69.産まれたての赤ちゃん
部屋中にホッとした空気が満ちる。
エレインは、ほうっと息を吐いて、身体を寝台へと横たえた。
リュクスは赤ちゃんの体を検分する。頭の形、骨、手足の指の数、背中の背骨、全て問題はなさそう。濡れたリネンから温かいリネンで包み直す。赤ちゃんは、冷やしてはだめ。
そして、赤ちゃんをエレインに抱きしめさせる。
「エレイン、おめでとう」
彼女は母親としての反射のように半身を軽く起こし、ウェイバー婦人に助けられながら抱きしめる。
「ああもう、本当によかったですよ」
ウェイバー夫人に支えられながら、エレインは大事そうに抱きしめていた。
出てきた胎盤を片付けて、傷口を確かめて血液を拭う。
「ああそうだ、産湯を」
「婦人、待って」
赤ちゃんは小さいが、元気だ。
昔は産湯につけて血液を落としていたけれど、あちらの世界では産まれたての赤ちゃんは洗わないほうがいいというのが常識となっている。
赤ちゃんの肌は胎脂という白いねっとりとした脂肪で肌がおおわれている。血液やそれが保護膜になるから、今は拭くだけ。それを洗い流してはいけない。
それにお湯につけるとどんな赤ちゃんでも体温が下がり、状態が悪くなる。ましてや、早産だ。状態が簡単に悪くなってしまう。
「今日はやめておいて。小さいからお風呂は体力を消耗するの。明日、状態がよかったら入れてあげて。再度リネンを濡れていないものに変えて」
ウェイバー婦人は軽く頷いた。
「ニルヴァーナもそう言ってましたよ」
それに驚いていると、ウェイバー婦人はエレインに赤ちゃんを抱き直させた。
アレスティアならともかくトレスの片田舎で……その知識をニルヴァーナは持っていた?
彼女の出自をリュクスは知らない。あの小屋で数年間、匿ってもらって、魔女の知識を伝授してくれただけだ。
エレインの声にリュクスは我に返る。
「ありがとう、本当に、ありがとう」
横になったエレインが傍に寄せられた赤ちゃんをのぞき込んで微笑んでいる。
握り締めた拳の小さな指。産まれたての赤ちゃんは、意外に爪が伸びている。あとで切ってあげてと伝えなくては。
「――お乳をあげましょうか」
「出るかしら」
「やってみましょう」
赤ん坊を一度預かり、その小さな唇を指で刺激をすると、顔は何かを探すようにも、いやいやするようにも、ぞもぞと動かす。
本当は、人間の赤ちゃんも他の哺乳動物のように自分でおっぱいを探し出して吸い付く。
けれど病院は、母親から赤ちゃんを離して様々な計測や処置をするので、その行動が見られない。
でもここは病院じゃない。
ただ自分で探しに行くのは動物よりも遅いから、手助けをしてしまう。
「赤ちゃんは、産まれてすぐの時が一番上手に母乳を吸うのよ」
たとえ母乳が出ていなくても、誰に教えられるわけでもなく、上手に吸い付くのだ。この時期は生涯で一度しかない。
その後二時間経つと、眠りにつく時期がきてしまう。だから状態が良い赤ちゃんは、ここで母乳を吸う練習をするのが大事。
なぜか眉の間をしかめながらも吸い付く姿に、リュクスも夫人も笑みが漏れる。
すでに赤ん坊に夢中になっているエレインを置いて、リュクスは部屋をでた。
壁際に背筋を伸ばして立っているカーシュを見た。今度はウィルと交代をしたみたい。
この位置からだとエレインの部屋と、端の窓と、階下に降りる階段と全部を見通せる。
「ありがとう。あなた達がいてくれたから、お産に専念できた」
ちらりと見て、彼は口端をあげた。
緩やかな笑みを浮かべていて、リュクスは驚いた。カーシュはこんな風に笑える人だと初めて知った。
「大きな、産声だったな」
「ええ」
よかった、と彼は言った
“誕生を喜べる人”そう思うと、リュクスの中で彼に対しての何かが緩んだ気がした。
興味がない人もいる。そういう人とは気持ちが分かち合えない。喜んでくれて嬉しい。
「――よくやったな」
カーシュが穏やかに告げてリュクスに温かさが混じる眼差しを向けた。リュクスも緊張がほぐれて、素直に笑った。
「私じゃないわ。産んだのはエレインよ」
「それでも、俺にはできない。尊敬する」
二人の間に、何か温かいような空気が漂った。
きっと眠ってなくて、やり遂げた充足感に満ちていて、警戒心もなくなっていたからだろう。そして認めてもらえた嬉しさ。
当たり前のことをしただけ。すごいのはエレインだ。でもそう言って貰えてうれしい。
そして息をついた。
(そろそろ、出ないとね)
街の人たちにどう思われるかが心配だ。
廊下で気をもんでいた執事が、ようやくといった顔で会話に割り込んでくる。
「旦那様が、書斎でお待ちです」
知らせがあるまでは、当主は自分からは出てこないのだろう。執事を先導に、背後にカーシュを従えてリュクスは部屋に案内される。
そして部屋の外で彼を待たせて、中に入れられる。
カーシュは表情を変えなかったが、不満そうなのは気配でわかった。ドアの外に控えて、何かあったら押し入るという圧を執事に与えていた。




