ある小さな村の興亡
俺たちは、安住の地を求める流浪の民だった。
あてどもなく荒野を彷徨い、長く苛酷な旅を続けていた。
遂に、この豊穣の地へと辿り着くまでは…。
温暖な気候と、肥沃な大地。「ここに俺たちの理想郷をつくろう」そう誓い合った。そして、共に汗を流し、心血を注いでこの地を開拓し、種を蒔いた。
俺たちは、よくやくここに根を下ろすことができたのだ。
最初は小さな集落でしかなかったここも、その暮らしやすさが評判となり、更に多くの者が移り住み、子を生み育て、繁栄した村となった。
俺たちの暮らしは、概ね平穏で、満ち足りていて、幸せだった。
あの災厄が襲うまでは…。
あの日は、いつものように平和な朝を迎えた。
俺たちは、日暮れまで大地を耕し、種を植え、喰らい、語らった。
今日の営みを終え、誰も皆、ゆったりと寛いだ夕刻のことだった。
空から突然、激烈な冷気を纏った鉄槌が現れ、この村を叩いたのである。
それは、一瞬にして多くの仲間の命を奪った。
そして、逃げ惑う俺たちを嘲笑うように、更に、二度、三度と叩き付け、ようやく去った後には、村は無残に破壊されていた。
この冷気の鉄槌は、その後何度も襲来し、辛うじて生き残った仲間の命をも、じわじわと奪っていった。
俺は、たったひとりの生き残りとなってしまったのである。
深手を負った身体では、逃げることもままならなかった。
最初の災厄からどれ程の時が経っただろうか…。
今日もまた、俺の目前にあの恐ろしい鉄槌が迫ってくる。
もう逃げられない。「俺もやっと皆のところへ行けるな…」
どこかホッとした気持ちで目を閉じた。薄れゆく意識の中で…。
「お母さ〜ん、足の裏に何かできてる」小五の息子がいった。
「どれどれ?」「えっ、何これ。痛い?」
「痛くはないけど、歩くときすごい違和感ある」
「う〜ん…。とりあえず病院行こうか」
もたもたしていると閉まってしまう時間だ。
私たち親子は、家から徒歩10分ほどの皮膚科医院へと向かった。
予約無しで診察してくれるこの医院は、いつも混んでいる。
しかし、今日は幸いにも待合室の人気は疎らで、すぐに息子の名前が呼ばれた。
「ウイルス性のイボだね」初老の医師はサラリと言った。
「この子の足は、ウイルスが好む環境なんだろうね」
「あぁ〜、いつも何だか湿ってるし…。治療法ってどうなんですか?」
「軟膏や内服薬もあるけど、ここまで数が増えてると厳しいね。早く治すには焼くのが一番だと思うよ」
「えっ!焼くんですか?」驚く私と息子。
「お母さん、やだ。こわい…」
「焼くって言っても、火で炙るわけじゃなくて、マイナス196度の液体窒素を患部にギューっと押し当てるの」「けっこう沢山できちゃってるから、何度か続けないとダメだね。週1ペースで2か月くらい通院ね」
「マイナス196度!何だか凄いですね」
「それでも、軟膏や内服薬だけ使うよりは、確実に早く治るよ。どうする?」
「わかりました…。お願いします」
「お母さん、やだよ〜!」
「もう五年生なんだし、頑張れるでしょ。ね?」
息子はベッドに俯せに寝かされた。
若い美人の看護師が、銀色の容器から綿棒のようなものを取り出し、医師に手渡した。それはドライアイスのようにもうもうと煙をあげている。
「お母さん、動かないように押さえててくれる?」医師は私にそう言うと、ニヤリと笑った。
「お兄ちゃん、ごめんね〜。ちょっと痛いけど我慢だよ〜」
そして、おもむろに…
ジューー!
「ギャーー!」
「頑張って!2回目いくよ!」
ジューー!
「やめてぇぇ!」
「最後だから我慢してね〜」
ジューー!
「〜〜っ!」
「はい、お疲れ様!お兄ちゃん、よく頑張ったね」
「…」息子は虚ろな目をして呆けていた。
「ありがとうございました…」見ていた私も、何だかどっと疲れた。
それから息子は、健気にもこの壮絶な治療に通い続け、今日めでたく最後のひとつとなったイボを葬り去った。
彼の足の裏で、小さな村の興亡があったことなど、私たち親子は知る由もなかった…。




