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227話目【知らなかった対価】

解読班の仕事部屋の前で身嗜みを確認する松本、

いつもの服装では無くベルトを通したズボンとボタン式の白いシャツ、

薄手の上着は羽織らずに右手に掛けている。


「(こんなもんか? スーツで働いたことないからなぁ俺)」


スーツではなく只の支給された解読班用の職員服である、

ネクタイは無いし靴は自前のいつもの靴、

別に難しく考える必要は無いのだが気になるらしい。

※松本は整備士だったので生前の仕事服はツナギです。


「(髪型は完璧、髭も問題なしっていうか生えてない、そして眼鏡と…)」


髪型は何故かピッチリ七三分け、

何処から持って来たのか丸渕の眼鏡を着用、

うろ覚えの昭和のサラリーマン像を拗らせている。


「(あとはこれだけど…付ける必要あるのか?)」


松本の手の中にあるのはシード君ピンバッチ、

付けても付けなくてもどっちでもいいピンバッチ、

種博物館の商品として作った余り物である。


「(…一応付けとくか)」


右襟に取り付け自身に満ちた顔で準備完了、

…らしいのだが、シャツが妙にパツンパツンで胸元のボタンが上から3つ開いている、

普通の子供サイズなので鍛えている松本の体には窮屈らしい。


「(んじゃ行きますか~)」


ボタンはそのままでいざ入室。




「おはようございます~」

「おはようございます」

「おはよう~」


挨拶をしながら入室するとペンテロとハルカが出迎えた。


「(ロダリッテさんはまだ来てないか、まぁ仕方ないか)」

「元気そうで安心しました、昨日はすまなかったね」

「いえ、気にしないで下さい」

「…なんかこう、昨日と違う感じだねマツモト君」

「ふふふ、早速気付いてしまいましたかハルカさん、

 初仕事なので気合入れて来ました、職場での第一印象は身嗜みからですよ」


人差し指と親指で眼鏡の端を掴みクイっと動かす松本。


「「 …ほう 」」


中指で眼鏡の中央をクイっと動かす2人、

にこやかな雰囲気から一転し企業面接のような空気に変わる。


「…中々良い心がけねマツモト君」

「…これは正直に答えた方が良いのかな?」

「…お願いします」


神妙な面持ちで眼鏡をクイっとする3人。


「正直変だと思う、髪テカテカだし」

「その眼鏡は飾りですよね? 必要無いのでは?」

「…なるほどなるほど、わかりました」


辛辣な感想を受け松本はそっと眼鏡をポケットにしまった。


「それと胸のボタンが気になりますね、何故開けているのか? 敢えてですか?」

「あ、これは…」

「言い訳はそこまで、ほらマツモト君動かない」

「ちょとハルカさん…」

「はい出来た、身嗜みに気を使うならシャツのボタンは閉じないとね」


ハルカがボタンを閉じてくれた。


「…なんでそんなに肩を前に寄せてるの?」

「ハルカさんがボタンを閉じたからです」

「? ほら胸張って」

「いや、辞めた方が…」

「こ、こんのぉぉ…」


両肩を掴み力ずくで開こうとするハルカに胸筋で抵抗する松本。


「ち、力を抜いてマツモト君…姿勢は良くしないとぉぉ…おぉ!?」


胸筋vs腕力の不毛な戦いは松本の脱力により決着、

いきなり抵抗を失ったハルカは前のめりになり

椅子からお尻が浮かせながら松本の両肩を思いっきり開いた。


「ぎいゃぁぁぁ!」


前のめりから一転し絶叫しながらエビ反りのハルカ、

眼鏡と共に3つのボタンが宙を舞っている。


勢いよく松本の胸を張らせたため

パッツンパッツンの襟元から弾けたボタンが、

態勢を崩した際にズレた眼鏡を避け両目の眼球と額に直撃したらしい。


「ハ、ハルカさん!? どうしたんですか!?」

「ボタンが目にぃぃぃ!」


両目を手で覆いハルカが転げ回っている。


「だから言ったじゃないですか」

「少しシャツが小さかったみたいですね」

「小さいというか窮屈というか、俺結構鍛えてて胸周りとか腕周りがキツキツです」

「なるほど、後で変えて貰えるように手配します」

「よろしくお願いします~」

「目がぁぁ!」


ハルカの復活を待ち仕事前のブレイクタイム、

松本は野菜ジュース、ぺンテロはブラックコーヒー、

ハルカは紅茶を食堂から持って来た。


「ロダリッテさん遅いですねぇ」

「そうですねぇ…暫く来ないかもしれません」

「凄く錯乱してましたし…辞めたりしませんよね?」

「それは無いでしょう、彼女の情熱は本物です、

 ただ心の整理が追い付いていないだけですよ、きっと」

「それかマツモト君に手を上げた罪悪感から気まずくて顔を出せないとか?」

「その可能性もありますね、いずれにしても彼女次第です」

「う~ん…心配だなぁロダリッテさん」


不安そうな顔でペンテロとハルカが飲み物を啜っている。


「ねぇマツモト君、昨日のことロダリッテさんが謝ったら許してくれる?」

「最初から許してますよ、その程度のことは覚悟してましたからね、

 こんな訳の分からないヤツが来たら錯乱位しますって」

「そ、そう?」

「2発目と3発目は敢えて避けなかったんです、

 その方がロダリッテさんもスッキリするかと思ったんですけど、

 今考えると失敗だったかもなぁ…余計に罪悪感を感じさせちゃったかも?」

「「 (…何言ってんだこの子?) 」」

「もしロダリッテさんが来て昨日の話に触れないようなら

 そのままそっとしておいて下さい、俺は気にしてませんから」

「う、うん…」

「マツモト君がそれでいいなら、まぁ…」

「こういう気まずい問題ってのは良くありますよ、

 何事も無かったように振る舞うのも1つの解決方法です」

「(…なんかお爺ちゃんみたい)」

「(…どういう環境で育ったらこうなるんだろうか?)」


松本に慣れていない人達の新鮮な反応である。


「ほら言ったとおりでしょ? マツモト君って変わってるからさ、心配する事ないって」

「う、うん…」

「子供だと思って接しない方がいいよ、異常なくらい思考が確立されてるから、

 僕の分析だと彼は結構頑固で正義感が強めかな? 自己犠牲感と言ってもいいけど、

 もういっそのこと割り切って無かったことにしちゃえば? 

 本人がそれで良いって言ってるし、じゃ僕はこれで~」

「ありがとうドーナツ先生」

「また何かあったら気軽に相談してね~」


ロダリッテに手を振りトナツが去ってい行く、

一緒に解読班の部屋の前で聞き耳を立てていたらしい。




「ハルカさんってどれくらいここで働いてるんですか?」

「2年だよ、私は17歳だけどマツモト君って何歳?」

「8歳です」

「8歳! ほらやっぱりペンテロさんのお子さんより小さいですよ」

「そうみたいですね」

「ペンテロさんはこの仕事を始めて長いんですか?」

「シード計画に加わったのは31歳の時ですから9年位ですかね」

「えぇ!? ペンテロさんってそんなに長かったんですか?」

「そうですけど、そんなに驚くことですか?」

「9年って言えば主任達と同じ最古参組ですよね?」


松本が質問したのにハルカが飛びついて来た。


「いえ、主任達よりは少し遅いですね、最古参という表現も少々語弊があります」

「「 ? 」」

「今のシード計画という意味では主任達が最古参と言えますが、

 前身にあたる組織は昔からありましたからね」

「前身の組織?」

「種を集めて保存することを目的とした組織です、各国に昔から存在しています」

「…それって今と同じですよね?」

「俺もそう聞いてますけど?」

「まぁ、大筋は同じですね、『箱舟』は継承されていますから」

「…ほぉ?」

「(箱舟って何だ?)」


ベテラン職員の話に付いていけない新人と若手職員。


「『箱舟』とは集めた種を保存してある設備のことです」

「あ、名称あったんですね」

「(なるほど)」


察したベテラン職員のお陰で謎が解けた。


「この施設は現ロックフォール伯爵がシード計画の方針を変えるにあたり

 職員の増員を見込んで10年…いや11年か、まぁそれ位前に建設した物です、

 それ以前は上の種博物館だけしかありませんでした」

「「 へぇ~ 」」

「種を集めて保存するだけの組織から魔王対策の組織へと舵を切り、

 知識、技術、歴史等の保存、勇者の調査、遺物の発掘、

 未解読の書物の解読、それらを元にした推理考察が加わったのが今のシード計画です、

 カプア主任やフルムド伯爵は元々ロックフォール伯爵のお知り合いだったそうですから

 組織変更前からの古参になります、リンデル主任やトナツ先生は組織変更時の参加、

 私は組織変更後に少し時間を空けて参加させて貰った形ですね」


立ち上げメンバーでは無いが十分古参である。



「魔道補助具もシード計画の一環なんですか?」

「どちらかというと副産物ですね、元々は『守り人』の為の技術だと伺って…」

「「 … 」」

「『守り人』とは『箱舟』を守り後世に伝える役割を担う魔道装置のことです」

「「 おぉ~ 」」


ベテランの気遣い再び。


「それって全身が魔道補助具で出来た死なない何かってことですよね?

 何百年も壊れずに箱舟を守って貰うための」

「その通りですが重要な部分が抜けていますマツモト君、

 守るだけではなく伝えるまでが『守り人』の役割、

 カード王国自体が滅びる可能性も十分ありますから

 その場合は生存者を見つけ出して『箱舟』を伝える必要があります」

「確かに(死なない兵士が目的じゃなくて良かった)」


松本は心の隅に置いてあった不安が払拭されホッとしたそうな。


「完成したんですか?」

「いえ、残念ながら実現には至りませんでした、

 『守り人』は状況に応じた判断を求められますから複雑な指示装置が…」

「なるほど、外枠を作っても動かせないと」

「…し、指示装置?」


機械に強い松本は話に付いていけたがハルカは脱落、頭の上に?が浮かんでいる。


「ペンテロさんもう少し分かり易く…私そういうのはちょっと苦手で…」

「言い換えれば心ですね、魔道装置の体を動かすための心が作れなかったんです」

「あ、分かり易い」

「う~ん…魔道補助具を作れるくらい頭が良い人達なら

 最初から無理だと分かりそうですけど…何か勝算があったんですかね?」

「その辺はなんとも…気になるなら今度カプア主任に聞いてみたらどうですか?

 素人の私に聞くより確実です」

「それもそうですね」


カプアとハンクはトナツから依頼されたマナ消費装置をモリモリ製作中である。


「アタシ2年も働いてるのに『守り人』については全く知りませんでした」

「いろいろ問題があって随分前に中止になりましたからね、

 主任達くらいしか知らないと思いますよ」

「「 へぇ~ 」」


余りにも高度で高価な副産物だが今後も救われる者は後を絶たないだろう、

無くした四肢を再び得られるなら間違いなく値段以上の価値がある。




「しかしそう考えるとロダリッテさんも結構長いですね、え~と今24歳の筈だから…」

「5年じゃなかったですか?」

「いえ、7年です、確か17歳でシード計画に参加しましたから」

「違いますよ、3年先輩だって言ってましたもん、アタシが2年目ですから5年ですよ」

「それは解読班に配置換えしてからの年数ですね、

 元々は発掘班としてカンタルで発掘を担当していました、

 ロダリッテさんが解読中のカンタル1は彼女が見つけたんですよ」

「えぇ!? そうだったんですか?」

「自分で見つけた未解読の文字に5年間向き合い挑み続けているわけです」

「ほぇ~凄い、尊敬します」

「(そらぶん殴られますわ…)」


5年の情熱に冷や水をぶっかけて殴られるだけなら安い物である。




「因みにですね、私が職員となった切っ掛けはこれです」


ペンテロが机から使い古された革表紙の本を取り2人に見せる。


「これ旧ウル語の解読書ですよね? 私と同じヤツですよ、ほら」


ハルカも同じ革表紙の本を持って来た、ペンテロの本に比べまだまだ綺麗である。


「ハルカさんはこの本の作者が誰か知っていますか?」

「え? あまり気にしたことないですけど、

 古い書物に興味があったから本屋で買っただけで…」

「この人です」


ペンテロが一番後ろのページを開くとアントルの文字が書かれている。


「アントル? どっかで聞いたことあるような?」

「伯爵だよマツモト君、フルムド・アントル伯爵」

「へぇ~フルムド伯爵って解読書も作ってたんですか、凄い人ですね」

「本当にね、カンタル4もフルムド伯爵が解読されたんだよ」

「益々凄い(カンタル4って何だ?)」


光の勇者ネネが使用していた文字、通称ネネ語。


「それがですね、解読書を作ったのはフルムド伯爵なのですが

 面白いことにこの本自体は作っていないんですよ」

「…それはまぁ、製本の人に依頼するしょうから」

「…そうだよね、何言ってんですかペンテロさん」


分かり切ったことを語るペンテロにヤレヤレといった様子の2人。


「いえ、そういことでは無くてですね、

 この本はフルムド伯爵が製作した解読書を利用して

 ロックフォール伯爵が作製し販売した本なのです」

「「 …ん? 」」


ロックフォール伯爵の登場で急に風向きが変わったらしい。


「販売されたのは組織変更の1年程前、

 この本は解読に興味がある人を探し出すための餌だったんです、

 当時何も知らなかった私はまんまと引っ掛かってしまい、

 作者のアントルさんを訪ねた際に捕獲され、そのまま職員になりました、

 フルムド伯爵は本が販売されていることを知らず大変驚いてましたよ」

「「 えぇ… 」」


元々はフルムド伯爵が父親から譲り受けた形見を元に独学で纏めた物で、

興味を持ったプリモハの為に内容を精査して改め直したのがこの解読書。


解読要員を求めていたロックフォール伯爵が勝手に複製して勝手に販売、

購入者が現れたら本屋から知らせを受けこっそり調査、

合格なら声を掛ける手筈になっている。


「ハルカさんの元に突然職員が尋ねて来ませんでしたか?」

「はっ!?」

「解読書を購入してから妙に話の合う人と出会ったりしませんでしたか?」

「だ、確かに…」

「(怖ぇぇ…)」


ペンテロは自分からフルムド伯爵(当時はまだ一般人)を訪ねて文字通り捕獲、

ハルカはこっそり調査を進め実力とやる気を確認し職員が訪ねて確保、

ロダリッテは発掘員募集にやって来た根っからの歴女である。


相変わらず無茶苦茶やっているロックフォール伯爵、

いっつもフルムド伯爵が被害を被っている。





そして暫くの後。


「遅くなった」

「あ、ロダリッテさん! よかった~」

「気分は優れましたか?」

「問題ない、これ」

「え? 俺にですか?」

「昨日は悪かったから」

「いえ、気にしない下さい、これは?」

「甘くて旨い、芋」

「ありがとうございます~」

「良かったねマツモト君、それロダリッテさんの好物だよ~」

「ハルカうるさい」

「私も好きですよ飴芋、子供と良く食べます」

「へぇ~飴芋って名前なんですか、どれ…ふむ、うんまい(大学芋だな)」


松本はお詫びの飴芋を手に入れた。



『飴芋』

ダナブル産のじゃが芋で作った大学芋。

芋自体の甘さは控えめで意外とサッパリしている。

シード計画施設の食堂で6個入り3シルバーで販売中。






「全員揃いましたしそろそろ仕事に取り掛かりましょう」

「「「 はい~ 」」」

「ペンテロさん俺は何をすればいいですか?」

「取りあえずは流れを理解して貰います、ハルカさんお願いできますか?」

「いいですよ~、説明するからマツモト君こっち来て」

「はい~」


ハルカの横に座り仕事の説明を受けることに。


「ペンテロさんやロダリッテさんが担当しているのは未解読の文字だから大変なの、

 まずは自分なりに解読を進めて、その根拠を資料に纏めて最終的に皆で答えを決める、

 結果を出すには凄く時間が掛かるのね」

「なるほど」

「でも私が担当してる旧ウル語は既に解読書がるから

 解読作業じゃなくてどちらかと言えば翻訳作業、

 こんな感じで本が複写された紙に解読書を元に翻訳した内容を記載していく」

「ふむふむ(同じ内容が2回書いてあるだけで区別がつかんな…)」


※松本には全て同じ文字に見えています。


「2人に比べたら全然簡単だし時間も少なくて済むんだけど、

 実は落とし穴があってね、たまに解読書に乗っていない文字が出て来たりするの」

「その場合はさっきと同じやり方で自分なりに解読して根拠を纏めればいいんですね?」

「そういうこと、でもマツモト君は読めちゃうんだよね?」

「まぁ一応は、う~ん…あのですね、俺はに全部同じに見えちゃってるので

 解読されていない文字かどうか判別できないんです、

 知識もないから根拠とかも良く分からなくてですね…すみません」

「あそっか、う~ん…昨日の試験で読んで貰った内容に間違いはなかったけど…

 ペンテロさんどうしましょうか?」

「マツモト君には読めた通りに書いて貰ってこちらで確認するしかないでしょう、

 ロダリッテさんもそれでいいですか?」

「それでいい」

「了解です」

「それじゃ手始めにこの本を担当してもらおうかな、これが内容が複写されたヤツ

 強化魔法を掛けてあるから破れたりはしない筈だけど取り扱いには注意して」

「え!? もしかして実物の本ですか? 危ないからちゃんと保管しておいた方が…

 複写があるなら必要無いですし…」

「甘いなぁマツモト君、分かってない、全然わかってない、

 この実物の本こそが重要なんだよ~、そうですよねペンテロさん、ロダリッテさん」

「勿論、これが無いと仕事になりません」

「凄く大事」


自分の担当している実物の本を見せる3人。


「そうなんですか?(まぁ本職の人が言うなら…)」

「「「 凄くやる気が出る! 」」」

「な、なるほど…」


とにかくモチベーションが上がるらしい。


「このペン使って、インクはそこね」

「ありがとうございます~」


羽ペンを受け取り複写に翻訳内容を書き始める松本。


「(え~と、星降る夜に君を想う、私の心は風に乗り…小説か何かかこれ?)」

「…」

「(なんかめっちゃ見られてるな…)」


ハルカがじっと様子を伺っている。


「(音と共に町中を駆け回る…)

「…」

「(閉ざされた窓を叩き…う~ん…)」


2行目に差し掛かるとハルカの顔が手元に近づいて来た、

文字を書くごとに距離は近くなり3行目に差し掛かる頃には

自分の席を離れて松本の直ぐ横でガン見である。


「…」

「あ、あの~…ハルカさん? 何か不備でも?」

「…ねぇマツモト君」

「はい、何でしょう?」

「さっきから何書いてるの?」

「…ん? 何とは?」

「これ」


松本が記入した翻訳分を指差してハルカが目を見開いている。


「ほ、翻訳内容ですけど…」

「これが?」

「は、はい…(圧がぁぁ! 怖いんですけどぉぉぉ!)」


翻訳ミスかと思い必死に内容を確認する松本、

同じ文章が2つ並行しているだけで間違っていない。


「(おぃぃぃ!? 合ってるんですけど!? どういうこと!?)」

「マツモト君が書いたこれなんだけど」

「は、はい…」

「何て書いてるの? カンタル4に少し似てる気がするけど…」

「…は?」

「これって文字なんだよね? 何語?」

「…はぁ!? (ま、まさか…)」


駆け抜ける戦慄…

松本はついに気が付いてしまった…

自身の置かれている絶望的な状況に…


「(嘘だろ…いやでも…最後に文字を書いたのは…)」


松本に見えている文字は全て同じ、

複写された翻訳対象の文字も、自分が記入した文字も同じ。


一方、ハルカに見えている文字は2種類、

複写された翻訳対象の文字は旧ウル語、

そして松本が記入した文字はなんと『日本語』である。


松本のみが知っている日本語、それはこの世界に存在しない文字。


松本は当たり前すぎて気が付いていなかったのだ、

ポッポ村で苦労してこの世界の文字(現ウル語)を覚えたというのに、

読むことはあっても書くことが殆どなかった故に気が付かなかったのだ、

学校に通っていれば気付く機会もあったのだが、

いや…例えそうだったとしても受け入れるしかない事には変わりない。


松本は元々この世界の文字を知らなかった、

現在の異常なチート能力は天界のお土産品『翻訳眼鏡』の影響である。


『翻訳眼鏡』の詳細は全ての文字が現す意味を認識し

使用者が最も慣れしたしんだ文字に変換するというもの。


つまり松本の場合は生前使用していた『日本語』に翻訳される

眼鏡であれば外せば効果は失われるのだが、

困ったことに体内に取り込まれているため脱着不可。


繰り返すが、松本は本人の意思とは関係なく全ての文字が強制的に日本語に翻訳される、

さぞ便利に思えるチート能力だが…

裏を返せば日本語以外の文字を視覚的に認識する機会を永久に失ったということ。


故に気が付かない、数多ある文字は松本にとっては既に存在してない、

存在しない物は無意識のうちに記憶から排除され、

異なる文字を認識できていると自覚しながらも

その違和感を、発生しうる弊害を突き詰めることが出来なかったのだ。




「(ど、どうすれば…何処かに五十音表みたいなヤツとか…っは!?)」


1度は覚えた筈の文字を確認しようと部屋を見渡し

壁に掛けられた五十音表(現ウル語版)を見つけるも

松本に認識できるのは強制的に変換された日本語版。


「(お、落ち着け…思い出すんだ…あの2文字を…)」


それは『肉』、松本がこの世界で最初に覚えた単語、

渇望の末、体に刻まれた魅惑の2文字。


「(たかが2文字だ…体が覚えている筈…確か…こう書いてこう…)」


目を見開き思い出しながら震える手で必死に線を引く、

肉の『に』の文字を書き終える前にパっと日本語の『に』に変換された。


「にぃぃぃ!?」

「「「 !? 」」」


椅子を薙ぎ倒しながらも美しい半円を描く松本渾身の絶望ブリッジ、

シャツの4番目と5番目のボタンが弾け飛び、

唐突な奇行にビクッとなった3人が振り向いた、

例え書き終えていなくても文字として定まった時点で認識されるらしい。


「肉ぅぅぅ! 俺の肉返してぇぇぇ!」

「「「 (に、肉!?) 」」」


理解される筈のない魂の叫びが響き渡る。



「ん? 天使ちゃん達今何か言った?」

「何も言ってないです~」

「気のせいですよ神様~」

「ペルセポネ様、ハデス様から栗きんとんを頂いて参りました、

 いやまぁ、優秀過ぎる私の仕事ぶりにいたく感動されたようでして、

 はは、これはその比類なき成果に対する特別報酬なんですよ、

 宜しければご一緒にいかがですか?」

「あらいいわね~天使ちゃん達も一緒に食べましょ」

「「 わ~い 」」

「はは、2人共この超有能エリート天使アマダに感謝したまえ、

 先にテラス席に行っているからお茶を頼むぞ」


残念ながら天界には届かなかった模様。


「ハルカさんどういう状況ですか?」

「どうって言われても急に反り返っちゃって…それよりこれ見て下さい」

「ネネ語? 違うか…」

「お~んおんおんおん…俺の肉ぅぅ…お~んおんおん…」

「(うわ!? 泣き出した…)」

「(こんな体制で…なんて器用な…)」

「(気持ち悪い…)」



厳密に言えば松本が日本語以外の文字を認識する方法がないわけではない、

手を掴んで貰い誰かに文字を書いて貰ったり、

凸もしくは凹状になっている文字を指でなぞったりすれば可能である、

いずれにしろ視覚に頼らない体感的な方法に限られる。


だがそれで文字の形を理解したとして実際に書くことが出来るかは別問題、

視覚と体感のズレにきっと混乱するだろう。


仕方が無いので松本は自分の名前の印鑑を作ると決意した。


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