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暗がりに鬼を繋ぐ  作者: 紬希
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第2章 纏わり憑くもの





 だれか、だれか……気付いて……




 怖い……怖い……痛い……




 ここは寒いん……




 どうしてわたしだけ?




 どうしてわたしだけが悪い子やの?




 ここは暗いんや……




 身体中が痛い……息ができへんよ……




 助けて……




 助けて───おかあさん……




 お か あ さ ん




「鬼子や……」


「何てことや……この水瀬の家に、鬼子が……」


「見てみぃこの違い。生気を吸い取ったに違いねぇ」


「鬼子はあかん」


「……どうする?」


「殺してはいかん。どんな(たた)りがくるか判んね」


「よその(もん)に知られてねぇな?」


「知られとらん」


「……なら、」


「あぁ……そうするしかねぇで」


「鬼子は……()ったら、あかん……」






  * * * *






「真緒梨! よう来たなぁ!」

「こんにちは、おばあちゃん」

「よう来た、よう来た。ちゃんと考えたんやな。えらいで」


 水瀬家に足を踏み入れて、真緒梨は意識的に明るい声を出した。


「水瀬の家が大事やって判ったんやな。やっぱり貴士の娘やなぁ」


 祖母の乾ついた指が真緒梨の手を取った。口元が引き攣る。が、グッと堪えて思ってもいない言葉を口にする。


「あれからどうしたかなって、ちょっと心配になっちゃって……」


 真緒梨にとって「おばあちゃん」は里沙の母……真緒梨を一緒に育ててくれた桜庭の祖母だけだ。


「ほぅか、ほぅか。真緒梨は優しいなぁ。ええ子やなぁ」

「貴士に似たんやな。正しい判断や」


 真緒梨の言葉に祖母は眉尻を下げて顔を(ほころ)ばす。祖父は偉そうな言葉で追従する。


「お義母さん、お邪魔します」


 真緒梨のあとから里沙も挨拶をして家の中に入った。


「何や、あんたも来たんか。真緒梨だけで良かったんに。真緒梨は桜庭より水瀬の家の方が大事やって判ったんや。あんたはもう帰りゃええで」

「娘がお邪魔してるのに、そういうわけにはいきませんよ。何か失礼するといけないし」

「真緒梨は水瀬の家の跡取りを産む大事な身体や。なんも失礼なんかあらへんわ」

「儂らにとってお前は他人やでな。余計な口出ししんでもらいてぇわ」


 相変わらずの人の意志を無視した物言い。侮辱する言葉。胃の中に、何か言い表せない黒いものが広がる。秘かに深呼吸をして、それが出てこないように押し込めた。


 障子の向こうに弥生の顔を見付けた。


「伯母さん、こんにちは。忙しい時にごめんなさい」

「いいのよ、真緒梨ちゃん。来てくれて嬉しいわ」


 この水瀬の人間の中で唯一頼れる人。初めて会ったのに等しいのに、無条件に信じられる人だと感じた。




「お義姉さん? 里沙です」


 水瀬家を訪れた数時間前……その日の朝。真緒梨は里沙が電話で話す声を、マンションの部屋の中で荷物をまとめながら聞いていた。


「忙しいのにすみません……あの、今日そちらに行こうと思うんですが。ええ、真緒梨も連れて」


 真緒梨が水瀬家に行きたいと言った時、里沙は強固に反対はしなかった。恐ろしく母も感じているんだろう……真緒梨が感じている恐怖。真緒梨に憑き纏う得体の知れない悪意、憑いてきた何か。逃げているだけでは……受け身なだけではどうにもならない。


「お義姉さんはまだそちらに? ええ、一緒に居てもらえたら心強いと……」


 チラリと里沙の顔を見ると、どこか安心したような表情を浮かべている。どうやら弥生から色良い返事をもらえたようだ。真緒梨もホッとすると、荷物をまとめる手を動かす。

 ほんの2日前までは、行きたくもなかった。父の葬儀だから行っただけだ。それでも僅かな滞在時間でも耐えられなくて、急いで帰ってきた。それが今は泊まるつもりで用意をしている。


 あの家に行くのは怖い。幼いころの悪夢は、大人になって再び上塗りされてしまった。行くのは怖い。けれどここで震えているだけでは抜け出せない。

 口数も少なく、けれどふたりとも決意を胸に。新幹線に乗り、水瀬家の敷居を跨ぐ。そうして、今、水瀬の人間と顔を合わせている。


「ねぇ、おばあちゃん。お父さんは小さいころ他のお家に預けられてたって本当?」

「あぁ、貴士だけやないで。弥生も一緒に遠くの親戚に預かってもらった」


 真緒梨は祖母の部屋で、肩を並べてお茶を飲む。


「誰だって腹を痛めて産んだ我が子と離れるなんて耐えられん。私かてそうやったわ。身を引き裂かれる思いをしたわ。でもな、昔からの水瀬の家のしきたりなんや。勝手に破って罰が当たったらご先祖様に申し訳ない」


 罰? 母と子が一緒に居ることに、何の罰が当たると言うのだろう。


「それをなぁ……あの里沙さんは!」


 祖母の声に苛立ちが宿った。心がざわりとする。


「ほんの数年のことやで! なのに離れたないなんて我が儘言うてなぁ! まぁ男やなかったでこっちが折れて言うこと聞いてやったんに、今度はちっとも跡取りを産まん。やでしゃあないで貴士はあの次の嫁を探して来たんやで」


 母親の悪口を、よくもその娘に吹き込めるものだ。


「あの次の嫁(みどり)さんもなぁ、大概な嫁やったで。貴士に選んでもらったくせに水瀬の家には入りたないってゴネてな。こっちが歓迎してやってんのに、失礼な嫁やわ。跡取りの圭佑にゆっくり会えたのも中学生になってからやで。名誉ある跡取りやって言ってやっとんのに、私の言うことちっとも聞かへん! 小さいころからの躾が肝心やったのに!」


 真緒梨の体温が下がる。何を言っているんだか、この老婆は! 自分たちが……水瀬家がどれほど偉いというのか! 身体の中でどす黒い感情が渦巻く。どうしてこんなに人を侮辱して、都合良く考えて生きていけるのか。


 真緒梨は目蓋の裏側に白い火花が散るほど、目を強く瞑った。落ち着け……落ち着け。こんな話を聞きに来たんじゃない。あの黒い影のことを少しでも聞き出せればと思って、祖母の部屋に来たんだ。


 祖母はいかに自分の息子が優秀だったかを語っている。老人特有のにおい。(かさ)ついて、こちらの生気を持って行かれそうで……


 それがじわじわと真緒梨の内側に入り込み、息苦しさを増した。


 一歩踏み出す度に、ミシミシと(きし)む廊下───毛羽立って沈む畳。昔から続く旧家だと言うが、真緒梨にしてみたらただの古い家だ。快適さなど欠片もない。桜庭の祖父母の家も古かったが、あちらには愛着があった。

 真緒梨が祖母とともに居間に戻ると、母と伯母が祖父に嫌味を言われている最中だった。思わず睨み付けそうになって、母が小さく首を振ったのを見て視線を逸らす。


「今日は私も一緒に泊まるからね」

「ふん、好きにすればええ。まだ許したわけやあらへんで。しっかりと働かな承知せんでな」


 娘を自分の所有物とでも思っているのだろうか。弥生伯母に掛ける言葉に、親としての愛情は感じられない。「身を引き裂かれる思い」なんて言ってたくせに───


 祖母の上辺だけの言葉は、何ひとつ真緒梨の胸に響かなかった。






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