12.長いトンネル
学祭のシーズンが来た。サークル等に入っていない俺は別に何かすることはない。
うちの大学の学祭は、地域を巻き込むほどの盛大なイベントにはなっていないので、ただ参加して楽しむという感じでもない。
やりたい奴が集まってやりたい奴だけで楽しむ。自己表現、発表会みたいな場だ。昔から、そういう雰囲気は苦手だ。高校までの、体育祭、文化祭のように参加を強いられないからありがたい。
愛加は進路のことでいろいろあるし、学祭でも何かするらしく、忙しくて暫く会えないという。女子大の学祭、こんな日だけは男も入れるという特権はちょっと興味をそそられる。
しかし、愛加の知り合いに彼氏だと紹介される勇気はやはりない。身内を装うとも考えたが、それは虚しい。興味よりも愛加に対する自分の自信のなさが勝り、去年誘われた時に激しく拒否をしたので、今年はその話はまったくされない。
愛加と行動を共にしないで単純に客として行くとも考えたが、一人で行く勇気もない。誘ったら喜んで同行してくれる知り合いはいるが、後々面倒くさいので、やっぱり行きたくない。
俺は、愛加との共通の知り合いというのが、楓しかいないことに気づいた。
秋刀魚事件以来、楓から電話が来なくなった。
悩み相談室として渡した番号だ。電話がないってことは、何もなく平和に暮らしているということだろう。愛加のおかげでLINEいじめの子たちも楓に関わらなくなったのかもしれないし。
なんとなく、モヤモヤしてるけど、俺がどうにかできることでは、きっとないんだ。
そろそろ、自分のこと、卒業後のことを真面目に考えなければならない。
タイミングを計ったかのように、スマホが鳴った。
一瞬、楓かと思ったが、公衆電話の表示はなく、実家からだった。
電車で1時間ぐらいの距離にある実家。近いが故、ほとんど帰っていない。子供の頃から家のことはそれなりにしてきたから、一人暮らしで親のありがたみを知る、しょっちゅう実家に帰る、なんてことはなかった。
「伸? お母さんだけど」
「ああ、どうしたの」
「あのね、昨日、おじいちゃんが亡くなった」
「そう、なんだ」
「週末ね、お通夜はやらないでお葬式だけなんだけど、来られる?」
「もちろん」
「親族だけでひっそりやるから。喪服、ネクタイだけ用意しておくから、入学式の時のスーツでいいから持ってきて」
「わかった」
俺の将来を心配しての電話ではなかった。
じいちゃんが死んだ。葬式には出てくれという事務連絡。
俺も相当の塩対応だが、報告する母親の淡々とした口調に、毎日のように人の死に直面する仕事でもしているかのようだ。
じいちゃんが死んだ。
その事実は、正直、どうでもいい。
ただ、ずっと俺の体に埋め込まれていた銃弾を抜いたような気分だ。ずっとずっと鉛の塊を抱えて生きてきて、それも血肉になって忘れかけていたころ、えぐり取られて抜けた。俺の体を苦しめていたものがなくなったのに、打たれたことを思い出し、もう一度傷つきドクドクと血が流れだしていくような、自分の昔の痛みを思い出させる。
電話を切って、バイトのシフトを確認してたが影響はなかった。
押し入れの上段の奥に掛けてある入学式以来着ていないスーツ。就職活動にも使えるだろう、暗めの色のつまんないデザインにしたが、まずは喪服として使われることになるとは。
葬式は朝早いので前日行くので、二日間ともちょうど愛加の学祭の日だ。ギリギリに誘われるかも、なんて少しだけ心配していたので、じいちゃんが死んだので実家に帰ることを事務的にLINEした。
愛加からメッセージがきた。
愛加<おじいちゃんは、長いトンネルのむこうに行ったんだね>
伸<なにそれ? 絵本?>
愛加<うん。『わすれられない おくりもの』って話だよ>
愛加<年老いたアナグマが死ぬ時に残したメッセージ。
“長いトンネルの むこうに行くよ さようなら アナグマ” >
伸<トンネル?>
愛加<死に向かう描写っていうのかな。
アナグマがね、長いトンネルの中を走ってるの。
杖をついてたのに、足が力強くなって、
すばやく走れるようにもなって、自由になったって感じるの>
愛加<親しい人の死を想像した時、その人はきっとこんな感じに
向こうの世界に行っちゃったんだなって思うと、自分が楽になったの>
愛加は俺を慰める言葉を送っていた。
高校は実家から離れた所に通っていたので、俺の実家、地元に愛加はなんの馴染みもない。家族、ましてや、じいちゃんのことは話したことはないので何も知らない。血縁が親しいとしても、愛加が思っているような親しい人の死じゃないんだ。
愛加は自分と祖父との関係を一般化して想像したのか、俺が悲しみに暮れて落ち込んでいると思ったのだろうか。
それとも、たとえ、どんな人であっても、死んだら悲しいと思うことが人として普通の感覚で、優しい言葉をかけるのが彼女のなかでは当たり前なのかもしれない。
性善説で正義の人。美しさと優しさで最後は一番幸せを手にする童話に出てくる女の子。愛加の気持ちを無下にはできず、全然そんなんじゃない、と返したかったが、ありがとうというスタンプを送った。
愛加<落ち着いたらイチョウがキレイな公園で紅葉デートしよう>
二匹の動物が手をつないで、ハートマークがいっぱいのスタンプが来た。
愛加は本当に素直でいい子なんだよな、とつくづく思った。
贅沢すぎる今の自分を噛みしめながら、俺は実家に帰った。
葬式のみ、家族だけで簡素に済ます「家族葬」というプランをお願いしたらしい。葬式会場と同じ建物内に一晩、遺体を置いておける霊安室がある。通夜はやらずに、そこで、家族だけが最後の別れをするという。昔ながらの葬式スタイルでは、参列してくれた人々の相手で満足に別れを惜しむ時間がないので、最近こういうスタイルが流行っているらしい。みんな長生きで、参列する方も高齢化が進み、通夜に出るのも一苦労らしい。思い切ってやらない方が、お互いのためかもしれない。予算もぐっと抑えられるし。
うちは、そんな家族愛によるものではなく、通夜などやっても誰もこないだろう、無駄な儀式は省こうという合理的な理由だ。知り合いだからと、地域の人たちを義務的に来させるのも申し訳ないという意味では参列者を慮った判断だ。死んだことをすぐに報告する必要がないぐらい、ひっそりと済まそうということでこうなった。
線香と菊の匂いが立ちこめる、ひやりとした霊安室で、汚い蝋人形のようなじいちゃんの姿を見た。本当に宇宙人なんじゃないかと思えてくる。
小学校五年のころ、親父の父、じいちゃんを引きとることになった。ばあちゃんが死んで一人暮らしになって、しかたなくうちに来た。正直、俺はこの人が苦手だった。
昭和のオヤジというんだろうか、家族の中で自分が一番偉いと思っている人だった。会社でもそれなりの地位にいて功績を残したらしく、引退後、自分を称えてくれる存在がいないことに腹を立てていた。会社を辞めればただの人。それを受け入れられず、プライドばっかり高くて扱いづらいジジイだった。
親父の妹は、結婚を猛反対され勘当同然で家を出たらしい。細かいことは分からないが、芸術関係の収入の安定しない職業の人と一緒になったらしい。男が稼いで女は家の事をすべきだという古い考えを変えないじいちゃんは、そんな男のところに嫁ぐなんて親不孝だと言って、親子の縁を切らせたらしい。おかげで、父方の親戚というものがいない。
ばあちゃんが死んでから、しばらくは一人暮らしをしていたが、今まで家のことを何もしてこなかったのでじいちゃんはまともな生活ができなかった。頼れる身内はウチしかない。長男だし実家の家を建てるときに親父はじいちゃんに相当援助してもらったらしく、ウチで受け入れることに対して拒否できなかった。
両親は働いていたので、家にいる時間、じいちゃんと一緒にいる時間が長かったのは俺だった。俺はジジイの子守を押しつけられた。小学生だった俺は、逆に見られていた。じいちゃんが家にいるから、伸は一人で寂しくないと。
冗談じゃない。じいちゃんはお茶ひとつ自分で入れられず、自分が入れるなんて屈辱のように言い、俺は家政婦のように扱われた。
新聞を読んでは文句言い、テレビを見ては文句を言い、店員に文句をいい、無料で乗ってるくせにバスの運転手に文句をいい、道行く知らない人を批判する。自分より弱い立場の人間を否定することで、自分を保ち続けていた。
身内と知らない人には厳しかったが、近所の人や、自分の知り合いにはいい顔をしていた。年の割にこぎれいにしていたので、じいちゃんの評判は悪くなかった。
子供だった未熟な俺は、ボロクソに言われ続けた。反抗できるほど、器用な子じゃなかったので、真に受けて傷ついた。
その時はそんな言葉あったのか、あっても小学生だったから知らなかったのか、あの状況は完全に「モラハラ」というやつだ。
じいちゃんの部屋を作るために、俺の部屋が縮小された。一人っ子だったので、小学生にしては大きすぎる部屋だったのかもしれないが、スペースと共に思い出を捨てられた。
両親も、もう高学年なんだから、自分で整理できるように物を減らすいい機会だといって、引っ越し並のかたづけを推奨してきた。物に執着して捨てられないタイプの人間ではないが、それなりに大事にしてきた物、それに伴う思い出と共にきちんと別れの儀式みたいなことをしたかった。両親はその気持ちを分かってくれたが、じいちゃんには理解されなかった。
早く自分の居場所が欲しい、じいちゃんは 「女々しい男」だと俺をバカにし勝手に処分した。自分なりに昇華させようとしたことを勝手に終わらされて、その衝撃が大きすぎたのと、その後に続くじいちゃんとの日常によって、俺は軽く記憶を失った。
人間は、思い出したくない記憶によって自分が壊れないように、自分を守るために記憶を忘れることがあるらしい。
じいちゃんが、俺の記憶を抜き取った宇宙人だ。
俺は、じいちゃんに自己肯定感を潰された。
線香に火を付けた。煙が上に上がっていく。
長いトンネルを抜けて、無事あの世にたどり着いたのだろうか。
地獄におちてるんじゃないのか、と小学生みたいな想像をした。




