26.それぞれの変化
感慨なのか、それとも虚脱なのかはわからない。東京にようやく腰を据えたというのに。
――呆然とするしかない。
「入っていい?」
「え……あ、ええ」
ウィルは冷静だった。ランプの一部に照らされた半分の顔はリュクスを食い入るように見つめていて、一歩入ってまた尋ねる。
「ドア、閉めていい? 襲ったりはしないから」
「え……あ、ええ」
頷いてしまって顔を強張らせる。先ほど犯られる、と本気で恐怖を覚えた。
ここで襲われたら敵わない。
「信じてよ。危害は加えないって……まあ無理か」
彼が自らに苦笑してひらひらふった手のひらに血がにじんでいる。リュクスが、噛みついた跡だ。ちらりと罪悪感を覚えると、彼はさらっと流した。
「防衛反応。気にすんな」
悪い人じゃない、そう思ってしまう。でも攫おうとしたのは事実。人の相反する行動は苦手だ。ユーナを思い出して苦しくなる。
「襲ったらうちのボスに殺される。だけじゃなくて未来永劫死んだ方がマシって目に合わされるし、俺も君を傷つける気はない。だから信じてよ」
リュクスは部屋を見た。確かに密室。でも扉一枚が何になるのだろう。外に逃げても襲われたら敵わない。外にも逃げ込める場所なんてない、叫んでも誰も助けてはくれない。
住宅街で、コンビニや警察がある日本とは違うのだ。
どこでも、同じだ。
「いいわ、閉めて」
「信じてくれてありがとな」
苦い顔をしたリュクスに、彼は生真面目な顔をして後ろ手でドアを閉めた。
途端に闇が消えて、部屋の中だけを照らす灯かりに二人は包まれた。
「ボスのこと、あなた怖がってないでしょ。あくまでもあなたの性格では襲ってこない」
彼は驚いた顔をして、軽く懐かしいものを見るように目を細め、ほんの一瞬顔をゆがませた。
「……そう、だな」
少しして呟く。
「俺は、君を襲えないよ」
「……私だけじゃなく、女性全般を襲わないでほしいんだけど」
そう突っ込むと彼は片頬をあげて笑った、やっぱり何かを懐かしがっている。何度も胸を上下させて心を落ち着かせているみたいだ。
それは自分を見ていない。遠くの誰かを思い、感情を堪えている。
二人きりでその気になってしまう男性はたくさんいる。でも彼はその人しかみていない、だからしない。
けれど彼は唐突に表情を変えてリュクスを見た。その切り替えの早さ、こちらが気を許したすきに踏み込んでくる。
「んで。その姿が本当の?」
「え?」
リュクスは驚いて自分を見下ろした。途端に長い金髪が目に入る。腰の先まである毛先にはサラマンダーの子が掴まって遊んでいる。
これまでは栗色の肩までの髪だった、ありえない。
目を見開いて手を見る。東京の時よりも白みがかっている。
――これでは、まるで。
六年前の、アレスティアでの姿、そのもの。
「私のカバン!」
「持ってきた」
ウィルが彼の足元を示すから、慌ててそこに駆け寄って、スマートフォンを取り出す。そして手帳型のケースを開いて、内側の鏡で姿を確認する。
翠色から内側へ青いグラデーションを描く目が自分を凝視していた。それから淡い金髪はプラチナブロンド。
日本ではありえなかった色彩、でも面影だけはある。そしてこちらの方が本当の自分の姿だとすんなり受け入れてしまう。
ただし、成長している。あの日、十二歳だったときから六年分、年を取った姿だ。
「すっげー美人じゃん。あ、日本の変装でもそうだったけど」
淡々としている彼を見上げるとまだ頭をさすっている。リュクスがカバンで頭を殴ったところだ。
というか、本当に落ち着きすぎ。
こんな状況下でただリュクスの容姿だけを観察をしている。
でも、と違和感がある。
(……なんか)
「で、今のが本当の年齢の姿、だろ」
「え?」
「言ったろ。こっちの推定と外見の年齢があわなかったって。ようやく合致。あれって変身? 年齢水増しって何のため?」
「……っ、なんなの!?」
年の話とか失礼だ。っていうかこの状況下でそれにこだわる? その話を一番にする!?
「年なんて、あなたに関係ないでしょ!」
「大あり。たぶん二十歳いってない、十代後半。十八でいい?」
「……え」
また呆然とした。
アレスティアから日本に着いたのは十二歳、童顔の日本人たちの中では大人びて見られていたのと”多少の姿のごまかし”で、二十歳で通して大学に行った。
大学を卒業して就職して、これまでは二十六歳で通していた。
けれど本当は十八歳だ。
彼は、にやって笑って途端に噴き出した。
その顔にうそでしょ、と思う。カマをかけられた。
「っていうか、今のなし。私は二十六歳!」
「いやそれ無理あるって。でも、そっか、二十六なら許されるかって思ったけどな―、十八じゃなー。いやでも……」
は? 何を想定しているの? そう思いながら、思い当たる。
「あなたが、何歳でも私が何歳でも、あり得ないから。それより……」
「そ? 残念」
ほんとに、軽い! あっちではもっと大人びて見えたのに。
それに東京の煌々とした人工的な明かりの下とは違って、ランプのわずかな陰影のある明かりで気のせいかと思ったけど。
肌の張りとか体格も違う。
「ねえ。……あなたも若返ってる……わよ。たぶん」
「え?」
今度は彼の方が驚く番だった。スマホを差し出すとまじまじとその鏡をみて、「あー」となんだかわからない呻き声をあげた。
落胆とも違う、何だかなーと妙な暢気な声。
「……っくしょー。確かに。次元を超えるとか、そういうもんかー」
「……どういうこと」
彼はリュクスにスマホを返して、改めて向き直る。腰に手を当てて、真正面で淡々と言う。
「だからさ。君も俺も、違う世界に来た。だろ?」
「それがどうして若返ることに繋がるの?」
「言われたんだ。次元を超えると体内の時計が狂うこともあるって。ここは俺が君を連れ帰ろうとした世界じゃないし、俺たちがいた日本とも違う。たぶん、君が昔いた“アレスティア”だ」
リュクスは彼を警戒するように見ながらゆっくり頷いた。
「……そうよ。私たちは、違う世界から違う世界へ来てしまった」
ただリュクスの容姿が変わったのは異世界へ来たせいじゃない。本来の姿に戻った。そのせいでごまかしていた年齢もばれてしまった。
「ちなみに、俺いくつに見える?」
「知らない」
リュクスは冷ややかに答えて背を向けた。男性の「俺いくつに見える?」「どこの大学だと思う?」は女子が嫌いな質問だ。
正直、当てっこは面倒。
付き合いで行った飲み会、ノリが悪いとそれらの男性に影で文句を言われるから。
そう思って心がささくれ立っていることに気が付く。
彼は苦笑しているだけで、そこまで自己顕示欲がなさそう。
背を向けて一度冷静になりリュクスは息をついた。
お互いにわかっていないことも多いのに、彼のほうが落ち着いていて、気がそがれる。それとも彼の方が状況を理解しているのだろうか。
「何で落ち着いているの?」
「慌てたって仕方ないだろ」
そう言って彼は木のテーブルの二つある内の一つの椅子に手をかけて「座っていい?」と尋ねる。黒いパンツに包まれた長い足を持て余すように、伸ばして座る姿。
「私を連れ去ろうとしたのに?」
彼は椅子に座って笑ってリュクスを見上げた。その人好きのする笑顔、でも油断のない目は経験の豊富さを垣間見せる。
「そ。気になる?」
「ならない」
気になる、と言えば彼の説明を聞く羽目になる。リュクスはドアを開けて、外を見上げる。
「あ。出ていくなよ。夜だし危ない」
「月を見るだけ」
空には満月がある。
(……満月がにくい!)
いや、そこまでじゃないけど。
夜に満月を見ると「今晩は忙しいんだろうなー」と夜勤の同僚に同情する。
だから昨晩は忙しかったのか。
満月の晩はお産が多い、というのは産科の通説。でもエビデンスが立証されている論文はない。――でも、論文がないからそれは虚実だという訳ではない、あくまで調べられてないということ。
小さな助産所で働いていた時は、満月と新月の前後三日間の時期に分娩が多かった。満月や新月は大潮になる、そして満ち潮に向かい陣痛は強くなっていく。
そして引き潮になると、同じように産婦さんの陣痛が弱くなってくるのを何度も経験した。
けしてその経験からくる感覚は嘘じゃないと思う。カレンダーに記載されている大潮の時間を見計らいながら、ときには”仕掛ける”のだ。
魔法士も同じだ。わざわざ立証しなかったけれど、満月の日には魔力が高まる。それは自分の身体の中で感じるもの。
魔法陣を用いての大祭、大仰な魔物を刈る時、準備を用いる時には、魔力の高まる満月の日を選ぶことが多かった。
ただお産と違うのは、新月の時には魔力が弱まるということ。だとすれば、こちらは潮の満ち引きではなく、月の満ち欠けのみが関係しているのかもしれない。
(昔は、そこまでの考えに至らなかったから)
出産と比較することはなかったから、昔の自分は調べなかった。
テーマとしては面白かったかもしれない。そんなことを考えるのは、自分が大学院で研究をしているからだろう。
そこまで考えてリュクスは、背後のウィルをちらりと意識する。
彼も魔法を扱う、ならば満月の日を狙った可能性が高い。
彼がこの世界に来たのは、イレギュラーな事態。でも、この臨機応変な性格と対応能力、絶対にあきらめてないし、次の方法も考えているかもしれない。
そして、彼が帰還を試みるとしたら次の満月かもしれない。




