二十一 俺には失うものは何も残されてないです
ゆっくり休憩を挟みながら進む馬車と違い、馬を休みなく駆け続けた結果、俺とマヤを乗せた馬は、まだ肌寒い早朝には王都バラスティアの入口が見えるところまで来ていた。
外堀を渡す橋を渡り門兵の検閲を抜けると、朝市で賑わう大通り沿いの店を見ることなく、一目散にサーシャの待つアドミラージュ学園へと進む。
「アル、後ろ!」
慌てたマヤの声に俺は後方へ視線を移すと、白銀の鎧に身を包んだ人物が二人。
「聖騎士!」
白銀の鎧の聖騎士は、俺達に気づくと真っ直ぐとこちらに近寄ってくる。
朝市の賑わいで馬もすんなり進めないが、聖騎士も重い鎧を周囲にぶつけながらも確実に俺達を目標と見定めているようだ。
「アル、先に行って!」
マヤはそう言いながら馬から飛び降りる。
「マヤ、ダメだ。早く乗れ!」
「アル……今アタイ達を聖騎士が認識しているということは、サーシャちゃんが危ないのよ! アタイは、大丈夫。引き付けるだけだから」
マヤは、馬の尻を思いっきり叩くと、馬はいななきを上げて後ろ足で立ち上がる。
周囲の人々は、慌てて俺の周りから逃げていき道が開く。
振り落とされないようにしがみついた俺を乗せたまま、馬は空いた道を駆け抜けて、マヤの姿があっという間に見えなくなっていた。
手綱を取り大通りから住宅街へと入り、王立図書館を迂回する。
俺は異変に気づく。学園の生徒達が窓から多数顔を出しているのだ。
校庭を見ているようで、俺は校門に向かわず学園の外壁から覗き込む。
そこには、俺にとって最悪な舞台となっていた。
「いやぁあああ!! にーさまあぁ!! にーさま、助けてぇえ!!」
白銀の鎧の聖騎士二人がサーシャのピンクの髪を毟るように掴み、校庭に引きずっていく。
サーシャは、大粒の涙を流しながら懸命に暴れる。
しかし、大人二人相手に十歳になったばかりの女の子には、酷な話でサーシャは校庭の中央へと引きずられていく。
(やめろ……やめてくれ…………)
聖騎士は腰の剣を抜き大きく振りかぶる。
「いやぁあああ!! にーさまぁあ! にーさまぁあああああ!!」
(なんで、なんで俺だけが……)
俺は学園の外壁からフラフラと千鳥足で近くの民家の壁に力無くもたれる。剣が振り下ろされるシーンが目に焼き付いて離れない。
何度も──
何度も────
何度も────繰り返される。
動悸が激しく胸の奥から汲み上げてくる嘔吐感。
体は萎縮して息苦しさを感じて頭がどうにかなりそうだ。
妹の叫び声が耳の側でこびりついている……助けて、にーさま、と。
俺は耳を両手で塞ぎ、その場にしゃがみ込んで見たくない光景を振り払おうと双眼を閉じて何度も頭を振り続ける。
両親に一体なんて詫びればいいのか、サーシャを守るって約束したのに……
もう、俺には何も残されていなかった。
終わりにしよう、大往生……もうどうでもいい。
俺はフラフラと立ち上がると覚束ない足取りで学校の方へ一歩踏み出した。
しかし、踏み出したのは一歩だけで、誰かが俺の腕を掴んで進ませてくれない。
「……どこ行くのですか? アル」
俺の腕を力一杯引き寄せて、民家と民家の間の路地へと隠すように連れていく。
良かった、無事だったのだ。
俺は腕を掴んだ相手の方を振り向くと目を見開き言葉を失い、そして自分の血の気が一気に引いていくのを感じた。
「ま、マヤ……」
マヤの顔はまるで幽霊かのように青白く、体のアチコチに作った傷から血が流れている。
だけどそんな事すら些細な出来事に思える。
マヤの右前腕から流れていく血。その右前腕は半分以上斬られて今にもちぎれ落ちそうになっていた。
「なんて顔をしているのですか? アルは両親と長生きすると約束したでしょう?」
叱咤激励するマヤの顔からは大量の脂汗。俺の頭の中は、ぐるぐると様々な想いが駆け巡っていく。
伯爵やミラへの恨み、両親との約束、サーシャの死、そして今目の前でマヤがその命を失おうとしている。
「あ、あ……あああ! うわぁあ!!」
俺は上着を脱ぐとそれでマヤの腕を抑えて止血を行う。
半ばパニックに陥った俺だが、次に何をするべきかを必死に考え出す。
両親やサーシャの顔が思い浮かび中々整理がつかない。
どうする、どうすればマヤを助けられる、俺に出来るのか、やらなければマヤは死ぬ、誰かに助けてもらうか、一体誰に、ここは王都、知り合いは──いた。
俺はマヤを背中におぶると走り出す。なるべく人目を避けるために大きな道は出ずに裏道裏道を進む。
在学中に再会し、そのあと心配で何度か一人で会いにいったりもした。
俺は本来その人に似つかわしくない一軒の古い家の前に辿り着く。
受け入れてくれるだろうか、いや、悩んでいる暇はない。
背中のマヤの呼吸が非常に荒い。マヤの汗で俺の背中もびっしょりと濡れている。
ドンドンドンッ
俺は急ぎだと言わんばかりに「バインツ伯爵!」と叫びながら強めに扉を叩く。
早く、早く出てくれ。
ガチャリと鍵を開け扉を開いたバインツ伯爵は、俺を見るなり強引に家の中に引っ張り周囲を確認してから扉を閉める。
「アルフレッド! 一体、どうしたのだ? それに、その子……」
俺を見つめるバインツ伯爵の深く目尻に刻まれた皺が、俺の中の不安や恐怖をほんの少しだけ取り除く。
こんがらがった整理出来ない感情のまま、俺はバインツ伯爵に今まであったことを涙を浮かべながら吐露すると、俺を優しく抱き締めてくれた。




