62.勅命
「借りを、返してもらおう」
逆光で、男の顔は見えない。大柄ではない、中肉中背だがその身体は鍛えていて、筋肉は鋼そのもの。
なみいる戦士たちの追随を許さないどころか桁違い。
遥かな高みにいる存在で魔法の腕も敵わないが、魔法がなくてもこの男を床に伏せることは誰にもできない。
「借りどころか、あなたの命令ならば何でも」
カーシュは言葉と態度で忠誠を示す。死ねと言われれば、死ぬ。最初は、ただ生きるために従った。次第に尊敬から驚愕、そして憧憬へと思いは変わっていっている。
それほどこの男の力は人を引き付ける、病むほどにその力を乞いたくなる。
「別に死ねとは言わない。そんなことで大事な戦力を失っちゃ俺が困る。だがいつも通り命の保証はない。今回は特に、だ」
カーシュは、誰からも不気味がられるほどの静かさと無表情で先を促した。
「あのシルビスが、アレスティアへとつなぎをとっている」
「シルビスが……アレスティアに? どうやって」
カーシュは珍しく眉をひそめた。それほど意外だったのだ。
シルビスはこのグレイスランドと地続きの国で、周辺諸国連盟に属しているが、かなりの問題がある。
一見害もない歴史の古さだけを誇るプライドが高いだけの小国だと思われていたが、それがこの魔法師団が守るグレイスランド国に戦争をふっかけてきたのは、数年前。
カーシュはシルビスに潜入し、囚われの仲間の女性――リディアの護衛を任された。
けれど、自分は失敗した。
結局彼女を助け出したのは、この目の前の男、団長だった。そしてその彼女は、この男の妻になった。リディア・マクウェルへと姓を変えた。
あの時、彼女を自分が守れなかったこと、苦しませたこと、その思いは複雑な螺旋を描き、絡まる鎖のような戒めになっている。
憧れなのか、手に入れたいのか、乞うように複雑な思いを抱いていることに気づいていながら、目の前の男は何も言わない。
「アレスティアは、千年前に滅びた国。どうやってシルビスが接触を?」
確かにアレスティアは、千年前の魔法の黄金期と呼ばれた国。
現在、その魔法は失われているが、天に国を浮かばせるほどの魔法を誇っていたのだ。
この最強の魔法師団でもまともにやり合えば敵わないだろう。
だが、その千年前の失われた国とコンタクトを取っているというのか?
「“道”を作ったようだ。いずれその術師はわかるが……」
そういって、彼は頑丈なオーク材の机の前に腰をかけた。そしてカーシュに向き直る。
「現在の奴らの目的は、堕ちたアレスティアの史実を変え、過去の魔法を手に入れ世界の覇権を握る気だ」
「バカな!」
操れるものか、と思う。
国一つが落ちる歴史を変えられるものか。
しかもあの国の魔法を手に入れる?
アレスティアは最強だった。天にある絶対的な存在。どの国も、どの人間もただ見上げるしかない。まるで自分たちは蟻で、あの国は神が住む国と地上からは思われていたのに。
「そうだ。バカらしい」
激高しかけた自分を、目の前の男は制する。その淡々とした声の中には、本気が入っていた。
この情報は嘘じゃない。そう、確かな情報の下でしか自分たちは動かない。
「お前はあの国があったことを見ている。そしてこちらに来て、その後落ちたのも知っている。奴らは、その“落ちた”という史実を捻じ曲げようとしている」
黙っている自分に、団長は続ける。
「あの国が落ちていなきゃ、この国は存在しない」
「はい」
「お前は、アレスティアから、いやシルヴィアから来たな。あそこに戻す」
「……」
アレスティアは、故郷じゃない。自分は、日本という国から来た。だがそんなの遥かな昔だ。
自分は何もない。ただ唯一認められているのは、ここの人間だということ。この団長が認めてくれた。
「シルヴィアが、現在のシルビスに変わった経緯はわかっていない。もしかしたら今回のことと関係があるかもしれないが、こだわるな」
あの世界においてアレスティアは天上の国で、他国を属国としていた。そしてシルヴィアはその属国のひとつ。自分は、シルヴィアの奴隷で、化け物と戦わされていた。その時のことは団長には告げてある。
「戻すのは、お前が来たそのものの時間だ。あれから進んでいない。お前が来たその点、その場所、その時間、そこに押し込む」
「感謝します」
あの場――あの闘技場。人を化け物に喰わせるのはシルヴィアでの娯楽だった。あの場にまた戻されるというのであれば、あの奴らを皆殺しに――。
「歴史は変えるな。殺したい奴は殺せ。だが秘密裏に。うちのやり方を忘れたか」
不意に飛び込んできた鋭い声に我に返る。そうだ、ここで散々教え込まれ、部下に教えてきたのがそれだった。怒りであの頃に戻りそうなった自分を、黒い目が押しとどめる。
「シルヴィアに手を出すのは、今はまだ待て」
「は」
彼は自分の恨みを知っている。だがまだ時ではない。そして今回の任務はそこではないということだ。ボスの思惑は、自分程度ではまだ及ばない。
「失礼しました」
考えを読まれ、即座に返す。
召喚士という能力者で時を操ることができるのは、この目の前の男だけだった。あの世界に戻されることを願い、仕えてきた。時が来るまで待てと言われた、それが叶う。
「前にも言ったが、次元が壊れる可能性がある。今はお前しか送れない。そしてお前が壊れる可能性もある。それでも行くか?」
「俺の願い、そしてあなたの命であれば。すべてを果たす」
「死ぬなよ」
冷徹でありながら、時に情に熱い。カーシュはほのかに笑った。だからこそ、皆がついてくるのだ。
「……俺の役目は」
黒目がカーシュを見据える。鋭く、一切の妥協を許さない眼差し。誰よりも強く、向き合うものにも強いことを求める。その目は、任務の失敗を許さない。
「カーシュ・コーエン。東方部統括総指令官、および隠密機動部司令隊長の任を解く」
「は!」
「A特別任務機動隊員として、アレスティアを必ず墜とせ。邪魔する奴はすべて始末しろ」




