84.再誓約
誓約とは、神を立会に、双方で交わすもの。それを果たすために誓約に立ち合った神が力を貸すが、成されなかったときは、神が報復を与えるという非常に厳しいものだ。それを結び直そうというと、カーシュは驚いた顔をしていた。
「俺は――」
という掠れた声を制止する。
「私は、無理やりされたし、あなたの名前が入っていなかった。だから、私も受け入れる。正しいものを、もう一度やり直しましょう」
「つまり、守らせてくれるのか?」
「求婚はなしよ」
即座に言えば、彼は黙ってしまう。不満そうで、眉間には皺がよっている。本当に頑固。こんなのと結婚したら、全てが押し切られてしまう。
(ん? でも案外、転がせそう?)
うまい女友達なら、上手に転がしてなんでもいうことを聞かせられそうだ。……結局自分が男慣れしていなくて、守られたくなくて、意地を張るからうまくいかない。
“守って”と可愛くか弱く甘えれば、いいのだけど。そんなキャラじゃない。
「婚姻のことは“今はまだ”、しないわ。それにあなたのボスには許可をとってないでしょ」
痛いところをついたみたいだ。彼は黙り込む。
だからなし、というとまた堂々巡りだ。結局、それ以上は言わずに彼は頷き、ティアナは膝をついた彼の言葉を待つ。
「『この地を統べる闘神オルディスよ。――我、律谷要たるカーシュ・コーエンは、ティアナ・マクウェルを我の持つ力の全てで守り、あらゆる災厄に報復する』
風が円を描いて、二人を包み込む。神域が作られる中で今度はティアナが目を見張って、彼を見つめ直す番だった。
してやられた、というのはこういうことか。まるで時代劇のようなセリフが頭に浮かぶ。
(律谷 要!)
自分の命が効かなかったわけがわかる。嫌え、その力ある文言に入れた彼の名前は『律 要』だった。あれは本名が欠けていたのだ。
“律”、という名字は日本でも珍しいと思っていた。つまり本名を教えていなかったわけだ。
フッと彼が口角をあげて、いつもは厳しく睨み上げる目が、子どものように害がない目で笑っている。あり得ない、でも優しい眼差しなのだ。同時に、経験値が彼の方が上だとまた思い知らされる。
騙された、悔しいという思いが沸き上がる。睨み上げる自分の前で、彼は余裕しゃくしゃくで滔々と謳いあげる。
「『この誓いをたがえる時、この世界の元素を司るサエウム、アロガンス、テネクス、アウダクスよ。我を地獄まで連れ去り、引き裂き、永遠の責め苦を負わせたまえ』」
そしてまた、挑発するようにこの神々の名を入れるのは変わりない。
ティアナは遠い目で、彼らの姿を思い浮かべる。
遥か遠いあの王宮でティアナを気に入り、構い倒す彼らにこの誓いは聞こえている。すごい挑発だ。何しろ黒髪の騎士としてアレスティアの王宮にいたカーシュは、この四神が実際に世界にいることを知っているのだから。
怖い、あの王宮で無表情になり、どう報復してやろうか炎を揺らがせ考えているだろうか。いや一番怖いのは水を操る彼だ、薄氷が彼の周囲に煌めく、それがピンとはじけ砕け散る様子が見える。
「『そして、女神イリヤよ。この誓約を聞き、我が死するまで、死してもなお傍にいて守り続けることを、そして彼女に婚姻の誓いをたてることを、許したまえ』」
「ちょっと、待って! 婚姻はなしって言ったでしょ」
いきなりの宣言に、意識がこちらに引き戻される。油断ならない!
「俺が、勝手にいったことだ。別にお前が同意する必要はない」
この人、ツンなんじゃないの? すまして言う顔は、全然いうこと聞かない。
ティアナは変わらない彼に、わずかに黙る。そして強張った顔のまま、カーシュに対峙して口を開く。
背丈も体格も負けている。けれど主になるのであれば、気迫で追い込む。
そして強い気配で、魔法を使う時と同じ、力ある声を発する。
「――『神々よ。我、ティアナ・マクウェルは主となり、カーシュ・コーエンを従者とし守護者としての誓約を受け入れる』
そして、と続ける。
「『神々の審判により認められた後は、彼の力を受け入れ、その心と体を癒す力を我に与え、そして――彼の危機には、その痛みを共にわかつことを、認めたまえ』」
彼の目が見開かれる。勝ち誇ったように口を引き微笑むティアナの後ろから、一際強い風が吹く。後ろからの風に長い金髪が広がる。まるで金の波が空間の中で舞い散るような光景に、彼が一瞬息を止めた後すぐに我に返り、ティアナの腕を強く引き寄せる。
撤回を言わせる前に神の輪は消えて、誓約は終わる。
「撤回しろ!」
彼が動揺して目を見開いている。眦をあげ必死で声をあげ焦っている。そんな姿は初めて見た。
「しない」
「くそっ」
彼の悪態も初めて聞いた。そしてティアナを睨む。危機ではなく、焦りどうしようかと感情的になっている彼に、自分のほうはどんどん愉快になっていく。どころか、きっと自分は笑っている。
(”本当”の主は、あの方だけ、でも――)
彼の、つなぎになれるのならば。虚無のような彼に、何かを与えることができるのならば。
「自分が何をしたのかわかっているのか」
「わかってる。だから、無理をしないで」
「守るために無理をするんだ。お前が、痛みを引き受けてどうする!?」
「抑止力になるでしょ」
そう言ったら、カーシュは目を見開いてティアナの腕から力を抜いた。
そして、呆然としている。
彼とはこれまでも何度も言い争いをしたけれど、いつも聞いてくれなかった。なのにこの言葉にはショックを受けて、目が揺れて感慨深げにわずかに潤んだように見える。
(なぜ?)
「まったく、あなたはいつも……そうだ」
悔し気に睨む独白。目を伏せて、吐く息。でも、『あなた』に首を傾げていると、突然腕を掴まれて引き寄せられる。
抱きしめられた、と思えば彼はティアナの両頬を掴んだ。そして顔を持ち上げる。
斜めに傾け近づく顔に驚いていると、唇が重なる。それは柔らかくて、温かい。
目を見開いていると、軽く下唇を噛んで離れていく。
互いに目は開いたままだった。黒曜石の瞳は熱っぽく潤んでいた。
呆然と見つめる。
(これって、キス?)
それとも、何かの契約? まだ頬を挟まれたまま、ティアナは「あの?」と口を開いた。
「嫌がらせ? それとも、――何?」
カーシュはむっと黙り、それからティアナの顔を挟んだまま、再度首を傾げて口を重ねてこようとするから、慌てて遮る。
「どこまで鈍いんだ」
「それって、ひどくない!?」
「今の俺の気持ちだ」
ティアナは体を揺すり、手を振り上げる。
今の私の気持ちを表すとどう? パンチするとこ? 平手?
黒い瞳はティアナをじっとのぞき込んでいるだけ。
「俺は言葉にするのが得意じゃない。そして行動が二段、三段飛んでいると言われることがある」
ほんとにそうだ! ぶっとんでる。彼の中では繋がっているんだろうけど、他人にしてみれば突然飛んで、斜め上の行動をされるから呆然とする。
「今のなに? いや、言わなくてもいい!」
彼も眉を寄せて断ったティアナの言葉を遮る。
「キス」
なぜ、わからないんだ? という顔をされたのは、なぜ? おかしいでしょ!?
「飛び過ぎだし、好意はないって言ったじゃない!」
「求婚した」
「それ『なし』って言ったじゃない!」
「俺の中ではなくなっていない。それに、………好きだ」
「え」
「それに本番は、いずれと――」
彼は目を伏せた。まつ毛が長くたくさんあることに初めて気が付いた。憂いのある顔、何を彼は言っているの?
言葉を失っていると彼は寂しげに、何かを懐かしむように笑った。
「――あなたは、俺の永遠だ」




