三十 アルフレッド、冒険者になります
暗い部屋の中から水の音がして目を覚ます。
昨日は寝るのが早すぎたせいもあり、なかなか寝付けなかった。
時間帯もそうなのだが、最大の原因はマヤである。
隣で年頃の女の子が寝ているのだ。
中身は四十を越えている俺が、今いるシチュエーションを想像するだけでドキドキと鼓動が早くなり、いつまでも眠れなかった。
マヤから小さな寝息が聞こえ始めてから寝た為に、少し寝不足気味。
明かりも点けてない部屋でバシャバシャと水の音が再び聞こえた。
隣のベッドにマヤの姿は無い。
何をしているのかと、俺はベッドから起き上がりランプに魔法で明かりを灯す。
マヤは水の入った桶でなにかをしていた。ランプの明かりを近づけるとマヤも俺に気づく。
「おはよう」と微笑み挨拶してくるマヤ。
ランプの明かりを桶に近づけると、どうやら洗濯をしているようだ。桶に入った水に浸かる布が見える。
しかし、片手では不便なのだろう。
かなり床が濡れており苦戦の跡が見られた。
「マヤ、僕も手伝うから」
「でも……」
マヤが渋るのは分かる。手に持っていたのはマヤの下着だし、恥ずかしいのだろう。しかし、俺は躊躇無くマヤから下着を奪い取ると洗濯を始めた。
洗濯物の中には俺の服や下着もあるのだが、マヤは、きっと気を利かした訳ではない。
「マヤ。僕はもう貴族じゃないし、マヤを使用人のように扱うつもりもない。当然のように僕の世話を焼かなくていい」
「ごめんなさい……」とマヤは申し訳なさそうな顔をする。
「怒っているわけじゃないんだ。僕はマヤを大切に思っているしマヤには隣に並び立って欲しいんだ。これから一緒に道を歩んで行くのだから」
「アル……」
拳をグッと握り力説した俺は、少し格好つけてしまったかなと照れ隠しに洗濯へと戻る。
俺の拳にはマヤの下着がしっかりと握りしめられており、その後は俺の方が恥ずかしくなりマヤの顔をしばらく見れずにいた。
カーテンを開いて外を見ると空は晴れ渡り、昨日の大雨が嘘のようだった。
窓を開き空気を取り込むと、まだ雨上がり特有の湿った風が頬に触れる。
窓際に洗濯した物を専用のロープに吊るしていき、お金と手荷物だけを持つと一階へと降りていく。
「おはようございます」とテディがカウンターを拭きながら、丁寧に挨拶をしてくる。
「おはよう、テディ。テレーズさんは?」
「お母さん、まだ寝てる」
洗濯物に時間がかかり、もう朝御飯の時間帯は過ぎている。テディに朝食を一緒に食べに行かないかと誘うと、そそくさと奥へと入り真っ白なエプロンを外してきた。
宿を出て扉にかけられている“泊まれます”と書かれたプレートを取り外し、テディと含めた三人で食事処へ。
食事を終えた俺達はテディと別れて冒険者として必要な物を買いに行く。
まずは武器と防具だ。
立ち並ぶ店を眺めていくと、何軒か武器などを取り扱っている店が。
その中でも、唯一綺麗に陳列されている武器屋へと俺達は入っていった。
「いらっしゃい」と店内で商品である長剣を磨く店主の男性。四、五十代くらいか、ほうれい線がくっきりと出ており、頑固そうな鋭い眼光をしている。
マヤはというと武器屋に入った途端に目付きが変わり真剣に陳列されている武器を眺めている。
「何が欲しいんだい?」
「彼女には手を守れる……なるべく指の稼働を邪魔せずに武器になりそうなものを。それと剣を二本と適度に身を守る防具が欲しい」
店主はマヤをチラリと見ると隻腕と気付き、オープンフィンガーの革製の手袋を左手分だけ見せてきた。
マヤに試着させて拳を握らせてみる。
かなり自由に指を動かせそうだ。
それに、握り拳を作れば薄い金属製のプレートが拳の正面に来て、ここで殴ることも出来そうだ。
あとは胸を守る革製のプレートをマヤの分と、適度な剣を二本を購入する。
他に必要な装備は、稼げるようになってからにする。
剣は一本当たり小銀貨一枚、革製のプレートは銅貨三枚、手袋は片手だけだからとオマケしてくれた。
「毎度あり」と店主は、頑固そうな雰囲気から一変して白い歯を向けて笑ってきた。
なるほど、頑固な雰囲気から、こうも変わると印象が良くなるのだな。
経営素人の俺は、もし何か商売するなら、これも一つのテクニックなのかと感心するのだった。
準備を整えた俺達は、ギルドへと向かう。白く清廉なレンガ仕様の建物に相応しく重厚な観音開きの扉を開くと中からは、威勢のいい声で賑わいを見せていた。
建物に入って左右には、いくつものテーブルがあり厳つい男達が大半を占めて座っている。
酒を飲んだり雑談したりと様々で、お互いに情報交換なども行っているようだ。
扉の真向かい奥にはずらっとカウンターが立ち並ぶ。収集した物の引き取りや依頼の受付、相談カウンターまである。
俺達は、登録受付と書かれたカウンターへと向かうと、周囲から視線が向けられる。
「マヤ、視線が気になるなら僕の影に隠れればいい」
小声でマヤにそっと囁くが当の本人は気にも止めてないようで、あからさまな視線を送ってくる相手には睨み返すくらいだ。
「すいません。ギルドの登録をお願いしたいのですが」
依頼や引き取りのカウンターと違い、登録受付のカウンターは俺達くらいしかいない。
それぞれの名前を記入するのだが、俺に関しては“アル”とだけしか書かなかった。
アルフレッド・ルーデンスはもういない。それはわかっていることなのだが、名前を捨てることがこれほど辛いのかと、書く手が止まる。
いつか、また名乗れる日が来るのだろうか……。
目を瞑り瞼の裏には、両親と妹の顔が浮かんで、消えた。
「はい、受け取りました。ギルド証を発行しますので少々お待ちください」
バニーガールのような作り物のウサギの耳を着けた女性が奥へと消えていく。
その隙を狙っていたのかタイミング良く酔っぱらいがマヤへと絡み始めた。
「ヒック……ウィ~……姉ちゃん、一緒に飲も? な、いいだろ~……ック」
酒瓶片手に千鳥足で俺達に近づいてくる。典型的な酔っぱらいスタイルの男は、マヤに抱きつこうと両手を伸ばしてきた。
しかし──マヤ相手に両手を差し出すなんて無謀過ぎる。
相手の腕を掴むや否や、マヤはそのまま相手の背後へと回り込む。丁度腕ひしぎの形になり、そのまま上へと腕を捻っていく。
「いたたたたた……や、やめてくれぇ! すまん、すまんかったぁ!」
痛みで酔いも醒めた男は床にキスをしながら許しを乞い、謝るのだがマヤは容赦なく組伏せて馬乗りになり押さえつけたのだった。




