228話目【聞く人と作る人】
「ふふふふふふぅ~ん…ふふふふふふぅ~ん…
ふんふふふんふふぅ~ん…っと」
何処かで聞いたことのある鼻歌を歌いながら床を掃く松本、
ここは以前金欠の際に掃除の仕事をさせて貰った懐の深い店、
パローラママが営む新世界である。
そろそろお金が無くなりそうなので
解読班の仕事を切り上げ午後から働かせて貰いに来た。
…とうか、松本が文字を書けないのでハルカに代筆を頼んだら
元々やっていた翻訳作業とゴチャゴチャになって混乱したり、
松本側の翻訳(読むだけ)が早すぎるので付きっ切りになり
ハルカ側の仕事が進まなくなったりして、
「(こりゃいかんわ…)」
と本来役に立たないといけない立場なのに
逆に自分の存在が混乱を招いていると察した松本は
自主的に翻訳作業を切り上げて来たのだった。
「(このままじゃマズイよなぁ…文字ねぇ…)」
考え事をしながら集めたゴミを塵取りに流し込む松本、
塵取りをずらすと取り損ねた小さなゴミが顔を出した。
「あ、全然取れてないわ、いかんいかん)」
しっかりと塵取りを押さえて流し込み、位置をずらして再度流し込む、
3回ほど繰り返して取り切れないゴミは指で摘まんで回収、
砂は無理に回収しなくても良いのでササっと店外へ排出した。
「よし、次だな」
ホウキと塵取りを所定の位置に戻した後は固く絞った雑巾で窓掃除、
それが終わたら別のタオルに持ち替えて椅子とテーブルを拭く。
「ふふふふふふぅ~ん…ふふふふふふぅ~ん…
ふんふふふんふふぅ~ん…」
手と鼻歌を止め丸いテーブルの淵に沿って移動。
「ふんふふ、ふふふふふぅ~ふふ…」
鼻歌を再開してテーブルを拭く、
手が届かないので全面を拭く為には3回ほど位置を変える必要がある。
「よし終わりっと、え~とまだ3時か…カウンターもやっとくか」
今日は時間が有り余っているのでカウンターの掃除に着手、
楽器が置いていあるステージは既に完了済みである。
「っと思ったけどあんまり汚れてないな」
お客が対面で座るカウンターには埃1つ見当たらない、
椅子が5つ並ぶ長テーブルも綺麗に拭きあげられている。
「(一番目に付く場所だしそりゃそうか、
しかし凄いなあれ、揃えるのにいくらかかるんだ?)」
カウンターテーブルを拭きながら見上げているのは
カウンターの後ろの棚にキラリと並ぶカラス製のグラス、
ダナブルでは一般向けに販売されているが決して安くはなく高級品、
一応少し品質が下がる代わりに値段も下がる訳あり品もある。
「(しかもグラスの底になんか刻印があるな…ブランド品で揃えてるのか?)」
なかなか良い着眼点だが甘い、
下から見上げている松本視点だと湾曲して判別し難いが
実は国章と同じマークだったりする、
市販されていない貴族御用達の超高級品である。
普通の人が見ても気が付かないが知ってる人からすれば、
町の端でひっそりと経営しているオカマバーに
大量に鎮座しているというのは極めて異常な光景である。
「(きっとパローラママってお金持ちなんだなぁ…)」
なんて一般的な感想を思い浮かべながら気を抜いていると肘が何かに当たった。
「ひぇっ!?」
瞬時に血の気が引き思考が加速する、
置いてあった物の正体を記憶から引っ張り出す前に体が反応して全力で飛びついた。
「はぁ…あ、危ねぇ…一瞬やったかと思った…いたた…」
間一髪間に合いドキドキしながら元の場所に置く、
床に打ち付けた肩を擦っているとパチパチと拍手が聞こえた。
「やるじゃない坊や、あそこから間に合うとは思わなかったわ」
「パローラママ、すみません次からは気を付けます…」
「謝らなくていいのよ、置きっぱなしにしてた私が悪いの、こっちに頂戴」
「あ、はい、どうぞ…ってあれ? これもガラス!?」
自分が掴んでいる物がガラス製品だと気づいて驚く松本、
青色の角瓶の中で残ったお酒が波打っている。
「そうよ、知ってて受け止めたんじゃなかったの?」
「いやまぁ…(当たり前すぎて油断してた…)」
生前の記憶では殆どのお酒が瓶か紙パックで売られており、
居酒屋のカウンター酒瓶が並んでいるのが普通だったため
違和感を感じなかったそうな。
「もしかして凄く高いお酒なんですか?」
「そう思わせるのが目的、なんだか特別感あるでしょ」
パローラが角瓶を指で弾きながらウィンクするとハートが飛んだ。
「高いのは中身じゃなくて入れ物の方よ、割らなくて良かったわね~坊や」
「そ、そうですね…」
松本の頬を人差し指でグリグリするパローラ、紫のマニュキュアが綺麗である。
「ウチはただの酒場じゃないの、辛いことがあったり、
人には言えない悩みを抱えた蝶達が迷い込む秘密の花園、
一晩の淡い夢で心を軽くして現実に帰してあげる、そういう特別な場所なの、
その辺りに転がってる樽なんて出てきたら興ざめしちゃうでしょ」
「ほうほう」
なんて言いながらバックヤードへ繋がる扉を開け
横に積まれた樽のコックを捻りお酒を継ぎ足すママ、
ガラスの容器は特注品だが中身は普通のお酒である。
「(う~ん、これは心配り)」
企業努力に感心する松本の前を通り過ぎ
お酒が補充された角瓶はグラスの横の棚へ、
同じサイズで色違い角瓶が並んでおりすっぽりと収まりが良い。
「掃除はもう十分ね、坊やの気が済んだのなら休憩にしましょう」
「はい~」
お給金を頂いて本日の掃除は終了。
「はいお茶、私からの奢りよ~」
「ありがとう御座います~」
カウンターに座る松本に慣れた手付きでパローラがお茶を出してくれる。
「あとこれも」
「おぉ~」
二枚貝が3個乗った黒い陶器の皿がカウンターに置かれた。
「(ハマグリっぽい)食べていいですか?」
「どうぞ、熱いから気を付けてお食べ」
フォークを受け取り中身を1つ食べる松本。
「あづづ…(思ったより熱かった…)」
「だから言ったじゃない、お茶お茶」
「だ、大丈夫です…うまま」
「はぁ~坊やを見てると子供達が小さかった頃を思い出すわ」
「ジェリコさんですか?」
「そう、あとラッチって子とニコルって子もいる、皆私の可愛い子供達、
こんなに小さかったのにドンドン大きくなちゃって、
巣立って行ったわ、幸せな時間はいつもあっという間」
「そうですねぇ~(子供の成長ってめっちゃ早いもんなぁ)」
目を閉じて思い出に浸るパローラに
シミジミ同意しながら2個目の貝を口に運ぶ松本、
実際5年もすれば子供は別人になる、体も大きくなるし自我もギャンギャン形成される、
成長しきった大人とは時間の価値が違うのかもしれない。
「あら気に入ったみたいね」
「味が染みてて美味しいです(ハマグリよりアサリに近いかも、あと味噌っぽい味がする)」
「まだあるけど食べる?」
「頂きます~、でもそんなに食べちゃって大丈夫ですか? これってお店で出す分じゃ…」
「いいのよ、要望があれば出すこともあるけど皆が欲しがるのはスープの方だから、
特に2日酔いの時なんてすんごい効くの、もうビンビン効く」
「なるほど(アサリじゃなくてシジミだったか)」
松本が食べている2枚貝は酒抜きスープの具だった、
シジミはガチ、意味が分からない人は駄目な酒好きの大人に聞いてみよう、
但し深入りしないように。
「新聞で~す、ここに置いていきま~す」
「「 は~い 」」
入口に一番近いテーブルに配達員が新聞を置いて行った。
「ほう、新聞とな」
「いいわ、私が行くから、はいこれ」
「あ、ありがとう御座います~(いつの間に、流石はママ)」
席を立とうとした松本の前にそっと皿を置き新聞を取りに行くパローラ、
配達員に気を取られている間に皿を回収し追加の貝を盛ってくれたらしい、
最初に食べた中身のない貝殻が処分されてるあたりに気遣いを感じる。
「ど~れ、何か面白い記事でもないかしら」
「(そろそろ俺の記事が載っててもいい頃だけど…)」
「あら…おん? あらこれ…」
新聞を見たパローラがモゴモゴする松本の顔をチラチラ確認しながら近づいて来た。
「もしかして俺の…」
「あぁん、可愛そうな坊やぁぁぁ!」
「ぎゃわぁぁ!? く、苦しい…ママ! パローラママ苦しいぃぃ!」
泣きながら松本を抱き締めるパローラ、豊満な我儘ボディに半分くらいめり込んでいる。
「辛かったでしょう? 心細かったわよねいろいろと」
「ぐぅぉぉ…ち、力強すぎぃぃぃ!」
その辺の大人なら対等に渡り合える松本が押し切れない程の力強さ、
これが愛、パローラママの愛情は海より深いのだ。
「ママァ!…ちょっと…我儘ボディがこれぇぇ!」
まぁ、押し切ろうとしている手が我儘ボディにめり込んでいるのも1つの原因である。
「あらごめんなさい、大丈夫坊や?」
「だ、大丈夫です、そんな泣かれる程のことじゃないですから…落ち着いて下さいよ」
「悪く思わないで頂戴、年々涙脆くなっちゃって、上も下も」
「上はいいですけど下は大変ですね」
「本当よ~自分でも嫌になるわ全く」
「「 ははははは! 」」
多分更年期障害、場末のスナックみたいな会話である。
「実はね坊や、大人って辛いことが一杯あるの、
見栄っ張りだから皆口に出さないだけ」
指先から発生させた丸い氷をグラスに入れ
赤い角瓶のお酒を注いで慣れた手付きでマドラーを回すパローラ、
小指を立てて優しく回すのが美味しいお酒を作る一番のポイント。
「歳を重ねるごとに人には話しづらくなっちゃうのね、
背負う物大きくなる程に人は寡黙になる、でもこれって当たり前のことよ、
恥ずかしかったり怖かったりするのは普通、男も女も関係ない」
松本の対面に座り肘を付いてグラスを傾けるパローラ、
昼なのに急にアダルトな雰囲気になった。
「子供の頃から無理に抱え込む必要はないの、
そりゃ私はノルやターレみたいに強くないけど
悩みくらいは聞いてあげられるわ、話たくなったらいつでも言って頂戴」
「はぁ…うまっ(凄く優しいを顔している…どうしたんだ急に?)」
営業モードのパローラに戸惑いつつも貝を食べる松本。
「すみません、俺にも新聞見せて貰えませんか?」
「いいわよ」
受け取った新聞には
『巨大卵再び、連れ去られた病気の子供をSランク冒険者4人が救出』
の見出しの下に大きめの集合写真と、
ノルドヴェル、タレンギ、ミーシャ、ルドルフ、イドと巨大卵の写真、
そして『連れ去られた病気の子供』の一文と共に松本の顔写真が掲載されている。
「(う~ん…いろいろと誤解を招くというか…なんか違う…))
完全に着色された記事だが公開されてしまった以上は
世の中ではこれが真実として認知される、
まぁ、松本が勝手に戻ってきた方が不自然極まりないので良かったかもしれない。
「病気って辛いわよね…私も昔痔になったことがあるから分かるわ」
「痔はキツイですよねぇ…(完全に誤解されてるなこれ…)」
パローラの優しさに罪悪感を感じながら松本は経緯を説明した。
「あらそういうことだったの、私の勘違いで良かったわ」
「すみません本当…誰がこんな内容にしたんだか」
記事の叩きを作ったのは聞き取りした女性記者、
変更を指示したのは男性編集長、
全てを知りながらも許可を出したのはロックフォール伯爵である。
「まぁ、この後に回復病ってことが判明したんで
病気の子供ってのはあながち嘘じゃないですね」
「あらそうなの? 若いからって無理は駄目よ坊や、
私もいつ肝臓が爆発するかヒヤヒヤしてるもの」
「お酒飲みながら言っても説得力ないですよ」
「今日はいいの、明日から気を付けるわ」
「「 ははははは! 」」
肝臓、それは物言わぬ臓器。
お酒を飲むと肝臓が仕事をして処理します、
負担が掛け過ぎると肝臓がデブになって脂肪肝になります、
自覚症状が殆どないまま悪化して肝臓がカチカチになったら肝硬変に…
更に悪化すると肝臓が仕事しなくなって肝不全に…
そうなったら合併症とかいろいろ大変なことになって7~8割死にます、
静かだけど縁の下の力持ち、肝臓を大切にしましょう。
新世界を後にして大通りにやって来た松本、
ロックフォール伯爵の像が後ろに見えるので北大通りである。
「この辺って話だったけど…お? たぶんあれだ」
紙と羽ペンの看板が下げられたそこそこ大きい3階建ての建物を覗くと
大量の紙と機械に何か小さい物を並べる作業員が確認できる。
ここは印刷所、正解には1階が印刷所で2階が製本を行う製本所、
3階は新聞記者の事務所と製本会社の事務所が入っている複合的な建物。
「(もしかしてあれが印刷機か?)」
別に新聞の記事に文句を言いに来た訳では無く
松本が興味があるのは印刷技術。
「(もしタイプライター的な物があれば俺でも文字が書けるかも)」
と新聞の印字を見て考えたそうな、
確かにタイプライターのように手物との文字を押して紙に印字する仕組みなら
松本自身が文字を書けなくても問題ない、
押す文字が読めさえすれば勝手に機械が文字を書いてくれる。
「何か用かな?」
「あ、すみません、ちょっと新聞の文字に興味があって、
どうやって書いてるのかなって」
「良かったら近くて見てくかい?」
「ありがとうございます~」
作業員の人のご好意で中に入れて貰えることに。
「印刷ってのは地味な作業でね、この小さな文字を正しく並べることから始めるんだ」
「左右反転してますね」
「印刷すると正しい向きになる」
印刷機の横に置かれたマス目状の木箱に
左右反転した五十音の文字と0~9までの数字が治められている。
「文字の大きさも沢山あるからこれは極一部だよ、完成図を見て必要な物を選ぶんだ」
「金属ですか?」
「そうだよ、金属じゃないと直ぐ駄目になっちゃうからね」
「ほうほう」
「こうやって並べ終わったら固定して、次に上からインクを塗る、
最後に紙を置いてギュッとすれば完成」
「おぉ~」
作業員がペダルを踏むと金属の板が紙を押し付けて文字が印字された、
所謂、活版印刷と呼ばれる印刷方法である。
「これ結構時間かかる作業ですね」
「まぁ並べるのは大変だね、左右反転した文字にも慣れないといけないし、
でも1度並べれば何枚でも同じ物を印刷できるから大量生産が可能なんだ」
「確かに、手書きで本を1冊をまるっと複製するのは大変そう」
「印刷機無しだとやる気出ないよね~」
松本が見ている印刷機は魔王に滅ぼされた後の文明で作られたものだが
活版印刷自体はそれ以前から存在していたりする、
魔王に滅ぼされる前の文明でも別の形の印刷機が使用されており、
文明が復興してから残された情報を元に復元された感じ。
「(流石にこれはちょっとなぁ…)これってもっと小さいヤツってあるんですか?」
「小さいってどれくらい?」
「だいたいこれ位の…いや大きさの問題じゃないか、
この印刷機って同じ文章を沢山印刷するための機械じゃないですか」
「うん、そうだね」
「俺文字を書くのが凄く下手なんですよ、だからこの印刷された文字みたいに
綺麗な文字を俺の代わりに書いてくれる機械を探しているんですけど」
「あぁ~…毎回違う文字を印字したいってことだよね?
1枚物の印刷とかじゃなくて短い文章とかそういうの」
「そうです、ありますか?」
「う~ん…俺は知らないかなぁ…わざわざ聞くってことは、
これを毎回並べて印字するとかじゃ駄目なんだよね?」
「まぁそうですねぇ、因みにこの印刷機って個人で買えるんですか?」
「無理じゃない? これ町の所有物らしいし」
「え? そうなんですか?」
「うん、使用料払ってるとか聞いたことあるけど、
ちょっと君が考えてるようなものは無いかなぁ? 少なくとも俺は知らない」
「そうですかぁ…有難うございます、勉強になりました」
「いいよ~、それじゃ」
「お邪魔しました~」
印刷所を出て大通のベンチで休憩。
「おやおや…こんなところで黄昏れてどうしたんだい少年?」
「ん? あ、カプアさんとハンクさん」
「やぁマツモト君…主任ちょっと休憩しましょう」
考え事をしながら空を眺めていると台車を引くカプアとハンクに声を掛けられた。
「随分疲れてますね、何ですかそれ?」
「ふぅ~…ストックさんのマナを消費させるための装置」
「の一部です、別な場所で作ってて…施設に移動中なんです」
「あぁ~これが例の」
台車を覗くと対角線上に棒が生えた蓋の開く四角い箱と、
同じ形の軸受けっぽいヤツが2つ、筒に巻かれた電線っぽいヤツ、
モーターっぽいヤツなど、よく分からない物が沢山積み込まれている。
「(俺くらいなら入れそうなサイズの箱だな)
重そうですし運ぶの手伝いましょうか?」
「助かるよ~、主任が欲張って大きくし過ぎちゃって…」
「何よハンク、大きい方がマナの消費が激しいんだからね!」
「それはそうですけど…本当は欲張っただけなんじゃ…」
「ハ~ンク…それ以上何か言うなら分け前は無し」
「はぃぃ! 何も異論は御座いません!」
「(何の話してるんだ?)」
カプアの警告にビシッと背筋を伸ばすハンク、松本は蚊帳の外。
「あれ、もう17時ですよ、急がないと搬入間に合わないかもしれません」
「入口の鍵持ってるから大丈夫だって」
「そうでしたね、焦らず行きましょう」
※主任達は特別な鍵を持っているので18時以降でも入口を開けられます。
「…あ、ごめん、やっぱり無理、置いて来たみたい」
「ちょっと主任~!」
※所持していなければ開けられません。
「それじゃ行きましょう」
「いやぁ~悪いねぇマツモト君」
「いいですよ、そろそろ帰ろうかと思ってましたから」
「よいしょっと」
「「 … 」」
休憩は終わり再出発、ハンクが台車の取手を握るとカプアが荷台に乗り込んだ。
「いぉ~し! さぁ行くのだハンク! マツモト君!」
「ちょと主任! 何自然な感じで楽しようしてるんですか!」
「1人増えたんだから人数的には変わってないでしょ」
「子供に力仕事押しけてとんでもないこと言ってるよこの人!
時間無いんですから早くおりて下さい!」
「マツモト君ならいけるって、ドーナツ先生から凄く力強いて聞いてるし」
「それがちょっと無理っぽいですよ、俺体重軽いんで、ほら」
1軸2輪タイプの台車なので積み荷の重さに負けて松本が浮いている。
「…主任」
「…しょうがない、大人しく引くとしますか」
カプアとハンクが引き、松本が押す形で出発。
「これどうやって施設内にいれるんですか? 一個ずつ階段で下ろせます?」
「搬入用の別口あるから心配ないですよ」
「台車ごと行けるから大丈夫大丈夫」
「へぇ~」
ちゃんと物資搬入用の入り口があるらしい。
「…すみませんカプアさん、文字を印字する機械ってないですか?」
「あるよ、印刷機」
「やっぱりそれしかないですよねぇ、
出来ればもっと簡単に自分の思う文章を印字したいんですけど…」
「それって打印機じゃ駄目なんですか?」
「そうだよね、どっちかというと打印機だよねそれ」
「なんですかそれ?」
「手元のボタンを押すとインクの付いた文字盤が紙に印字してくれるヤツ、
1文字から印字出来るから好きな文章も自由に印字できるよ」
「え? あるんですか?」
「あるよ、打印機」
「え? でも印刷所の人は無いって…」
「まぁ私達が職員用に適当に作ったヤツですからね」
「報告書とかで皆使ってるよ、打印機、字が汚いと読み難いから」
「役所にも何台か納品しましたよね」
「(いやマジであるんかぁぁぁい!)」
ある、松本が気付いていないだけでちゃんとある、
印字部に埃が付かないように使わない時はカバーを掛けているので分かり難いが
解読班の部屋にも考察班の部屋にも、なんならトナツの部屋にもある。
216話目【シード計画職員として、初日の朝】
でフルムド伯爵が報告書を作成する際に使用しており
松本も遠目に少しだけ見ていたりする。
『打印機』
カプアとハンクが職員用に作ったタイプライターみたいなヤツ、
適当に作ったので名前が無く、アレとか、ソレとか呼んでいたが、
インクが付いた金属製の文字板を紙に打ち付けて印字することから
職員達が勝手に打印機と呼び始め定着した。
因みにことの発端は、徹夜で死にかけのリンデル主任が作成した
字が汚なす過ぎて非常に読み難い報告書にカプアがカチ切れたこと。
印刷所の人は知らなかったが役所関連では使われていたりする。
「止めるよ~」
「「 はい~ 」」
「んじゃちょと行って来るから、ハンクは荷物見てて」
「お願いします」
種博物館の前で台車を止めカプアが中に入って行く。
「…あの~マツモト君」
「何でしょうハンクさん?」
「トイレ行きたくなっちゃった」
「荷物は俺が見てますから行ってください」
「ごめん、直ぐに主任が来ると思うから~」
「はい~」
焦った様子でハンクも中に入って行った。
「(いつもの出入り口だけど…何処から入れるんだ?)」
暇なのでシード君の顔嵌めパネルに顔を嵌めて待っていると近くで開錠音が聞こえた。
「ん?」
種博物館の隣の古い倉庫が開き中からカプアとハンクが出て来た。
「え? そっちですか?」
「うん、こっち」
「これって…完全に別の建物ですよね?」
「下で繋がってますからね、食堂で使う食材とかも全部ここから搬入してますよ」
「へぇ~そうだったんですか」
地下施設が大きいので繋がっている、倉庫内には台車ごと乗れる昇降機があり
そのまま施設内に搬入できるようになっている、
落下防止の機能を備えているが安全のため荷物以外は使用禁止、
人は階段を使用するルールになっている。
「マツモト君これが打印機ですよ、紙の大きさは本のページと同じです」
「どうしたの急に? マツモト君打印機使ってみたいの?
結構難しいよこれ、一応使えるけど僕はまだ慣れてないんだ」
「(すげぇ~本物のタイプライターだ)」
タイプライターでは無く打印機、
映画とかでしか見たことが無かったのでちょと感動したそうな。
「君凄いねぇ、手元見ないで打ってるの?」
「えぇ…まぁ…あ、失敗した、これって修正できないですよね?」」
「うん、間違った文字に横線引いて1マス開けて続きを打つか、
改行して行ごと打ち直すかのどちらかだね、行ごとの方が見やすいかも」
「了解です」
「…なんでそんなに直ぐ慣れちゃったの? 僕まだ全然なのに…」
「さぁ? なんとなく? 俺こういうの向いてるのかもしれませんねぇ~」
「そうなんだ、若さってヤツかな」
「(印字だから1ッ発勝負ってのがアナログっぽいよなぁ)」
PCで慣れてた松本は一晩である程度使えるようになった。




