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広見くん家の擬人化ちゃん  作者: 弐夜 月
3/4

事務室の魔女

 日向の家から大学まではさほど遠くない。

 複雑な道であったり細く暗い道というものはなく、人通りのある大きな通り一本道のみで大学に着く。

 故にここは日向の通う大学の生徒達に人気の土地である。


 無論、最初は大学生活を満喫するつもりであった日向は、行きやすさと近さを重視して決めた。

 近さは空き時間のときに自宅で暇を潰せて効率が良いからであり、行きやすさは人を自宅に呼ぶときに説明が簡単で相手も理解しやすいと思ったからである。


 空き時間になって友人に何気なく『俺、空き時間家で潰すわ』と日常会話を交わし、さりげなく家が近いことをアピール。

 そしてそれを偶然耳にした空き時間の被った女の子に家で休ませてと頼まれ、一緒に自宅で空き時間を過ごす。

 そしてその子と仲良くなるとその子が自分のことを友人に話すと、その友人が私もいい?と自分へ訪ねてくるという自然な流れが発生する。


 そして自分はたくさんの人との交流を深めていき、空き時間で気軽に遊びに行ける大学の近くに住む人気者へと立場を固める、完璧なプラン。

 充実したキャンパスライフが約束される……そんな妄想をしていた時期が自分にはあった。


 ……現実はそんな甘いものではなかった。

 まず最初に違和感を抱いたのは入学式が終わった登校初日、教室に入ると楽しげな会話と笑い声がいくつも聞こえてきたのだ。

 今の時代、入学の前にSNSで事前に輪を広げることが可能であるという点を見逃していた。


 教室では大きく分けて3つのグループで分かれており、それぞれがそれぞれの話題で盛り上がっていた。

 3つのグループに挟まれてポツンと孤立していた日向に、グループのリーダー的な存在が絡んできたのだ。

 孤立している人間にわざわざ声をかけてくれるとは、なんて優しい世界なのだろうと一瞬思った。


 しかし振られた話題は『今の世の中の仕組みに馴染めず、友達作りもろくに出来ない人間はこうなる』ということであった。

 その後はただの悪口であった。

 回りに仲間がいることをいいことに言いたい放題、こちらが反論しても数ありゃかき消せるといった具合だった。

 教室中に響き渡ったその笑い声は他2グループも巻き込み、辺りは大爆笑に包まれた。


 これでも十分トラウマ級なのだが、日向は諦めなかった。

 次に取りかかったのはサークル。

 小中高と学校に行かずに取り組んでいたバドミントンのサークルに入ることにした。


 当時、目立つことが嫌いだった日向は身内との試合のみで大会には出場できなかったのだが、その腕前はかなりのもので通っていたクラブのコーチが大会に出てくれないかと直談判しにくるほどであった。

 サークルで一番強い先輩と試合をすることになった日向は、その腕前を披露したことによって彼を見る目は一瞬で変わった。


 自分のことを貶しに貶していたとある女子は『きっと練習で忙しくてSNSをする暇がなかったんだわ』と都合のいい解釈をして日向に浸け入ろうとしていた。

 またある女子は『きっと何かあるって信じてた!』とわけのわからないことを言いながら日向に言い寄った。

 裏を知っているからこそ、表に貼られた部分が不気味で仕方なかった。


 だがそんな女子は少数で、ほとんどは純粋に自分のプレーを誉めてくれる優しい女の子達であった。

 自分が彼女達の裏を知らないというのもあるだろうが、プレーを誉められるのは純粋に嬉しくて悪い気はしなかった。

 もちろんそれを妬む男子もいたのだがスポーツ系の男子達の自分への評価は上がり、男子とも交流が広がっていった。


 曇天のキャンパスライフが一転、色鮮やかな青春のキャンパスライフへと変わっていった。

 しかし、日向のことを良く思っている人もいればそれを良く思わない人も少数いるもので、しかも少数であっても影響力の高い先輩であったり頭の回る奴などがいて立ちが悪い。


 最初は絶妙に保たれていた均衡も、後に起きるある出来事を境に崩壊してしまった。




 大学へと続く大きな通りの一本道。

 顔には出ていないものの足取りは軽いゴスロリ少女である包丁とは裏腹に、日向はどこか気が進まないような顔をしていた。

 この道を通るだけで連鎖的に嫌なことを思い出してしまう記憶を、必死に消していっている最中であった。


 包丁がそれに気が付くのも当然であって。


『日向、顔色、悪い』


『ちょっと嫌なこと思い出してな……俺は大丈夫だから気にしないでいいぞ』


『わかった』


 やけに素直なのは彼女なりの気遣いだろうか。

 それに思っていたほど彼女へ向けられる視線が少なく、比較的落ち着いて歩くことができている。

 気を紛らわすために世間話を振りながら、桜も散ってどこか味気ない大通りを進んでいく。


 思えば入学初日の登校は桜が乱れ舞いとても美しかったのをふと思い出した。

 日向だって大学で嫌なことをばかり体験しているわけではなく、数は劣るがそれなりに良いことも体験している。

 次はなんの話を振って時間を稼ごうかと考えながら歩いているうちに、気が付くと通っていた大学が視界に入ってきていた。


『あれが大学』


『おー』


 おお、と目を見開いて感動を覚えている……ということもなく、包丁はいつも通りツーンとした態度をしながら独特な口調で返すだけであった。

 そんな彼女に失笑しながら敷地内へと足を踏み入れていく。


『ひと、いない』


『そりゃ今日は休校日だからな』


『つまんない』


『だから言っただろ』


 無論、休校日を狙ったのは人との接触を避けるためである。

 もはや貸し切りとなった中庭を通り抜け事務室へ向かう途中、日向は彼女を中庭の休憩スペースに座らせた。

 講師達に変な誤解を抱かせないようにするためである。


 小走りでたまたま近くにあったこの大学について書かれたパンフレットを取り、少しの小遣いと一緒に彼女へ渡す。


『自販機とかはパンフレットの地図に載ってる。じゃあ俺は行ってくるから大人しく待ってて』


『わかった、ばいばい』


 包丁のこういうところは助かる。

 ……きっと好奇心の塊である雑巾なら何を言っても着いてきてしまうだろう。

 物分かりのいい包丁に安心した日向は彼女に手をひと振りするなり、校舎の中へと歩いていく。


 ひとりポツンと取り残された包丁は、日向の姿が見えなくなるまでその背中を見つめていた。



 この学校の事務室はとてもわかりにくい上に遠く、道が複雑で覚えにくい。

 彼女をここで座らせたのは彼なりの気遣いのつもりであった。

 階段を登り降り、廊下を右へ左へ、扉を開け閉めしているうちに事務室と貼られた扉が見えてくる。


 横にあるフォルダーには、ここからの帰り道が描かれている地図が綺麗に収納されている。

 まあそれを見てもわからないものはわからないのだが……

 いつも通りコンコン、コンと独特なリズムで三回ノックをすると、中から聞き覚えのある声が聞こえてきた。


『ひ~ちゃん空いてるよ~』


『……失礼します』


 一声かけながらドアノブを捻ってドアを開けると、奥の大きな椅子に腰掛けるひとつの影が目に入る。

 その大きな椅子とは釣り合わない小さな背中を預けながら、こちらを見ると何やらニヤニヤとしながら日向を見つめている。


『その呼び方はやめてください、子巴(こどもえ)さん』


『え~?じゃ~あ~……おにいちゃんにする?』


『結構です』


『もう、釣れないなあ』


 そんなひーちゃんも好きだよ、と奥でにやにやと頬を緩ませている子巴と呼ばれたその少女……否、その女性は、この事務室を一人で仕切っているこの大学の職員の一人である。

 包丁の容姿ほど幼くはないが雑巾ほど熟してもいない中間くらいの姿で、本人は中学の頃から全く容姿が変わっていないと前に言っていた。


 顔も整っていて可愛らしく背丈が低いため、男がつい守ってあげたくなるような見た目をしている一方、小忙しい事務の仕事をひとりで完璧にこなすという敏腕を持つ贅沢な人物である。


 何より厄介なのは子巴が自分の見た目を完全に生かしきっていることであり、幾度もロリコンどもを言葉巧みに手玉に取るその姿は魔女そのものであった。

 しかし、彼女は簡単に手玉に取れるような男はすぐに捨ててしまう癖がある。

 故にこちらに(なび)く兆しの見られない日向が、今回の彼女のターゲットであることは容易に推測できた。


 裏を知らなければ完全に子巴の手に落ちているところだが、運良くそのことを知っていた日向は難を逃れていた。

 なかなか自分の思う通りの反応をしない日向に不満気かと思いきやその真逆、飲み込まれまいと必死に素っ気ない態度を取り続ける日向が可愛く見え、さらに手玉に取りたい欲が上がっていく一方であった。


 これ以上この場にいたらどんな揺さぶりを掛けられるかわかったものではない。


『今回は少し多いですが、いつも通り単位認定お願いします』


『はいは~い』


 早くこの場から離れたいという一心から、日向は自分の口をせわしなく動かす。

 いつもより早口になっている日向から書類を受け取った子巴は、どこか余裕のある笑みを浮かべながら手元の書類に目を通していく。


 "仕事とプライベートは別"それが彼女の口癖であり、モットーである。

 日向だって彼女に悪い印象しか無いわけではない。

 プライベートから仕事に取り組む時の切り替えと処理能力は異常、おまけに容姿端麗で話し上手ときた。


 どこをどう見ても、彼女に惚れない要素が見当たらない。

 ……上部だけを見たら、だ。


 表向きが優秀であれば優秀な人物ほど、それに比例して裏に何かしらの大きな野心や野望を抱いていることが多いという説がある。

 これは大学で起こったある出来事によって日向が生んだ説であり、今回の子巴がもしそうであればその説は確信へと変わってしまうだろう。

 もしそうなってしまったらさらに人間を信じられなくなってしまう、それは非常に困る。


 何を持って自分に狙いを定めているのかは知らないが、理由はどうあれ彼女の手に捕まってしまうわけにはいかない。

 思考で頭の中をぐるぐるとフル回転させながら見えない何かと戦う日向であったが、仕事を始めた彼女が他のことへ目を向けることはまずない。

 自ら休める時間を潰すという行為、つまり日向が今やっていることは無駄に等しいものであった。


 そんなこんなで書類の確認が終わり、ほぅ、と息をつく子巴。

 サイボーグ並みに仕事が早くこなせるといっても彼女は人間、それに伴う疲れがくるのは当然である。


『はい、確認終了っ、と。毎回すごい量の書類持ってくるけど、今回のはまた一段と多くて疲れちゃったわ~』


『毎回こちらの都合で申し訳ないです。でも、事務の仕事に手が回らなくなるようだったら断ってもいいですからね……?』


『ううん、実際事務の仕事は大したこと無いよ。そ、れ、に~』


 書類で口元を隠し、どこか照れくさそうにはにかむ子巴。

 ――まあ、どうせ演技なのだろうが。

 演技だとわかっていても高鳴る胸の鼓動、まるで魔法をかけられているような不思議な感覚。


『ひ~ちゃんの頼みだからね~、断る理由なんてないよ~』


『そ、そうですか……』


 満面の笑みを浮かべながら嬉しそうに話す子巴。

 少しでも気を緩めてしまったら向こうのペースに引き込まれそうなほどに輝かしい純粋な笑顔……に見える魔女の微笑みを必死にこらえる。


『で~も~、少しくらいは……欲しいな?』


 遠回しにさりげなく礼を要求してくる子巴。

 たしかに回数を重ねる毎に何故か増えていく書類をこなすこちらも大変だが、それに目を通す彼女の負担も大きい。

 何より、自分が大学に行きたくないという勝手な理由で彼女を巻き込んでいるのは、十中八九日向である。


 少しくらいは彼女に何かしてあげてもいいのではないか。

 そんな日向の良心に、彼女の言葉が漬け込んでいく。


『僕にできることなら、その……いいですよ』


『ほんとに?やった~!ひ~ちゃん大好き!』


 はい、これ私の連絡先ね、と嬉しそうに一切れの紙を書類の上に重ねる子巴。

 ――これ絶対あらかじめ用意してあっただろ。


 とうとうやってしまった。

 こんなもの、なんでもしますと言っているに等しい失言。

 だって仕方ないじゃないか。


 好きな人のために頑張ってくれているのにも関わらず、その人からは裏があるのではないかと疑いの目をかけられ、決して心を許してもらえることがない。

 ……まあ裏がないことはないだろうが、そんなのは悲しすぎるではないか。

 何より、何かしてくれた人に対して礼も言わずに冷酷な視線を向けるなんて教育は受けてきていない。


 ……授業も受けてないが。


 とにかく、これは人間として当然の行為であり、決して間違ったことではない。

 そう自分に言い聞かせるように思いながら子巴から書類を受け取ると、事務室から出るために辺りを見渡す。

 事務室の出入り口はひとつのみなので、普通はすぐ後ろの扉から出ればいいだけの話なのだが……


 ――あった。


 先ほど跨いだ自分の背後にあるはずの扉は、何故か彼女の背後にあった。

 この事務室への道のりといい、ここの大学の校舎の構造は一体どうなっているのか。


『では、失礼します』


『は~い、またね~ひ~ちゃん』


 小さな手を可愛らしく振りながら日向を見送る子巴を背中に、日向は事務室を後にした。

 魔境から抜け出せたことにまずホッと一息。

 魔女の誘惑をなんとか耐えきることのできた日向の精神はもうヘトヘトで、頭にはなんとも形容しがたい気持ちが渦巻いていた。

 事務室を出てすぐ、ポロン、と日向のスマホからメールを知らせる着信音が鳴った。


『ん……?』


 メールのやり取りをするような知り合いなんて片手で足りるほどしかいない。

 不思議に思いながら確認してみると子巴からであり、内容はお願い事を何にしようか悩んでいるものであった。


『わざわざ悩んでることをメールで伝えるかね……ほんとあざといな子巴さんは……』


 この先メールでこんな焦らしを受け続けると思うとなんだか複雑な気持ちになってくる。


 はあ、と、軽くため息をつきながら包丁の待つ中庭へと向かう。

 かなり疲れているのだろう、連絡先を教えたのは子巴であるはずなのに最初の連絡は彼女から……という不可解な点に日向は気付けずにいた。

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