3.私、祈ってます
いつも通り、洗い場へ行き、アシュバルさんに茶器を乗せたトレイを渡す。
「それじゃ、お願いしますね」
手を振り、離れようとした私をアシュバルさんが凝視しているのに気づいた。
足を止め、アシュバルさんに向かい合う。
「アデル、次の春が来たら、ここを辞めるって本当か?」
少しばかり鬼気迫るというか、元々厳つい顔のアシュバルさんの顔が益々鬼のような面構えになっていた。十年も同じ職場で働いてきて、彼の心根が優しいと分かっているから、ちっとも怖くは無いが、凄い顔だ。
「ええ、そうです。情報が早いですね」
メイド長からは黙っていなさいとは言われていない。かと言って、吹聴して回るほどのことでも無い。ただ、聞かれたので素直に答えた途端、アシュバルさんが両手で私の右手を掴んだ。
「 辞めるな、アデル。早まるんじゃ無い」
?
何を言ってるのだろう?
「第一、お前は好いてる奴がいるんじゃなかったのか?」
以前、アシュバルさん経由で持ち込まれた告白に対して、本当は面倒くさかっただけなのだけど、それでは相手が引き下がらないだろうなと思い、尤もらしい理由として、「気になる人がいるから」と断ったことがある。
「好いてる?あー、んー。好き、とは違いますよ。憧れ、に近いのかも。私に恋愛の話なんて無理ですよ。分からないんですから」
自分で言ってみても、納得しかできない。私に恋愛感情はカケラもない。
アシュバルさんの手をやんわりと外して逆に両手で包み込む。勿論、アシュバルさんの手は私の手から溢れてるけど。
「第一、メイド長から旦那様へ報告されていると思いますよ。だから、決定事項。覆すつもりもないですよ」
「いや、まだ大丈夫のはずだ。だから、辞めるな。」
と、言われても、家には見合いの話を進めて欲しいと手紙を書いたし、そもそも、このまま春になってもここに居たら、リアンさんの婚約者を見ることになる。
「アシュバルさん、これから私、奥様のお供で街まで行かなくちゃいけないの。支度をするから、また今度ね」
笑顔で小さく手を振り、洗い場を後にした。
この話は堂々巡りだ。いい加減の所で、切り上げなくては動けなくなる。
「憧れだもの」
まるで、言い聞かせるかのように、呟いていた。
リアンさんが幸せになりますように。