第四話「ビー玉」
それ以来おっちゃんとお嬢ちゃんはこの廃ビルで会うようになった。どちらともなくこの廃ビルに来ては他愛の無い話をしたり、お嬢ちゃんが考えたおっちゃんが生きたくなる方法を試しては帰っていく。そんな日々が続いた。平日には夕暮れ時に学校終わりのお嬢ちゃんが来て、休日には朝からお嬢ちゃんが来て、とそんな日々が続いた。
不思議なことに、どんな時でもどんな日でもいつも先におっちゃんがいて、入り口の真正面にあるフェンスを背に腰掛けているのだ。解散する時は帰るお嬢ちゃんをおっちゃんが「気をつけて帰りな」と見送る。それと雨の日はお互いに来ないという暗黙の決まりのようなものもできた。
日の早くなった秋口の夕暮れを背に、学校の制服姿で鞄を片手に持ったお嬢ちゃんが屋上の扉を開ける。そして、いつもの場所にいるおっちゃんを見つけると、嬉しそうな顔をして小走りに近寄ってくる。おっちゃんもそんなお嬢ちゃんを唇の端に小さな笑みを浮かべて迎える。
「なぁなぁおっちゃん!」
今日のお嬢ちゃんは何か良いことでもあったのかいつもより一層元気が良い。元気一杯である。
「なんだいお嬢ちゃん?」
「おっちゃんはここに住んでるのか?」
「そんなわけないよお嬢ちゃん。こんなおっちゃんでも一応家はあるんだよ?」
「じゃあ、なんでおっちゃんはいつもワタシよりも先にいるんだ?」
「そりゃぁ、おっちゃんが暇だからだよ」
「そうなのか?」
「そうだよ」
「最近はやってるじゅうしょふていむしょくというヤツか!」
「だからね、一応住所はあるんだよお嬢ちゃん? あと住所不定無職って流行ってるわけじゃないからね? お嬢ちゃんは何処からそんな言葉を知ってくるんだい?」
「ワタシは発音は苦手だけど、読み書きならけっこう得意なんだぞ! 漢検二級なんだぞ! ならおっちゃんはただのむしょくか!」
お嬢ちゃんの遠慮のない言葉は、子供が親とスキンシップを取ることに似ていている。赤の他人に言われれば小馬鹿にされていると感じる言葉だか、お嬢ちゃんには全く嫌味や悪意といったものがないので、おっちゃんも全く嫌な気はしない。むしろやんちゃな娘が甘えてくれてきているように思えて、微笑ましく感じていた。
「……そうなるなぁ。それにしても漢検一級かぁ……お嬢ちゃんは凄いな。おっちゃんは多分五級も取れないよ」
「なんだなんだおっちゃん元気だせ! おっちゃんが生きたくなって仕事みつかるまでワタシがはげましてやるぞ!」
「おお……そいつぁ頼もしい。おっちゃん、すぐにでも再就職できるような気がしてきたよ」
「そうだろう! ワタシはおっちゃんのフォルトゥーナなんだぞ!」
そう言ってお嬢ちゃんは自分の定位置となっているおっちゃんの前の床にビニールシートを敷いてペタンと割座した。
「ほうとう? 山梨県の郷土料理だね。おっちゃんも好きだよ。ただ南瓜はいらないと思うんだ」
「なになになに? なんの話だ? 料理の話しはしてないぞ、フォルトゥーナだおっちゃん!」
おっちゃんは聞いた事のない言葉に首を傾げた。
「……なんだいそりゃあ?」
「幸運の女神様だぞ!」
「なるほどね……。初めて聞いたけど確かにそうかもしれないなぁ。おっちゃんお嬢ちゃんと話すたびに元気をもらえてるよ。ホントに、お嬢ちゃんはおっちゃんの女神様だよ」
「なっ、なんだなんだおっちゃん! いきなりそんなこと言われるとてれるぞっ!」
お嬢ちゃんは冗談のつもりだったのが、そう返されるとは思わなかったようで、身をよじるようにして紅潮した頰を両手で覆った。自分で言いながら気恥ずかしくなったのだ。
「……そうだおっちゃん、これを見てくれ! えんぴつを買ったらオマケでもらったんだ!」
話題を変えるように、お嬢ちゃんはポケットから小さな紙袋を取り出して、その中から丸い乳白色の飴玉のようなものを一つ取り出すとおっちゃんに差し出した。
「おっ、ありがとよお嬢ちゃん」
おっちゃんはそれを受け取ると何のためらいもなく口に入れた。
「あっ」
「……ん? なんだいこりゃあ? 味がしないなあ」
コロコロと口の中でそれを転がしているおっちゃんを、お嬢ちゃんが信じられないというような驚愕の表情で見ていた。
「おっちゃん……それMarbleだぞ……?」
「え? なんだいそれ? お嬢ちゃんの発音が良すぎてよく分からないよ」
「え……? えぇ……? えーっとなあ……? 日本語でなんていうんだったか……?」
お嬢ちゃんはガサゴソと紙袋の中からその飴玉のような物が入っていた袋を取り出して、ロゴを見つけると「ああ、そうだそうだ、そういう名前だった」と一人、気が済んだように納得して元気よく読みあげた。
「ビー玉だ!」
「ぶっ!」
おっちゃんはその言葉を聞いた瞬間ビー玉を手の平に吐き出した。
「びっくりだぞおっちゃん! Marble食べる大人なんて始めてみたぞ! ニホン人はビー玉を食べるのか?! ワタシはおそろしいぞ……」
心底怯えたような表情をするお嬢ちゃん。
「いやいやいや、おっちゃんだってビー玉食べてる大人なんて見たことないよ!」
「じゃあなんで食べたんだ! いくらお腹が減ったってそれは食べちゃ駄目だぞ! ニホンにはオソろしいシューカンがあるなっておもっちゃったじゃないか!」
「知ってるよ! そんな奇抜な習慣はないからね? ほら、あれだよ色が飴玉っぽかったからさ、おっちゃん老眼気味で目が悪いから分かんなかったんだよっ」
「えんぴつ買ったって言ったろう! なんでブンボーグ屋にアメが置いてあると思ったんだ!」
「駄菓子屋で買ったと思ったんだよ、おっちゃんの頃はそうだったからさ!」
「タブン古いと思うぞ! ダガシ屋なんて見たことないぞ! おっちゃんトシかっ!」
「なんだとお! こう見えておっちゃんはまだ二十代なんだぞ!」
「ぷっ……! アハハハハ!」
お互い冗談と踏まえたうえでヒートアップしていたが、お嬢ちゃんはおっちゃんのまだ二十代という言葉がツボに入ったのか、お腹を抱えて笑い出した。おっちゃんもそれにつられて笑った。二人はおかしくなって声を上げて笑いあった。おっちゃんは今までになかったほど純粋に、自分でも驚くほど無邪気に笑った。
「はーぁ……おっちゃんの見た目で二十代はムリがあるぞ……」
ひとしきり笑ったお嬢ちゃんは人差し指で涙を拭いながら、笑いすぎて絶え絶えだった息を整えている。
「ええ? なんでだい? おっちゃんどう見たって二十代だろう? 若い頃なんてモテモテだったんだからね?」
左手の人差し指と親指を伸ばしてアゴに当て、渋い顔をしてポーズを決めるおっちゃん。それを見てお嬢ちゃんはまた吹きだした。
「あははっ! おっちゃんはワタシを笑いコロすきかっ! オトナのみえっぱりはみっともないぞ!」
「なぁにがおかしいんだいお嬢ちゃん。ホントだよ? ホントの話なんだよ? こう見えておっちゃん結構かっこよかったんだからね?」
「ぷっぷぷっ……っ!」
「全く……全然信じてないなぁ……」
「あはははは!」
「まぁ……お嬢ちゃんが楽しいなら、それで良いんだけどさ」
優しげに呟いたおっちゃんの言葉は、お嬢ちゃんの無邪気な笑い声の下に小さく響き、秋風にさらわれ消えていった。
お嬢ちゃんが笑い終えて落ち着きを取り戻すと、心地良い穏やかな空気が二人の間に流れた。
おっちゃんは改めてビー玉の入った袋を受け取り、そこから群青色のビー玉を取り出してしげしげと眺めている。
「ビー玉かぁ、お嬢ちゃんの国じゃマーブルっていうんだね。お洒落でキレイな響きだよ。おっちゃんビー玉って呼び方よりも好きだなぁ」
「そうかぁ? ワタシはビー玉って呼び方もなんだか面白くて好きだぞっ。なんだかかわいいじゃないか」
お嬢ちゃんも何種類かのビー玉を手の平に乗せて、転がしながら光の反射を楽しんでいる。
「おっちゃん、ちっちゃい頃は光物が好きでこういうビー玉とかよく集めたっけ……。懐かしいなあ……」
「おっちゃんにもちっちゃい頃があったんだな! 驚きだぞ!」
「……ちっちゃい頃がないほうがおかしいからねお嬢ちゃん? おっちゃん妖怪じゃないんだからね?」
「ジョーダンだぞっ。ところでおっちゃんは何色が好きなんだ? ワタシは黄色が好きだ!」
「うん、お嬢ちゃんらしいよ。向日葵みたいなお嬢ちゃんにぴったりな色だ。おっちゃんは今持ってるこの色が一番好きだよ」
そう言っておっちゃんは群青色のビー玉を人差し指と親指の先で抓み、頭上に掲げて日の光に当て、透かし見た。陽光がビー玉を透過して、綺麗な青紫色になる。そこでおっちゃんは、そのビー玉の中心に少し大きめな気泡があることに気付いた。
「ムラサキかっ!」
「そうだね。ぱーぷるだね」
「え? なんて?」
お嬢ちゃんが急に真顔になる。
「ん? だからぱーぷるだって」
「なんだぱーぷーって? アホみたいなひびきだな……? ムラサキ色じゃないのか?」
「ああ……おっちゃんの発音が悪いから通じてないのか……ぱぁ~ぽぅ~だよ」
おっちゃんはきわめて大真面目に発音しているつもりだったが、お嬢ちゃんはどんどんと怪訝な顔になる。しかめっ面のような、眉間とおでこにシワを寄せ、信じられない未知の生物を見ているような、中々酷い表情をしている。
「は……? なんて?」
「だからぱぅぁ~~ぽぅぅぉぉ~だよ!」
「……おっちゃん頭だいじょうぶか? ぱーぷーなのは頭だけにしておくんだぞ……?」
「ひでぇな…………」
「あはははっ! ジョウダンだぞ! ちゃんとおっちゃんがPurpleっていったのは分かってたぞ! ただあまりにもクソみたいな発音だったから腹たっただけだ! Britishなめんな!!」
「……お嬢ちゃんは急にびっくりするような毒を吐くんだね。とりあえずそんな汚い言葉を使っちゃ駄目だよ?」
「わかったぞ」
なにかお嬢ちゃんの中にあるスイッチが入ってしまったみたいだ。
「話はちょっと戻るけど、お嬢ちゃん、この色はペーポーじゃなくて群青色っていうんだ」
「グンジョウ? 初めてきいたぞ?」
「深い青色のことさ、おっちゃんは昔からこの色が好きなんだ」
「へぇ~なんでだ?」
そう言われてみると、何故この色が好きなのか、おっちゃん自身もよくわからなかった。だが、好きというのはそういう、言われて初めて理由を探すものなんじゃないかとも思った。
「理由なんかないよ。ただ気付けば色んなビー玉の中でこの色が好きだったってだけさ。昔、拾ったこの色のビー玉を宝物としてしまっておいたんだけど、何時からか何処かにいっちゃって無くなってたんだ。で、その宝物にしてたビー玉には真ん中には大きな気泡があったんだ。気付いたかなお嬢ちゃん? お嬢ちゃんが持ってきたこの群青色のビー玉にも、昔無くしたビー玉と同じ位置に似たような気泡があるんだ。きっとこのビー玉は、子供の頃無くしたんじゃなくて、未来へとワープしていたんだ。そうして様々な因果の結果、お嬢ちゃんの手に渡りおっちゃんの手元に帰ってきた……。つまり、お嬢ちゃんとおっちゃんとの出会いは、過去から既に確定された未来として決まっていたんだよ。過去と未来の因果が今ここで繋がったんだ!」
おっちゃんは昔読んだSF小説に出てきた、人生で一回は言ってみたかったセリフを言ってみた。
「イミがわからんぞおっちゃん……?」
お嬢ちゃんの反応はやはり悪かった。その反応におっちゃんも恥ずかしくなって、なんとか誤魔化そうと思った。
「……そう深く考えちゃいけないよお嬢ちゃん。おっちゃんだって何も考えてないんだから。ただ、お嬢ちゃんのおかげで、おっちゃんこの色がもっと好きになったよ。ありがとうお嬢ちゃん」
「そ、そんなこと言っても何も出ないぞ……? 今日のワタシは手ぶらだからなっ!」
お嬢ちゃんはちょっと照れた。
「でもおっちゃん、何も考えていないという言葉はウソだなっ! ワタシが思うにおっちゃんは考えすぎてミウゴきがとれなくなるタイプと見た!」
「ははっ……そんなことないよお嬢ちゃん」
おっちゃんはお嬢ちゃんの観察眼の鋭さに舌を巻きつつ、その日は解散した。