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283話目【カンガリュウ】

さてさて、276話目【カンタルに眠るもの】にて魔王の復活を匂わせながらも、

その後6話に渡り時間軸を巻き戻して各地の様子をご覧頂いたため、

あまりの暴挙っぷりに読者の方々の堪忍袋はメルトダウン寸前であり、

サイクロプス隊のアンディも強行寸前であることは承知しているのだが、

残念なことに今回も時間軸は前進しない。


カード王が緊急宣言を布告しシルトアが各地に伝達した日、

カンタルでフルムド伯爵達が光の3勇者であるトルシュタインの遺物を発見した日、

つまり、前回の282話目【緊急宣言布告、各地の対応】と同日、

そして276話目【カンタルに眠るもの】とも同日の話である。





時間は早朝、舞台はダナブル、

世界に激震が走ることを微塵も知らない松本は

今日も今日とて城壁の外でいつも通り盾弾きの練習中である。


「はぁ…っふぁ! はぁはぁ…っふぁ! はぁ…最後、ふぁあ!」


力を振り絞り向かってくる重りを一際強く弾き返す、

高く上がり勢いを増して戻って来た重りを両手で構えた盾でドスっと受け止めた。

 

「はぁ…はぁ…よし終了っと…はぁ……はぁ~…あマズイ…」


息を整えながら空を見上げると視界が急激に白み出したので

平衡感覚が残っている間に両膝と右手を地面について静止。


「ふぅ~チカチカする~」


性懲りも無く立ち眩みしている、

無防備になるので良い子は絶対に本当にマネしてはいけない、

視界と感覚が戻って来ると立ち上がった。


「さ、戻って…あれ? またか」


盾を手放そうとしたが左手の薬指と小指が言うことを聞かず

握った状態で固まって開かないらしい、

仕方ないので痙攣する指を右手で伸ばして盾を分離。


「(当たる瞬間だけ握ってる筈なんだけどなぁ、

  こうなるってことは無駄な力が入ってるんだろうか?)」


単純に追い込みすぎである。


「…ん? っは!?」


左前腕の小指側の筋肉をモミモミしていると背後から只ならぬ何かを感じた。


「(な、なんだこの…殺気とも違う懐かしさすら感じる熱い何かは…)」


ザシュ…、ザシュ…、と足音が聞こえ何者かが近付いて来た。


「(な、なにぃ!? 摺足だとぉ!? そうか思い出したぞ、

  この熱い何かは柔道の試合で幾度となくぶつけ合った闘気! 何奴!)」


振り返った松本の目に飛び込んできたのは

只ならぬオーラを放つムキムキのカンガルーっぽい何か、

古ぼけた袖の無い白い道着(上着のみ)を着用し、腰には堂々たるブラックベルト(黒帯)、

額に赤いハチマキを巻き、手首には赤いリストバンドっぽいものを付けている。


「(鋭い眼光、放たれる闘気、ぬぅぅ…これは間違いなく武人!)」


カンガルーっぽい何かである、

身に着けている物のボロボロ具合から歴戦の猛者感が漂っている。


「(そして猛々しい筋肉…レジェンドの類か)」


道着の上からでも分かる分厚い大胸筋、

彫刻のように立体感のある上腕、丸太のように太い太腿、

浮き出た血管と皮膚の張り付き具合から体脂肪率は一桁台と予想される、

でもカンガルーっぽい何かである。


因みに松本が言っているレジェンドとは

光筋教団のヤマキシ支部長、カットウェル衛兵長、元Sランク冒険者パトリコからなる

ダナブルマッスルビック3のことである。


「初めまして、俺は松本です、お名前を伺っても宜しいですか?」

「…」


松本の問いは答えずカンガルー(仮)は握った拳の甲を見せた。


「(う~む、これはどう解釈するべきか?)」

「…」


松本が悩んでいるとカンガルー(仮)が一礼し左足から踏み出して1歩前に出た。


「(むむ! この流れるような美しい所作、試合を申し込まれていると見た!

  ふふ…よもやこの世界で武道に通じる者と出会うとはな…、

  良かろう! 冒険者ではなく元柔道家、松本実としてお相手致す!)」


武道家魂に火が付いた松本も3メートル程位置で向かい合い一礼して左足から1歩前へ。


「「 … 」」


視線が合うと両者同時に構えた。


松本の構えは少し前傾姿勢で拳は握らず両手を胸の高さに上げ、

左足を半歩前に出しつつも体の前面が相手に向いた状態。

※柔道的に言えば左構え、生前の松本は右利きのくせに

 柔道のみ左利きという変わり者です。


一方、カンガルー(仮)は緩く握った右手を胸の前に置き、

左手は90度に曲げてヘソの前に、左足を1歩半前に出し半身の構え。


「(やはり柔道家ではなかったか、構えから察するに打撃を主と武人だろう、

  歩む道が異なるため何をもって勝利とするかは難しいところだが、

  武を重んじる者であれば己の敗北は本能的に理解できる筈、

  俺の敗北はの打撃に屈した時、そして勝利は投げて相手の背を地に付かせた時)」


互いに牽制し合いながらジリジリと距離を詰めて行く。


「(柔よく剛を制すという言葉には限界がある、

  柔道において体格差と筋力差は勝敗に直結する絶対的な優劣だ、

  体格筋力共に劣っている俺が勝つには相手の股下に潜り込み担ぎ上げるしかない、

  問題は引手だな、袖の変わりに手首でもいいが掴ませてはくれんだろう、

  両襟での不完全な背負い投げがどこまで通じるか…

  いや、そもそも攻撃を躱して襟を掴めるのか?

  筋トレで疲弊しきった体で挑むにはあまりにも強大な相手だ、

  ふふ…このヒリつく感じ…堪らないねぇ)」


猛る心を鎮めながカンガルー(狩)の射程距離へと入る松本、

飛んで来た左拳を躱し、踏み込むと同時に左手を伸ばし右襟を狙う。


「(よし、取っ…)」


襟を掴んで引き寄せる前に手刀で叩き落とされた。


「(くそっ、切られた…がっ!?)」


すかさず掴みなおそうと右手を伸ばした瞬間、

松本の顔が跳ねあがった。


「うご!? っご!? っご!? うごふぅ!?」


間髪入れずにカンガルー(仮)が体を回転させ腹部を目掛けて尾の連打を叩き込む、

ショートアッパーからの竜巻旋○脚尾)のコンボを受け

松本は宙を舞いながら本能的に敗北を理解した。


「うぐぅ……はぁ…はぁ…」


松本がヨロヨロと立ち上がると両者開始前の位置まで戻り礼をして試合終了、

礼に始まり礼に終わる、それが武道である。



「御手合せ頂きありがとう御座いました、こういうのは初めてだったんですけど楽しかったです」

「…」

「(ふむ、勝敗が決した以上は言葉は無粋ということか? いや、口下手なだけかもしれん)」

「…」


カンガルー(仮)が城門を指差した。


「あ、もしかして入場手続きですか? まだ時間が早いので今は受け付けていませんけど」

「…」

「(その辺の規則に疎いということは俺と同じで田舎から出て来たのかもな、

  もしくは各地を放浪する世捨て人的な修行者か)

  入場手続きですよね? ちょっと何時から受け付けが始まるか聞いて来ましょうか?」

「…」

「(ふむ、頷きはするが話はしないか、武を極めんとするが故に修行に明け暮れ

 人との接し方を忘れてしまったのかもしれん、そこまで行けば求道者だな)」





てなわけで魔法の粉をグビグビしながら城門に隣接した衛兵の待機所へ。


「おはよう御座いま~す、すみません早い時間に」

「ん? どうした問題児? また何か問題を起こしたか?」

「いやそんな…起こしてませんよ人聞きの悪い…」

「起きてんだよ、奇声に対する苦情が来てるぞ~、それも2件」

「え? うそん…」

「嘘なもんか、マジマジ大マジだっての、お前ねぇ~

 カットウェル衛兵長が容認してるから大目に見てやってるが、

 気を付けないとヤバいぞ~、苦情の差出人は城壁の外を魔物がうろついてると思ってる」

「はぁ…魔物ですか…」

「お前の奇声はそういうもんなの、人の声じゃねぇからアレ、

 俺も初めて聞いた時は発情期の魔物が発狂してのたうち回ってんのかと思ったわ」

「す、すみません…(妙に具体的だな…)」

「こういう苦情とか困り事ってのは最初は住民達の頼れる相談役である俺等に来るわけ、

 その次はどうなるかわかるか~問題児?」

「冒険者ギルドですか?」

「そういうこと、討伐依頼が出されても知らんぞ」

「今後は出来るだけ声を出さないように努力します~」

「おう」

「(討伐対象になるのは洒落にならん…気を付けよう…)」


既に未確認の魔物として討伐依頼が出されているので手遅れである。


なお気狂王(球)の正体に気が付いているのはウルフとシルバのみなので

人前で狂気全開で大暴れしない限りは大丈夫である。


 

「で? どうしたんだ?」

「いつもの場所で筋トレしてたんですけどカンガルーみたいな獣人の人が来てですね」

「カンガルーみたいな獣人? …もしかしてカンガリュウのことか?」

「(カンガリュウ?)道着を着たカンガルーみたいな人です」

「ん? 人? 確認なんだがカンガリュウなんだよな?」

「あ~…え~と…(これはあれか? 発音の問題か?)」

「黒い帯と赤いハチマキ巻いてたか?」

「巻いてました」

「じゃカンガリュウだ、へ~カンガリュウがねぇ~」

「(ほう、やはりカンガルーじゃなくてカンガリュウなのか)」

「なになに~? 今カンガリュウって言ってた?」


男性の衛兵と松本が顎をスリスリしていると女性の衛兵がやって来た。


「おう、来てるらしいぞ」

「へ~珍しい、去年来たっけ?」

「いや、俺は記憶にない、お前は?」

「私も見てないね」

「じゃ2年振りか」

「いやいや、最近は全然話も聞かないし絶対もっと来てないよ」

「そうか」

「私呼んでこようか? 丁度新人が会いたがっててさ、

 噂の舞台観に行ってハマっちゃったんだって」 

「知ってるよ、俺もその話されたから、

 ギルドに行けば割と会えるって教えてやったけど、なに? 行ってないの?」

「依頼も無いのに顔出すのは悪いってさ、向こうは仕事中なわけだし」

「私的な時間の方が悪いだろ、新婚さんだぞ」

「まぁまぁ、今回は正当な仕事なんだがらいいでしょ」

「んじゃ任せる、時間も早いし失礼が無いようにな」

「あいあい」

「(何の話してるんだ?)」

「先輩達さっきから何の話してるんですか?」

「(あ、同じこと言ってる)」


松本が様子を伺っていると如何にも新人っぽい雰囲気の衛兵がやって来た。


「はいはい、新人は黙って付いて来る」

「え? 何処にですか? 見回りの交代はまだの筈ですけど…」

「別件の担当者を呼びに行くんだって、

 詳しいことは道中で教えてあげるから黙って付いて来なさい」

「なんか先輩ニヤニヤしてませんか?」

「別に~いや~君は実に幸運だよ、幸運過ぎて私に昼ご飯を奢りたくなるだろう」

「なりませんよ、どういう理屈ですかそれ」

「お、良いなそれ、留守番を引き受けた俺の優しさも忘れないでくれよ~」

「いやそっちの方が楽でしょ、はいはい行くよ~」

「どういうことですか先輩? ちょと~」


女性の衛兵と新人衛兵が出て行った。


「まぁそういうことだ、ちょっと担当者呼んで来るから待っててくれるか」

「はぁ…(なんだ担当者って? 役所に武人専門の窓口でもあるんか?)」

「あそうだ、やっぱりカンガリュウが帰ると困るから引き留めといてくれ」

「分かりました、因みに入場手続きの開始時間って何時ですか?」

「7時だぞ、どうかしたのか?」

「いや、カンガリュウの人が入場したがってるっぽいので」

「(人ねぇ…)そりゃアレだな、お前の勘違いだ、いろいろと」

「はぁ…」






取り敢えず引き留めるためにカンガリュウの元へ。


「このパン俺が作ってるんですよ」

「…」

「実は結構評判なんですけど、カンガリュウさん美味しいですか?」

「…」

「それは良かったです(ふむ、2択の質問なら意思がはっきりと分かるな)」

「…」

「塩か塩胡椒を振るともっと美味しいんですけどね、あ、入場手続きは7時かららしいです」

「…」


松本産の一斤の食パンを半分づつ分けてモッチャモッチャしていると

剣を抱えて満面の笑顔で鞘に頬ずりする新人衛兵と

その様子に生暖かい視線を送る女性の衛兵と

欠伸をするパトリコが向かって来るのが見えた。


「(パトリコさんが担当者だったのか、なるほど、

  歯には歯を、レジェンドにはレジェンドということか)」

「…」

「(なんかあまり興味無さそう…)」


3人を確認したカンガリュウは特に反応を示さず食パンを千切ってモッチャモッチャしている。


「ん?」


3人が近くまでやって来るとパトリコの後ろにもう1人いたことに気が付いた。


「あれ? ヤルエルさんも一緒だったんです…ぇ?」

「やぁマツモト君、おはよう」

「おはよう御座います…パトリコさんもおはよう御座います」

「おう、元気そうだな坊や、今日もやってたのかい?」

「勿論バリバリやってました」

「いいねぇ、それでこそさ、素質はあるんだ、もっともっとやりな」

「そうしたいところなんですがちょっとやり過ぎちゃったみたいで、

 踏ん張ってる声が煩いって苦情が入っちゃいました」

「他人の意見に左右されてる内はヒヨッコだよ、限界なんてのは自分で決めるもんさ」

「いや流石にマズいですって、俺魔物と勘違いされてるっぽいんで、

 いつか討伐依頼出されちゃいますよ」

「だはははは! 安心しな坊や、その時はアタシが討伐してやる」

「え~勘弁して下さいよもう~」

「だはははは!」

「ははははは!」


なんて笑いながらも松本の内心は準備運動中のヤルエルに釘付けである。


「(おぃぃなんだその恰好! そういうことか!? そういうことなのか!?)」


黒い肌着の上に袖の無い桃色の道着を着用し、

腰には青帯、両拳には紫色の小さめのグローブを装備している。


カンガリュウと酷似しており色違いのお揃いっぽい、

ハッキリとした違いはヤルエルが道着の下穿き(ズボン)を履いていることである。


「(まさかヤルエルさんが担当者だったとは…)」


頬を両手で叩いて気合を入れており対戦する気満々である。


「うふふ、うふふふ」

「はいはい、嬉しいのは分ってたら、まだ仕事中だって」

「だって先輩うふふふふ…今日の昼ご飯何が食べたいですか? 奢っちゃいますよ私」

「そりゃもう夜勤明けといったらガッツリ肉でしょ、寝る時の満足感と幸福感が堪らないのよねぇ」

「行きましょ行きましょ、先輩も幸せになって下さいよ~」

「いや~悪いねぇ~新人君」


新人衛兵が頬ずりしている鞘をよく見るとヤルエルのサインが書かれている、

演劇役者兼脚本家であるヤルエルの熱烈なファンだったらしい。






「(ヤルエルさんって確か弱いって言ってたよな? 

  カンガリュウさんってパトリコさんレベルでレジェンドだと思うけど大丈夫なのか?)」

「ふふふ…気になるかいマツモト君? この見慣れない衣装が」

「え? いや衣装って言うか道着…」

「これは真の強さを追い求める者のみが身に着けることが出来る防具でね、

 少し丈夫な布で出来てるけど服とそう変わらない、防御力は無いに等しいんだ」

「うん、でしょうね(良く知ってる)」

「敢えて身を危険に晒すことで精神を研ぎ澄まし、

 そして敢えて武器を使わないことで肉体鍛える、鍛錬を重ねて技を磨き、

 いつの日か自分自身が最高の武器であり防具となる」

「え~とつまり、武器や防具に左右されない純粋な個としての強さこそが真の強さと」

「うんまぁ、そんな感じかな、これを着るにはそういう心構えが必要ってこと」

「(この魔法と武器が当たり前の世界で無手ねぇ…まぁ武道家としてなら別だとは思うけど…)」


武道は単に強さを求めるものではなく、

人格、道徳心、礼節など人としての在り方を養うものである。



「それが長年パトリコさんを追い続けた僕なりの答えさ」

「ふん、ヤルエルにしてはなかなか悪くない着眼点だ、

 魔物相手に武器を無くした程度でうろたえるようなヒヨッコは何も守れやしないからねぇ」

「(あか~ん! 絶対これ実戦の話だぉぉ! 

  参考にしてはいけない人を参考にしたせいで変な方向に拗らせてるぅぅぅ!)」


バトーを参考にして無茶苦茶やってる松本が言えた義理ではない。


「ヤルエルは武器の扱いも下手だし魔法もパッとしねぇからなぁ、

 だが素手で倒せるようになれば問題ねぇ、アタシは好きだぜそういうの」

「(阿保かぁ! 元Sランク冒険者基準で背中を押すんじゃないよ!

  夫婦なら止めろや! 最愛の夫が死ぬぞ!)」

「ははは、なんかパトリコさんに褒められると照れるな」

「(何照れてんだコラァ!? だから死ぬって! 

  素手で魔物を倒せたらそれはもう勇者なの! ネネ様レベルだってのそれは!)」


松本が下唇を嚙みながら眼圧で無言の講義をしている、

なお、光の3勇者のネネはコカトリスくらいなら素手で簡単にシバケけるらしい。


「どんな生き物も寝てる時が一番無防備になる、でも真に強ければ対処できる筈、

 ってことでこの防具は僕が父さんの寝衣を参考にして職人と相談して制作したんだ」

「(道着じゃなくてナイトローブだったんかい…)」


袖は動き難いから無しにしたらしい、

最も無防備な状態を考えた時に寝てる時か入浴中の2択だったのだが、

全裸はいろんな意味で危険に身を晒し過ぎということでナイトローブになったそうな。


因みに、この世界に武道は存在しておらず

強い冒険者になりたかったヤルエルが拗らせただけなので開祖とか流派とかない、

そもそも柔道とか空手とか合気道とかの名称もない、

他の冒険者からすれば「アイツ変な鍛え方してるな~」くらいである。




「あの~…やる気満々のカンガリュウさんの着てるヤツは?」

「僕が昔あげたヤツだよ、彼とは長い付き合いなんだ」


ヤルエルを見てからカンガリュウはずっと正拳突きでウォーミングアップ中、

腰を落として拳を繰り出す度にシュバンッ!と音が聞こえる。


因みに赤いリストバンドはボロボロになったグローブの残骸で、

手首の部分だけが残ってそう見えているだけである。



「始めて彼と会ったのは僕が20歳の時、勇者に憧れて冒険者として…」


ヤルエルが回想に移行しようとしているが長いので割愛。


要約すると冒険者として芽が出ないながらもバリバリ頑張っていた時に、

ふらっと現れた幼いカンガリュウに勝負を挑まれて惜しくも敗北(自称)、

その後は真の強さを求める心意気を認め合い、

道着?を渡して互いに競い高め合うというスポコン少年漫画みたいな日々を過ごし、

3年後にカンガリュウは更なる強者を求めて武者修行へと旅立ったが、

数年おきに友でありライバルであるヤルエルと試合をするために戻って来るらしい。


まぁ、全然才能に恵まれず松本にも劣るヤルエルに対し、

カンガリュウは筋肉、戦闘力共にレジェンド級、

現在の2人の実力差は月とスッポンであり比べるのもおこがましいレベル、

ライバルとは呼べたのは精々出会って1年目まで、

…というか1度も勝ったことはないので半年でも怪しいくらいである。




「ヤルエルさんが20歳の時って何年前ですか?」

「35年前だね、僕こう見えて55歳だから、よいしょっと、柔軟はこんなものでいいかな」

「へ~じゃぁカンガリュウさんも結構な年齢なんですね」

「最初会った時は幼かったけど、う~ん…どうかなぁ? 

 あの時を10歳とすると今は45歳くらいじゃない?」

「長い付き合いなのに年齢聞いたことないんですか?」

「うん」

「(…ふむ、まぁそういう関係性もあるか)カンガリュウさんって何歳なんですか?」

「…」


松本の質問に答えることなくカンガリュウは

少し屈んだ状態から拳を付き上げながら飛び上がる技(昇○拳)の練習中。


「(はぇ~凄い高低差、こんなん真面に受けたら首もげますよ)

 あの~カンガリュウさん、集中してるとこ申し訳ないんですけど…」

「…」

「あの~(いや待てよ、2択の質問で年齢を聞くのは大変だな)」

『 … 』


悩む松本に対しヤルエル以外の一同が目を細めている。


「…何やってんだい坊や?」

「え? あ、もしかして失礼でしたか? 種族的に年齢効いたら駄目とかそういう…」 

『 … 』

「ん?」

「失礼かどうかは知らねぇけど、カンガリュウは魔物だがら喋れねぇぞ」

「んん!? 獣人じゃなくてですか?」

「おう、魔物だ、学校で習わなかったか?」

「あ~…」


そう、カンガリュウとは個人名ではなく魔物の名称、

正確にはガチムチカンガリュウである。





『ガチムチカンガリュウ』

筋肉隆々のカンガルーっぽい魔物、

「俺より強いヤツに会いに行く」をモットーとし

生涯を掛けて個の強さを探求する向上心と礼儀を重んじる気高い武士道精神を持つ、

大体3~5家族の群れで生活しており、

若いオスは1人立ちすると武者修行の旅に出るのは有名な話、

たまに町にやって来て衛兵とか冒険者に試合を申し込んだり、

街道で休憩中していると申し込んできたりする、

極めて友好的な魔物であり理不尽に襲い掛かって来たりはしない、

逆に襲い掛かると武士道精神関係無く全力でシバかれる、

両者向かい合って礼をすると合意とみなされ試合が始まるので気を付けよう。




同じ獣人でもウルフ族が人寄りの獣人であるのに比べ、

ニャリ族が魔物寄りの獣人であるように、

同じ魔物でもガチムチカンガリュウは人寄りの魔物である。


「(なるほどなぁ、どおりで全然話さないわけだ)」


因みにこの辺りも学校で習うのでカード王国内では皆知ってる常識である。








「待たせたね、始めようか」

「…」


ヤルエルとカンガリュウが向かい合い礼をして一歩前に。


「正直に言うと僕にはもう君と戦う資格は無いんだ、

 役者の道に進んでね、違う形で勇者になる夢を叶えたよ」

「パトリコさん、ヤルエルさんも話し掛けてますけど」

「アレは独り語りだろ」

「そうですか」

「冒険者は殆ど引退してて体もあまり鍛えてはいない、

 実力差は縮まるどころか6年前に戦った時より弱くなってると思う、でもねリュウ」

「リュウって名前なんですか?」

「勝手にそう呼んでるだけだと思うぜ」

「そうですか」

「今日の僕は今までで1番強いよ、はは、矛盾してるよね、でも本当さ、

 実は最近結婚したんだ、愛する人が抱き締めてくれた時の喜びを僕は知ってる、

 愛する人の力になりたいって気持ちが僕を強くしてくれるのさ」

「パトリコさん」

「こっち見るんじゃねぇ、恥ずかしい」

「そうですか(照れてますな)」

「「 (きゃ~)」」


衛兵2人は目を輝かせてキュンキュンしている。


「無駄話はここまでにしよう、愛によって人がどれだけ強くなれるか、

 友として僕が君に教えてあげるよ、せやぁ!」

「…」


ヤルエルが前方に大きく飛び空中で素早い2連脚(断○脚)を浴びせる、

割と凄い技だと思われるがカンガリュウは片手1本で防ぎ、

着地する前にショートアッパーでヤルエルの首を跳ね上げた。


「うごっ!?」


からの昇○拳。


「おごほぁ!?」


宙を舞ったヤルエルは本能的に敗北を理解した。


「はぁ…はぁ…」


ヤルエルがヨロヨロと立ち上がり瀕死の状態で礼をして試合終了。




「パトリコさん、負けちゃいましたね」

「ま、当然だな」

「愛の力は?」

「阿保か、んなもんでどうにかなるわけねぇだろ」

「え~冷た~い、そんなに突き放したらヤルエルさんが可哀想ですよ」

「はぁ~…感情で強さが変わるってのは否定しねぇけどよ、限度があんだろ、

 ヤルエルは心構えと気概だけは立派だがとにかく弱ぇ、おら大丈夫か?」

「ご、ごめんパトリコさん…なんか偉そうなこと言ってあっさり負けちゃった…」 

「誰も期待してねぇっての、大体なんなんだあの蹴りは?」

「一応僕の中では一番凄い技なんだけど…恰好良い技…」

「派手なだけで全く意味がねぇ、2度と使うんじゃねぇぞ、

 あんな地に足が付いてねぇ蹴りが効くわけねぇだろ」

「(ぜ、全否定…)」


ヤルエルが心にもダメージを負った。


「飛ぶなら飛ぶで利かせ方ってのかあんだよ

 ま、ヒヨッコは座って傷でも治してな、アタシが手本を見せてやる」


ということで今度はパトリコがカンガリュウと試合をすることに、

両者礼をして試合開始。


「…」

「良いぜ、いつでも来なよ」


今までにない強敵感にカンガリュウの顔付が変わった。


「どうやら本気になったみたいだね」


両手を上げてジリジリと距離を詰めて行くパトリコに対し、

カンガリュウが両手を見えない球体を抱えるような形で右腰の高さに構えた。


「ヴァッ!」


初めて発した鳴き声と共に両手を前に突き出すと、

球状のキラキラした衝撃波が放たれた。


「ふん!」


パトリコが両手で顔を覆い正面で受けとめると巨体が少し後ろに押し返された、

小柄な松本なら数メートルは吹き飛ばされる威力だと思われる。


「(え? 波○拳?)」

「多分マナを飛ばしてるんだと思う」

「なるほどマナですか、気とかじゃなくてマナですか」

「うん、たぶん純粋なマナ、僕もあんな技初めてみたよ(気?)」

「そうですか」


厳しい修行の末に体得したそうな、

カンガリュウの中でも扱えるのはリュウだけらしい。


「ヤルエルさん的にはアレはありなんですか? ほぼ魔法というか飛び道具になるのでは?」

「いやまぁ…魔法とはちょっと違うし? パトリコさん次第じゃない?」

「そうですか」


正直カンガリュウ界隈でも賛否が分かれるところだが、

裏を返せば使わずを得ないほどにパトリコが脅敵だということである。


「アタシは構わねぇぜ、撃ちたきゃ撃って来な」

「ヴァッ!」

「ふん! その程度の威力じゃ何度受けても効きゃしないよ!」

「ヴァッ!」

「ふん! (そろそろ変えて来るだろうね)」

「ヴァッ!」


パトリコの読み通り波○マナから足を狙った下段蹴り(尾)へ。


「ふん!」


からの竜巻旋○脚(尾)からの昇○拳、

渾身のコンボは鉄壁のパトリコブロックに全て防がれた。


「迂闊に飛ぶんじゃねぇ!」

「!?」


そして攻守交替、昇○拳で飛び上がったカンガリュウに後追いで飛び掛かり、

空中で捕らえて瞬時に上下を反転させ、

横回転を加えながら落下し地面に叩きつけた。


「カ…」


どこぞの赤きサイクロン並みの強烈なスクリューパイ○ドライバーにより1発KO、

レジェンド対決はパトリコが制し、

カンガリュウは本能的に敗北を理解する暇も無く失神した。





「やり過ぎだよパトリコさん、こんな危ない技…大怪我したらどうすんのさ?」

「だははは! コイツはこの程度でどうにかなるような鍛え方はしてねぇだろ、

 それにヒヨッコのお前と違って手加減できる相手じゃなかったしな」

「だからってさ…」

「あ、気が付いたみたいですよ」

「大丈夫かいリュウ? 一応回復しといたけど痛い所はないかい?」

「頭の怪我は無理しない方がいいですよ、脳内出血とかメッチャ怖いんで」

「…」


体を起こしたカンガリュウはヤルエルと松本に頭を下げてから立ち上がった。


「お? またやるってんなら付き合うぜ」

「…」

「そうかい、んじゃここまでだな」


首を横に振り敗北の意思を伝え、しっかりと頭を下げて試合を終わらせた。






そして身に着けている物を全て外し、道着を綺麗に畳んでヤルエルに差し出した。


「リュウ…パトリコさんに負けたから辞めるってこと?」


寂しそうな顔をするヤルエルに対し首を振り後ろを向いて手招きすると

お腹の袋に小さなベイビーを抱えたつぶらな瞳のカンガリュウと、

そこそこ育った子供のカンガリュウが2匹やって来た。


「もしかして君の家族かい? 奥さんに子供が3人もって…

 はははっ、どおりで僕が負けるわけだ、君も愛を知っていたんだね」

「いや、お前が負けたのは単純に弱いからだろ」

「「 うんうん 」」


パトリコの的確なツッコミに衛兵2人が頷いている。


「(う~む、子供でもムキムキだ、素晴らしい)」


一方、松本は逞しい筋肉に釘付け、

伊達に種族名にガチムチが付いているわけではない。





「はぇ~凄い数ですね先輩」

「こんなに沢山見たの私も初めてだわ」


更にカンガリュウは増え、最終的には4家族15匹になった。


「おいヤルエル、コイツ等何のために集まってんだ?」

「いや僕も分からないよ、リュウに聞いてみるしかないね」

「何言ってんだか、魔物に聞いてもどうしようもねぇだろ」

「そんなことないよ、ちゃんとリュウは人の言葉を理解してるって」

「へ~…魔物がねぇ…」

「「 うんうん 」」


パトリコと衛兵2人が疑いの視線を向けている。


「リュウさん達は何に来たんですか?」


松本の質問に対しリュウが城門を指差した。


「「「 ん? 」」」

「ほら、今の見たでしょ、リュウはちゃんと理解してるんだって、

 人の言葉を話せないから対話が出来ないだけでさ」

「町に入りたいんですか?」


松本の質問に頷いた。


「マツモト君上手い上手い、あんな感じでさ、

 ハイかイイエの2択の質問ならちゃんと答えてくれるんだ」

「へ~、ほんじゃお前何歳なんだ? 43歳か?」


パトリコの質問に首を横に振った。


「ね? パトリコさん信じてくれた?」

「まだ分らねぇだろ、テキトウに反応してるだけかもしれねぇ、

 44歳、45歳、…42歳、41歳、40歳、…全部違うじゃねぇか、やっぱりテキトウだろ」

「だから違うって、信じてよパトリコさん」

「先輩は信じます?」

「いや~どうかなぁ? ちょと…ねぇ?」

「39歳ですか? じゃ38歳」


松本の質問に頷いた。


「「「 え? 」」」

「リュウさんは38歳らしいです」

「39、38、37、39、38」


パトリコが数字を伝えると38の時だけ頷いた。


「マジかよ」

「「 へ~ 」」

「(う、嘘ぉ…じゃ僕は…)」

「どうしたんですかヤルエルさん? 急に静かになりましたけど」

「な、なんでもないよマツモト君…ははは…」


ヤルエルがリュウと初めて試合した時の年齢は20歳、

そして現在38歳ということは当時のリュウの年齢は3歳、

いい歳した大人が3歳児にボコボコにされていたという事実がショックだったらしい。





その後、ヤルエルがいろいろ質問した結果、

カンガリュウ達は町に避難しに来たことが分かった。


「住民の人達に被害を加えることはないと思いますが

 これだけの数の魔物が入場することは可能なんでしょうか?」

「どうなんですか先輩?」

「私が決めれるわけないでしょ、魔族から避難して来たってことは

 騒ぎが収まるまでは町の中で生活するってこと、

 こういうのはロックフォール伯爵に確認するしかないわね、行くわよ後輩~」

「はい~ヤルエルさん私応援してますから~演劇頑張って下さい~次回作も期待してま~す」

「ありがとう、でも暫くは今の演目だよ~良ければまた見に来てね」

「は~い!」


衛兵達が去ったあと城門の近くで待っていると入場の許可が出た。






取り敢えず魔物ということで魔物園で受け入れることとなり、

大きなゲージとか無いし温厚なので園内で自由に過ごして貰うこととなった。


「(カンガルーって寝転ぶと一気にオッサン感がでるよなぁ)」


その結果、お触りコーナーに寝そべってお腹をポリポリしているカンガリュウは、

松本に耳をピロピロされ。



「そうそう、ホウキの使い方上手ね~」

「そのリンゴはこの子達の分だから食べたら駄目だって、

 ママ~、カンガリュウって肉食べないんだっけ?」

「リュウさんはお肉食べるの? あら~そうなの、ロキ~食べないみたいよ~」

「んじゃ果物の量増やさないとマズいじゃん、でもどれくらい必要なのか分かんないんだよね」

「沢山用意しましょ、こんなに仕事してくれてるんだもの報酬はちゃんと出さないとね」

「ちょっとママ簡単に言わないでよ、果物って高いんだから」

「(従業員みたいになってる…)」


何匹かのカンガリュウはチチリとロキに仕事を仕込まれていた。






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