海へ
「……。まずいな。」
バーナムがそうつぶやいた。
一週間の馬車の旅を経て、海岸が見えるところまで到着した直後のことだった。
いったいいつぶりの海だろうか。
転生してからは初めての海なので、前世にさかのぼると、千年ぶりくらいか。程遠いな……。
「どうかしたんですか?」
「海岸に先客がいるのですが、第五王女殿下の旗が掲げられているようです。」
バーナムがそう答えると、ガインが露骨に嫌そうな顔をした。
「まじか。バカンスかぁ。他でやってくれよ。挨拶に行っとかねぇと後が面倒だよな。」
第五王女。その悪名は、我が村にもときどき噂として届いてくる。
曰く、「迷惑系偽善者」だ。
見目麗しく、特に可愛がられて甘やかされた影響と、まことしやかに語られている。
噂の内容は俺もいくつか知っているが、王族なんて俺にとっては遠い遠い存在なので、あまり現実感無く受け止めていた。
例えば、ある日第五王女が気まぐれで、王都にある孤児院を訪ねたそうだ。
その孤児院で孤児に与えられていた食事の粗末さに激怒し、院長をその場で処刑したという。
聞けば、そのとき孤児に与えられていた食事は、孤児院としては一般的なものだったらしいが、第五王女にとっては、自分の普段の食事と比較して、責任者を処刑してもおかしくないレベルと、そう判断したという。
いや、誰か止めろよ。と思うところだが、自分の判断に異論をはさまれると、さらに激怒するタイプのようで、理屈が通じない。
院長を処刑しただけで全てが解決したと思い込み、すごく良いことをしたと満面の笑みで帰っていったそうだ。
また、人間が動物に危害を加えることについても大変厳しく、第五王女の周りでは馬にムチを入れることも禁止だそうだ。
街中で、野良犬に足を噛まれた町人が、やむなく野良犬を殴って追い払おうとしているところを、たまたま馬車から目撃した第五王女は、親衛隊に命じてその町人をボコボコに殴らせた。
「動物にも心があるのよ。自分がされて嫌なことは、動物にもしてはいけないわ。」
その割には肉とかガツガツ食べるらしい。
そして極めつけは、「武器の完全排除主義者」ということだ。
「武器なんてものがあるから、人は傷つけ合うのを止められないのよ。もしかしたら、人が武器を手放せば、魔族だって人を襲わなくなるかも知れないわ。世界が平和であるために、みんなで武器を手放しましょう。」
その割には、自分の親衛隊にはがっつり武装させている。
他人はダメだが、自分はOK、という、前世でもたまにいたタイプを極端にしたような感じだ。
国軍の兵士に対しても、気に入らなければ結構気軽に処刑してくるので、極力絡みたくない存在だろう。
まだ海岸まではそれなりに距離があるので、すでに向こうがこちらに気づいているという可能性は低いだろう。
しかし、存在を知っていたのに挨拶に来なかったことがバレると、もっとひどい目にあわされるかもと、ガインは警戒したということだ。
「……。微妙なところだけど、やっぱり触らぬ神に祟りなし。かなぁ。」
お、ガインが日和ってる。
ガインとバーナムが目で語り合う。
結論としては、挨拶はせずに気づかなかったふりをして通り過ぎることになった。
ここからさらに馬車で一日ほど南下すると、小さな漁村があるそうなので、その付近でアンティの修行をすることになる。
ーーーーーーーーーー
「あー、きもちいぃー」
俺は焚き火のそばで横になるガインにマッサージをしてやっていた。
数年前から家族にマッサージをするのが日課になっていたので、旅が始まってからも寝る前にパニィにマッサージをしていたところ、「俺もお願いしていい……?」と言い出したガインを皮切りに、アンティにもバーナムにもマッサージをすることになったのだ。
そもそも家族にマッサージをし始めたのは、生命力トレーニングの一環で、他者への生命力手当ての影響を調べるためだった。つまりは人体実験である。
いや、家族に対して人体実験というのはさすがにひどい表現だ。愛情はこもっている。しかし改めて考えるとうまい表現が浮かばないな……。やはり人体実験ではあるのか?
バレないように効果をしぼりながらではあったつもりだが、全身のエネルギーの流れがスムーズにいくよう、筋肉が健全に発達するよう、悪い滞りは溶けて無くなるよう、愛情を持ってマッサージを続けたところ、うちの家族の健康状態は間違いなく改善した。
また、パニィに対しては、「女の子だし、危険な目にあったらかわいそうだから」という理由で、特に筋力増強や反応速度向上に重点をおいたところ、むしろケンカが強くなりすぎて、頻繁に騒ぎを起こす悪童扱いされるようになってしまった。
この旅の途中でも、
「お、村の周りでは見かけないモンスターだな。ちょっとあたしにやらせてな。」
と言って馬車から飛び降りると、アンティが倒そうとしていた獣タイプのモンスターに駆け寄り、母が護身用に持たせた
短剣で斬り殺していた。
指導者二人とアンティは、その光景を信じられないような目で見ながら口をパクパクさせていた。
パニィの場合は少しやりすぎてしまったかも知れないが、家族が健康でいてくれるのは嬉しいことだ。
アンティもマッサージを気に入ったようだし、勇者のパーティへの加入内定を、より盤石にできたものと前向きにとらえよう。
まあアンティに関しては、パニィとマッサージしたりされたりしたかったみたいだが、さすがに自粛していた。
「料理もできるし、パイクはパーティのサポートとして最高だな!」
「あ、ありがとうございます。」
ガインに褒められ、フワフワした気持ちになった。
人から褒められるのは嬉しい。
思えば、前世ではほとんど人から褒められたことなんて無かったからな。
しかし、褒められはしたが、料理に関しては旅の最初の頃、あまりうまくいかなかった。
うまくやろうと緊張していたのと、いつもと違う調理環境で、火加減や加熱時間を見誤ってしまったのだ。
味は微妙だったが、生命力による加熱はおこなったので、「なんか元気が出てきた!」とポジティブな評価はいただけたが。
「やっぱりあの日の料理はパイクがけっこう手を加えていたんだろう?おじさんの料理はあれから……。いや、なんでもない。」
アンティに何やら言われたが、「ェィスァッス」と、肯定とも否定ともつかない音を出して誤魔化した。
ちなみに父が責任者として、満を持してオープンしためし処パンゲア2号店は、オープン記念として出した父渾身のオリジナル料理の影響で潰れかけたが、その後にオーナーの厳しい検証と指導が入り、1号店と全く同じレシピしか使わないよう厳命され、命を吹き返した。
旅が始まって一週間が経過し、落ち着いて料理できるようになってきたので、味の方もまあまあかと思う。
とは言え、保存技術の発達していないこの世界で、旅に持っていける食材は限られている。
干し肉とか塩漬けとか堅焼きパンとか。あとは調味料と、主食の黒米は十分に馬車に積んである。
根菜類も多少あるが、往路しか持たないので、海での滞在中や復路で食べたければ、どこかで調達する必要がある。
道中で採れる野草も使って、今のところは煮込み料理をメインとしてみている。
漁村に着いたら新鮮な魚を仕入れて、焼き魚とか炊き込みご飯とかやりたいな!
生食が大丈夫な魚がいれば、寿司に挑戦するのも良いかも知れない。
全員のマッサージが終わり、寝る支度ができると、俺とパニィは他の三人におやすみを言い、馬車の中の毛布に包まった。
他の三人は焚き火の周りにテントを張ってそこで寝る。
そして、三人は交代で見張りをしてくれる。
旅の初日の夜に、俺も見張りのメンバーに入れて欲しいと一応申し出たが、「子供は気を使うな!」とのことだったので、甘えさせてもらっている。
アンティもまだ9歳で子供だが、こっちは勇者としての野営の練習だそうだ。
戦闘班とサポート班の違いもあるのだろうか。
ちなみにアンティの聖なる雷の精霊は、お願いすれば雷の結界というものを張ることができ、実際今も張られているらしい(外敵に反応して雷が落ちるタイプの結界なので、何もなければ結界自体は目に見えない)。
なので、これに頼るのであれば、見張りはいらない、ということになるが、よっぽど全員が疲弊しきっているとき以外は、僅かな油断もしないということだ。
「姉さん、旅は楽しめてる?」
「まあね。遠出は初めてだからな。いろいろ新鮮だよ。将来冒険者になるのも悪くないかもな。」
「それは父さんと母さんが泣くでしょ。」
「そうか?親父はともかく、お袋は元戦士だし、案外応援してくれんじゃねーの。」
「まあ楽しんでくれてるなら良かったよ。」
「いやいや、お前、誰のポジションだよ。」
「いや、アンティからのアプローチもなかなかなのに基本無視だし、どんな心境なのかと。」
「あれはいつものことだろ。多少ウザくても耐性ができれば気にならなくなるもんだ。」
「……。そうすか。」
一応アンティも勇者の卵だし、うまく事が運べば将来は世界的英雄の嫁、的なポジションもありえるのに。
以前、アンティのピーピングに気づけなかった教訓を活かし、生命力ソナーによる周辺環境の知覚を常時発動するようにしているが、パニィの体温や心拍数、表情の変化から、マジで何とも思っていない事が理解できる。
哀れアンティ……。
ーーーーーーーーーー
翌日は昼前くらいに、目的地である漁村に到着した。
なかなか活気のある漁村だが、残念ながら宿泊施設のたぐいは無い。
しかし、村の責任者にガインが事情を話して交渉し、わずかなお金を払って、鍵のかかる倉庫を使わせてもらえることになった。
中に馬車も入れられるし、野外のテントで寝るよりはまともな睡眠がとれる。ありがたい。
あと、「交渉する」というテクニックを、アンティや俺に学ばせる意味もあったのかも知れない。
旅装を解いて、さあ修行!の前に、腹ごしらえだ。
漁師向けの食堂があるそうなので、そこで食事を摂ることにする。
食堂は、レストラン、と言うよりは、海の家みたいな感じだった。
メシ時というのもあるのか、たくさんのムサくてマッチョなおっさんで溢れている。おお、昼から酒飲んでるやつもいるな。
そして、魚介類を焼くすっげーいい匂い!
店に入ったときは満席だったが、客の回転が早いのか、さして待たされることなく、5人とも席につくことができた。
そして俺は日替わりの焼き魚定食を頼むことにした。
ううむ。楽しみだ。
食事が来るのを待つ間、バーナムがこの漁村について知っていることを教えてくれた。
この漁村を拠点にして捕れた魚介類の多くは、ここから西に馬車で一日ほどの距離にある、地方都市の市場に卸される。
ここでは網を使った投網漁が盛んなようだ。
そもそも技術が無いのか、それとも海に住むモンスターの影響からか、前世では盛んであった、まき網漁や定置網漁は存在しないようだ。
投網か。転生前の修行空間ではよく使ったものだ。用途は違うが、なんか懐かしさを感じる。
売ってくれるのであれば、一組購入したいものだ。
お小遣い足りるかな…。
それにしても、モンスターがいるという海で、どうやって漁をするのだろうか。
漁師が超強いとか?
と思っていたら、どうやら海で脅威となるモンスターが、出現しにくい時間帯が一日に数回あるらしく、そこを狙って一気に漁をおこなうそうだ。
でも一歩間違えたり、イレギュラーが発生したら即死亡じゃないの。命がけの職業だな…。
「おまち!」
漁業関係者への感謝に浸っていると、5人分の料理が運ばれてきた。
日替わりの焼き魚は、脂の乗った太刀魚のような魚の切り身の塩焼きである。
それにご飯と漬物とスープが付く。
ところで、この国の多くの平民が使用する食器は、木のスプーンだ。
大きめの魚や肉の切り身は、スプーン一本では食べづらいので、二本のスプーンを両手に持って上手に食べるか、もしくは手づかみである。
俺としては、つい箸を作って使いたくなってしまうが、間違いなく周囲から浮くので自粛している。
俺はスプーンを両手に持ち、魚を一口大にほぐし取って口に運んだ。
「うまい!!」
思わず口に出てしまう。
身はほろほろと口の中でほどけるが、ほどけたあとに噛み締めたときの食感はしっかりしており、一噛みごとに旨みが口の中に広がる。
そしてこれがまた米と合う!
素晴らしい。やはり捕れたての魚はうまいな。
贅沢を言うなら、醤油と大根おろしが欲しいところだが……。
この国に醤油に似たようなものは無いようだ。
米と大豆に似たものはあるので、米麹がうまく作れればワンチャンあるか?
いや、ゼロから作るのはさすがに膨大な研究時間が必要だろう。
大根おろしは、たぶん似たようなものは作れるだろう。でも、俺的には醤油とセットであって欲しいので、醤油が無いなら意味は無い。
他の4人も各々おいしそうに魚や貝を食べていた。
「うまいんだけど、パイクの料理を連日食べてると、なんか物足りなく感じるな。体の底から元気が湧き出てくる感じが無い、というか。」
「それはどうも。」
褒められるのは嬉しいが、なんだか複雑な心境だ。