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【番外】《賢者》の魔術師の回想

 クライセンは、『天才』だ。

 みんなが彼をそう評価する。

 その度に、クライセンはどう反応したらいいのか困ってしまう。


 だって、クライセンは『幽霊』だった。

 誰の目にも留まらない、ただそこに居るだけの存在だったのだ。



***



 クライセンの記憶は、半地下の書庫から始まる。

 たぶん、五歳より前だったと思う。

 クライセンの居場所は半地下の書庫だった。

 明かり取りのために設けられた天井近くの小さな窓から差し込む青い月あかりだけを頼りにずっと本を読んでいた。

 実際に試したら月あかりは暗すぎて本が読めなかったから、実際は昼だったんだろう。青くくらい半地下の書庫の記憶をクライセンは自身の過去に対する心象風景だと受け止めていた。


 書架と書架の間に座り込み積み上げた本のページをひたすら捲る。

 文字は教えられなくても読めた。

 図式は見れば理解できた。

 

 本の向こう側に、これを書いたであろう誰かを見、知識を一方的とはいえ共有できたとき。彼は初めて世界に存在を認知してもらえたような気がして、これに没頭したのだ。


 逆に言えば、クライセンにはこれ以外で自分の存在を確信できる手段がなかった。


 

 

 クライセン・クライゼン・クラウセン。


 家名である『クラウセン』の一族は、セテナ国で優秀な魔術師を多く輩出してきた名門だ。

 魔術師とは、研究者であり、技術者である。

 その優劣は持って生まれた回路で決まるとされていた。

 優秀な回路を待つほど、一度にたくさんのマナを取り込め多くの魔力に変換できる。

 一般人の平均は百。

 魔術師の平均は、六百。

 魔術師は、魔力を用いて世界の真理を解き明かすことを命題としており、そのためにはより多くのマナを取り入れて魔力に変換できる回路を持つことが必須と考えられていたのだ。

 さらに、回路は両親から遺伝する。

 ゆえに、クラウセン家は、優秀な回路を持つ魔術師同士の婚姻を推奨していた。


 クラウセンの両親もそうだった。

 《賢者》となりうる魔術師を一族からから再び出すという悲願のために、二人は結びつき、六人の子をもうけた。どの子の回路も魔術師の平均を上回ってはいたが、決定力に欠けた。

 そうして、最後の最後に生まれたのが、クライセンである。


 クライセンの回路は、基準より遥かに脆弱だった。

 魔力量を示す数値は五十。

 一般人の平均にも及ばない。

 身体は健康そのものだったが、それだけだ。


 この時点で、クライセンは家での存在価値を失ったのだ。

 

 クライセンは家族の期待に答えられなかった。


 クライセンの回路は脆弱で、全く魔術が扱えなかったのだ。




***



 十一才の時だ。

 国立カルヴァネス学園の初等部に在籍していたクライセンは、学園に併設された図書館にいた。

 入学してからずっと通い詰めたその場所で、人間の回路について書かれた本を読む。当たり前に専門書であるが、もう司書に「初等部の棚はあちらですよ」と言われることもない。


 学園に入って初めて、クライセンは自分の容姿が目立つことを知った。これまで、家族の誰の目にも素通りされてきたのに、『綺麗』で『かっこいい』らしい。

 金髪も緑眼もこの国ではさして珍しい色ではないはずなのに。

 同級生のみならず、学年が上の先輩や学年が下の後輩たちからも顔の造形を称賛され、主席になれば教師に成績を誉めそやされされる。

 今なら笑って「ありがとう!」と受け流せるその評価を、当時子どもだったクライセンはどうしてもうまく受け止められず、常に人目を避けて動いていた。


 だって、家族は未だクライセンを見ていなかった。

 

 クライセンが主席なのは、座学だけだ。

 どんなに理論を理解しても、どんなに計算ができても、魔術を正確に組み立てることができても。

 クライセンが組み立てた術式は発動しない。

 クライセンの魔力量では、術式の発動と維持に必要な魔力を賄えない。

 実践することはできない。


 中等部に上がれば、魔術に関連する実践的な授業が選択できるようになる。高等部は研究課題も入る。

 授業を取れるのは、回路で変換できる魔力量が五百以上ある生徒のみだ。

 クライセンの魔力量では、授業を取ることはできない。

 その一点で、クライセンの価値はゼロだった。だから、何をどんなに乗算しようと家族の前では、ゼロのままなのだ。


 家族の食事の席で兄たちが両親と魔術の実践について話す時。

 クライセンだけはその場に混じれない。

 一番隅の席で、黙々とカトラリーを動かす。同じ空間にいながら一人ガラスの壁に囲まれているような錯覚を覚えるその時間。


 けれど。どうしてだろう。

 誰もクライセンのことなんて見向きもしないのに。

 独りぼっちだったのに。

 クライセンは、その時間が嫌いじゃなかった。


 魔術が、好きだった。

 そこに向き合う人が好きだった。

 術式を見れば、解析せずにはいられなかった。

 作った人を尊敬し、術式が見せてくれる世界の美しさに震えるような感動を何度も味わった。

 自然界に干渉する魔力の神秘に酔い、それを生み出す回路の仕組みを解き明かすことに没頭する。



 どうしても。どうしても。

 魔術に関わりたい。

 たくさん、たくさん、頭の中には新しい術式があるのだ。夢に出てくるくらいに。

 でも、誰もクライセンが作った術式など見てくれない。

 魔力がないからか。

 子どもだからか。

 魔術師になれないからか。

 理由なんて、知らない。

 『幽霊』の作った術式など、誰も見向きもしない。

 だからこそ、クライセンは回路について知ることに没頭した。


 魔力を増やしたかった。

 魔力を作るのは回路だ。

 なにか方法があるのではと回路の研究に熱中していた。


 しかし。


「⋯⋯⋯⋯ 」


 クライセンは、落胆と共に本を閉じる。

 この本にもなかった。

 現在の研究では、魔力量を出力で測定することしかできない。

 体内にある回路がマナを取り入れて魔力に変換するというのが定説だが、その回路がどのような形をしており、どんな仕組みなのかは不明のままだ。

 一般的に、魔力量は成長とともに増加し、成人する十八歳前後で打ち止めとなる。

 クライセンは十一才。あと七年で魔術師の平均まで魔力を増やすにはどうしたらいいのか。


「⋯⋯⋯⋯ 」


 方法はまだ見つからない。

 道筋すら立たない。

 教師には真っ先に相談した。

 誰も知らなかった。

 むしろ、別の道を歩むべきだと丁寧に諭された。


 だから。

 クライセンは一人きりでやろうとしていた。


 そうして。


「⋯⋯ ?」


 その日、何かに導かれるように近寄った書架に一冊の本を見つけたのだ。

 古めかしい装丁のそれは本来なら表の書架ではなく、裏にある閉架書庫にしまわれていそうなものだ。

 図書館の住人と化していたクライセンは、図書館が定期的に古い本を閉架書庫にしまっているのを知っていた。ただごく稀に仕舞う棚を間違って表に出ている時もある。

 それだろうか。

 いつもなら、クライセンは、見慣れない本に気がついた時は、司書に手渡す。

 ああ、でも。


(すごく、気になる)


 どんな本なんだろう。

 カビの臭いがしそうなその本にクライセンが知りたいことなど載っていそうもないが、でも見れば見るほど読みたくなる本だった。


 高い位置にあるその本を手に取りたくて、クライセンは手を伸ばした。踵を上げて爪先で立ち指先を伸ばす。

 あと少しで中指の先が本に触れる寸前。


「ダメだよ」


 静かな声がクライセンの横からぶつかった。

 大きな手が、本の背を覆う。クライセンから本を守るかのように。

 すぐ真横に青年が立っていた。

 白っぽい灰色の髪と曇天のような瞳をした気怠い雰囲気の彼は、高等部の制服を着ていた。片腕には何故かアンティークの少女人形を抱いている。なにやら、ちょっと禍々しい雰囲気の人形である。


「えっ」


 なんで、こんな大人に近いひとが、怖い人形持ってここにいるの???


 いつそばに来たのかすらわからなかった。


 あまりの衝撃に、目が覚めたクライセンの横で、彼はさっさと件の本を回収していた。


「突然声をかけてごめんね。これ、呪い擬きが刻んである本なんだ。危ないから触ったらダメだよ」


 それでようやくさっきの手が、クライセンから本を守っていたのではなく、本からクライセンを守っていたのだと知った。


「ごめん、なさい⋯⋯ 」


 謝罪を絞り出すと、青年は首を傾げた。


「謝ることないよ。いけないのは、いたずら半分に呪術を真似て本に中途半端な呪い擬きを刻んだ私のクラスメイトだから」


 さらりと穏やかになかなか痛烈なことを言う。


「中途半端な呪い擬き」


 繰り返したクライセンに、青年は頷く。


「魔術師の卵がね、たまに⋯⋯ 好奇心なのかなぁ。呪術に手を出すことがあって。やったところで魔力と呪力じゃ性質が違うから、ただ歪んだ結果が残るだけなのにね」


「お、兄さんは呪術師なんですか? ここの生徒?」


 青年はごく軽く首肯した。


「一応ね。私はフィルデ・テルマ。師匠についてあちこち出てるからあまり学園にはいないけど高等部に席を置いてる」


 クライセンは、ひっくり返りそうになった。


(フィルデ・テルマ!)


 去年、たった十七才で《賢者》の呪術師となった鬼才。


そして。


(歩く七不思議!)


 曰く、いつも呪いの人形を持ち歩いてる。

 曰く、呪物と会話する。

 曰く、何もいないところに向かって怒鳴ってた。

 曰く、三十六人しかいないはずの教室で三十七人目の声がして、後からそれがフィルデの声だとわかった。

 曰く、フィルデに声をかけられた教師が二日後、入院した。

 曰く、足音がしないのは、実は足がないから。

 曰く、本当は存在していない。


 などなど。

 人付き合いのあまりないクライセンですら、兄の一人がフィルデと同学年ということもあり、家で散々言っていたから知っている超有名人だった。じつは、噂だけでも七つ以上ある。


(じ、実在してたんだ!!)


 ザアッと青褪めたクライセンに、フィルデは慌てたように、一歩下がった。


「あ、待って! ごめんね。呪術師怖くないよ! 無闇に呪わないよ! 泣かないで。引かないで。できれば逃げないで。子どもにされるとそれなりに傷つくから!」

 

 本当は、両手を振って否定したかったらしいが、人形と本を持っているためできず、フィルデはブンブン首を横に振って自らに危険がないと示してくれた。


 ここだけ切り取ったら、愉快な人だ。

 最初の静かで気怠げな雰囲気が嘘のよう。


 どうやら、彼、クライセンがビビった理由を『呪術師だから』だと思っているらしい。

 もちろん、世間一般の呪術師のイメージはあまりいいものではないので、それもあるが、フィルデの場合は、それだけじゃない。


 本当ならきちんと「違いますよ」と伝えるのが親切かもしれないが、クライセンはそれより引っかかったことがあるので、突っ込んだ。


「な、なんでここに?」


「ここ? 図書館? ああ、それは、この呪い擬きを作ったクラスメイトが怖くなって僕に回収してくれって言ってきたからだよ」


 怖がるなら、やる前に怖がって欲しいのよねえ、とフィルデは本を見て溜息をつく。

 彼はその本に触っていて大丈夫なんだろうか。


「久々の授業で、放課後にクラスメイトから話しかけられるとかなにそれめっちゃ青春じゃないか!?って喜んだのに、これだよ。いや、するけどね回収。放って置けないし、やるけどね」


 もう、嫌になるなー、とフィルデは愚痴る。

 気怠げな雰囲気は、単純に疲れていたらしい。


 クライセンは、人形にビビりながらも少しだけ本に興味を持った。


「どんな呪いがかかってるんですか?」


「呪いの原型は、どうしても叶えたい願いがある人が、その願いを忘れる呪いだよ。今は歪んで願いを持った人を引き寄せて手に取らせて魔力を吸って昏倒させるようになってるけど。魔力が多い人ほど欠乏症に苦しむことになるね」


 フィルデは「きちんと見合う対価を考えないから、術式が不足分を補おうと暴走するんだよ」と説明してくれたが、クライセンの耳にはもう入ってかなった。


「あの、」


「うん?」


「その、クラスメイト、は、僕に似てませんでしたか? 金髪に緑の瞳の」


 声はみっともなく湿って震えた。


 クライセンが、前髪を上げて、フィルデを見上げると、彼は少しだけ黙った。

 クライセンの顔や細い肩の輪郭をフィルデの視線がなぞっていく。


 彼は答えなかった。


 ただ、誤魔化すこともなく、静かな瞳がクライセンを真っ直ぐに映して、逸さなかった。


 それが答えだった。


(兄だ。兄が僕に向けてその本を作ったんだ)


 それきり、クライセンの頭の中は、真っ白で。その真っ白な紙の上をペンが出鱈目に走って、何か読み取ろうにも言語を拾い出せない。


 手も足も痛いくらい冷たいのに、視界が歪んで、喉と肺が熱かった。

 目を閉じたら、ぼろぼろと溢したくもないものが頬を伝って顎から落ちた。

 込み上げてくるものを、噛み締めて噛み締めて、噛み殺して、奥歯が痺れる。


 クライセンは知っていた。

 泣き声が誰にも届かないことを。

 泣いても誰にも見てもらえないと知っていた。

 知識が。

 知識が欲しい。

 今すぐ。

 知らない文字の向こうに。

 知らない図式の向こうに。

 誰かの存在を感じたかった。

 そうすれば、立ち止まらずに済む。

 前を向ける。


(見てくれないなら、放ってくれたらいいのに)


 ただ好きなのだ。

 才能がなくても可能性がなくても馬鹿みたいでも。

 ただ、魔術が、好きなのだ。

 好きなものに。

 魔術師になりたくて、何が悪い。

 憧れて、どうしていけない。

 手を伸ばすのはそんなにも。


(よってたかって諦めろ、となぜ)


「顎が痛くなるよ」


 ぽんと、と小さな小さな手が頭に乗せられて、それが人形の手だと気がつき、クライセンは、ズザーーッと引いた。

 物理的にフィルデから距離を取る。

 フィルデは、人形と本を片腕にまとめて抱いて、人形の手をもう片方の手で持ったまま「おお」と呑気な声で驚いていた。


「な、な、な」


 クライセンは、衝撃に涙も引っ込み、まじまじとフィルデを見る。


 フィルデは、降参するようにそっと片手を肩の高さに上げる。


「うん、ごめんなさい。そこまでびっくりするとは思わなかった」


「その人形を近づけないでください」


 フィルデは、少し寂しそうな顔をしたが「うん、本当にごめんね」と大人しく人形を引っ込めた。


「ただね、泣くなら声を出した方がいいし、気持ちは溜め込むより吐き出した方がいいよ」


「でも」


 反駁したのは、咄嗟だ。

 だから、感情はまだ言葉になってなかった。

 クライセンがまごついてもフィルデは急かさなかった。ただじっと待っている。


「でも、言っても、どうにもならない」


 届かない伝わらない虚しさを、きっとこの人は知らないに違いないとクライセンは思った。

 誰もクライセンを見てくれないと知っているのに。


「うん、そうかもしれない」


 答えたフィルデは、謳うように続けた。


 人は見たいものだけを見るし、聞きたいことだけを聞く。

 どんなに言葉を重ねても声を大きくしても。

 望んだ反応が返ってくるとは限らない。

 否定されることもたくさんあるだろう。


「当たり前だとも」


 人は君の言葉を、君という人間を自分の色眼鏡を通して見て聞いて、好きに解釈するし、それを疑わない。正しいと信じてる。

 なぜなら、『そう見える』からだ。


「でも、それ別に相手が悪いわけじゃないよね? もちろん、君だって悪くない」


 何をどう見て聞いて判断するかは、その人の自由だ。

 そこに善悪も正否もない。

 それを否定することは、相手の思考の否定であり、感情の否定であり、感覚の否定であり、自由の否定だ。


「君が、何かを必死に諦めたくないように」


 クライセンが睫毛震わせて見上げた先で、フィルデは微笑んだ。


「百人が百人、諦めろって言ったって呪いを向けられたって、諦めなくていいよ。同じように、君の望むものをくれなかったからって、言葉を飲み込んではいけない。諦めたくないなら、他人の理解を放り投げたらダメだ」


 一人でできることなんて、たかが知れてるんだよ、とフィルデは苦笑する。

 どこか自分を嗤うように。


「大きなお節介だとは思うけれどね。私は寂しがりなんだ。私には世界がいつもとても『寂しく』見える。今、君と君の周囲にある距離も。私にはやっぱり『寂しい』」


 フィルデの曇天の瞳とクライセンの夏の木漏れ日のような緑眼が、初めてしっかりと糸を結んだ。


 クライセンの中にある何かを見極めるように、フィルデがそっと目を細めた。


「もう一度、声を上げることから始めてみないかい? 君の声はきっと望むもの掴むよ。《賢者》となった呪術師フィルデ・テルマが請け負おう」


 クライセンは、黙ってフィルデを見ていた。

 誰もいない静かな書架の間で、フィルデは、クライセンを見ている。

 『幽霊』のクライセンを。


 頭の中を走っていたペンはすっかり止まっていた。


 グッと唇を噛んで、俯き、濡れてしまった睫毛を拭う。


「今のセリフ、」


「ん?」


「今のセリフ、人形を抱えてなければ、減点なしでした」


 クライセンの必死の憎まれ口に、フィルデは飛び上がって、オロオロ慌て出した。


「えええええ!? うそうそ、待って。じゃあ、この子、置いて来るから。もう一回言わせて!?」


「ヤです。そもそもなんで、学校に人形なんか持ってきてるんですか」


 禍々しい空気を放つ人形に、ジト目を向けて言えば、フィルデは狼狽える。


「持ってきたんじゃないよ!? この子は学校で渡されたの。一回頼まれて他学年の先輩から呪いの人形引き取ったら、それが広まっちゃって。今じゃ『私=萬・呪いの人形引取り所』みたいに思われてるのか、学校来るたび押し付けられるしいいいぃ」


「話しかけてくれるのは嬉しいんだけど、ひどくない!?」と、フィルデは涙目だ。


 いつも、人形を持ち歩いてるという噂の真相を知ったクライセンは、素直に引いた。

 呪いの人形ってたくさん押し付けられるほどにあるのか。ゾッとする話である。


「断ればいいじゃないですか」


「断ったよ!? いや、ガチで呪物化してるのはさすがに引き取るけど、ただなんとなく怖いからって寄越されるのもあったし。そういうのってただ単純に、人間の嫌な空気を魔力と一緒にいっぱい吸い取って溜め込んでるだけだから。呪術師じゃなくてもいっぱい可愛がってれば、そのうち浄化できるし。返そうとするんだけど、みんな要らないっていうし、誰々のは引き取るのに私のは引き取ってくれないのか、とか揉めて、泣き出す子も出ちゃうしで⋯⋯ 、もう何も言わずに引き取ることにしたんだよね」


 どんどん遠くを見つめていくフィルデに、クライセンはちょっと同情した。

 さっきまで、諦めるなと言っていた人の言葉とは思えない。


「フィルデ様、押しに弱いんですね。《賢者》の呪術師なのに」


「いや、これ、《賢者》関係無いというか。普通に女の子に泣かれたらどうしていいかわかんなくない??」


「ほっとけばいいと思います」


「く、クール!! え、今時の子ってすごいクールなんだな⋯⋯ 」


 それとも、美少年だからか? と見当違いの感想を述べるフィルデに、クライセンは尋ねた。


「それで、その子は呪物化してるんですか?」


 その禍々しさはそうだろうと当たりをつけて言えば、フィルデはふるりと首を横に振った。


「いや、これはただ魔力と一緒に嫌な空気をいっぱい吸っちゃっただけの人形。まあ、時々動くし呪いの人形で間違い無いけど」


「そうなんですか!?」


 こんな禍々しいのに!?

 呪物じゃくても動くの!?


「そもそも呪物って、明確な意図を持った術式が刻まれてるものを指すものだから」


 フィルデ曰く「人の形に似てるものって、人の感情を吸い取りやすいんだよ。お家の人がイライラしてたり悲しんでたりするとその感情が魔力と一緒に外に溢れるんだけど、人形はそれを吸っちゃうの」ということらしい。


「この子みたいなアンティークとか職人が手をかけて作ったものは丈夫だから、世代を超えてお家の人の嫌なものいっぱい溜まっちゃうんだよね」


「それ、浄化? できるんですか?」


「できるよ。ただ、私の力ですると壊れちゃうことの方が多いんだよね。溜め込んだ魔力が素材を補強してることも多いから」


 祓うとバキッといくらしい。


「それは寂しいからさ」


「なんで、寂しいんです?」


 フィルデは、そんなこと聞かれると思ってなかったという顔をした。


「人形なんて、人に愛されるために作られたものの筆頭じゃない」


 クライセンは、ぱちり、と瞬いた。

 フィルデは、人形を見下ろして話す。


「なのに、お家の人のいやなものたくさん吸い込んで最後は嫌われて『いらない』って遠ざけられるのはさ、見てて私が寂しいんだよ」


 人形に感情なんてないのは知ってるし、壊れたって文句も言わないだろうけれど。

 人の形をしたものを力任せに祓って壊すのは、忍びないのだ。


「だからまあ、うちで引き取ってなるべく綺麗な場所に置いて、楽しそうな雰囲気のところに連れて行ったり、時々構ってやるんだ。時間はかかるけど、少しずつ魔力も嫌なものも抜けていくし、ぜんぶ抜けたら、自然と壊れる。そうしたら、花と一緒に燃やす。⋯⋯ 本当はね、この子に呪術師なんていらないんだよ。お家の人に愛でてもらえれば、動くこともなくなるし、モノとして寿命を迎えて愛されたお家で終われる」


 でも、仕方ないね、とフィルデは優しい目で人形を見た。

 ウチで申し訳ないけど、ゆっくりしていきな、と囁く。


「優しい感情ばかり向けられてれば、この子もいつか『子守り人形』みたいになったかもしれないのにね」


 子守り人形とは、赤子のそばに置かれる人形だ。代々その家で大事にされてきた人形がそう呼ばれ、癇癪を起こした赤子の側におくと泣き止むと言われている。


「あれって人形が、赤ちゃんの『なんか嫌!』って、気持ちを吸い取ってるんだよ」


 クライセンは驚いた。


「その感情を、吸い取っても人形は大丈夫なんですか?」


 動いたり髪が伸びたりする呪いの人形にならないのだろうか。


「吸い取った端から、赤ちゃんの『嬉しい』『スッキリした』『気持ちいい』って気持ち浴びるからね。親にも『人形のおかげかな』って言葉にしなくても慈しまれてまた大事にされて。小さなうちに浄化されて溜ることがないんだよ」


 そもそも赤ちゃんの『なんか嫌!』って凝ってなくてすごく純粋だし。


「感情に結びついて体から放たれる魔力は、理論のない原初の一番小さな魔法だよ。誰かの願いに世界が応じる。ささやかなものだけどね。本当は誰もが使えるものだ。でも、きっともうみんな忘れてしまってるんだろう」


 そう、寂しそうに言う。


「この子が動くのも、元を辿れば『嫌な感じがする。もしかしたら見てないところで動くかも』って思われて、そういった気持ちと魔力を向けられて、その通りに動いてしまってるだけだから」


 呪術において、人形は形代でもあるとフィルデは言った。

 もっとも人の形に近く、願いに影響を受けやすいモノなのだ、と。


 それから、ハッとしたようにクライセンを見た。


「しまった! ごめん、これ秘密ね」


「え、ど、どれです?」


「人形を楽しそうな雰囲気の場所に連れて行ってるってところ。陛下から人形は家から出すなって言われてるんだよ」


 結構前の発言だった。


「ていうか、この前、婚活にうちの人形連れて行って陛下にめちゃくちゃ怒られたばかりなんだよね」などと、フィルデは頭痛を堪えるような顔をして言う。


「なんで、連れていっちゃったんですか」


 まあ、十八才で婚活はいいとして(平民はともかく、貴族の婚姻なんて十代で婚約して十八才の成人で籍を入れるなんてよくあるのだ)人形はない人形は。


 呆れ返るクライセンに、フィルデは眉を下げて笑った。


「なんでだろうね。⋯⋯ なんか、結婚したら、うちにいる子たちみーんな、すぐに祓って壊さないとダメだよな、て思ったら寂しかったんだ。だから、もしかして、一人くらい話したら受け入れてくれる人いないかなーって連れてっちゃった」


 どこか、含みのある言い方だった。嘘じゃないけど、まだ何かあるような。


「⋯⋯ いました?」


「みんな、話す前に逃げたよね⋯⋯ 」


「でしょうね」


 この人、残念な人なんだな、とクライセンはフィルデの評価を改めた。

 未成年で《賢者》になった鬼才で、学園の『歩く七不思議』で、いつも学園にいないから、兄の言う噂だけで、どうにも近寄りがたいイメージだったのに。

 ほんの少し話しただけで、ポロポロとそれが崩れていく。


 たぶん、フィルデは、クライセンが思うよりもずっと優しい人だ。

 そうじゃなければ、名前も知らないクライセンにもましてや押し付けられた呪いの人形にも向き合ったり心を砕いたりしないだろう。

 フィルデは、クライセンを無視して帰って良かったし、人形を祓えるなら壊して捨ててよかった。

 けれど、フィルデはそれを『寂しい』と感じてしまうらしい。感覚がびっくりするくらいおかしな方向にズレてるのだ。その上、フィルデ本人がそのズレをあんまり自覚してない。だから、自分が避けられるのは、『呪術師だから』だと思い込んでる。


(なんか、他に要因があるかもだけど)


 クライセンは、吸った息を鼻から、ふんと吐き出した。


 難儀な人だ。


 なのに。

 

「僕は魔術師になりたいんです」


 どうしてか。

 今、クライセンはフィルデに聞いてもらいたくなった。

 諦めず言葉にしろと言ったのだから聞けという気持ちもちょっとある。


「生まれつき回路が脆弱で、魔力を一般の平均以下しかつくれません。それでも、僕は魔術が好きです。術式を解析するのも、新しく組み立てるのもすごく楽しい。けれど、家族は僕に何も期待してない。なれるわけがないと思ってる。先生たちも。あなたはそれでも僕に諦めなくていい、と言いますか?」



 果たして、フィルデはちょっと驚いた顔をしてから、微笑んだ。


「もちろん。君の意志は君だけのものだ」


 他の人が聞けば無責任なと非難されそうな安易な言葉だ。

 けれど、それはクライセンにとって初めてもらった肯定の言葉だった。




***



 過去を回想して、クライセンは思わず笑う。

 すると、隣で脱衣していたフィルデが嫌そうにこちらを振り仰いだ。


 王宮の大浴場に繋がる脱衣場である。


「え、なに?」


「いえ、少し昔を思い出してまして」


 見上げていたフィルデをクライセンはすっかり見下ろせるようになっていた。

 《賢者》の魔術師として再会したらきっと驚くだろうと思っていたのに。


「えー?」


 フィルデは、クライセンのことをちっとも覚えてなかった。

 というか、あの日、図書館で出会った華奢な美少年と立派な体格の美丈夫となったクライセンが結びついていないらしい。

 彼は今でも時々「あの時の子、きっと魔術師になってると思うんだけど、元気にしてるかなー」と呆けたことを言う。


(そりゃぁ、金髪緑眼なんてこの国に掃いて捨てるほどいますけどね)


「今更ながら、名乗っておけばよかったと思うのですよ。ややこしい名前と一緒に『クラちゃん』と呼んでくださいと言えばきっと覚えてくれていたでしょうに」


「君みたいに派手な美形、一度会ったら忘れないでしょ」


「それがそうでもないのですよ」


 なにせ、ちっとも思い出してくれない人が目の前にいる。

 腹が立つので、クライセンはフィルデが思い出すまで話さないと決めていた。


 あの宣言の後、フィルデはクライセンが作った魔術の新しい術式を「専門外だけど」と断りつつをちゃんと見てくれた。


 そして、クライセンの説明に最後まで耳を傾け、「よし行こう」というが早いか、クライセンの手を引っ張り高等部の教室へ向かったのだ。


 教室に一人きりでじっと席に座っていたのは、まさかのクライセンの兄だった。


 弾かれたように立ち上がった兄とフィルデに手を引かれたクライセンは、互いに驚愕したまま見つめ合い、そして。


「ねぇ! 君の弟、天才なんじゃないの!?」


 フィルデの大声に、飛び上がった。


「君、魔術専攻でしょ。この術式ちょっと発動してみてよ」


 フィルデは、クライセンが書いた術式を兄に押し付けた。


「は? いや、なんで俺が⋯⋯ 」


 困惑する兄はクライセンもクライセンの書いた術式も見ていなかった。

 ただフィルデだけをビクビクと見ている。


「そんなもん、私じゃ発動できないからだよ。呪力と魔力は性質が違うんだから。そんなこと見よう見まねで呪術に手を出して呪い擬きを作っちゃった君ならわかるでしょ!」


「うわぁぁ! なんで言うんだ! なんで、弟にバラすんだよ!!?」


「もうバレてるからだよ。そもそも回収する前に言ったじゃないか。余計なお世話じゃない?って、なりたいものを目指すくらいいいでしょうに」


 途端。パッと兄が目を吊り上げた。


「それは持ってるやつの言葉だ!」


 怒声は悲鳴だった。

 兄は、そこで初めてクライセンを見て、床に目を落とした。


「史上最年少で《賢者》についたお前に何がわかるんだよ。呪術も魔術も関係あるもんか。うちは、ずっと家から《賢者》の魔術師を出すこと拘ってるんだ。父も母も優秀な魔術師を次代に残すために結婚した。並の魔術師じゃダメなんだ。他を圧倒できるくらいじゃなきゃいけない。ずっとずっと期待されるし、応え続けなきゃいけない。期待に届かないときの苦痛をお前が知ってるのか? 望むものが得られない渇望を味わったことは? ないだろ? 俺たちだって苦しい。なのに」



 兄がクライセンを睨んだ。

 泣きそうな顔で。

 クライセンは、それをただ呆然と見ていた。


「こいつは諦めないんだよ。魔力もほとんどないのに、誰も見てないのに評価しないのにずっとずっと! 叶わないのにやり続けたって苦しいだけじゃないか! 両親の、家の、期待がないなら魔術師になることなんかない。何をしてもいい。とっとと諦めて、自由に進路を選べばいいのに!!」


 肩で息をする兄の顔は真っ赤だった。

 こんなにも取り乱す家族をクライセンは初めて見た。


「でも、君が見てた」


 フィルデだった。


「君は、弟君が諦めてないのも魔術の勉強を続けてるのも知ってた。図書館のあの棚によく向かうことも。そこにどんな感情があったかは、二人で話せばいいよ。でも、だから、あの本棚に拙い呪い擬きを隠せたんだろ」


 拙いって、と兄は不満そうに口をもごもごさせたが否定はしなかった。

 それが、クライセンには驚きだった。

 自分のことを見ている家族がいるなんて思っても見なかったから。

 幽霊だったはずの自分に影がついたような不思議な心地がした。


「まあ、私ならその呪いは、君のご両親及び一族に向けて放つけどね。それはいいんだ。そんなことより、ほら、これ! この術式、発動してよ! 早く!!」


 そんなことと言いつつ物騒な発言をして、フィルデは兄を急かす。


 兄は、涙目のまま「なんなんだよ、もう!」と怒鳴ったが、ヤケッパチみたいに、クライセンの術式に手を触れた。

 魔力が流れ込み、術式が発動する。


 風と光が教室を取り巻いた。

 薄く立ち上がる光の幕に、満天の星が映った。天井から幾つもの星と同じ色をした花弁が降り注ぎ床に消えていく。


 それは、クライセンが術式に込めたそのままの光景だった。


 青い空間を星と花が充していく。


「素晴らしい!」


 はしゃぐフィルデに、クライセンは答えられない。

 生まれて初めて、自分のつくった術式が発動するのを見たのだ。

 今日は初めてがいっぱいだ。

 

「幻燈、か? 教室の天井と壁と床をぜんぶスクリーンに見立てて、術式に埋め込んだ光景を映してる?」


 兄の呟きに、クライセンは肩を跳ねさせた。

 兄と目が合い、かろうじて首肯する。

 胸がいっぱいで、咄嗟に言葉が出なかったのだ。


「全方位に幻燈する魔術は初めて見た。起動に魔力をくわれるけど、維持にはほとんど消費しない。術式に無駄がないんだ。普通、他人の書いた術式って、発動する時に違和感があるけど、それもない。⋯⋯ 魔力がないからか? 書くときに術式に魔力が溶け込まない? でも、発動はする? くそ、これ一つじゃ検証できねぇじゃねぇか。〜〜〜〜ッおい、クライセン!」


 名前。

 兄が、名前を呼んだ。


「えっ?」


 名前、知ってたんだ。


「お前が書いた術式は、他にもあるのか!?」


「あ、ある! あるよ! たくさんある!」


「たくさんあんのかよ! 全部見せやがれ!」


「い、今まで見てくれなかったくせに!!」


 なんだよそれええぇと堪えきれずにわんわん泣き出したクライセンに、兄は大いに狼狽え、フィルデは「床に額擦り付けて謝罪したらー?」と意地の悪いこと言いながら、幻燈の花に手を伸ばして笑っていた。


 彼なりに、呪い擬きを回収させられたことに思うところがあるらしい。フィルデは、兄に対して全く容赦がなかった。



「私は、その人のおかげで兄という唯一無二の理解者を得ました。今は、兄たち全員が私の術式の実証をしてくれます」


 大泣きした後、兄はいっぱい謝ってくれたが、クライセンはそれについては今も一言も返していない。「いいよ」と言おうとすると、あの半地下の書庫で今も書物のページを捲る小さなクライセンが、振り返りじっとこちらを見てくるのだ。

 そう言ったら兄は俯いて何も言わずに頷いただけだけど、そのあたりの話をぼかしながら相談した時のフィルデの反応は「え、いいんじゃない?」と軽いものだった。


「自分の気持ちでしょう。大事にしなよ」とたったそれだけコメントして、ぽんとクライセンの腕を叩いた。


「今仲良くできてるならいいじゃない。私なんか一人っ子だぞ。寂しいんだぞ」といじけられて笑ったものだ。


 フィルデの言うように、クライセンは兄と術式について議論するようになったし、今ではそこに他の兄たちも加わった。

 兄弟揃って、外食することもある。

 全部フィルデのおかげなのだが、クライセンの話を聞いても本人は全く気づく様子がない。


「へぇ、よかったね」と言うだけだ。


 やっぱりこっちを見ない。

 あんまり興味がないのだ。

 まったくひどい話である。


 なので、クライセンはちょっと意地悪をした。


「そういえば、もう婚活に人形は持っていってませんか?」


 途端、フィルデが「ぎゃあ!!」と叫んだ。 

 目元を引き攣らせてこちらを振り仰ぐ。


「な、なん、なんで、それを君が知ってるんだよ!? もう十四年も前の話だぞ! 陛下にもめちゃくちゃ怒られたし、宰相にはずーーっと小言言われて仕事増やされたし、すんごい反省して、あれ以降もう連れてったことないのに!」


「でも、馬鹿正直に家に人形があるって打ち明けちゃうんでしょう? だから、十四年も婚活して独身なんですよ」


「だから、なんで家にあるって知ってるの!? 誰から聞いた!? 陛下? 陛下から聞いたの!?」


「もう、諦めた方がいいですって。老後なら我が家におまかせくだされば、きちんとお世話しますから」


「結構だよ!! 君の目的は私の回路だろ!」


 もう騙されないからなーー!と言うフィルデにクライセンは声を上げて笑う。


 もちろん、フィルデの回路は好きだ。

 大好きだ。

 たくさんの人間の回路を見てきたクライセンは知っている。

 人間服の下はみんな一緒だ。

 貴族も平民も一般人も魔術師も。

 傷があろうがなかろうが。

 腕や足があろうがなかろうが。

 皮膚があり血管があり、回路がある。

 そして、回路は、どんな人間も大して変わらなかった。

 一般人も魔術師も。

 あれほど、量が違っても。

 全体で見れば形の違いなど、ほとんどないのだ。

 クライセンの回路も、他と比較して『欠陥』と、呼べるところはどこにもなかった。

 いっそ笑えるほどに。

 そう知った時の落胆と安堵をなんと言葉にしよう。


 きっと。

(『ざまぁみろ』と言うのが近いのでしょうね)


 回路の出来一つで、『幽霊』だった。

 誰にも見向きもされず、夢は否定されて理解者を求める力さえ失いかけた。

 今も心の中には、青く闇い半地下の書庫に籠る小さな自分がいる。

 けれど。


 魔術師など見かけがどんなに立派でも脱いでしまえば、ただの人間だ。

 クライセンでもなれる。

 焦がれるほど憧れたその場所で、クライセンは笑えている。


 だからこそ、クライセンにとってフィルデの回路は特別だ。

 少ないサンプルしかないが、クライセンが見てきた呪術師は皆そうだ。

 魔術型の回路とは全く異なる形状をしている。


 世界樹の根が星の力を吸い込むように、力強くマナを取り込み、枝に広がるように呪力と変換して放つ。


 本当に魔力とは全く性質の違うものだった。


 その碧さを見た時、クライセンはなんだかまた、無性に救われたのだ。

 こんなに綺麗なものが確かに存在するなら、それはもう両親や一族のように出来の良さを求めて執着して足掻く人も出てくるだろうな、と。


 ストン、となんだか腹に落ちてしまって、言葉も忘れ、フィルデの回路を見てしまった。


 ⋯⋯ フィルデには、いい迷惑だったたろうけれど。


(いやぁ、だって、あんだけ請け負ったくせに、忘れてるほうが酷いじゃないですか)


 なんて、自分の行為を棚上げして自己弁護する。



ーー君の声はきっと望むもの掴むよ。《賢者》となった呪術師フィルデ・テルマが請け負おう。


 クライセンは、世界ではじめて魔術の使えない魔術師になった。

 机上の空論、口から出まかせ、顔だけ、無能の口出し、一通りの陰口は全て叩かれて、その上で《賢者》の魔術師になったのだ。


 陛下は、クライセンに言った。


ーー魔術師よ、未来を耕せ。


 切り開けではなく、耕せと。

 その泥臭い言葉がクライセンは好きだった。ないと言われた可能性にしがみつき泥に塗れて、クライセンは、フィルデに並ぶ位置にきたのだ。


 いつか、クライセンが耕した場所に誰かが種を植えるだろう。

 クライセンは、それをいつか遠い未来で見たいと願っている。


「まさか!まさか! フィルデ様のことももちろん尊敬しておりますとも。ささ、お話は湯船に浸かりながらで。ええ、《賢者》の魔術師の名にかけて、必ず力になりますよ!」


 あの時、あなたがそうしてくれたように。

 

この番外編を切り目に、しばらく期間をあけます。

詳細は活動報告にて。


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― 新着の感想 ―
[良い点] ゆっくりと優しい空間が流れているようで、なんとも心地よくも不思議な感覚を覚える物語ですね。 是非!是非!続きを拝読させて頂いてこの感覚に浸りたいです。
[良い点] 飄々としているのに密度が濃い、深いお話でした。読み応えがすごい。何度も読み返しています。 [一言] 作者様のペースで物語を綴って頂けたら、と思います。
[良い点] これだけで短編小説として立派に成り立つ良いお話。
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