7話 スラムで生きる者1
今回は別視点で書いています。
スラム街。町の最も端に小さく存在するこの区画は、街の住人たちからは酷く嫌煙されていた。
日の光が当たらず、一日中暗い。異臭がひどい。
など理由は様々だが、最たる理由はその治安の悪さだった。
表通りの住人たちは、子どもの頃から、
「スラム街に近づいてはいけない」
とことあるごとに言いつけられて育つため、自分からそこへ近づこうという人はいない。
そんなスラム街に二つの人影があった。
辺りは薄暗く、中途半端に舗装されたボコボコ道を、二人は慣れているように軽やかな足取りで進んでいる。
二人とも、ぼろ布をマントのようにして被り、頭から全身を覆い隠した恰好をしている。
また、二人の背には中身が詰まった布袋が背負われ、袋の隙間からは硬い黒パンがはみ出ている。
「ねえ、なんだかいつもより騒がしいと思わない?」
一人が足を止めて、前を走る人影に呼びかけた。
その声は低めではあるが澄んだ少女の声だった。
言い終わったのと同時に遠くから男の悲鳴が響いた。
さっきからこういった悲鳴が断続的に続いている。
「確かに変だな」
「近いわね。一度二手に分かれた方がいいかしら」
「いや、オレたちがいる中間地点まではまだ距離があるから大丈夫だろう」
「それもそうね。少し急ぎましょう」
二人は再びボコボコ道を走った。
ペースはさっきまでよりも速い。
「おや? スラムのゴミ共がこんな所で、それも荷物背負ってどこへ行くんだぁ?」
「「っ!」」
突然背後から声を掛けられた二人は、身体をビクッと震わせた。
一瞬、立ち止まろうとするようが動きがあった。
しかし、彼らは今までの経験から瞬時に駆けだした。
できる限り全力で。
必死に足を動かす中、少女は頭の中で嘆いていた。
スラム街の外で、ハンターたちが「スラム狩り」をしていたのは知っていた。
だけど、すぐ後ろにいるなんて……
その時、走り続ける二人の頭上に一瞬影がちらつく。
すると進行方向の向こうには、さっきまで後ろにいたはずだったハンターの男がいた。
いつの間に……!
逃げ道を阻まれた二人は思わずたじろいでしまう。
「おいおい、いきなり逃げ出すとは失礼な奴らだなぁ」
ハンターの男は軽薄そうな笑みをへらへらと浮かべている。
右手には上質な片手剣を、見せびらかすようにだらりと下げて構えている。
一見軽薄そうな印象を与える男だが、油断できない。
身に着けている装備がそこいらのハンターとは比べ物にならない程上等。それだけで実力の高さが伺える。
絶体絶命ともいえるこの状況に、少女の口から、「くっ……」と思わずうめき声が漏れた。
「あ~……、一つ聞きたいことがあるんだ。正直に答えたら今は見逃してやってもいいぜぇ」
「なんだよ、聞きたいことって……」
少年の声は震えていた。無理もない。さっきのハンターの動きから、二人よりも「生命の格」が圧倒的に高いのは明らかだった。
「銀髪青眼のガキを知らないかぁ? 今もこの辺りを逃げ回っているって聞いてよぉ。そいつがえらく強いらしい」
「ああ、あいつのことか……。あいつなら向こうの方へ走って行ったぜ」
少年はさっきまで悲鳴があがっていた方向へ指差した。
もちろんこれは少年の出まかせだ。二人はそんな少年を見ていない。
ハンターの男が少年が指を差した方へ視線を向けた。
それと同時に二人は動いた。
少女はハンターがいるのとは反対の方向へ。その背にはいつの間にか二つの布袋を背負っている。
少年の方はハンターの男へ突進していた。少しでも少女が逃げる時間を稼ぐためだ。
いざとなったらいつもそうしていたし、今までもこれで乗り切ってきた。
少女と比べて足が遅い代わりに、体格に優れ、高い筋力を持つ少年が追手の足止め。
その間に、並外れた走力を持つ少女が逃げきるといった作戦だ。
「へえ、一人は囮ってわけかい」
その男の声はいやに大きく、少女の耳に入った。
その程度の速さでは離すことすらできない。
そう言われているように思えてならない。
いやだ、あんな奴に殺されてたまるか!!
必死に少女は走った。今この場を切り抜けるには、とにかく全力で走ってあのハンターを振り切る。
それしか方法は無い。
「……っ!!」
少女は思わず足を止めてしまった。
全力で走る少女の進行方向に、いつの間にかハンターの男が何事もなかったかのように立っていた。
「今回はキミに聞くよ? ちゃんと正直に答えないと、後ろのあいつみたいになっちゃうから、そこんところよく考えることだ」
少女は恐る恐る後ろを向くと、少年は地面にうつ伏せで倒れていた。よく見ると、少年の胸元辺りから少なくない量の血が流れ、地面に広がっている。
少女はその光景に呆気に取られていると、
「無視は酷いなぁ」
「――がっ」
不意を突くように、男の拳は少女の鳩尾を打ち据えた。
少女にとってはあまりに強烈な一撃だ。
少女の身体はその威力に耐えきれず、二度地面をバウンドし、勢いを殺しきれずにごろごろと転がってしまう。
その拍子に、背負っていた荷物を手放してしまい、布袋に詰められていた食べ物が辺りへぶちまけられた。
少女にはもはや動く体力は残っていない。
殴られた腹部を庇う様に蹲り、荒い呼吸が繰り返されびくびくと全身を震わせることしかできない。
「ありゃりゃ。あんまり強く打ったつもりはなかったんだけど。「生命の格」が低いとやっぱ柔いなあ」
「……っ……っ……っ……っ」
「あ~、このガキももうだめそうだね」
「……ぃやぁ……死に、く……ぁい……」
少女は涙で滲んだ視界の中、ハンターの男が軽薄な笑みを浮かべて近づいて来るのを見ている事しかできなかった。
……怖い、死にたくない。こんな所で死ねない。
ハンターの男の剣は今にも振り下ろされようとしている。
少女は両目をぎゅっと瞑った。
頭に浮かんだのは、今はもういない母の姿。
自分を逃がすために、絶対に勝てない敵に死に物狂いで戦う母の最期。
……お母さん……ごめんなさい……
「…………」
いつまで経っても刃が振り下ろされない。
少女は恐る恐る目を開くと、そこには一人の少年がいた。
あのハンターの男と対峙するように、剣を構えて佇む銀色の髪をした少年。
体躯が小さいながらも、強敵を前にしても一切臆することなく、堂々としたその姿は、少女の目に焼き付いた。
読んでくださりありがとうございました。