18.ひさしぶりの電話
まったくもって、俺は失恋から立ち直れない。
誰も何も悪くない別れというのは、時間以外解決してくれない。
俺のことを嫌いになったわけではないが、彼女の夢の手伝いをする存在としては力不足だということは明らかだ。愛加ほどの器用さならば、自分の夢と恋愛の両立なんて無理な話じゃない。むしろ、女一人で頑張るとか、同性同士で団結するとか、そういう方が向いていないと思う。
俺がダメなんだ。一緒にいたら甘えるというのは、明光義塾の「サボロー」みたいなもので、いい奴なんだけど目標達成のためには一緒にいたらダメになる。俺自身が何かに向かってて、刺激を与え、一緒に頑張っているようでなきゃダメなんだ。自分ばっかりがどんどん先に行ってしまう感じも、嫌なんだろう。俺がヒモみたいになっていくようで。
どんな美しい言葉で包んでも、それは彼女なりの優しさであって、結局俺じゃダメってことなんだ。楓が俺に頼ってきたことに、愛加は「私じゃダメ」という言葉を使っていたが、なんだか皮肉に思えてくる。
いつか、どこかでばったり会っても、多分声はかけられない。
高校時代と同じように、住む世界の違う人だから。俺と過ごした日なんか、ボランティア活動の一つみたいになってしまうんだろう。
だけど、どこかで、人づてに愛加が俺のことを聞いたとき、少しでもマシな男になっているといい。愛加に見合うまでは、一生かけても無理かも知れないけど、俺と付き合ってたことが汚点にならないような存在になりたい。
俺は一人、部屋でスマホに保存された愛加と撮った画像を一つ一つ見ていた。
彼女との別れは義務教育の卒業みたいにあらかじめ用意されていた日だ。だけど、卒業アルバムみたいに見返して懐かしんではいけないんだろう。この写真を見ながら、こんなこともあったねと語り合うことはない。
新しい一歩を踏み出すために俺から離れた彼女を、俺の中からも解放しよう。
彼女から俺も解放されよう。
そう思って、削除ボタンを押そうとしたが、やめた。
そんなドラマでよくあるシーンいらねえ。あれは、台詞も心の声もなく、別れを惜しんでいる心情を客観的に表現したいだけだ。削除して泣いてれば分かりやすい。
その後、運命的な再会したり、新しい人が現れたりするから、そのシーンが引き立つのであって、ごくごく普通のさえない男が、自分に見合わないような美人と付き合って振られて、その思い出を無理に消す必要なんてない。大事にして、何も悪くねえ。
別に、嫌われたわけじゃない。俺がいつまでもこの画像持ってても、気持ち悪いとか思わないだろう。「元カノの画像いつまで持ってんのよ」と嫉妬する新しい彼女がいるわけでもない。未練とか、そういう次元じゃない。別に誰かに元カノ自慢して、自分を高めよとするわけでもない。誰にも見せないで大事にする。
美人画像として永久保存しておいてもいいだろ
LINEも全部そのままにしておこう。
そうだ。俺は女々しい男だ。
思い出をきっぱりと捨てるなんて事できないんだ。
言い訳ナレーションが脳内を延々と流れる。
久しぶりに「公衆電話」と表示されスマホが振動した。
楓だ。
「はい」
「楓です」
「おう」
「風邪引きました?」
「大丈夫だよ、なんで」
「声が変です」
楓は俺の声に敏感だ。失恋に浸っていたことを悟られないよう、俺は無理やりあくびをしてごまかす。
「実は、寝起き。ああ、でも電話で起こされたわけじゃないから大丈夫」
「そうでしたか。あの、あたし、もっと早く言わなきゃって思ってたんですけど、なかなか言えなくて、この間はごめんなさい」
この間・・・・・・ああ、
秋刀魚を焼いた日がものすごく昔に思える。
楓が謝るようなことがあったっけ。
俺は愛加と別れてから、それ以前の記憶が今にきちんと繋がっていない。
「あたし愛加さんのこと好きです。だけど、ウチの事とかよく知らないのに言われると、つい。あたしのイジメの原因。お姉ちゃんなんです」
「あ、そうなんだ」
俺と一緒だな。そういえば、じいちゃんも死んだんだ。
ものすごい昔の出来事のように思える。
「あたし、やっぱり本当にガキだから、愛加さんみたいに考えられなくて。お母さんの大変さとか、分かるけど、でも。ああ、最初から愛加さんみたいな人がお姉ちゃんだったら、どんなに楽しいか、こんなふうに考えることもないんだろうなって思いましたよ」
「いや、俺だって愛加みたいにはなれない」
「え?」
「分かるよ、上から目線に思える気持ち」
楓の気持ちに共感したつもりだったのに、楓は申し訳なさそうに言った。
「あたし、愛加さん、すごく素敵な人だなって思ってる。あんな素敵な彼女がいるから、奏田さんに相談もできるんです。なのに、あたしのためにせっかく・・・・・・」
なんとも複雑な気持ちだ。やっぱり俺は愛加によって価値を上げられていただけの男か。それとも、愛加が俺の彼女だっただから、あんなこと言われて本当は腹立ってるのに、悪い人じゃないからって自分を納得させてるのか。自分の方が悪かったかのように言うのか。
愛加も楓も、どうして自分の力不足みたいに言って勝手に反省してんだ。お互い、自分は理解のある女だと、相手に伝えてくれと俺に言ってるようだ。俺自体に用はない。
二人とも、頭がいいよ。
俺なんか、相手にしないでいいよ。
なんだか、投げやりな気分になってくる。
俺は、愛加の言葉を楓に対する伝言のように言ってやった。
「大丈夫だよ。気にしてないって。むしろ、君に感謝してたよ」
「感謝? なんでですか」
「君のおかげで、新しい夢に向かってる」
「新しい夢?」
「四大に編入するんだって。専門的に勉強するために。もっと子供や悩んでいる人の気持ちを理解出来る人になりたいんだって。彼女はさ、あんまり悲惨な経験してきてないから、知識の押しつけみたいな言い方しちゃうんだよね。それを君のおかげで気づいたっていうか、もっとちゃんと勉強したいらしいよ」
「本当にスゴい人ですね」
「うん。俺には釣り合わない」
その言葉を楓に言って、愛加がもうここには来ないことを実感した。
愛加がまだ俺の彼女だと思っている楓と話をして、ほんの一瞬何も変わっていないような気になった。
別れたんだ。
ありえないと思いながら過ごしていた贅沢な日々が、もう続かないことに気づき、寂しさがこみ上げてきた。どっぷりハマった映画が終わってエンドロールが流れているみたいだ。今まで見ていたのは、俺が生きる世界じゃないと分かっているのに、席を立てずにいる。新たなる夢に向かった彼女と俺の間には、今まで以上に距離ができてもう二度と会えないだろう。
勝手に目と鼻から水が流れてきた。俺は上を向いて思いっきりすすった。
「奏田さん、大丈夫?」
楓の声が優しくささやく。
「今度、絵本読んでやろうか」
「え?」
「図書館で絵本読みきかせしてあげるよ」
俺は自分の感情が整理できなくて、誰かのためになることでもしてないと、ここから消えてしまいそうな気になった。どん底の人生だけど、養わなきゃいけない家族がいるから頑張れるお父さんみたいな、自分より弱い存在を守ることに目を向けて自分を保とうとしていた。
「あの、子供の本があるクツ脱いで上がるところで」
「え、恥ずかしくないですか? ブランコみたいに早朝とか開いてないし」
「読み聞かせボランティアのふりして読めばいい」
「読み聞かせボランティア?」
「結構いるんだぜ。この間、図書館行ったら子供に読むための絵本選んでる人いた。大人同士だけど、試し読みみたいに読んでたよ」
「へえ。じゃあ、読んでください」
「読むの上手くないけどね。でもね、読み聞かせって上手くない方がいいらしいよ」
「楽しみにしてます」
俺は、素敵な彼女のいるコンビのバイトとして、楓と本を読む約束をした。




