メダル
フィルデの仕事は、大雑把に纏めると国を守ることである。
それは、例えば先程のように中庭で見つけた小さな呪いを呪った相手に返すことであり、発見された呪物の解呪であり、人々を呪いから守るための呪術的儀式を取り仕切ることだったりする。
今、フィルデがしているのは先日遺跡から発掘された呪物の解析である。どのような呪いが付与れたものであるのかを調べなければ、解呪はできない。
「面白いな⋯⋯ 」
古びたメダルを指に摘んで、フィルデは観察する。大きさは、親指と人差し指で円を作った程度のもので、銅製だ。資料と照らし合わせて考えるに、この鋳造技術だとおそらくは六百年は前のものだろう。柔らかい銅製のメダルはあまり出来がいいとはいえない。大量に生産できる安物だ。
しかし、そこに施された呪術は驚嘆に値した。
「自らの命を対価に、望む相手を道連れにするとは」
呪術において、対価は非常に重要だ。一には一を。百には百を。多すぎても少なすぎてもいけない。目的に相応の対価をきちんと計算し、天秤を水平に保つように、釣り合いを取らねばならない。
故にこの呪いは、自らの命一つに対し、望む相手一人を殺すことができるように設定されている。メダルに己と呪いたい相手の名前を書いたら準備は完了し、呪いの起動条件は、このメダルを身につけた人物が死ぬこと。実にシンプルだ。
「いいな、これ」
調べれば調べるほど無駄がなくていい。誰が作ったのだろう。
普通は、自分の安全を保障した上で相手を殺したいと願うものだ。そのために、一つの命に見合う対価を必死に計算する。
それがこれにはない。
自らの命を対価に相手も屠る。
素晴らしい。
「一には一を」という基本の定義をシンプルに満たしているから、まず失敗しない。呪術が起動したら余計なタイムラグなく速やかに呪った相手を殺せる。
呪術師というのは、ごちゃごちゃ複雑なことをしていると思われがちだが、それは先ほど述べたように術者や依頼人の安全を保障した上で、相手を呪うという前提があるからで、本来シンプルな術式がとても好きなのだ。
例えるなら数学者が数式を見て美しいという感覚に近い。
イコールを挟んで左右が綺麗に釣り合うと呪術師は、ひどく満たされるのだ。黄金比で描かれた絵画のように心地よく、いつまでも見ていたいと思う。
例えそれが、命を奪う呪いであったとしても。フィルデにとって、このメダルに施された呪術は美しいものだった。好きだな、と単純に感動する。
しかしながら、世の中というのはフィルデのように美しいものを美しいままに受け入れて終わる人間ばかりではない。
一人の命を対価に必ず呪った相手を殺せるとなれば、よからぬことを企む者は山と湧く。
というわけで、誠に残念ではあるが、フィルデはこの呪術式をメダルから消すことにした。
製作者がどのような理念でこれを作ったのかは知らない。それは呪術師の仕事ではない。
けれど、美しい術式を安価な銅のメダルに刻んだ六百年前の呪術師に敬意を持って、術式を消去する。
代わりに、新しい術式をメダルに刻んだ。古くからある、それこそ、六百年前にも存在した相手の健康を願う所謂『おまじない』だ。この場合の対価は、製作者の祈りなので、効果はさして強くないが、民間で古くから伝わるものであり、信じられてきたという実績は確かな力になる。
これを六百年前に刻まれたように細工して丁寧に刻み、戦場にいく兵士たちに渡されたものであろう、と報告書に記載した。
遺物への加工も報告書を偽ることも当然に罪であるが、フィルデは知らないふりをする。正直に報告した結果、最悪の事態を引き起こすこともあると経験で知っているからだ。
フィルデからの報告書は、あっさり受理されて、健康を祈るだけとなったメダルも博物館へ収蔵されることが決まった。