83.縛りのプロ
ずっと夢を見ていた。
いつも何かを見た気がするのに、思い出せない。これを見たあとは、いつも具合が悪い。何度も見ている気がするのに。大事なことなのに。
これは我が君との契約。
覚えているのは、契約の代償に自分の記憶を差し出すということ。
母親を助けて、と言ったこと。
でも“なぜ”、たすけてと言ったのかは覚えていない。どうなったのかも教えてもらえていない。
***
熱が下がったのは三日後だった。時々ウィルの持ってきてくれた布で身体を拭いて汗をぬぐっていた。
もう長い髪もひどい有様になっているだろう。ぼんやりと上半身を起こしてベッドに座る。
契約の夢を見ていた気がする。たぶん、カーシュの起こした血の惨劇のせい。あの映像から血の匂いを思い出すけれど、それは嗅ぎなれたものだ。
お産の現場にいたから、血の匂いになれているのは当然。だから、吐き気を催すものではない。
カーシュのしたことは戦慄した。それは光景と残虐さのせいだ。
誰もいない部屋で、周囲を見渡すと、窓から漏れる光に照らされた塵が煌めいて舞っている、それから椅子に載せられたカバン。
そして干している下着に気がついた。
(私、ずっと!! 部屋に下着干しっぱなし!!)
浅黄色のレースのパンティは腰回りに白いリボンが通されたかわいいデザイン。おそろいのレースのブラジャーも、中央がサテンのリボンで結ばれて寄せてあげて谷間が作れるようになっている。
可愛いし機能性もよくて、汗だくになる夜勤に穿いていくものではなかったけれど! なかなかつける機会がなかったからつい、選んでしまった。
本当はおしゃれして自分の気分をあげるため。
間違っても、断じて、ここで干してウィル達にみせるためじゃなかった!
(って、下着に興味はないって言われたけど)
叫びと、悔しさがこみ上げて、慌てて起き上がりベッドを蹴るように足を降ろす。
そしたら、足が崩れた。急に立ち上がったせいで力が入らず、糸が切れた操り人形のようにかくんと床に転がりそうになる。目の前に迫る床、そして椅子の背もたれ。
転ぶどころか、椅子の背を掴んで巻き添えにする。
ああ、ひどい惨劇になる、その予感は数秒。と、身体をささえた腕があった。左手でティアの腰に手を回し、自分の胸に引き寄せる。彼の腕も足も揺るぎはしないし、ただティアナの足が浮いただけ。
さらに目の前で彼は倒れ掛かる椅子をふとももで支えた。まるで飛んでくるボールを受け止めたサッカー選手のように彼がそっと押し出すだけで椅子は絶妙な力加減で、前後に揺れただけで、立て直る。
ティアナは半身を斜めにして、横目で見ていただけ。
その間にカーシュは右手に持ったものを机に置いた。
「カ……ーシュ?」
「いきなり、起き上がるな」
めちゃくちゃ、背丈差がある。百六十センチと、百八十センチ。自分は子どもだ。そう思いながら呆然と見上げると、片手だけで彼はティアナをベッドに座らせる。彼が蹴り飛ばした椅子の位置を戻すのを見ていると、ようやく散らばった下着に、目が行く。
「あ」
慌てて床に飛びつこうとするけれど、彼の方が動きは速い。あっけなく彼は下着を拾って、さり気なく二つ折りに畳んで机に置いた。その丁寧さに驚いた。乱暴ではないけれど、もっと無造作に物を扱う人だと思っていたから。
口を縦にぽかんと開きかけたティアナは、結局閉じた。下着に触ったという批難は筋違い。
ウィルに言われたように、下着には興味がない、とか言われてしまうのだろう。
「……ありがとう」
微妙な思いで口にすると、彼はその口調に気がついたのか顔をあげた。そのふっと上げた顔、何を言われたのかと不意打ちされて、それから会得したという納得した表情が思っていたより幼くてティアナも動きが止まる。
「これで、焦ったのか?」
ちらり、とそちらに向けてすぐ逸らした視線は意外そう。
「ええ、まあ……でも、所詮下着、だし」
焦った自分が馬鹿だった。二人の男性にとっては何も感じない、干してあるな、そんな感じだった?
ただ慎みに欠ける女という羞恥心が涌くもの。男性にとっても、だらしないとかそんな感じかもしれない。っていうか、叱られる? 羞恥から早口でそっけなくいう。
「……」
彼は軽く嘆息して「悪かった」と言った。何が、と眉音を寄せたら「触ってしまって」という。
「ただの布地でしょ」
「そんなことはない。触られるのも見られるのも嫌だろう。それが普通だ。それとも誰かに何かを言われたか?」
中身じゃないし、と言ったウィルと反応が違う。目を見開くと彼は不快そうに少し呆れをにじませた。
「ウィルか」
「でも、確かに騒ぐほどじゃない」
「アイツは、口がうまいのに時々軽率だ、昔から。……わざとの時もあるが」
非難でもなく仕方がない部下のことを語るようだった。そう言えば、『もうアンタの下じゃねーぞ』と言っていた。
今回のことは、カーシュの方が意外だ。ウィルの方が気遣いが上手で、カーシュのほうが無表情でかわしそうだったのに。
「……ありがとう、気遣ってくれて」
彼は黙って、口ごもりながら返事を探している。
「干さないわけにいかないが……」
迷うように躊躇い、更に少し考えこんでいる。言いにくいよね、気まずい、そんな感じかな。
「それに喜ぶ男もいる」
「……あなたも?」
思わず聞いてしまったら、強張った顔。冗談なのに。片頬をあげて思わずティアナが笑えば、また黙ってしまう。それに笑えば、少し彼が目元を穏やかに緩ませた。驚くとすぐに表情を消す。
あれ? と思う。彼と自分は噛み合っていないだけで、少しずつ合わせていけるのじゃないかと。
彼との会話で笑うことが増えてきた、と。その不器用さがしかたない、と思えるようになっていた。
「――そういう奴もいるから、気をつけろ」
「下着自体に喜んでいるなら別にいいんじゃないの? まあこの世界だと性的理由ではなく物盗には気をつけなきゃいけないけど」
そう茶化して言ってみる。確かに興奮よりも、金目ねらいの物取りの方がこの世界では多い。
「……おまえは」
カーシュはようやく、と自分の中での回答が見つかったようで、頭に手をポンと置いた。
「何度でもいう。男にはもっと注意しろ、心配なんだ」
柔らかい言い方、『心配なんだ』って。そんなうまく感情を表現できたの?
ティアナの肩からずり落ちたシャツを持ち上げて、整える。かけ布を肩に載せ後ろから赤ちゃんのおくるみのように巻き付ける。
「ちょっと!!」
これではミノムシだ。お雛巻きをされた赤ちゃんだ。少し見直したのに嫌がらせ?
「理解するまで、それでいろ」
そして彼は背を向けて行ってしまった。
もぞもぞと動くが、外せなくてごろんとベッドに転がってしまった。でもこれまでの威圧的な拘束ではない。見えかけていたシャツを隠しただけで、悪戯にもならない。
そう言えばずっと姿を見せなかった彼が来たのはなぜだろう。自分に気をつかっていた? なのに、なぜ今?
机の上をみたら、お皿の上には二つのお握りがあった。海苔は巻いていないが、お米がつやつやと輝いている。
(もしかして、これのために?)
「……」
食べたいとウィルに漏らした、そしたら用意してくれた。もぞもぞとベッドの端によってそれを見上げる。照れくさいの? ツンデレ?
こみ上げてきた感情は何だろう。彼は自分は厭われている、そう思いながらも手に入れて作ってくれた、自分のために。不器用だな、と思う。本当に、仕方がない人だ。
ティアナは手を伸ばすべく、毛布の中で動く。
(あれ?)
はずれない。頭を振り上げて足も逸らすが、巻き付けた毛布は全く、くずれない。
(ちょっとちょっと、ちょっと)
たかが毛布、たかがミノムシ巻き。ギャン泣きする赤ちゃんはおくるみで巻いても、あっという間に暴れて、はだけてしまうのに。
なのに、今の自分は動けない、外れない。目の前には餌があるのに。
まさか、の拘束好き?
(いや、拘束が好きなのは、知っていたけどー!!)
なに、この優しい展開からの、実はの縛り。何度もじたばたしていると、更に毛布はからまり締め付けてくる。
縛りのプロを舐めちゃいけない……。優しくない、全然優しくない。手が動かせなければ、ルーンが結べない。
(結局、Sじゃない!!)
風のシルフィ、水のウンディーネ、も駄目だ。そもそも自分に向けて放てばダメージになる。
「ウィル、ウィル、ウィル―!!」
叫んで、助けを呼んだ。




