2.絵本と自己肯定感
「伸、大丈夫?」
「え」
目を覚ますと、化粧も完了している愛加の顔があった。
昨日の晩、俺のアパートに泊まっていたんだ。
「怖い夢見てたの? うなされてたよ」
「セミがうるさい夢」
「それは怖い夢?」
「怖くないけど、すっげぇ疲れる」
「お疲れさま」
愛加は笑いながら、絵本を数冊床に並べていた。
窓の外、遠くでセミの声が聞こえるけど、穏やかな現実があって俺はホッとした。
「どうしたの、その絵本」
「伸が寝てる間、図書館で借りてきた」
俺のアパートは図書館に近い。そんなに寝ていたかと時計を見た。10時すぎ。
「今日、これから幼稚園に読み聞かせボランティアに行くんだ。延長保育の時間に来て欲しいって」
「へえ」
「伸、今日のバイトは?」
「夕方から。新学期始まったから、昼間はママさんパートが戻ってくるんだ」
「そっか、もう二学期だもんね。夏休みは大学生だけか」
「そう。しかも、パートさんの子供が行ってる小学校は公立だけど、八月末から始まってるみたいで、今日はもう通常授業だって」
「へー。学校によって違うんだね」
付き合って1年になる俺の彼女。幼稚園の先生を目指して短大で勉強している。頭も良くてかなり美人。だけど「愛情いっぱいに育てられた素直で可愛い女の子」って野菜の産地紹介みたいにキャッチフレーズ付けたくなるぐらい純粋にいい子。子供が好きでピアノが上手くて、料理の腕もなかなかで、体力もあって、嫁にしたら最高。もちろん、彼女としては非のつけどころがない。ない、なさすぎて・・・・・・
「やっぱり『からすのパンやさん』がいいかな」
愛加は一冊手に取って俺に見せた。
「この本って、昔からあるよね。お母さんに寝る前によく読んでもらったなあ。この人の本、大好きだった」
愛加がページをめくる絵本をざっと見た。いろんな形のパンがいっぱいに描かれたページは遠い記憶に見覚えがある。
「懐かしい」
「でしょ。子供の頃は、ちょっと絵が可愛くないって思ったけど、今見るといいよね。この絵。可愛い」
読み継がれてる絵本を愛でる彼女は、童話の中に出てくる少女のようだ。美しさと優しさで最終的に一番幸せになる才能を持っている。俺は愛加に見とれながら、いつもいつも感じる申し訳ない気持ちに支配され、愛加が目を合わせようとすると目を逸らした
「伸は覚えてる本とかある? 親に読んでもらった本で」
「あんまり覚えてない。このカラスの絵は見たことあるけど、内容まで分からないし」
「そっか、男の子ってあんまり覚えてないって言うよね。小さい頃のこと」
「ああ、多分、俺の場合は、宇宙人にどこかに連れ去られて記憶抜かれてるんだよ」
「何、それ」
愛加は笑う。こんなどうしようもないボケでも嬉しそうに。
絵本だけでなく、読書家の彼女はあらゆるジャンルの本について知識が深かった。有名な作品を読んでいるというより、この本はどの世代に向けた作品かという客観的な読み方をする人だった。これは大人が読んだらバカバカしいけど思春期の子達にはウケるとか、この内容は幼稚園生には読むべきじゃないとか。きっと本を通じて、何が伝えられるかを一生懸命考えて選んでいるんだろう。
そんな彼女が青春小説やライトノベルにありがちな人物設定について「友達のいないクラスで目立たないタイプの少年が、誰もが認める美少女に興味を持たれるって都合良すぎるよね。そして、その美少女がなぜだかグイグイ来て少年を振り回して行く。ぜんぜん交流なかったくせに、何故だか、私はみんなの知らない君のいいところ知ってるよ、とか言うの。無条件の愛みたいに好きを注がれて少年が前向きになっていく・・・・・・って、ありえないよ。まあ、そこに美少女が難病だったり、過去を知る人だったり、未来から来たり、なにかしらヒミツがあるから成り立つ物語なんだろうけどね。男の子の妄想って美しすぎて、ちょっと引いちゃうよ」と俺に言ってきた。
俺にとって愛加は、まさに都合の良すぎる美少女だった。
クラスは違うが同じ高校だった。在学中、話をしたことなど一度もなかった。偶然同じ電車に乗り合わせた見知らぬ者同士のように、同じ空間にいて時間的に同じ方向に向かっているだけ、なんの接点もない。ただ、俺は愛加の存在はずっと知っていた。というか、名前と顔が一致していなかったとしても、愛加の存在自体を知らない男はいないだろう。ミスコンでもあったら間違いなく優勝するレベルで、ひときわ美しい彼女は目立っていた。何人か彼女に交際を申し込んでいたようだが、全員玉砕。男に興味がないんじゃないかという噂が出るほど、誰とも付き合わなかったらしい。いや、将来を約束したパーフェクトな恋人がいて、同じ高校にいる雑魚なんか相手にしないんだろうという説もあった。
とにかく俺とは住む世界が違う人だと思っていた。
どこに進学したかもお互い知らなかったのに、卒業後、コンビニでバイトしていた俺を見つけて、愛加の方から声を掛けてきた。そして、ずっと好きだったと言われた。
中学時代、彼女に好意を寄せている男からの逆恨みで、好きだった人と上手くいかなかった過去があったので、俺に迷惑がかかると思って卒業してから言おうって決めていた、ずっと探していたと言われた。
愛加の言葉を借りれば、ありえない。このなれそめを誰かに話したら、ぼっちの寂しさ故、高校時代の美人を使って別次元に彼女を作り始めたかと言われかねない。
本気で彼女の余命が短い。彼女が秘密裏にやっているプロジェクトがあって、一定期間恋人として過ごす検体に俺が選ばれた。長期にわたる罰ゲーム。前世からの因縁による償いのため。いろんな設定を考えた。
まあ、一番妥当なのはその気にさせて俺が彼氏気取りを始めたところで、思いっきり捨てて女友達と陰で笑うことを楽しんだりするって遊び。美少女だからそういうことに罪を感じないんだろう、そうだったら今なら許すから、本当のことを教えてくれと何度も思った。
写真を見せたらだいたい「優しそうな人」と言われる俺。
それは、可愛くない赤ちゃんに「元気そうな子」と言うのと同じで、褒める所がないからとりあえず言う言葉で、男性的魅力も乏しく害がないって意味だ。
断言するのも虚しいが頭が良くて頼りされる男ではない、背もそれほど高くないし運動神経もとりたて良くはない、自分の世界をも持っていて不思議な魅力、そんなもの売ってたら欲しいぐらいない。逆にダメダメすぎて放っておけない母性をくすぐるような可愛さもない。
容姿は普通。鏡を直視はできるので卑屈になるほど酷くはないと自分では思う。凡庸で、印象に残らなくて、包容力とかそういうのは感じないけど、この人なら何を言っても許されそうな雰囲気があるらしい。無機質な壁みたいだ。
同じ沿線に俺の大学と愛加の短大があった。そんなに遠くないが実家を離れて寂しい時、同じ高校の人に会えたら、親しくもなかったのに嬉しくなるんだろう。
三年の文化祭の準備で間接的に接点があったらしく、地味な仕事を文句も言わずやってる姿に好感を持てたとかなんとか言っていたが、そこで、どうして俺のことを好きになるのか身に覚えが全くない。
「俺のどこか好きなのか?」と聞いてみたいが、それは自分で好かれている自覚があるから言える質問であって、それを聞いてしまって、やっぱりそうかと落胆する勇気はなかった。
無論、愛加の告白を断る理由もなく、付き合うことになり1年がたった。理想の女性像を集結して作ったような完璧な彼女ができたのに、誰かに自慢しようという気にもなれなかった。
振られる覚悟は毎日していた。
きっとこの人は、たくさんの人に好意を寄せられる人生を歩んできたから、二十歳そこそこでも本のジャンルみたいにいろんな男のタイプを見極める能力があるのかもしれないと思った。生まれ持ったモノでモテる男は誰にでも好かれるから、何もない男の方が、自分が育てたかのように価値を見いだせるのかもしれない。美人女優が売れない年下の芸人と結婚するみたいだ。
自分が完璧だからこそ不完全な物に惹かれるのかもしてない。自分より下層にいる相手なら、絶対に自分から逃げない安心感はあるんだろうに。
そんなマイナスな要因を寄せ集めて、少しずつ、俺でいいのかなと、自分でも思えるようになった。男の妄想設定がありえないと俺に言ってくるということは、彼女の目に映る俺は、自分で思っているほど、友達のいない目立たないタイプには見えなかったんだろうと思うことにした。
だから俺は、いつも軽いノリを作って、過去は宇宙人に連れ去られ記憶を抜かれた事にして話さないようにしたていた。
いつか振られると分かっていても、こんな経験できずに死ぬ奴も沢山いるんだから、ありがたく彼女と一緒にいる時間を過ごさせてもらう。
この美しい美術品に触れる権利が自分にはあるんだと思うと、一生分の運を使っているようで怖くなるが、昔の自分に比べたら間違いなく幸せだとは思う。
愛加は絵本を見つめながら嬉しそうに言った。
「絵本をたくさん読んでもらった子って自己肯定感が満たされて、へこたれないんだって」
「へえ」
「だから、私、沢山の子供にいっぱい本読んであげたい」
「自己肯定感ね」
愛加はいつも前向きで自分を否定することなんかないんだろうな。小さい頃本を読んでもらった子がみんなこんなふうになれるなら、読むべきだと純粋に思えてくる。
この言葉、子供にとどまらず、いろんな所で言われてる。経済学かなんかの授業でも言ってた気がする。分かるようで分かんない話だった。肯定感って、なんだろう。
「あ」
前にも同じ事を思ったことを思い出した。そして、夏休み前に借りた図書館の本の存在を思い出した。レポートのために借りたがほとんど読まなかった。結局意味がわからなかったんだ。
俺は、棚に無造作に置かれている数冊の本を手に取った。教科書や雑誌の間に図書館の本を発見した。
「やべっ、返してない」




