5話 この世界で生きる決意/TIPS・主人公のいた世界のVRとFDCSの違い
「…………」
どれくらいそうしていただろうか。
俺は自分で殺した男の死体を静かに見下ろしていた。
それは首があり得ない方向へ捻じれ曲がり、口元からは少なくない量の血が零れている。
これは間違いなく俺がやったことだった。
顎を捻り上げた左手にこびりついた血。DWWで同じ方法で殺したときと全く同じ感触が、いやでも俺が殺したことの現実感を強くする。
俺は初めて現実で人殺しをしてしまったことに少なからずショックを受けていた。
DWWの対人戦でのPKは当たり前だったし、前の“俺”も自分を守るために暴力を振るう機会が少なからずあった。
だから、俺はこういったことには慣れているつもりだった。
「くそっ!!」
俺は吐き捨てるように言い、死体の足に深々と刺さったナイフを引き抜いた。
「非常事態を無事に切り抜けたのに……本当に嫌な気分だ」
相手を殺して少し経った今でも、この男殺す直前の貌が脳裏にちらつく。
涙で顔をぐちゃぐちゃにし、一丁前に「死にたくない」と訴えてくるような表情。
その顔を見てから、殺すことに一瞬躊躇ってしまった。
DWWの対人戦であれば、もぎ取った勝利に安堵していたはずだ。
脳裏に浮かぶこいつの死に顔を振り払うように、俺は踵を返して来た道を引き返す。向かう先は、大柄の男を投げ飛ばした場所だ。
「ばかな奴らだ。俺を殺そうとしなければこんなことにならなかっただろうに……」
向こうの俺の経験上、ああいった輩をこのまま放置すればいいことなんてない。下手に慈悲をかけると、然るべき機関に通報したあいつのせいで俺が収容施設に連行されかねない。
だから、これから俺のやる事は決まっている。
「本っ当に、お前たちはばかだ」
DWWでしかできなかったことがここではできている。
『気操流』が使えた時点で俺は気づいていた。
「ここはDWWの世界だ」
前の世界に居たとき俺はこの世界に来ることを夢見ていた。
ここでの俺は強い自分として生きられる。金に困ることもなければ、働いてせっかく貯めた金を理不尽な法律や税で取られる心配もない。
ここでは自由に生きられる。
余裕を持つことを許されず、常にギリギリで生きていくことを強要される。そんなくそったれな現実世界とは違う、夢に見たような理想の世界。
そう思っていた。
こうして俺も命の危機に直面してみてよくわかった。
傍から見れば今の俺はひ弱だ。着ている物も粗末な襤褸切れ、雨風がしのげる場所もなければ、腹が減った時に食う飯すらない。
もし、ここが知らない世界だったら俺はこの先どうやって生きていけばいいかが全くわからず路頭に迷っていただろう。
『気操流』の感覚を取り戻さなかったら、こいつら2人組に殺されて無様に経験値にされていた所だった。
だがよくよく考えると、こういう一面があっても不思議なことではないのかもしれない。
輝かしいプレイヤーのサクセスストーリーの裏では弱者は虐げられ、貧しい人は飢える。
世界観や設定、時代背景からこういった人たちが少なからずいるということを俺は見えていなかった。
どこの世界でもあることなんだ。こういうのは。
だけど、それほどくそったれな状況でもない。
ここはDWWの世界だ。
俺はこの世界での生き方を知っている。ストーリーを十回以上はクリアして必要なことはほとんど把握しているし、強くなる方法も知っている。
惰性で生きていくしかなかった前の俺とは違う。
俺は変わる。
このくそったれな現実を生き抜いて、俺は再びこの世界の強者に返り咲く。
そう新たに決心した俺は、足元で未だに気絶している大柄な男を見下ろし、徐にナイフを構えた。
「俺にはこんな所で燻っている暇は無い。お前には……俺の経験値になってもらう!」
俺は迷いと罪悪感を断ち切るように、一息にその太い首へナイフを振り下ろした。
それを捩じり、引き抜くと男の首元からは大量に血が噴き出し、絶命したことが見て取れる。
その直後、俺の背筋から全身に掛けて何かが通り抜けたような感覚があった。その数瞬後に体内から力が溢れてくるような……そんな感覚に満たされる。
「はははっ」
あまりに、見知った感覚に俺の口元からは自然と笑いが零れた。これで俺は強者に近づくことができた。
今俺は、レベルが上がった。
主人公のいた世界のVRとFDCSの違い
・VR
VRのゲームでは、仮想空間に仮想アバターで潜る。
あくまでもゲーム内で動いているのはアバターなので、細かな動作の再現ができなかったり、処理落ちによるグラフィックのカクツキがやや目立ったりなど色々と欠点があった。
また、五感の再現が大雑把で実用的とはいえなかった。
そういったことからVRはゲームよりもビジネスや映画鑑賞などの娯楽に使わることが多い。
・FDCS(Full Diving Connect Sense)
ゲームを起動している間に限り、脳からの体を動かすための命令を遮断。専用のデバイスがその命令を読み取って、ゲーム内の自分のキャラクターを操作している。(あくまで遮断するのは、手足を動かすなどの意識して行う動作のみ)
魂だけが自分の肉体から離れて、別の世界に存在する肉体に入っているのではないかというほど、五感の再現やグラフィックがリアル。
どういった仕組みでこれらのことができているのかは、主人公がいた前世界の進んだ科学力であっても解明されていない。
デバイスを分解した人曰く、「見た目はコンピューターっぽく作られてはいるが、電子部品や回路の配置がとってつけたようにでたらめで意味を成していない。どうやって動いているのかが全く見当が付かない」と言っていた。
読んでくださりありがとうございました。