八 バインツ伯爵の厄介事です
俺の入学まで一ヶ月を切ったある日、ルーデンス子爵家をバインツ伯爵が連絡無しに訪れてきた。
慌てたのは、両親だ。
本来、連絡も無しというのもだが上の爵位を持つ主が、下の爵位の家を訪ねてくるなどあり得ない。
一気にルーデンス子爵家の中は大わらわになった。
「よいよい、茶の一杯でもあれば。ガッハッハ」
バインツ伯爵は、豪快に笑いながら父親の案内でリビングへと通された。
俺は邪魔になってはいけないと、突然の訪問理由も気にはなったが書庫へと隠れるように向かった。
「アル様、旦那様がお呼びです」
本でも読もうかと、棚から本を一冊手に取ると使用人が俺を呼びに来る。
俺に? と、何かあったのだろうかと俺は父親のいるはずであるリビングへと入った。
「おお、アル。そこにかけなさい」
そう言われ父親が指差すのは、バインツ伯爵の正面の席。もしかしたら俺は知らず知らずのうちにバインツ伯爵に何かしてしまったのだろうか。
しかし、バインツ伯爵に会うのは新年くらいなもので、新年まであと一ヶ月というこの時期に今更感があった。
「失礼します」
俺は一礼した後、椅子に座りバインツ伯爵と向かい合う。こうして面と向かって座ると、恰幅の良かったバインツ伯爵が、以前お会いした時に比べて少し痩せたようにも見える。
「実はな、アル。伯爵がアルに頼みがあると言うのだ」
「おれ──僕にですか?」
伯爵の頼みは、とんでもないもので伯爵領内の街道整備を俺に任せたいと言ってきた。
俺自身、街道整備などに手を出してはいない。
どこから俺に白羽の矢が立ったのか、ただ目を丸くするしかなかった。
「実はな、ここに寄る前にミシル男爵の所に寄ってな。そこでミラが儂と男爵の話を聞いておってな」
「それで、おれ──僕に相談したらとかミラに言われたとか?」
「ガッハッハ! まさにその通りだ!」
笑い事ではない。だいたいミラも何故俺を推したんだ。俺はミラに街道整備に関してなど話して……いや、しまった。街道整備をしていた。
正確には街道整備が目的ではないのだが、薬草の販売ルートの王都までの街道を邪魔な雑草や盗賊が隠れられそうな木々を取っ払った。
それに薬草栽培に区画整理なども試みていたのを思い出す。
確かにあのときミラが側で見ていたのだ。
参った、ミラには降参するしかない。側で見ていただけで、俺が何をやっているのか分かったのか。
俺は伯爵のいる前で思わずため息を吐いてしまった。
「伯爵。おれ──僕は来月から学校に入ります。時間が足りないのですが」
本来伯爵の頼みを断るなんて事はしない人が多いだろう。しかし、今回ばかりは、断るしかないのだ。時間が足りなすぎる。
「そうか、アルもとうとう学校か。それでは王立の方にか。少し遠いな」
「いえ、おれ──僕は王立の方ではなく、アドミラの方にです」
「何っ!? 王立ではなくアドミラージュ学園か? あそこは跡取りになれない次男や商人の子が行くところだぞ」
俺の入学予定のアドミラージュ学園。伯爵の言うように跡取りになれない貴族の子息や商人の子供、一部一般の人も入学してくる。
王立の学校、王立ミュンセン学院もある。ここは貴族の子息でも嫡男や、優秀な子息が集まる学校だ。
だが父親が選んだ学校は通称アドミラの方。
理由は簡単だ。アドミラは王都にあるがミュンセンの方は、更に遠くの侯爵領内にあった。
何故侯爵領内に王立があるのかというと、簡単にいえば侯爵が建てた学園が王立に変わったのだ。
アドミラは、その後王都に建てられた。
しかし、父親はある理由でアドミラを選んでくれていた。
それは王都にある王立図書館。
本の虫である俺が熱望する訳でもなく父親は俺の心を理解してくれたのだ。
本当に有難い話である。
伯爵はしばらくどうしたものかと悩み抜いたあと、妥協案を出してくる。
「別に完成するまでとは言わんよ。そうだな……計画書みたいなものの完成だけでよい。お願い出来ないかなアル」
「それで良いのなら……」
あまり引き受けたくは無かったが、伯爵はやはり何やら悩んでいそうで覇気が今一感じられない。何か他に悩みでもあるのかと、俺は仕方なく引き受けた。
「時間が惜しいので、今から伯爵領に行っても良いですか?」
俺は伯爵と共に伯爵の馬車で急ぎ向かう。
伯爵領内に入った俺は馬車から顔を出して、その街道の荒れ放題に驚いてしまった。
今日昨日の話ではないレベルで酷すぎた。
ガタガタと進む馬車は、下手すれば倒れるのではないかと思われるほど石や溝が出来ており、街道の半ばまでかなりの背丈の雑草が生い茂っているではないか。
木々で光は遮られて暗い街道なんて、盗賊の格好の隠れ場所だ。
俺は道中、どうしてここまで酷い事になったのか聞いた。初めは渋って理由を言わなかった伯爵だが、俺が根本的な原因が分からないとすぐに荒れると伝え、話を始めてくれたのだ。
それは伯爵の嫡男。今まで一人でやってきた伯爵が今後の事も考えて、一部を嫡男に任せたらしい。
ところが収入は減るは、人口も減るはと不思議に思い伯爵自ら調べ直す。
すると、ほとんど何もしていないのだ。
ただ、イタズラにお金を使って遊ぶ日々。
結局、元通り伯爵自ら領地経営に乗り出したのはいいが、手が回らない。伯爵自身も先祖代々のこの地を受け継いだだけで、新たに土地を開墾したことないのだ。
この街道は、もはや新たに開墾すると言っていいレベルであった。
俺は伯爵から人手をもらい街道の道を徒歩で進み、自らの目で確かめると余りの酷さに頭痛がしてきた。
これは計画云々というよりは、時間と人手をかけるしかないな。
しかし人手は割けないだろうから、区画を作って時間をかけていくか。
一度、伯爵の屋敷に戻った俺はぷっくりと腹の出た中年の男性とすれ違い頭を下げる。
名前は忘れたが、例の伯爵の嫡男だ。
というか、まだ屋敷にいるのは何故なんだ?
正直、腐嫡されたのだと思っていたのだが。
俺は少し気にはなったが、ひとまず計画書を作りに伯爵の元を訪ねてたのだった。




