6.秋刀魚の別れ
翌日、講義は2限からだったので、俺は9時過ぎに図書館に行った。
一般図書の本棚と本棚の間の一つだけある椅子に、竹沢楓は座って本を読んでいた。
コンビニのバイトの人であるけど、俺でいいのか自信がなかったから、手紙で呼び出されたから来たのではなく、偶然会ったように思わせたかった。
しかし第一声が決まらない。とりあえず持ち物の話をしてみる。コミュニケーションベタな人の戦略みたいだが、それが一番無難だと思って、俺は楓が読んでいる本のタイトルを見た。文字だけでデザインされたシンプルな表紙に、日常ではあまり漢字表記されない単語が書かれていた。当て字ってやつか。
読めなかった。
テキトウな感想を言ってみる。
「ずいぶん、渋い本読んでるね」
「え、あ、どうも」
楓は驚きつつも俺を待っていたかのような反応をした。
「あの、今日は、愛加さんは?」
「いつも一緒にはいないよ」
「そうですか」
愛加の不在を確認してホッしたように見えた。愛加を拒否していたのか、俺に好意を持って密会を望んでいるのか、一瞬戸惑う。本をよく見ると、小さくルビが振られていたので俺は声に出して読んだ。
「秋刀魚の別れ」
「創作戯曲です」
「へえ。面白い?」
「全然。なんか自費出版っぽい感じ」
「へえ」
まったく話が発展しそうな気がしなかった。見るからに面白そうには見えなかったので、なぜ読んでいるんだという興味も沸かない。
「でも、ここが好き。男<別れたいんだ> 女<夕飯のおかずサンマでいいかしら>」
「え?」
「本当の気持ちを表す言葉は、ものすごく遠い所にあるかも」
「ええ??」
俺は意味が分からなくて、本を奪い楓が読んだと思われる部分を見た。その通りの台詞があった。
読解問題を中学生に出されたようで、どういうリアクションをしていいか困りその先を読んでいるふりをした。先を読んでも意味が分からない。
楓は本を俺から奪い返した。
「愛加さんに、突然別れたいって言われたらなんて反応しますか」
いきなり、俺になんという質問をするんだ。
やはり、客観的に見ても、中学生女子から見ても、愛加と俺じゃ釣り合っていないと思うんだろうか。
何か悩み事があるのだと、俺に心の調査表を持ってきておきながら、何を考えているんだ。
だけど、俺は、常に用意している反応をそのまました。
「そっか・・・・・・分かった」
「彼氏として自信ないんですね」
ハッキリ言うな。
「別れたくないから聞かないふりしてる、日常に引き戻そうとする女の気持ち、サンマで表現してると思いません?」
「はあ、国語の成績いいでしょう」
俺は皮肉をこめて返した。頭良さそうな言い方が逆に中学生っぽいなと思いつつも、なんだか負けたような気がした。愛加とはこういう会話をしない。彼女は常に穏やかな言葉を選んで、わざと分かりにくい言い方をして俺を試したりしない。
「国語に限らずいいですよ。優等生すぎて息苦しくて、どうすればいいか分からない」
楓は急に険しい表情をした。からすのパンやさんを読む親子に向けていた冷たい視線になった。
楓の悩んでいることを聞くにはもう少し地盤を作ってからではないと、自分では役に立てないような気がしてきた。
俺はただ、秋刀魚という文字を見つめた。
「なんか、無性にサンマ食いたくなってきた。今度一緒に食おうか、アパートの大家さんが七輪持っててさ、この間、焼いてて美味そうだったんだ」
「え」
「電車に飛び込もうとした中学生と二人で七輪って、なんか自殺に使われるみたいでやばそうだから、もちろん愛加も一緒な。三人でどう?」
俺は、一瞬自分が言った言葉の軽さに焦った。
「ありがとうございます」
楓は予想外に嬉しそうに微笑んだ。
「よかった」
「はい?」
「自殺なんて単語出しちゃって、ヤバいと思ったから」
「大丈夫です。すみません」
素直な中学生のかわいらしい対応に、ほっとした。
もしかしたら、楓の方も何を話していいか、分からずに構えていたのかなと少し思った。
「まあ、このコンビニの人でよければ悩み聞きます。あ、でも、ご存じの通り彼女がいるので、中学生には興味ないんで」
余計な心配だが、中学生にまで手をだし、なお且つ二股をかけている男とは思われたくないので、一応は言っておこうと思った。
当たり前じゃないですかー、そういうんじゃないんですーというノリの返しを期待していたのに、楓は真面目な顔で改まった口調で言った。
「だからいいんです。家族や先生になんか気軽に相談できませんよ。女同士も共感し合おうとしすぎるから、友達が一番怖くて話せない。嫌われたらどうしようって思っちゃうし。もちろん、信用できる男友達や恋人なんかいません。専門家に頼るほどでもないと自分では思うし、素敵な彼女がいるただのコンビのバイトの人、何も害がなくていい」
「はあ」
出ました。害のない人。
けど、分かる気がする。
誰にでも簡単に言えるわけないよな。大人の視点じゃ、成長過程にある苛立ちみたいにしか見られないこともあるし。警察じゃないけど、事件が起きなきゃ動けない部分があるから、ただ困ってますじゃ何もしてもらえない。
女同士は共感しようとしすぎるか。そうなんだ。愛加が女同士だから言えるって言ってたけど、場合によるんだろうな。一緒に堕ちても困るし、嫌なことは共感すればいいってもんでもないもんな。
先生や親ほど大人でもない。基本わかり合えないだろう大前提がある異性。しかも、ただのコンビニバイト。彼女がいるから自分に変な興味もたれることもなさそう。
俺って、丁度いいかも。
「でも、一番の理由は」
他に理由があるのか。
「奏田さんの声が好きだからです」
「声?」
「落ち着く」
「そんなこと言われたの初めてだ」
声か。
自分が聞いている声と、人が聞いている声は違うというけど、俺ってそんなイイ声してるのか?
家に帰ったら録音して聞いてみようかという気になった。
「コンビニでクレーマーに対応してる時なんか、聞き入っちゃいました」
「え、実は店に結構来てた? 知らなかった」
「何も買わないから、レジまで行かないんで」
「ああ、そう」
心の調査表は、店員誰でも良かったわけじゃなくて。
俺に来たんだ。よかった。
「だから図書館で声かけられた時、びっくりしました。ホームで声かけてくれたの、奏田さんじゃなかったら飛び込んでたかも。奏田さんの声で死ぬのやめた」
俺じゃなかったら、楓はここにもういなかったかもしれない。
すげえ。超人気声優なみの仕事してるじゃないか、俺。俺にはそんな才能があったのか。
なんだか楓にとってものすごく自分が価値のある存在に思えてきた。
「じゃあ、なんか書くものある?」
楓は、カバンからノートとペンを出した。
俺はファンにサービスしているかのようなちょっと調子に乗った気持ちで、自分の電話番号を書いた。
「そっちの連絡先は聞かない、声が聞きたくなったら掛けてください」
調子に乗りすぎて勘違いイケメンみたいな台詞だけど、楓は捨て犬みたいな顔で俺を見て嬉しそうに返事をした。
「はい!」




