296話目【偵察の結果報告】
遮るもが何もない世界で最も自由な空間、
あるのは自身と風と太陽の光、白い雲、たまに鳥、
そんな才ある者にのみ許された特別な眺望を見下ろしながら
シルフハイド王ケルシスは怪訝な顔をしていた。
「風の影響を受けていない、やはり雨雲とは違うな」
墨汁を垂らしたかのように黒く、
不自然な程に平たい雲がモリモリ拡大している。
「薄目で見ればたまに商人が売りに来るアレに似てなくもないか…」
それは恐らく長毛の絨毯である。
「ケルシス様」
「来たかシルトア」
「すみません、雨雲を処理するのに時間掛かっちゃいまして、
他のハイエルフの方達は一緒じゃないんですか?」
「ウルダで待機させている、シルフハイド国が誇る優秀な者達だが
この状況では足手まといになりかねん」
「まぁ…あんなのがあるんじゃ仕方ないですね、何が起きても不思議じゃないです」
「実に禍々しい、なんなのだアレは?」
「さぁ? 凄く危険な感じはします」
合流した2人が見上げる先で青空にヒビが入り200メートル位パックリと割れている。
「前回の襲撃時はこんなのなかったですよね?」
「見えていなかっただけであったのかもしれん、
薄々感じていた嫌悪感の正体は恐らくアレだ、
シルトア、黒い雲に触れてどう感じた?」
「あれは雲じゃ無くてマナですね、魔族と同じマナだと思います」
「私も同じ考えだ、黒い雲の下での飛行はどうだ?」
「前回の時より飛び難いです、水の中を泳いでいるみたいな抵抗を感じます、
マナ濃度が高過ぎるせいだと思いますけど」
「同じだな、黒い雲の上と下では体感できる程マナの濃度に差がある、
そして魔族と黒い雲は同じマナで構成されており、魔族の出現場所は黒い雲の下、
ふむ、今私の頭の中にあるイメージは山の谷間に溜まった霧だ」
「え? なんですか急に?」
「霧をマナに置き換えて考えろ、今この下には霧のように特殊なマナが溜まっている、
黒い雲は霧の境界面、霧が密集した中で霧を払っても意味がないだろう、
魔族もそれと同じだ、処理したところで空いた空間に
周囲のマナが流れ込み再び魔族となる、そしてそのマナの出所はあの裂け目と見ている」
「なるほど、なんかそれっぽいですね」
「だがそうなると魔族を完全に消滅させるには
下に溜まったマナを全て排除しなければならないのか…」
「この辺りだけならいいですけど世界中となるとキリがないですよ、霧だけに」
「おい…」
ケルシスが目を細めている。
「その仮説だと魔王も復活することになりませんか?」
「それはマズい、今の話は忘れろ」
「いいですけど…忘れたからって何も変わりませんよ、
でも裂け目からマナが溢れ出てるってのは僕も感じています」
「あまり近付くなよ、あれに触れると死ぬかもしれん」
「誰も近付きたい人なんていませんって、僕なんて鳥肌立ってますもん、ほら」
袖を捲ると5mmm程の毛が1本ピンと逆立ったいた。
「…それは鳥肌と呼ぶのか?」
「普段は寝てるので立派な鳥肌です」
孤軍奮闘、一騎当千の鳥肌である、
たまに抜いているが何故か1本だけ目立つ毛が生えてくるらしい。
「どのような仕組みでマナが溢れ出しているかはわからんが、
なんとかせねばならんのは確かだ、破壊できるようなものなのか?」
「下手に突くと裂け目が広がって悪化するんじゃないですか?」
「その可能性もある、とはいえ閉じる方法も思いつかん、
そもそも実体があるのかも怪しい、試してみるか?」
「どんな影響が出るか分かりませんから1度報告に戻った方がいいと思います」
「どのみち試せるのは私とお前だけだ、このまま戻っても大した報告にはならんぞ」
「確かに、さっきウルダへ向かう馬車がいましたので上級魔法は無しでお願いします」
「元からそのつもりだ、下にいる化け物を刺激したくないからな、
合わせるぞ、私とお前で1発づつだ」
「了解です」
2人がウィンドエッジを放つと裂け目に到達する前に掻き消えた。
「「 … 」」
「割と全力だったのだがな」
「僕もです、相殺されたというよりは徐々に削られた感じでした」
「溢れ出たマナに押し負けたな、やはりアレは危険だ」
「今の感じだと実体云々以前に干渉すら出来ないんじゃ…」
「溢れ出るマナ量を上回らん限りは無理だろうな」
「何かしらの影響を与えるには上級魔法でも力不足な気がします」
「っち、人の身でどうにか出来るものでなかったか」
「「 う~ん… 」」
険しい顔で考え込む2人、シルトアが先に口を開いた。
「ケルシス様、この亀裂って魔王を倒せば消えると思いますか?」
「わからん、だが別問題だとしたらかなりマズいぞ」
「ですよね、こんな状況では作物は育たないでしょうし、
魔物も生きていけませんから肉や魚も手に入りません、
ウルダに備蓄された食料は数ヵ月で底を尽きますよ、他の町も…」
「全ての国がそうだ、想定外の最悪の事態だな、
魔王を倒しさえすれば良いと考えていたが見通しが甘かった、私は王失格だな」
「仕方ないですよ、誰もこんなの予想できませんから、
魔王とは1000年ごとに復活して魔族と共に世界を滅ぼす厄災、
空に現れる裂け目のことなんて一言も伝わってないですもん」
「民の半数に命を捨てさせることになっても同じことが言えるのか?」
「それは…」
「私達が魔王を討伐出来なかった際に取られる処置、
お前も考えていなかったわけではあるまい」
「まぁ…はい…でもいきなり半数なんて」
「迷う程に事態は深刻なるぞ、1日生かせばそれだけ食料が減る、
だが1日早く決断すればそれだけ生かすことが出来る、
半数まで減らしたところで1年も耐えられんだろうがな」
「そうかもしれませんけど僕は納得できません…」
「お前はそれで良い、優しさや哀れみは従う者の特権だ、
だが上に立つ者達は厳しい決断を迫られる、絞り過ぎれば防衛がままならん、
かと言って減らさねば食料が尽きる、子を残せる者も確保せねばならん」
「いつまで続くかもわからない状況だと見通しなんて立てられませんよ、
半年で解決するかもしれませんし」
「だとしても決断せねばならんのが責任ある立場とというものだ、
常に食料と人口を秤に掛け、誰に恨まれようとも諦めることは許されん、
求められるのは全ての結果を背負う覚悟のみ」
「(やっぱりケルシス様は凄いな)」
現在26歳のシルトアは14歳でSランク冒険者となったため、
人生の約半分を一般人では生涯かけても関わる事のない世界で生きている。
書簡を届ける役割柄、重要な機密に触れる機会も多く、
一介の役人より統治者側の考えに詳しい、
そんな彼女だからこそ平然と無慈悲な判断を口にしたケルシスを尊敬している。
戦闘面での2人の力量はほぼ互角だが総合的な判断力ではケルシスが勝る、
王として努めている者とSランクとはいえ冒険者でしかない者、
そこには埋めようの無い大きな差が存在している。
「だがまぁ、今の段階では何もわからん」
「魔王を倒せば全部解決するかもしれませんしね」
「そういうことだ、さて…」
2人は足元に広がる黒い雲の先に視線を向けた。
「感じるかシルトア?」
「はい、僕は上の裂け目よりあっちの方が近付きたくないです」
「私もだ」
「魔王だと思いますか?」
「そうであって貰わねば困る、あんな化け物が大量に湧かれたらたまらんぞ」
「偵察に行きます?」
「当然だ、あっちが本命だからな」
「はぁ…気が進まないなぁ…」
「下に行けば動きが鈍る、油断するなよ」
「了解です」
黒い雲の下へと移動すると景色が一変、
太陽が遮られ薄暗くなった草原には魔族が溢れ返っており、
言葉も無く盲目的にウルダへと向かう様は亡者の行進を彷彿とさせる。
一方で黒い雲が到達していない場所は普段通りの穏やかさ、
境目がハッキリとしており対照的な景色だが、
拡大速度がドンドン増しているので飲み込まれるのは時間の問題である。
「バトー追いつかれちゃうわ!」
「大丈夫だ! 前だけに集中しろ!」
「でも凄く怖いの!」
「追いつかれたとしても光魔法があるから問題ない! 信じて進め!」
因みに、この段階ではバトー達と黒い雲はウルダには到達していない、
松本の死後2~30分といったところである。
「明らかに異質だな」
「見た目はショボいですけど絶対魔王ですよ」
魔王と思われるマナの元に到着した2人は距離を取りながら注意深く偵察中、
普通の魔族は人間や亜人種の形をしているが
問題のマナは形が定まっておらず漂う影といった感じ、
大きさも他の魔族と大差ないのでショボく見えるが
2人が冷や汗を搔くほど圧倒的な威圧感があるので間違いなくヤバい存在である。
「周りに魔族がいないのも気になる」
「偵察する分にはわかり易くていいですけど」
漂う影の周囲10メートル程が空白地帯となっており、
魔族で埋め尽くされた草原の中で唯一地面が確認できる。
「あ、動きますよ」
「こちらに来るようなら離れるぞ、最低でも今の距離を保て」
ゆっくり動き始め暫く移動すると止まり、
そこまらまた別の方向へと移動しては止まり、さらに別の方向へと移動。
「何をしているんだ?」
「さぁ? ウルダへ向かう感じではないですね」
「「 … 」」
その後も視線を外さすに無言で偵察。
「ん? 今何と言った?」
「別に何も言ってないですよ」
「おい、こんな時にからかうのはやめろ」
「からかってませんよ、ケルシス様こそ言い掛かりはやめて下さい」
「…本当か?」
「本当です」
「確かに聞こえたのだが…まぁいい、すまなかった」
「いえ…(どうしたんだろ?)」
「(今の声はなんだったんだ?)」
影に視線を固定したまま首を傾げる2人、
動きに制限が掛かっている状態で脅威と対峙しているため、
互いの顔を確認することすらも致命的な油断になりえる。
「アレの目的は分らんが碌なことにはならんのは確かだ」
「ですね、今より良くなることは絶対にないと思います」
「危険だが仕掛けてみるか?」
「…情報が無い状態で挑めば全滅するかもしれません、やりましょう」
「よく言ったシルトア、それでこそシルフ様の加護を受けし者だ、
2人纏めてやられるのは避けたい、挟み込むぞ」
「了解です、たぶん援護は無理だと思います」
「だろうな、指示は出さん、無理だと思った時点で撤退しろ、
それとどちらかが傷を負った時点でやめだ」
「最初の1発目はケルシス様に合わせます」
「始めよう」
「はい」
ケルシスとシルトアが左右に分かれ影を挟んで停止、
ほぼ同時に放たれた風の刃は影を3つに分断した。
「(手応えがまるでない、マナの集合体であれば当然か)」
「(今ちょっと変な感じがしたな…)」
「「 !? 」」
影が揺らぐと黒い刃が放たれ咄嗟に躱した2人の顔色が変わった。
「(こちらと同系統、切断に優れた魔法…いやマナだったな、
光魔法が有効とされているが今のを防げるのか?
実戦で確かめるには危険すぎるぞ)」
「(早いし見難い、やっぱり試しといて正解だったな、
離れてたから避けられたけど前衛の人達だったら半分くらいやられてたかも)」
「「 !? 」」
再び影から黒い刃が放たれ応戦開始、
攻撃を捌きつつ反撃を繰り出し可能な限り情報探る。
「(向こうから仕掛けて来たということは、
こちらの動きに対し反射的に動くわけではなさそうだ)」
「(手数はそんなに多くないけど飛んで来る速度が早すぎる、
モレナさんのライトニングと同じかそれ以上だ、
それに人や魔物と違って攻撃前の動作がないってのがまた…)」
「(厄介だな、せめて顔があれば探りようもあるのだが、
8割近い力なら相殺は可能か、だがアレと違いこちらは生身、
1度の過ちで死ぬことすらあり得る、全く割に合わんぞ)」
シルトアのライトニングが貫通し影に穴が空いた。
「(駄目だ、もう塞がり始めてる、攻撃範囲が狭い魔法は効果が薄い、
無駄ではないと思うけど効率が悪すぎる)」
「(切断に優れたウィンドエッジや貫通力の高いライトニングは
傷を負う相手には有効だがマナの集合体には相性が悪い、
攻撃を相殺することだけに絞れば使い処はあるが可能なら避けるべきだ)」
「(実戦経験は殆ど無いけどあれだけ動きが遅いなら僕でも当てられるはず)」
シルトアが放った火球が爆発し影が半分くらい消し飛んだ。
「(予想通りフレイムが一番効果的だな、だが今微かに…)」
「(最初に感じた違和感ってもしかして…)」
追撃の火球が爆発し残りの半分を消し飛ばすも
爆炎が不自然に歪み小さな黒い揺らぎが残った。
「「 !? 」」
揺らぎが内側から膨れ上がり再生し始めた。
「(見間違いじゃなかった…)」
「(周りのマナを取り込んでいる様子はない…まさかな…)」
ケルシスが放った火球が爆発し再生途中の影を吹き飛ばすと、
小さな黒い揺らぎを囲うように爆炎が湾曲した。
「「 (掻き消されている!?) 」」
「(アレと繋がっているとすれば最悪だぞ…)」
「(いや、まだ決まったわけじゃない、
魔王が膨大なマナを発しているなら同じことが起きるはず)」
「「 !? 」」
影が急速に膨らみ元の状態へと戻ると先ほどよりも攻撃が激しくなった。
「(っち、これ以上はマズいか)なんだ!? くそっ、気が散る…」
「(ケルシス様?)」
猛スピードで離脱したケルシスを見てシルトアも後を追う、
黒い雲の上へ出るとようやく停止した。
「何かあったんですか?」
「静かに」
「「 … 」」
「聞こえんな」
「あの…」
「誰かが私に話しかけてきた」
「誰かって誰ですか? 僕とケルシス様しかいませんでしたけど…」
「わからん、だが間違いない、アレとやり合う前に
お前になんと言ったか尋ねただろう、その時と同じ声だった」
「え~と…因みになんて言われたんですか?」
「よくわからん、何かを話し掛けられているのは理解出来るが上手く聞き取れん」
「…極限の緊張状態による幻聴とか?」
「確かに聞こえたのだ! だがここでは聞こえんらしい、
話し掛けられたのはいずれのヤツの近くだった、もう1度下へ向かぞ」
「えぇ…もう十分情報は得られたと思います、
1度戻りましょう、早く知らせた方がいいですよ」
「駄目だ、あの声からはシルフ様に近い何かを感じた、
何故か分からん聞き逃すとマズい気がする、
取り返しのつかなくなる重要な何かがある気がしてならん」
「何かばっかりですね」
「聞き取れんのだから仕方がないだろう! とにかく行くぞ!」
「はい~」
そしてまた黒い雲の下へと猛スピードで移動。
「魔王がさっきより移動してますよ、しかもなんか早くなってませんか?」
「静かに、この位置ならヤツの攻撃は届かんはずだ、集中させろ」
「はい…(なんか顔がキラキラしてる…ってコレたぶん噂の喋るマナだ)」
「…帰れ? いや違うな、もう少しハッキリと頼む」
「(ん? 魔王が止まったな、あの草の生えてない剥き出しの地面て確か…)」
「そうか、連れて帰れだな、だが何を? ここには私達以外には誰もいないぞ?」
ケルシスの問いに応えるように顔の周り飛んでいたマナが移動を始めた。
「ほう、下か」
「!? ケルシス様!」
「どうした? なっ…」
鬼気迫るシルトアの声に顔を上げると黒い影がブクブクと膨張していた。
「…何が起こった?」
「地面の土が取り込まれるのを見ました」
「土だと? そんなものでヤツは変貌するというのか?」
「核を取り込んだんだと思います、大型魔族みたいに」
「笑えん冗談だ、先程の状態でも既に化物だったのだぞ、
核として何か思い当たる物はあるか?」
「あそこはウルダを襲った巨大なモギが討伐され、その後解体された場所です、
素材は全て回収されたので何も残っていません、
唯一回収出来なかった物があるとすれば土に染み込んだ…」
「血か」
瞬く間に影が膨れ上がり形を成して行く、
威圧感の増幅を可視化するように周囲の空白地が拡大し、
巻き込まれた魔族が次々と消滅している。
「足と尾が生えた、やっぱりモギっぽいですね」
「もはや私達だけで手に負える相手ではない、
ヤツが変貌しきる前に声の求めるものを回収し帰還する、行くぞ」
「はい」
「「 !? 」」
2人がマナを追い始めると頭と左後脚の無い影が反応し動きだした。
「向かって来てます!」
「分かっている! 時間は掛けん!」
「僕が情報を伝えます! ケルシス様は回収に集中して下さい!」
「頼んだぞ!」
マナを追って高度を下げたケルシスを援護するため、
シルトアはその場に留まり魔族を蹴散らしながら迫る影に全神経を集中させる。
「止ま…違う、攻撃が来ます! 備えて下さい!」
「了解だ! 何が来ようと受けるなよ! 絶対に避けろ!」
影が右前脚を振り上げて叩きつけると黒い衝撃波が発生し、
自身の体と周囲の魔族消滅させながら波となって全方位に広がって行く。
「自分ごとって無茶苦茶だ…広範囲の攻撃です!
大きく避けないと巻き込まれます! 急で上に!」
「何だそれは…ふざけおって、邪魔だどけぇ!」
マナが留まった場所を風で薙ぎ払うと無残に横たわる背中が現れた。
「子供だと!? いや…これは…」
「ケルシス様急いで! 魔王も近付いて来てます!」
「えぇい! 意図がわからん! 離脱しろシルトア!」
「了解です!」
困惑しながらも松本の亡骸を両手で抱えて急上昇、
波を躱すも影の背ビレから放たれた黒い刃が2人を襲う。
「危ないなもう…速さは変わってないけど範囲が広くなってる」
「このまま雲の上まで行く! 当たるなよ!」
「了解!」
「(くそっ…ただでさえ飛び難いというのに…)」
黒い刃を躱しなが黒い雲を突き抜け、
そのまま止まることなく全力で南へ、
そこから更に西へと飛行しようやく停止した。
「ふぅ~ここまで離れれば流石に追っては来ないはず」
「多少は追って来て貰わねばウルダと逆へ逃げた意味がない」
「え!? ケ、ケルシス様…それ…」
「あぁ、これが声が求めたものだ」
無残な遺体を見たシルトアが青ざめている。
「ど…どういう…え? 嘘…ケルシス様が盾にして…」
「違うわ! 元らか死んでいたのだ!」
「そ、そんなこと言って…」
シルトアがガタガタ震えながら疑いの目を向けている。
「違うと言っているだろうが! お前はアレの攻撃が生身の盾で防げると思うのか!」
「た、確かに…」
ケルシスの潔白が証明された。
「でもなんで? というかこの子に一体何が?」
「わからん、だが声は連れて帰れと言った、きっと何か重要な意味があるのだろう」
「僕には只の可愛そうな子供にしか見えないですけど…
ここまで酷い状態は…あれ? ケルシス様右耳が」
「流石に抱えたままでは避けきれなくてな、この子の傷も増やしてしまった」
松本の左足の太腿から下が無くなっているが
全体の損傷が激し過ぎるので誤差である。
「ヤツをウルダへ引き連れて行くわけにはいかん」
「そうですね、少し遠回りで帰りましょう」
「あぁ、ところでシルトア」
「なんですか?」」
「意外と重くてな、持つの変わってくれ」
「えぇ!? い、嫌です…内臓出てますし…」
「魔物を解体した時も出るだろ、気にするな」
「いや気にしますよ! どう見ても人間ですから!
それに魔物の内臓も好んで触りません!」
「おい待て! 少しくらい変わってくれてもいいだろうが!」
「本当に勘弁して下さい! ごめんなさい! ごめんなさい!」
「せめて足だけでも持ってくれ!
「嫌ですぅぅ! 足だって1本しかないじゃないですかぁぁ!」
そうして2人は大きく迂回してウルダを目指し。
「いましたよケルシス様」
「木に粗雑に扱うなど許せん、やれシルトア」
「はいはい」
カルニ軍団を発狂させていた大型魔族を細切れにしてから中央司令所へ、
絶句するデフラ町長へ松本を譲渡…
「精霊様の意思と考え大切に扱ってくれ」
「きょ、きょきょ、きょまりますぅぅ!(※困ります)」
しようとしたが声を裏返しながら全力で拒否された。
「まったく情けない…失礼いたしましたシルフハイド王、どうぞこちらへ」
ルート・ロイダ子爵の勧めで中央指令所内に設置されている
お偉方向けの診療所へと移動し、
ドーラのお世話役の女医と助手に引き渡された。
「空に裂け目がなんたらかんたらで~」
「魔王がうんたらかんたらだ」
『 えぇ!? 』
その後はルート伯爵達に報告を済ませてギルドへ移動。
そして時間軸は現在へと戻り。
「ということがあった」
『 ほうほう 』
着替え終わったケルシスとシルトアによる魔王対策チームへの報告も完了した。
「モギになってからの方が全てにおいて強力です、
姿がハッキリしたおかげで攻撃が予測し易くはなりましたけど
あまり過信しない方がいいと思います」
「アレはあくまでもマナの集合体だ、形などいくらでも変わる、
見た目に囚われ過ぎると予想外の攻撃に対応出来んぞ」
「ありがとう御座います、貴重な情報のお陰で対策が考えられます」
「うまく活用してくれカルニギルド長、とはいえ相手は化け物だ、
やれることなどそう多くはないだろうがな」
「一番重要な光魔法の有効性に関しては不明なままです、
すみません皆さん、実戦で試すしかないので危険な賭けになってしまいます」
「謝らなくていいわよシルトア、効果は実証済みだから」
「え? どういうことですかノルドヴェルさん?」
「うふふふふ」
シルトアの問いには答えず首から下げたペンダントをチラチラとアピールしている。
「…なんですかそれ?」
「愛する彼氏からの贈り物、私を守ってくれる最高の魔法よ」
「はぁ…」
「これをウルダまで運んでくれたのはマツモトって子なの、
彼はそこの金獅子と一緒に南の草原でモギになる前の魔王と遭遇してる、
そして女の子を守るために光魔法を使って魔王の攻撃を防いだそうよ」
「もしかしてケルシス様が運んできた…」
「顔を見てないから断定は出来ないけど、多分そうだと思うわ」
「なるほどな、あの傷はそういうことだったか」
「シルフハイド王よ、魔王と交戦した者としての意見を聞きたい、
バトーの言葉を疑うわけではないが光魔法は作戦の要だ、
迂闊な判断は命取りになる、その子供は本当に魔王の攻撃を防いだと思うか?」
「あれは切断力に優れた攻撃だった、生身で受けようものなら容易く両断される、
だがマツモトとやらの体は深手は負っていたものの両断さてはいなかった、
体を割かれる過程で攻撃を相殺しなければあのようにはならん、
私から言えることはこれだけだ、参考になったかゲルツ将軍?」
「ふむ、なるほどな、感謝する」
「俺からもお礼を言わせて下さい、シルフハイド王ケルシス様、
それとシルトアさん、マツモトを連れ帰って頂きありがとう御座いました」
「1人だけ残されてマツモトも寂しかっただろうからよ、本当にありがとな」
バトーとミーシャは深々と頭を下げた。
一方そのころ、中央司令所にあるお偉方向けの診療所では。
「う~む、何度見ても素晴らしい」
「芸術的な切断面ですね先生」
診察台に安置された松本の遺体を囲んで女医と助手が唸っていた。
「多くの傷を見て来たがこれほどまで鋭利な傷は…う~む」
「特に胸の部分は凄いですよ、皮膚、筋肉、骨、臓器、
全然違う硬さなのに綺麗にパックリです」
「魔王と聞けば狂暴で恐ろしい魔物みたいな存在を想像していたが、
う~む、大胆でいて繊細、優秀な医者のようだ」
傷口の鮮やかさに感嘆のご様子。
「あ、先生これ、よく見たら心臓にも傷跡がありますよ」
「切られはしたが死ぬまでに治したんだな、
いや、これだけの重傷で冷静に回復魔法を扱えたとは考え難い」
「無意識マナ消費症ですか?」
「その通り、診断するまでもなく発症していたのは明らかだし、
本人の意志とは関係なく心臓の傷が塞がった、というのが正しい経緯だろう」
「となると大量出血が死因でしょうか?」
「どうだろうか? ショック死もあり得るぞ、それにしても…う~む、美し過ぎる…」
「惚れ惚れしますね」
美しいという言葉が出て来るのは医者か生粋のサイコパスだけである。
「名残惜しいがそろそろ降ろそう、ここは生きてる者のための診察台だ」
「はい先生」
「「 せ~の 」」
「先生頼みたいことがあるのだけど」
松本の遺体が乗った担架を持ち上げると奥の部屋からドーラが顔を出した。
「どのような内容でしょうか? 向こうの壁際に、慎重に行こう」
「はい(思ってたより重い…)」
「出来るだけ早くマツモトを直して貰いたいのだけど」
「「 …はい? 」」
女医と助手が足を止め振り返った。
「マツモトを直して貰いたいのだけど」
「いえ、聞こえてはいました、それって……ん? え~と…」
「治せと言われましても既にこの子は死んでいますが…」
「知ってるわ」
「「 ふむ…、??? 」」
ドーラの言葉を飲み込んではみたものの、
理解が出来ずしきりに首を傾げている。
「取り敢えず一度降ろそう、重いから」
「はい」
松本着地。
「「 う~ん… 」」
「確かに面倒だとは思うけどそんなに嫌?」
「いえ、ドーラさんのご依頼ですから可能な限り対応したいのですが…、
すみません、流石に無理です、私にはできません」
「生き返らせるなんて絶対無理ですよ…」
「誰もそんなこと頼んでないわ」
「「 え? 」」
「蘇生なんて精霊にも無理よ、世界の理に反してるから」
「「 ふむ…、??? 」」
引き続き困惑中の2人がしきりに首を傾げている。
「私が頼みたいのは体を元の状態に近づけて欲しいってこと」
「あ、なるほど、形を整えるってことですか、それなら可能ですよね先生?」
「簡単に言うが死んだ人間に回復魔法の効果はないぞ」
「あ…」
「「 … 」」
「…ぬ、縫います?」
「因みに経験は? 私は大昔に魔物で練習した程度だ」
「知識としては一応…」
回復魔法がある世界で縫合技術はロストテクノロジー、
医療現場で活躍する機会はあまりない。
遺体の火葬前に見た目を整える際に使われることがあり、
どちらかというと医者より葬儀屋の分野である。
回復魔法の取得に制限が掛かっていたキキン帝国なら
回復士が到着するまでの応急処置として活用されることがあるが、
カード王国内なら知識を得ているだけでも大したものである。
「元の状態に近づけるということは外側を整えるだけでは駄目なんですよね?」
「そうね、回復魔法が有効になった時に死なないですむ程度までお願い」
「まるで生き返るみたいな言い方ですけど…」
「あり得ないと思う?」
「まぁ、普通に考えれば、重要な臓器をいくつか損傷していますし、
血液は殆ど残っていません、この子は完全に死んでいます」
「先生、死亡して1時間以上経過してますから生き返ったとしても
脳に深刻な影響が出ている筈です、残った血が血管の中で固まっているでしょうし」
「助手の言う通りです、何かの間違いでマナ海から戻って来れたとしても手遅れですよ」
「それでもお願い」
「わかりました、全力でお応えします」
「せ、先生?」
「これ以上は詮索になるぞ~」
「はっ!? そ、そうですね、全力で治しましょう先生!」
「頑張るぞ~!」
「お~!」
「それじゃよろしく」
気合を入れる2人に手を振りながらドーラは奥の部屋に戻って行った。
「良かったわね、感謝するなら私じゃなくてあの2人にでしょ、
それはまぁ…でも本当なら私は手を貸すべきじゃない、
前回もその前も世界に大きな影響が出た、いいえ、違うわ、
それを良い結果と捕らえるのは貴方達が人だから、
あの魔法は本来広まるべきでは無かった、
えぇ、そう、そうよ、だから私達は向こう側にいるの、
でもだからといって貴方達の行いを責めるつもりはない、
それもまた世界のあるべき姿だと思うから、
前回の2人は特別よ、戦う力を与えられてこの世界に来た、
そう、理解はしてるのね、それでも託すというのなら手を貸すわ、
でもこれが最後、どちらに転ぼうとも私は結果を受け入れる、
きっとそれも世界のあるべき姿だと思うから、
いいえ、戻って来る可能性は低いわ、
完全に死んだ者が生き返ることは無い、それが正しい理、
でもそうね、1つだけ確かなことがあるわ、
外の世界から来た者はとても強い意思を持っている、
少なくとも私が出会った人達は皆そうだった、えぇ、それだけよ」
「先ずは手洗いだ」
「大切な基本ですね先生」
ドーラの語りを他所に女医と助手はワシワシと手を洗っていた。




