22.図書室の妖精
それから楓に会うことはなかった。
電話もかかってこない。
楓の電話は気まぐれで、定期的にかかってきたのに、こなくなったわけじゃないから、別に深い意味があるとは限らない。かかってこない、と言うほど日にちは経っていない。
ただ、俺の方が不安でしかたがないだけだ。
俺は、彼女を傷つけてしまったのだろうか。
あれはセクハラ?
いや、未成年だから犯罪になるのか。
飲んでたのはファンタとコーヒーだけだ。アルコールは一切ない。
酒のせいにしちゃいけないけど、言い訳材料はない。
でも、無理やり何かをしたわけでもない。
ハグぐらいいいだろ。ダメ?
あの状況であいさつだなんて誰も思わないもんな。
でも嫌がってなかったよな。
いや、でも怖くて抵抗できなかっただけなのか?
いやいやいや、昼寝、寝かしつけとはいえ、自分で俺のベッドに入ったぞ。
でも、愛加と別れたことには驚いてた。
癒やしを求め、つい、小さい子や子犬みたいな感覚で触ってしまった。
そんな言い訳、通用しない。
つい、の時点でダメだろう。
罪は問われなかったとしても、俺は楓に謝らなければいけないだろう。
あのまま、逃げるように帰るのも申し訳ないと思わせたのか、寝たふりして、俺が熟睡してるすきに帰った。賢いよな。
ああ。何やってるんだろう。俺。
楓に対するセクハラ行為の現場が、自分の部屋なので、俺はそれを思い出すたびに家に居るのがいたたまれなくなった。
だんだん、俺が大事にしていた傷だらけの思い出も不埒なものに思えてくる。
下駄箱で、泥だらけの上履きを見て立ち尽くす俺に、先生が声をかけてきた。
司書の先生だった。
「辛かったら、図書室おいで」
毅然としていて少し突き放すような口調だった。
先生について行き、俺は靴下で図書室に行った。
図書カウンターの奥になぜかあった来客用スリッパを貸してくれて、その後、先生は何も聞いてこなかった。話しかけもしないし、本を勧めてきたりもしない、自分の仕事を手伝わせたりもしない、時々いなくなったりもする。
図書室という場所を俺に提供してくれていた。
俺は、本棚の奥の方の椅子に座って、ただ、図書室を眺めていた。
本は読もうと思わなかった。
キレイに並ぶ、背表紙のタイトルだけをずっと眺めていた。
だんだん自分を取り戻していった。
それから、俺は教室には行かず、図書室で受験勉強を始めた。
いじめのことを知っていた担任は、俺が図書室で勉強していることを容認した。
それでも、司書の先生は何も話かけてこなかった。
だから、先生のことは何も知らない。
若くて美人でスタイル抜群、昼休みに先生目当てで来る奴がいたが、昼休みにはいない。
中学生の淡い気持ちを、今、解釈してしまえば、先生のことが好きだったかも知れない。だけど欲望処理の妄想対象には絶対にできない大切な存在だった。もちろん、リアルに手を出すなんて絶対にできない。していない。
俺は、神に誓って断言できる。
だけど、若い男女が同じ空間に二人だけでいたら、何か起きる。
と、思うのが普通なのかもしれない。
中学3年生の男子生徒と図書室で二人きり、俺はそんな気持ち1mmもないと思ってたけど、先生の方は日々警戒していたかもしれない。図書室で美人先生と、なんて、それこそマンガの世界だ。そんな妄想でいっぱいのお年頃。襲われたらどうしようと思っても自意識過剰じゃない。
俺は、そういう世間の感覚に無関心すぎた。
若さ故、自分で言うほど全く無害な男とは言い切れなかった。現にウワサが立つってことは、俺がそういうことしそうに見えたんだ。ウワサでは先生の方から誘惑したことにしなってるが、それはそうなってほしい妄想で作りあげた勝手な設定だ。
先生は俺に脅威を感じて、辞めたのかもしれない。
何も会話を交わさなかった。
俺の人となりが、分からないんだから、怖いよな。
そういう解釈は、今まで一度もしてこなかった。
先生は傷ついてない。
むしろ、俺から逃げたんだ。
同じ絵本を読み返すと違う読み方ができる。
過ぎ去った事実は変わらなくても、意味が変わっていく。
俺はいろんなものを見過ごしていたのかもしれない。
そういう、後悔にさいなまれてた天気のいい日。
俺は旅に出ることにした。
傷心旅行だ。
クリスマスに愛加に何かプレゼントでもしようと、密かに貯金していた。その金、自分に使おう。旅だ。旅。
といってもどこかに泊まるとか、そんな大げさなもんじゃない、ぶらり途中下車の旅。降りたことのない駅でおりて、そこで飯食って帰ってこよう。
とりあえず、各駅停車の電車に乗った。
冬の日差しが窓越しに差し込んで温かい。
ぼーっとこうしているのもいい。どこまで行こうか。
電車に乗ってる人の八割はスマホを見てる。時々、文庫本を読んでいる人を見ると、ちょっとかっこいいなと思うが、俺は本をあまり読まない。
司書の先生に救われ、ずっとずっと感謝してるけど、ああいう存在になろうとは思わない。だから、本も必要がなければ読まない。
俺は、ただ図書室という空間を大事にしてた。
精神的逃げ場として、大事にしていた。
居場所を保とうとしていた。ただ、図書室という空間や本を大事にすることで、司書の先生に救われた日々を裏切らないようにしていた。
高校でもそのクセが抜けず、本を読まないけど図書室によく行った。
愛加の言う、図書室の妖精だ。
いかんいかん。また愛加のことを考えてしまった。
電車は、各駅しか止まらない、最近新しいマンションやショッピングモールができた駅についた。降りたことがないが、ここに、でかい本屋ができたという話は聞いていた。本が売れず本屋がガンガン潰れる時代に、どんな本屋だろうと気になっていた。
俺は、本を読まないけど、本屋や図書館が好きだ。
最近は、絵本が好きになりつつあるが。
この駅で、途中下車の旅をすることにした。
多分、地域最大級の広さ。その本屋はデカかった。
本の数が半端ない。
併設されているカフェも席がたくさんあって、コーヒーを飲みながら買った本をゆっくり読む、本屋は本を買うところじゃなくて本を楽しむ場所。そんな空間を作っていた。
子供向けの仕掛けもいろいろあって、図書館並に、子供が絵本を読むキッズスペースが充実していた。立ち読みではなく、そこでがっつり読み聞かせしてもらって、欲しい本を選べる。知育パズルなんかもあって、軽く託児所状態だ。
俺は読みもしないのに、本棚を見ながら、店内をぐるぐる歩いた。
売れ筋の本、雑誌コーナー、趣味や専門書、辞典、小説、新書、文庫、・・・・・・
背表紙のタイトルを見るだけで、本を読んだ気にもなってた。
なんだか、落ち着く。
本も読まずに図書館にいることが、そんなに不思議なことに見えるのだろうか。
図書館の妖精が、なかなか俺から離れてくれない。
絵本コーナーに行った。
最近、名作絵本を結構読んでる俺は、知ってる本がたくさんあって嬉しかった。
読んだことのない本に出会う楽しさもあるけど、読んだことがある本に違う場所で出会うと、自分の味方がここにもいたみたいな気分になる。
さすが絵本。声に出さなくても、目でも楽しめる。外国語で書かれてても分かるし。
絵本コーナーを見渡して、俺は、読んだことがないけど、知ってる気がする本を見つけた。
『わすれられない おくりもの』
どこかで、聞いたような気がする。
本を開くと、表紙の折り返しの部分に、全部ふりがなが付いているけど大人向けのメッセージが書いてあった。
お母さまへ
・・・・・・・・・お母さまもご一緒にお楽しみください。
「お母さまか」
図書館にいた読み聞かせボランティアの人が言ってたのは、こういうことだな。確かに、お母さんが読むもんだと本側が決めつけちゃ悲しいよな。お父さんだって楽しむぞ。でも、この本はお母さんに読んでもらいたい感じなのか?
俺はページをめくった。
本を開くと、まず年老いたアナグマが出てきた。
「これって」
俺は、本を抱えながらスマホを出して、消せずにいる愛加とのLINEを開いた。
画面をスクロールさせ、ずっと、ずっと前に戻って、じいちゃんが死んで実家に帰るというメッセージを送った日。
「あった」
愛加<おじいちゃんは、長いトンネルのむこうに行ったんだね>
伸<なにそれ? 絵本?>
愛加<うん。『わすれられない おくりもの』って話だよ>
愛加<年老いたアナグマが死ぬ時に残したメッセージ。
“長いトンネルの むこうに行くよ さようなら アナグマ” >
伸<トンネル?>
愛加<死に向かう描写っていうのかな。
アナグマがね、長いトンネルの中を走ってるの。
杖をついてたのに、足が力強くなって、
すばやく走れるようにもなって、自由になったって感じるの>
愛加<親しい人の死を想像した時、その人はきっとこんな感じに
向こうの世界に行っちゃったんだなって思うと、自分が楽になったの>
俺はその絵本をもってキッズスペースの隅に座って、読み始めた。
図書館で子供に交じって絵本を平気で読めるようになったので、恥ずかしいと思わない。この本の内容が気になってしかたなかった。
絵本を読み終えて、俺は涙を流さずに泣いていた。
絵本の物語とは直接関係ないけど、読んでいくうちに愛加のまとう優しい空気感がよみがえって、気づいた。やっと分かった。図書館の妖精の話。
愛加は聞きたかったんだ。直接俺の口から、俺が隠してる過去を聞きたかったんだ。何かを抱えている人の不思議な行動だと分かった彼女の頭の良さが、最後まで自分から聞こうとしなかったんだ。
愛加は、ラノベの都合よすぎる美少女みたいに、勝手に俺のことを理解したりしない。彼女は、いつか自分に打ち明けてくれるだろうとずっと待っていた。
それなのに、俺は愛加を別世界の人だと決めつけていた。分かるはずがないと。
楓には話して自分だけに話してくれないと感じただろう。
いろんな意味で、やっぱり、俺は愛加と一緒にいる資格がない。
嫌いになったわけじゃないから、なんて生ぬるい情で、俺と過ごした日々に引き戻しちゃ行けない。
自分が目指す道を歩き始めて欲しい。
死んではいないけど、愛加には二度と会えない気がした。
彼女が俺に残していってくれた「おくりもの」がたくさん見えてきて、俺は、そこから立ち上がれなくなった。




