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280話目【男同士の秘密の会話】

時刻は早朝、ダナブルの南東の城壁外にて。


「ぬぁぁぁ…ぁあ! んがぁぁぁ…ぁぁあ!」


上裸の松本が棍棒を素振り中、日課の筋トレである。


「んぬ…っく…がぁぁ…、はぁ…はぁ…最後…、

 最後ぉぉっ…へぁぁぁ!! ……かはぁっ……終わったぁ…」


棍棒を静かに降ろし前かがみで息を整えている。


「はぁ…はぁ…」


滴る大量の汗と小刻みに震える両腕は普段通りだが、

今日は視界が白飛びし感覚が遠退き始めたのでいつもより長めに前かがみ中、

ヘタに動くと倒れるので感覚が戻るまでは静止あるのみである。


「………ふぅ~…戻って来た、今のはギリギリだったなぁ」


などと軽口を叩きながら右手をニギニギしているが、

魔物に襲われたら普通にパクっといかれる可能性が高いので普通に危険である、

城壁外で失神しかけるのは無防備が過ぎるので絶対に真似をしてはいけない。


どうしても限界まで追い込みたいのであれば

他の人達のいる時間に行うか、安全な城壁の内側で行うべきである。




「お疲れ」

「うぉ!? ってあちょ…あだぁ!?」


背後から突然声を掛けられ飛び退こうとしたが足が縺れて転んだ、

下半身の感覚がまだ戻り切ってなかったらしい。


「なんか…驚かせてしまったみたいだな…」


ひっくり返った松本を見下ろしていたのは白い甲冑だった、

中途半端に前に出した右手から申し訳なさが滲み出ている。


「おはよう御座います」

「おはよう、大丈夫か? 手を貸そう」

「いえ大丈夫です、ちょっと足の感覚が戻ってなかっただけなので、

 よいしょっと、砂ついちゃったな…」

「君はいつもこんなことをしてるのか?」

「雨が降ってなくて用事がない日だけですよ、

 休むと鈍っちゃうから本当は毎日やりたいんですけどね」


平均すると大体週5~6日はやってるらしい。

(チーズ工場と衛兵の詰所に収容されていた日を除く)


「背中も砂付いてますか?」

「右肩の辺りにな、私が払おう」

「これでお願いします~」


タオルを渡してはたいて貰った。


「俺は使い終わったんで棍棒貸しましょうか?」

「やめておこう、この体は鍛えても成長することはない、可動部の摩耗が早まるだけだ」

「確かに」


なんとも奇妙なやり取りに思えるがそれもその筈で、

白い甲冑の正体は箱舟の守人、全身魔道補助具のノアである。


「あの~筋トレが目的でないのであれば何故ノアさんがここに?」

「起動後のゴタゴタが落ち着いたら話がしたいと思っていたのだが

 なかなか時間が合わなくてね、君は施設に来ない日もあるし」

「はぁ、それで施設を抜けて来たと」

「ロックフォール伯爵の許可は取ってあるよ」

「へぇ~」




前日のシード計画施設内にて。


「え? マツモト君? そうだな~冒険者もやってるし

 ここでの仕事はもうあまりないらしいから次来る日はちょっと分からないかな、

 会いたいなら直接家に行った方が早いかも」

「なるほど」 

「あ、早朝に城壁の外に行けばほぼ確実にいると思う、筋トレしてる筈だから」

「そうですか、それはどの辺りで?」

「たぶん北東の冒険者達がよく使ってる訓練場所だと思うけど、

 衛兵さん達に聞いた方が確実かな、要注意人物として目を付けられてるらしいから」

「なるほど…(何故?)」

「筋トレしてたら止めるように伝えて欲しいな、

 身体を休めないと回復病が悪化しちゃうからさ、絶対辞めないと思うけど」

「なるほど…(それは大丈夫なのだろうか?)」


みたいな感じでトナツから情報を得てわざわざやって来たらしい、

因みに、衛兵に尋ねるまでもなく奇声で場所が判明したそうな。






「互いに人には言えない秘密を抱える身だがここなら気兼ねなく話が出来る、どうかな?」

「この時間は誰も来ませんからねぇ(ジェリコさん達はカンタルに行ってるし)、

 分かりました、少し休憩にします」

「休憩? 君はまだ何かやるつもりなのか?」

「盾弾きの練習です、ほらその~ノアさんの後ろに吊るされてる袋を盾で弾くんですよ、

 こうファンって、素振りと盾受けを1000やるのがここでの目標です、

 スクワットとか懸垂は家でも出来るんで」

「(これを…なるほど、回復病になる筈だ)」


ずっしりとした麻袋の重み確かめながらノアが納得している。


「ドーナツ先生が過度な筋トレを止めるようにと言っていたよ、回復病が悪化すると」

「うっ…わ、分かってはいるんですけどねぇ、サボると直ぐに筋肉落ちちゃうし…

 やればやるだけ成長するし…ノアさん知ってますか? 筋肉は裏切らないんですよ」

「そ、そうか…君の体だし好きにしたら良いとは思うが…私から見ても異常ではある」

「そうですか?」

「うん、なんか怖い、とういか気持ち悪い」

「(気持ち悪い?)」


ただでさえ顔と体のバランスが合っていないのに、

素振り直後でパンプしているため威圧感が凄いことになっている。


「胸をピクピクさせるのを止めて欲しい」

「はい」


ダナブルに来た時よりも筋肉に厚みが増しており2周り程大きくなっている、

どう考えても子供が所持していて良いものではい、トラックで例えるなら過積載である。





「君の場合は精神年齢と肉体年齢に乖離があるし、

 一般論は当てはまらないだろう、元の世界でもそうだったのか?」

「まぁ、そうですね、筋トレはしてましたから、

 ここまで追い込んではいませんでしたけど、元々体を鍛えるのは好きです」

「異なる世界を渡り別の人生を歩んだとしても、君という人間の本質は変わっていないのだな」

「そりゃそうですよ、そういう言い方をすると大袈裟に聞こえますけど、

 環境が少し変わっただけで知らない土地に引っ越したのと大差ないですから、

 俺は本当は38歳ですし、いやこっちに来て1年位経つから39歳か?

 とにかく40年近く生きてたら凝り固まっちゃって簡単には変わらないですって」

「ははは、それもそうか、しかし世界間の移動が引っ越し感覚とはな」

「1日が24時間だったり、1年が12か月だったり、前の世界と基本の部分が同じなんです、

 計算方法とか長さとか重さの単位も同じですし」

「ほう、興味深い話だ」


ノアが少し前のめりになって顎のあたりを右手でサワサワしている。


「(分かり易い、こういう話好きそうだなぁ)」


好奇心が刺激されたと時にでる生前の癖らしい。




「前の世界と近い世界を選んだってのが大きいとは思います」

「選べるようなものなのか?」

「いや~多分特例でしょうね、普通に死んで魂の泉に行ったら無理だと思います、

 俺はほら、寿命とか運命とかで死んだんじゃなくて、

 へっぽこ女神のしょうもないミスで殺されたみたいな感じなので、

 しかも誤魔化そうとしてましたし、相手の不手際による救済処置ですよ」

「う、う~む…運が良いのか悪いのか…(面白い話ではある)」


右手のワサワサは継続中。


元の世界に帰れなかったので良いか悪いかは受けて次第、

松本的にはどちらでもないらしいが、

猫アレルギーがリセットされたことはメチャクチャ喜んでいるそうな。


「前の世界と比べたらいろいろと不便なこともありますけど、

 こっちの方が便利なこともあります、魔法はとにかく凄いですよ」

「回復魔法かな?」

「あ~それも凄い、腕が取れても元に戻せるとか凄すぎです、

 手術とかも次元が違うんだろうなぁ、直ぐに傷を塞げるから復帰まで早そう」


実際に手術しても即日退院できてしまうから凄い、

王都のレジャーノ伯爵の執事であるカーネル(パニー)も

王都襲撃時に右目を負傷し残った異物を取り除く手術を行ったが、

翌日には仕事ができる状態だった、なおレジャーノ伯爵に睨まれて止められた模様。


「回復魔法も凄いですけど俺的には水魔法の方が驚きですね、

 いつでも綺麗な水が手に入るってのは凄く価値のあることなんですよ、

 前の世界では雨不足で苦しんでる場所もあったし、

 飲み水が確保できなくて凄く遠い場所まで汲みに行く人もいて、

 水を巡って争うことも実際にあったんです、生きている者にとって水は必要不可欠ですから」

「水か、確かに本来であればカップ1杯分すら手に入れるのは難しい、

 雨を待つか井戸を掘るか、何れにしろ自然に依存する、飲める状態にするには更に手間が掛かる、

 私達は精霊様から頂いた恩恵を何処か当たり前のように感じてしまっているな」


ノアが腕を組んでうんうんと頷いている。


「ノアさんはどうなんですか?」

「ん?」

「本質の話です、体が変わった点ではノアさんも俺も同じです」

「私も変わってはいないだろう、話し方は意図して変えているがな」

「あ、そうなんですか」

「話し方や仕草には個人の特徴がよく表れる、

 知る者が見れば意識しなくとも分かってしまうものだ、親しい間柄なら特に」

「さっき怪しい仕草出てましたよ」

「ん?」

「サワサワ」

「っく…なかなか難しいな、気を付けよう」


因みに、カプアと2人きりの時は素の話し方らしい。


 

「やっぱりバレると駄目なんですか?」

「倫理的な問題が大きいな、何も知らない者からすれば

 私の今の状況は永遠の命を手に入れたに等しい、

 死を恐れる者、もしくは別れを受け入れられない者は同じ成果を求めるだろう」

「別れを受け入れられないか…そういう目線も確かにありますね」

「だが現実は甘くはない、私が水晶玉に留まることが出来たのは偶然に等しい」

「え? でも元々その辺を漂っている意思のあるマナを捕まえようとしてたんですよね?」

「あぁ、その理論は正しかったよ、でなければ私は存在していない」

「はぁ…(どういうこっちゃ?)」

「元からマナとして存在しているものと、肉体に結び付いているマナでは全く違う」

「といいますと? 出来たら分かり易くお願いします」

「簡潔に話せば水晶玉に捕えるのが難しく極めて再現性が低いということだ、

 身をもって経験したからこそ理解出来たよ、いや、もう身はないのだけどね、はははは」

「(笑っていいのかこれ…)」


ノアが胸のプレートをコンコンと叩いてアピールしているが、

デリケート過ぎる話題のため松本が引きつった顔をしている、


「ははははは」

「はは…は…(笑っていいのこれ? どっちだぁぁぁ!?)」


声に抑揚が少ないうえに表情がないので余計に分かり難い。


「生き物が死を迎える時、マナは身体から徐々に離れてマナの海へと還って行く、

 徐々にというところが問題で、あ、これは実際に見て確かめたことだから間違いない、

 私はマナがある程度見える体質だったんだ」

「その辺りはロキさんとカプアさんから伺っています」

「そういえばカプアと魔物園に行ったのだったね」

「はい、ロキさんに写真も見せて頂いたのでノアさん…

 というかイオニアさんの顔も一応は、さらっとですけど」

「そうか、少し恥ずかしいな、以前の姿に比べれば随分と立派になっただろう?」

「力強い印象を受けます(主に肩幅が)」


元々のイオニアは垂れ目で貧弱で撫で肩である。


「基本的に死というのは緩やかに進行する、寿命だろうと病死だろう違いは無い、

 大怪我の場合は少し早まるかもしれないが概ね同じと考えて良いだろう、

 というのも本人の意思とは関係なく、意識が途絶え心臓が止まる瞬間まで

 身体は生きようとし続けるからだ、そして全ての生命活動を終えると

 マナは徐々に身体から離れ大気中に拡散しながらマナの海へと向かって上昇して行く、

 体内で生成されたマナが器を失い形を維持できなくなるのだな」

「マナが拡散する時ってボワッて広がるんですか? 圧縮された空気が解放されたみたいに」

「いや、そこまで弾ける感じではない、そうだな…水の中にコーヒーを垂らした感じだ」

「ほう(フワ~と緩く広がる感じか)」

「今説明した内容は正常な現象だがそれでは無理だ、遅いし薄すぎる、

 生前と同様の意思を保持するにはもっと瞬時に高密度のマナを捕らえなければ」

「え~と…具体的にはどうすれば?」

「まぁ、私みたいに肉体を爆発四散させれば良い、跡形もないくらいが理想だ」

「えぇ…」


女神が肉体を復元したため忘れがちだが松本の死因も爆死である。


「そうすれば生命活動を素早く終わらせて一度にマナを放出できる、

 後は拡散する前にマナを水晶玉に捕えれば良いのだが、

 水晶玉が一度に捕らえられる量と範囲にも限度がある、

 その他の不安要素を加味すると不可能ではないが再現するのは極めて難しい」

「死ぬのが怖い人がやることではないですね」

「失敗すれば何も残らないからな、悲しむ者と肉片くらいのものだ、ははははは」

「(う~む…ブラックジョーク…)」


条件を付け加えると、保存する水晶玉を対象者の直ぐ近くに置きつつ、

破損を避ける必要があるため、水晶玉を中心としたマナ暴走が唯一現実的な方法となる。





「よい…しょっと、ふぅ~」

「随分ときつそうだな」

「最初の頃に買ったヤツなんで、ちょっと小さくなっちゃいました」

「それを言うなら体が大きくなっただな」

「8歳児の体ですからね、成長期です」

「(筋肉のせいだと思うがな…)」


体がちょっと冷えて来たのでシャツを着た。




「ところで、君は意思を持つマナと会ったことはないか?」

「ないですね」

「そうか、君なら可能性があると思ったのだが」

「俺は無理だと思いますけど、ノアさんみたいに敏感じゃないので、マナの扱いも下手ですし」

「マナの扱いは関係ない、重要なのは感じられるかどうかだ、

 案外気が付いていないだけかもしれないな」

「そうですかねぇ?」

「私は生前に2度彼等に出会っている、そして守り人として起動してから更に1度」

「え? 最近会ったってことですか?」

「2日前だ、彼等には何か目的があるように感じる、

 別の世界から現れた君なら彼等の興味を引いている可能性があると思うのだが、

 キラキラと輝く光に見覚えは無いかな?」

「なるほど、そう言われるとなんだか心当たりが…う~ん……やっぱりないですね」

「そうか」


などと供述しているが気づいていないだけである。


実のところ、松本は意思を持つマナと何度か接触している、

その1つが『261話目【暴れる双子】』の最初の部分で書かれていた場面、

チーズ工場の通路で朝日を浴びてキラキラと輝いていたのがソレである。


但し、松本にマナの声を聞く能力が不足しているので

全ての接触は無駄に終わっている。


ただこれに関してはノア(イオニア)が特別なだけで、

普通の人はマナの声を聞くことはおろか存在を認識することも出来ない、

松本は極めて一般的であり何も悪くは無いので責めるのは酷である。


ノアと同レベルでマナの声を聞くことが出来た人物は、

ニャリ族のオババ様ことニャリモサくらいであり、

ニャリモヤ、カテリア、マルメロの3人が光の精霊レムを

訪れるキッカケとなった予言はマナの声を元としている。


まぁ、オババ様は遠く離れた場所で発生した魔族の襲撃を

察知できたりするのでノアとは異なる特殊な力があるのかもしれない、

なにせ御年90歳の御長寿猫、そろそろ猫又になっていても不思議はない。







「むむ、筋肉がタンパク質を欲している、ちょと魔法の粉飲んでいいですか?」

「どうぞ」


鞄から取り出したカップに魔法の粉(肉味)を付属のスプーンで山盛り3杯、

水を入れ蓋を閉めてシャカシャカすると異世界プロテインの完成。


「んぐんぐ…」


腰に手を当ててグビグビしている。


「くぅぅ~…マズイ!」

「不味いのか」

「喉越しが最悪です、生ぬるい肉味の液体ですから、不快感が凄い」

「そうか…(何故わざわざそんなものを…)」


勿体ないからである、本当はチョコ味かバナナ味が飲みたいそうな。



「2日前に会いに来たマナは何て言ってたんですか?」

「赤い光、彼、歪み、マナの海、力、閉じる、聞き取れたのは以上だ、

 赤い光と歪みは生前会った時にも聞き取れた言葉だな、

 恐らく1度目と2度目も同じ内容を話していたのだろう」

「同じ話を3回もですか、何か重要な警告だったりして?」

「私はそう感じている、何年も彼等を探したが見つけられなかった、

 この危機的状況に向こうから現れたのには意図があるはずだ」

「魔王に関することですかね?」

「可能性はあるだろう」

「う~む、赤い光と歪みと…力、マナの海…どういう意味なんでしょうか?」

「マナの海はそのままの意味として、赤い光と彼は賢者を示しているのかもしれない、

 だが文章としての意味は不明だ、施設内にある資料を漁ってみたが見当が付かなくてね、

 もしかしたらと思い君に尋ねてみたのだ」

「すみません、力になれなくて」

「いや、気にしないでくれ、他の職員にも情報は共有している、

 何かしらの手掛かりが得られることに期待しよう」

「もう1度マナが現れてくれたら良いんですけどね」

「そうだな、そちらも期待しておこう」




一方その頃、自宅のルーベンは。


「赤い光…赤い光…賢者か? 歪み…力…くそ~全然分かんないっす! 彼って誰っすか!?」


ベットの上で頭をワシャワシャしていた、

目が充血しているので考えすぎで眠れなかったっぽい、

ルーベンの健康のためにも手掛かりが得らえることを期待したい。




「そういえば体内のマナって体から離れたら拡散しちゃうんですよね?

 意思を持ったマナってどうやって存在してるんですか?」

「2つ仮説がある、1つは元々そういう特別な存在であるという説、

 こちらの方が考え方としては自然だな」

「もう1つは?」

「私と同じで体内で生成されたマナが何かしらの特別な力で拡散を防いでいるという説、

 問題は特別な力が何かということ、私は気持ちの問題だと考えている」

「ほほう、つまりは気合ってことですか、俺は好きですよその考え」


短い袖を捲り上げ松本が左腕の上腕二頭筋をアピールしている、

たぶんバトーとジェリコも好きそうな考えである。


「想いと言った方が良いかもな」

「それもまた気合ですね、分かります」

「いや違う、想いだ」


短い裾を捲り上げ右足の大腿四頭筋をアピールするが即座に否定された。


「マナの海を見たという者達は例外なく仮死状態を経験している」

「へぇ~」

「これは体を離れたマナが意思を保持した状態でマナの海へと到達し、

 再び肉体へ戻ったと考えれば説明が付く、何かを成すために自らを留めようとする想い、

 もしくは愛する者を引き留めようとする他者の想い、

 そのような強い感情が作用しマナの拡散を防いだのではないだろうか?」

「いや、俺は気合を信じます、筋肉は裏切らない」

「(う~む…これは回復病の弊害なのだろうか…、

  いや、この考えだからこそ回復病になったのか…)」


シャツを捲り上げ右の腹斜筋をアピールするとちょっと心配された。





 

「ちょと意外でした、ノアさんって根拠とか理屈を大切にしているのかと思ってましたから」

「現象には原因があり、そこに至る過程がある、答えを導くには合理的な考えが必要だ、

 だが全ての現象が合理的に説明できるとは限らない、それで良いと思っているよ、

 世界には未知が溢れている、人の感情もその1つだ」

「なるほど(柔軟な思考が大切であると)」

「想いによって絶対的な法則が覆されたなら、それは奇跡と呼ぶべき現象だ」

「想いによる奇跡か、良いですねそれ、俺好きですよその考え」


カルニとかも好きそう、というか女子達が好きそうな考え方である、

但しルドルフは除く、確実に奇跡より気合派である。



「ノアさんって食欲とかってあるんですか?」

「無いな」

「良かった、もしあったら辛いだろうなって思ってたんで」

「カプアにも言われたよ、味覚や消化器官がない体で食欲を感じ続けるのは厳しいだろう、

 だが心配ない、生身の肉体を失ったことで生命維持に必要な欲は消えたようだ」

「もしかして眠たくなったりもしないんですか?」

「あぁ、肉体的な疲労を感じることがないから休息に迫られることもない」

「それは…これから先のことを考えるとちょと…」

「単純計算で人の2倍活動できるというのは利点だ」

「でも魔王に滅ぼされた世界で休まずに活動し続けるのは辛いですよ…、

 せめて半分の時間だけも眠れたら現実を忘れて夢を見ることができるんですけど…」

「心配しなくていい、夢は見られないが思考を止める方法なら水晶玉の頃に会得したよ」

「そうですか、なら…うん、ホッとしました」


松本が申し訳なさそうに笑った。



「君は優しいな、いつだって相手の立場で真剣に考えている」

「別に普通だと思いますけど」

「いや、異常だな、君の場合は自分より相手を優先する気質がある、

 ドーナツ先生も言っていたよ、君の本質の1つは自己犠牲だ」

「そんな立派なものじゃないですけどねぇ、結構自分の感情を優先してますから、

 我儘なんですよ俺は、やりたいことをやるし、我慢できないことには全力で抗います」


悪態を付きながら小指で鼻をホジホジしている。


「あの日の夜、君は自分の立場を顧みずカプアに向き合ってくれただろう」

「まぁ、そうですけど、でもあの時はほら…絶対に誤魔化していい状況じゃなかったので」

「そうかな? 私の起動は決定事項だった、カプアかロックフォール伯爵か、

 過程が異なるだけで嘘を付いても結果は同じだった、

 だけど君はカプアを優先して全てを話してくれた、言い難いことも敢えて口にしてね」

「その節はすみませんでした…」


鼻ホジから一転し即座に土下座、その節とは松本がカプアに対して語った、

『心は魂に宿る筈なので水晶玉に保存されたマナはイオニア(ノア)ではない』の部分である。


「決してノアさんを否定するとかそういう意図は無くてですね…本当すみませんでしたぁ!」

「煩いと思ったらまたアイツか…」

「この間釈放されたばかりだろアイツ」

「今度は何してんだ?」


見回りの衛兵達が城壁の上から訝しんでいる。


「謝らないで欲しいな、君のお陰でカプアは踏み出せた、

 結果が同じだったとしても私は最愛の人の手で起動して貰えて嬉しかったよ」

「ど、どうも…」


ノアに手を差し伸べられて申し訳なさそうに立ち上がった。


「君が経験したという天界の話はとても興味深かったよ、

 魂という概念は初めて知ったが驚く程自然に納得ができた」

「マナの循環の話と似てますもんね」

「確かにそれもあるが、私の中で燻っていた疑問が解消されたからだ、

 私にはイオニアだった頃の記憶がある、だがイオニアはあの時確かに死んだ、

 なら私は一体何だ? マナになって生き続けていると捉えることも出来るが、

 味覚、嗅覚、触覚がなく、食事や睡眠を必要としない状態は生き物として異常だ、

 そしてそれを平然と受け入れることが出来る精神も普通ではないだろう」

「…」

「だが何も難しく考える必要はなかったな、答えは君が考えた通りだ、

 イオニアは死に魂は天界へと向かった、私はイオニアのマナに刻まれた記憶にすぎない、

 本来ならマナの海へ還る筈だった存在、何者でもない何か、それだけだ」

「俺もあの後ちょっと考えてみたんですけどね」

「ほう、聞かせて貰えるか?」

「俺は素人なんでちょと言い方とか正しいかは分かりませんけど、

 記憶は所詮記憶で過去のものだと思うんですよ、

 でもノアさんは今こうやって俺と話してるじゃないですか、

 それって今を生きてるっていうか、自分で考えて未来を選ぶことが出来るわけだし」

「ふむ」

「ノアさんはイオニアさんの記憶を引き継いでイオニアさんには無かった未来を歩んでる、

 完全に別人って考えは違う気がして、生まれ変わりの方が近いんじゃないですかね?」

「なるほどな、生まれ変わりか」


前のめりになって顎のあたりをサワサワしている。


「実は前の世界で聞いた生まれ変わりに関する面白い話があるんですよ」

「ほほう、是非聞かせてくれ」

「とある村で殺された人が同じ時代の同じ村に生まれ直してですね、

 前世の記憶をもとに自分を殺した犯人と埋められた場所を説明したそうです、

 調べてみたら実際に死体と凶器の斧が見つかって、言い当てられた犯人は犯行を認めたとか」

「う~む、面白い、実に興味深い」


サワサワの勢いが激しくなった。



因みに、これは実際にあったとされるお話、真偽は不明である。




「実を言うと今日会いに来たのは君にお礼を伝えるためでもあってね、

 君の優しさに感謝している、本当に有難う」

「どういたしまして」


深々と頭を下げ誠意を示すノアはとても人間らしかった。


「話が出来て良かった、そろそろ戻るとするよ」

「了解です、俺はもう少しやってきますんで」

「あまり無理はしないようにな」

「俺の体は生身なんで多少は無理しないと成長しないんですよ」

「ははは、そうだな、成長には積み重ねが重要だ」

「今日は施設に行きますのでまた後で」

「残念だが行き違いだな、私はカプアと魔物園に行くことになっている、

 久しぶりに家族の顔を見て来るよ」

「ロキさんとチチリさんに話すんですか?」

「いや、あくまでもノアとしてだ、私の現状を喜ぶとは思えないしな」

「そうですか、折角なんで楽しんで来てください」

「ありがとう、それじゃ」


城壁の外で交わされた秘密の会話これで終わり、

カード王から緊急宣言が布告される前日の話である。


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