳のように振り上げて、襖に叩き落とした。
おおおぉぉああああああああああああ!




