清掃係の少女
さて、翌日のことである。
フィルデは個人の研究室で仕事に励んでいた。
淡々と書類を捌いてはいるが、心は死んでいる。
だって、本来なら今日は週に一度の休日だったのだ。
フィルデの休日は不規則だが、今回はありがたいことに学校だって役所だってお休みする公休日に休みが重なったのだ。
だのに、なぜかあれこれ仕事を差し込まれ果ては国王にまで「あー悪いんだけど、ちょっと相談したいことがあるから、出てきて。そんで、呼ぶまで研究室で待機してて」と言われてしまった。またかと思う。
(きょ、今日こそは、街主催の婚活パーティーに参加する予定だったのに!)
そのために新しい服だって買ったのだ。
なのに。うう。
込み上げてくるものを堪えて、フィルデは、書類に目を通す。
いつもそうだ。婚活しようとすると、仕事が入って結局行けなくなる。
もう広すぎる研究室が寂しくて堪らない。
(一人しか使わないのに部屋の面積こんなにいるか? 応接用のソファなんて仮眠用にしか使ったことないし、そもそも呼び出されることはあっても訪ねてくる人もいないし。部屋の位置からして王宮の奥まったところに他から離されてポツンと作られてるし。いやこれは仕方ないんだけど、寂しいもんは寂しいんだよ。よかったことなんていっぱい歩くから足腰が衰える心配はなさそうってぐらいで。あ、ダメだ。虚しさと寂しさが加速する。早急に帰りたい。でも、帰っても誰もいない)
他の《賢者》たちと違い、ド平民のフィルデは郊外の一軒家で一人暮らしである。掃除も洗濯も自分でする。ついでに、明日のパンを買い忘れていたことを思い出して泣けてきた。
(あ、つら⋯⋯ 。無理。結婚したい)
ちら、と視線を向ければ、部屋の隅で王宮の清掃係が硬く絞った雑巾で黙々と棚を拭いている。
麦穂色の髪を緑の三角巾で覆った若い娘だ。
フィルデは、彼女がごく自然な足取りでそのまま部屋の奥へ向かおうとしたのを見て声をかけた。
(あ、そっちは⋯⋯ )
「すみません」
「ひゃ、ひゃい! なんでしょうか! 閣下!」
ひっくり返った返答と共に飛び上がってこちらを向いた彼女は、直立不動で直角九十度に腰を折る。勢いでカシャン、と黒縁のメガネが落ちた。
「あの、メガネ⋯⋯ 」
「すすすみません、すぐ直します」
わたわたと彼女はメガネを拾い掛け直した。俯いたまま、視線は頑なに床から離れない。
小さい汗をいっぱい飛ばしている様子を見て、フィルデは理解した。
(す、すごく怖がってる)
見た目十代後半の女の子に怯えられるのは、オジサンの心に突き刺さるものがあった。ほとんど致命傷だ。
やめてくれ。何もしない。何もしないよ。
呪術師怖くないよ。
何もしてないけれど「私です」と自首したくなったフィルデは、顔を向けてたら余計怖いかなと思い、きょときょと視線を泳がせ、彼女から目を逸らして、部屋の奥を見た。
「奥の掃除は結構です。あちらには保管庫がありますので、近づかないでください。うっかり入ると棺桶を用意しないといけません」
「え?」
掃除係が震えだした。
「え?」
フィルデは、なにか説明に不備があったかなと思い聞き返す。
「か、棺桶ですか?」
「はい。保管庫は、《賢者》の地位についた歴代の呪術師たちが丹精込めて作り上げた呪いが満載なので、どんな呪避けを持とうが入った者は何かしらの呪いに掛かります。迷って出られません。どんな状態でも私が責任を持って可能な限り回収しますが、棺桶は必須なんです」
「なななんで、そんな危険な部屋がが個人の研究室の奥に」
「《賢者》の呪術師が保管庫の主人になるからですね。中にあるものは全て私が管理を任されています」
なにしろフィルデの元には昨日のメダル同様、様々な呪物が持ち込まれる。
ほとんどはフィルデが解呪して然るべき機関に返すか、処分してしまうが、中にはそれができないものものがあり、そういったものを、奥の《保管室》に封印してあるのだ。
フィルデの許可なく入った者は中でありとあらゆる厄災に見舞われるうえ、フィルデが許可するまで出られない。
国内外を問わず間者とか不穏な輩が、この保管庫を狙って飛び込んでは行方不明になるらしいと王宮で有名な怪談になっている。怪談名は『人喰い保管庫』。物騒。
「私の研究室の清掃をするにあたり、必ずお伝えしてもらうようにしている注意事項なんですが、上司の方から聞いてませんか?」
というか、清掃係は誓約書を書かされるはずなんだが。
「ひぇ、あ、えと、すみ、ません。わ、わたし、まだバイトで。担当の方がお休みで。だから、みんなでくじ引きして。知らなくて」
ひんひん泣きそうな雰囲気にフィルデは遠くを見た。
「ア、ハイ。大体わかったので大丈夫です」
怪談にまでなってる保管庫があるフィルデの研究室の清掃は、清掃係の中で一番の不人気ということを思い出したのだ。賃金上乗せしても人が集まらず、とうとう罰ゲームに使われていると知った時は顔を覆って泣いた。
(保管庫にさえ近づかなきゃ基本は安全なんだけどなーー!!)
フィルデは、額を押さえた。
どうやら、目の前の彼女は新人のようだ。
王宮の全体清掃は人の少ない公休日に行われるのが常だが、フィルデの研究室は特殊なため、必ずフィルデ本人がいるときに入ってもらうようお願いしている。
だから、毎回全体清掃で人が入るわけではないのだ。今回については、直前まで休みの予定だったし、急遽(おそらくクジで負けてしまったらしい)彼女にお鉢が回ってきたのだろう。
しかし、フィルデもまさか何も知らされてない新人がここに回されてくるとは思ってなかった。
「あ、あの閣下」
ぷるぷる震えている声に「ん?」と顔を上げれば、清掃係は俯き、両手で雑巾をこねくりまわしながら、口を開いた。
「も、申し訳ございませんでした。ほ、ほほ他に、触ってはいけないものや、入ってはいけないところは、あります、でしょうか?」
つっかえながらではあるが、一生懸命とわかる声で言い募る。
フィルデは、ぱちりと瞬いた。
今までの清掃係も大体ここに来る時は涙目だったし、中には彼女のように奥に足が向かいそうになる者もいた。
そういう時、フィルデは必ず声をかけるのだが、ほとんどの場合、嫌な顔をされるか怯えてカクカク頷くかである。彼らはそそくさと仕事を終えたら逃げるように去っていく。
彼女は、今も頑なにフィルデとは目を合わせないし、顔は真っ赤だし、震えてもいる。きっと怖いは怖いんだろう。
それでも、ビクビク怖がりながらきちんと仕事を全うしようとしてくれていた。
有難いことだ。
「こちらに危険なものは置かないようにしていますが、万が一ということもあります。気になるものがあれば触る前に尋ねてください。そのために、清掃は私の目の前でしてくれるようお願いしています」
「しょ、承知しました。お手を煩わせてしまい本当に申し訳ございません」
彼女は、生真面目にメモを取ると、深々頭を下げて、雑巾をバケツで一度洗い、硬く絞って絞って、拭き掃除に戻った。
気になってそっと様子を窺っていたが、顔は赤いもの手つきはしっかりしている。
大丈夫そうだと判断してホッとした。
次いで胸がじんわりほっこりした。
目頭を押さえる。
おじさんには若い子の一生懸命さが、けっこうかなりとっても眩しかったのである。