1.半年前
「ねえ――リュクス」
聖女――ユーナは、ためらっていた口を思いきったように開き、肩を震わせて私の名を呼んだ。
場所は、私の部屋。天井まで続く書架は壁を覆い、歴代の魔法士が集めた希少本も無造作に詰め込まれている。
「お願いがあるの」
それはいつものような弱音ではなくて、何かを決めた口調だった。
今日は曇天で、天窓から差す光は弱い。けれど、魔法灯をつける機会を逃して、私は机を回って彼女のほうに行きかけた足を止めた。
「私と、契約をしてほしいの」
すわった眼差しを私に向けて、ユーナは口元をこわばらせながら告げた。
「魔法士は主従の契約というのがあるんでしょ。それを、私と結んで」
立ち尽くしたユーナの細い両方の手は、胸の前でぎゅっと結ばれている。願いというよりも、その目は薄暗い空間のせいか脅迫じみていた。
その話をどこで聞いたのかはわからない。ただ彼女の周りにはいろいろなことを囁く人たちが絶えない。
「ユーナ?」
「――この世界で、親友はあなただけなの」
それは、いつものお決まりの台詞だった。でも彼女の”親友”を聞いても、もう私には真実には聞こえず、悲しくなるだけだった。
(親友。なのに、主従関係を……願うの?)
「ユーナ。あなたは、みんなと……うまくやれているわ」
最初の頃、異世界から来た彼女は、皆となじめないと不安を漏らしに来ていた。
でも、ここ数カ月はそれもない。今は王宮に溶け込み、皆と楽し気に笑って、騎士たちからも十分に敬われているように見える。
「騎士たちは怖いわ。それに、聖職者たちも信用できないの。神官長さまも、レダも……私が本音を漏らせるのは、最初に友達になったあなただけなのよ」
聖女のユーナには彼女だけの騎士も聖騎士団も控えている。そして神官長は彼女を導く案内役で、レダは前神官長の養女で巫女長。彼らは今、聖女のお気に入りと思われている。
特にレダは、表向きは聖女の親友だ。
でも私は違う。何の関係もないと思われている、それはユーナが望んだこと。
ユーナから仲を隠したいと言われたのは数か月前。ユーナの属する聖職者たちと魔法士は反する立場にいて、親しくするのはよくないと聞いた、と。
だからもう、表向きは仲良くするのはやめよう、と。
「だって――私とあなたは異世界の人間だから」
異世界の人間と言われて、私は戸惑った。自分もユーナと同じ別の世界から来た人間だから。
(でも、彼女は私を仲間とは思っていない)
そして、異世界の人間同士だから――の続きがない、だから何なのか。
その言葉はいつも私を戸惑わせる。
それとも、と彼女は唇を震わせた。
「あなたは魔法士の長だから、契約は無理かしら」
「そういうわけではないけど」
戸惑い、聖女にソファに座るように勧めるが、それを彼女は拒否した。
――私はこの国の魔法を支えるディアノブルの塔の司だ。
「私は塔の番人というだけだから」
ディアノブルの塔の司は魔法士の長というより、アレスティア魔法の塔の管理しているだけだ。
「じゃあいい? あなたと特別な絆を結んでおきたいの」
魔法士が主を持つことは、珍しくない。魔法は神の力の代行で、強大な魔法を使うには一つ一つ自分の中にかけた制約を外さなければいけない。けれど主を持てば、命令という名目で、一気に強大な魔法を使うことができる。むしろ多くの魔法士が主を持つことを希望する。
でもそれは、本当は見せかけの儀式。本当の魔法士の契約というのは、人間と強大な存在との――。
そこまで考えて改めて疑問が生じる。魔法士じゃない彼女に誰が教えたの?
「だめなの? 私を守ってほしいの」
迫るユーナに私は何と返事をしようかと迷う。
「……いいえ、そうじゃ、ないけど」
聖女を主にするということを、あの方は許すだろうか。気がかりなのは、そこだった。
それに魔法を使うのは、自分の意志、自分の責任でしたかった。
ただ自分は、国王の要請で魔法を使うこともある。
彼女は国王に近い立場だから問題はないはず、だけど。
もし、ユーナの命令が大それたものであったら、国を滅ぼしかねない。
(いいえ。ユーナはそんなことを願わない)
彼女は、とても慎重で、謙虚で……少し弱い。
それに人を傷つける魔法は制約があるから、ユーナが願っても簡単に行使することはできない。
だから、ユーナを主にしても、問題ない。
心に引っかかる棘を無視するように、私は自分に言い聞かせた。
(それに断ったら、ユーナはもう私との関係を切るだろう。
彼女が今度こそ離れていく。……それが、とても怖い。
今でもほとんど無視されているのに、完全に断たれてしまったら……。
「――わかったわ。あなたの不安がそれでなくなるなら」
理由はわからなくてもいい。彼女のためになら、私は何でもしたかった。
つま先まで隠れる黒のローブをさばき、私は片膝をつく。ユーナの足先を見下ろし、言葉を紡ぐ。
“我はリュクスは誓う。聖女ユーナにこの身を捧げ、主とし、その命に従うことを”
そして顔をあげる。
「ユーナ、手の甲を」
彼女が差し出す手を掲げるように持ち、甲に額を近づけた。
“その誓いが破られしとき、契約の神であり世界の母である女神イリヤよ、我に死を与えまえ”
ユーナの手が、わずかに揺れている気がした。
二人を包む白い光が淡く昇り、不意に消えた。
「これで。あなたは私の“命令”になんでも従うのね」
「――そうね」
私の声は震えていた。心臓が激しく脈打っていた。
大きな魔法を使った時でもこんなに動揺しなかった。
親友の私に、“命令”をするのか、と。ショックを受けて顔をあげると、彼女は何も気がつかないように笑みを浮かばせ、安堵をにじませた。
「もう一つ、お願いがあるの」
彼女の声が遠くに聞こえ、通りすぎていく。
「――このことは、私達だけの秘密にしてね。私の騎士たちにも、誰にも言わないでね」
余計な心配はさせたくないじゃない、と。
「お願いね、リュクス。私を守ってね」




