第拾話 ひとにうまれて
人に膿まれて
「オークの足が急に崩れて、さすがにあたしも焦ったわ。封じられているのを忘れて外に向かって叫ぶ、なんて間抜けなことをしたのは、一体いつぶりかしら」
アリシアの自虐めいた言葉を聞きながら、僕はオークおじいさんの足を見ていた。正確に言うなら、足があった場所、だ。
「腐蝕の呪いと風化の呪い……おそらくわざと、侵攻を遅くしている……」
「あら、お坊っちゃんは呪いの診断ができるの?」
アリシアがからかってくる。
呪いの診断というのは主に呪詛破壊者が行うものである。どのような呪いがかかっているのか「見」る。
だが、生憎と僕に呪いを視認する能力はない。それでも何の呪いがかかっているかは呪いに関する知識があれば、一般人でもできるのだ。
僕が母さんから与えられた本は呪いに関する知識の本が多かった。僕は母さんの力になりたいと思って、それらの本を暗誦できるほどに読んだ。
一番必要な呪いを見る力は結局持たないままだけれど、知識はあるに越したことはない、と学び続けた成果と言えるだろう。
オークおじいさんにかけられた呪いは人形化の呪いの他に二つ。何かのきっかけで発動する腐蝕の呪いと風化の呪いである。
腐蝕の呪いは中身を腐らせ、固体として形を保つ力をなくしていく呪いである。オークおじいさんは木偶人形だからぼろぼろ崩れるだけで済んでいるが、これが生きている動植物なら、見るにたえない惨状となる。内臓が爛れ、筋肉が綻び、皮膚が溶ける。何よりこの呪いのたちの悪いところは、どろどろの液状になっても、自我が保たれ、腐っていく苦しみとおぞましさを味わい続けることだ。
風化の呪いがかけ合わされていることでましになっているとさえ言える状態である。
具者の呪いは対象とその身近な人物を長く苦しませることを目的とする。そのため、こういう呪いの掛け合わせでわざと呪いの侵攻を遅らせる手法をとる。
相手の赤い具者はマグとホリーの人形化の呪いから見ても、相当な手練れだ。呪いの侵攻速度を後から微調整することなく、自在に決めているのだ。厭らしいほどに。
オークおじいさんはもう人形だから、人間としての感覚器官がなく、体が腐っても何も感じない。だから赤い具者は崩れてなくなっていく風化の呪いをかけたのだ。見ている者に苦痛を与えるために。
具者の中の具者といった感じだ。
「それで、どうするの? 館主さん」
アリシアがわざと呼び名を強調して声をかけてくる。
「どうしようもないよ」
僕は答えた。
本当にどうしようもない。僕はただの人形職人。人は突然呪詛破壊者になれるわけではないのだ。そもそも僕には素養がない。
僕にはおじいさんの足が崩れていくのを眺めるしかできない。
「本当にそう?」
アリシアの冷たく尖った声が僕の耳に刺さる。アリシアは苛立っているようだった。
「メビウスは、走ったわよ」
「え」
なぜここでメビウスなのだろう、と思ったが、そういえばアリシアはメビウスと共に人形館にやってきたのだった。
「メビウスは走ったわ。呪詛破壊ができなくて、呪いに侵されるままでしかいられなくても、具者から逃げることはできる。だから、走った。人形になったあたしを抱えて、走って、走って、走って、人形館に辿り着いたわ。あいつは逃げ延びたの。奇跡なんかじゃない。ただ一つしかできないことを全力でやっただけ。
ねぇ、坊っちゃん。本当にあなたにできることは何もない?」
問われて、考える。
おそらくだが、呪詛破壊者を呼んで、呪いを解けたとしても、オークおじいさんは今のままではいられない。腐蝕と風化が止まる代わりに、今度こそおじいさんは物言わぬ木偶となる。
それでも呪詛破壊者を呼ぶか?
「アルルや」
オークおじいさんの声がして振り向く。
「儂は死ぬ前にアルルに会えてよかったよ。マーガレットの忘れ形見がお前さんじゃ。血は繋がっていなくても。
足のことは気にせんでいい。元々車椅子じゃったから、足の一本や二本、あってもなくても変わらん」
「でも」
「アルルや、泣くでない。儂は悲しい話をしたいのではないぞ」
一呼吸置いて、おじいさんはつらつらと述べる。
「儂はもう、この世に未練はない。今後この身がどうなろうと構わん。ただな、この『どうなってもいい』というのは、ただの自棄ではない。つまりはアルル、お前さんの好きなようにしてよい、ということじゃ。魂がないのにそこにあり続けるのは悲しい、というならこのまま消えるのを待てばよい。形だけでも側にいてほしいというのなら、呪詛破壊者を呼べばよい。足がないのが悲しいのなら、直してしまえばよい。
アルルの心のままの選択を重んじよう」
おじいさんの言葉の一つにはっとする。
直す──そう、彼らは人形だから、壊れても形だけなら戻すことができる。いつか、メイの破けた膝を縫ったように。砕けたマグとホリーの目にボタンをつけたように。
そこまで考えて気づく。僕は形あるものが壊れるのが悲しいのだ。いつか壊れることは決まりきっているのに。
言い訳を唱えた。
「僕は……おじいさんが呪いで壊れてしまうのが悲しい。マーガレット……母さんから話は聞きました。マーガレットが僕の本当の母さんじゃないとしても、僕にとっての母さんはあの人だけだ。あの人も、あの人の家族も全員、呪いで死ぬなんて、あってはいけない。僕はそんな結末を望んでいない。だから」
自己都合主義と謗られようと、僕のこの思いが偽物でないことだけはたしかだから。
「おじいさんの呪いを終わらせます。マーガレットの、悲しみの物語を、僕の悲しみで満たすわけにはいかない」
母さんの死を受け入れる。僕は未来に進んでいく。そのために、何かが壊れていくこと一つ一つに心を割いていたら、僕が壊れてしまうから。
強くならなきゃ。
決めてから、僕はメビウスに呪詛破壊者の手配と木材の仕入れを頼んだ。
「木材ですか。それなら、アルル様にはあの方を紹介しなければなりませんね」
「あの方?」
僕が首を傾げると、メビウスは少し苦い表情をする。
「都合上、私がご案内できませんから、事前に説明いたしましょう。
人形職人の人形が呪いをかけやすい、という話は有名ですが、人形職人はそのことから、自分で作った人形を売らずに保管したり、自分が人形職人であることを隠したり、そもそも人形を作らなかったりと、様々な対策をとりました。それにより、人形職人の人形というのは手に入りにくくなりました。そこで人形を求める具者が取った行動……何だと思います?」
人形を手に入れるだけなら、ただ人形を買えばいい。けれど、人形職人の人形のような質の良さを求めるのなら……
「自分で作る?」
「その通りです。
具者は質の良い素材を集めて、手ずから人形を作るようになりました。
呪いの人形を作る上で、上質とされる素材は特定の人物が切った木、特定の人物が織った布、とありまして、具者は人形職人より、呪いの馴染む素材を生み出す人物に目をつけるようになりました。
その一例があなたを育てた機織りマーガレットです」
母さんの名前が出て驚く。だが、よく考えれば納得のいくことだった。人付き合いの悪いマーガレットが、村八分の扱いとはいえ、あの街で女手一つで僕を育てられたのは、彼女の織る布の価値が高かったからだ。「機織りマーガレット」の名を聞いたなら、どんなに遠くからでも商人は来るし、布は高値で売れた。
別の街から商人がやってくる、というのはそれだけで街の経済がよく回る。他に取り立てて何かあるわけではない街にとって、機織りマーガレットは存在するだけでありがたい存在だったのだ。
呪いを嫌う人の織る布が呪いによく使われるだなんて、悔しすぎる皮肉だ。
と、メビウスの発言の中に引っかかるものが一つあった。
「母さんは具者に目をつけられていた?」
「その表現は語弊がありますね。目をかけられていた、という方が正確でしょうか。もっとも、具者に目をかけられる、なんて、ぞっとすることに変わりありませんが」
目をかける、とはざっくり言うと大事にする、という意味だ。具者に大事にされるなんて、快いことではない。
「それでも、利点はあります。具者が目をかけるということは呪いで簡単に殺されない、ということです。呪いに馴染む素材を生み出せる存在は、ともすれば人形職人より希少な存在ですから」
「でも」
僕の脳裏に、母さんの部屋が蘇る。忘れられるわけがない。母さんは腕を千切られ、目を抉られ、臓物を撒き散らしながら、僕に呪いの言葉を紡いだ。挙げ句、家を燃やされているのだ。これが具者の仕業でなくて、何だというのだろう。
「母さんは呪われて死んだよ」
「それは不運としか言い様がありません。アルル様は、呪いの色が見えないのでしたか。……全焼したマーガレットの家は、一度見たら忘れられないような鮮烈な赤にまみれていました。まるでまだ燃え盛っているかのようなあの赤。素人目に見ても強力な具者の呪いの跡だとわかります。あれは史上最悪最強と名高い『赤の具者』の仕業にちがいありません」
赤の具者、と言われて、僕の脳裏に母さんやオークおじいさんたちを襲った赤髪の具者のことを思い浮かべる。
史上最強最悪の称号はあの禍々しさと性根の悪さには似合いすぎるほどだ。
「赤の具者はどんな呪詛破壊者でも解くことができないという強力で緻密な呪いの使い手です。一つの呪いを解くともっと厄介な呪いが発動したり、あらゆる呪いを組み合わせることで呪いを解けないように複雑化したり、とにかく、呪うということへの執念深さが同じ具者からまでも恐れられています。
呼吸をするのと同じように簡単に強大な呪いをかけられる赤の具者の恐ろしいところは彼自身がものすごく気紛れであるということ。
あの具者に目をつけられるということは、天災よりも確約された悪質な不幸と絶望に見舞われるということです。そういう人物に目をつけられていたんですよ」
最強の具者の呪いは誰にも解けない。下手に干渉して、彼の気に留まればこちらまで呪われる。呪われるだけならまだいい。赤の具者は生を玩ぶのだ。
「赤い具者は例外中の例外です。マーガレットは不運だったとしか言い様がありません。
話は戻りますが、機織りマーガレット以外にも呪いに馴染む素材を生み出す一般人はいます。そういう者たちは、歪な形ですが、具者によって保護されています。今回ご紹介するのは、そんなうちの一人です」
歪な形の保護を受けた人間、しかも人形館と繋がりを持っているとなると、絶対に「常識」という枠組みでは括れない。
「木こりのデュクシーという方です。界隈では有名な方ですよ。見た目は普通のおじいさんです」
気のせいだろうか。「見た目は」の部分が強調された気がする。
「本人も至って普通の気のいいおじいさんです。御年二百歳は超えていらっしゃいますが」
「にひゃっ!?」
予想の斜め上の回答である。
なんでも、具者による人材保護というのは呪いをかけることによって他の具者への牽制するものであるのだとか。大抵は日常生活に害のない呪いをかけるらしいのだが、デュクシーという人はそういう暗黙の了解が確立される前に多種多様な呪いをかけられたとか。その影響かどうかはわからないが、デュクシーの切り出す木材は更に質が良くなり、彼を失うことを恐れた具者が不老不死の呪いをかけ、彼は今日まで生きているという。
感染型の呪いにはかかっていないらしいが、呪詛破壊者が解けないというのとは別の意味で手の施しようのない状態であるため、メビウスは接触しないようにしているらしい。
「常人より永い時を生きている方ですから、普通に生きているだけでは思いつかないような考え方に出会えるかもしれません」
メビウスの言葉の羅列に意図を察した。
気を遣われているのだ。まだ僕が人形館館主としての立場に迷いを感じていることを見抜かれている。
マーガレットのことを母さんと呼ぶことに踏ん切りをつけたように、肚を決めなければならないことだ。
メビウスに対してだけじゃない。人形館の維持のために働いてくれているセドナやラファ、人形部屋に押し込められているアリシアやミカなどの人形たちのためにも、僕はしっかりしなくちゃならない。ただ自分の目的のためだけに、僕は彼らを利用するから。
彼らと向き合うための芯が欲しい。
「だから、あなたの呪いに満ちた人生について、教えてください」
僕がそう懇願すると、キャップを被って、白髪を項で一つに括ったおじいさんがくしゃっと笑う。
「あっしはそんな大したもんではありゃあせんよ」
ひゅうっと風が吹いておじいさんの頭から帽子が飛ぶ。けれど帽子はふっとひとりでにおじいさんの方へ戻ってきて、元の位置に収まる。
おじいさんはにこにことしたまま、慣れた様子でキャップの鐔の位置を調整する。当たり前みたいに。配慮せずにキャップが右に左に動いたことで、髪がくしゃくしゃになっていく。おじいさんはちっともそれを気にしていないけれど。
「でんもまあ、あっしみたいな人間はそうそういないでしょうからねえ。呪いの話なら、なんぼでもできゃあすよ」
そう言って、穏やかな緑の目が僕を見る。
不老不死の呪いを人生の晩年といっていい頃合いにかけられたため、おじいさんの姿のまま、百年以上を生きているのがこの人物、木こりのデュクシーだ。
「はじめまして、人形館の小さな館主様。あっしの名前はデュクシー。しがなあ木こりでござあまさあ」
デュクシーは愛嬌のある喋り方をする。会って間もないのに、僕はこの人のことをだいぶ好きになっていた。
「それは魅了の呪いでさあね。あっしにかかっている呪いの中で、一番の古株かもしれにゃあです。古い呪いはもう呪いというより、あっしの個性みたいになっとって、ほぼ無害なんでさ。ちょっと意識すらあ、薪をいい感じの位置に固定できるんですぜ? 便利でそう?」
それはたしかに便利そうだ。
「他にも、さっきのキャップなんですがね、あっしの頭から落ちない呪いがかかってるんですよ。そのせいで髪を洗えないんですが、下を向いたり、転んだりしたときも、キャップがぺっと貼っついて離れねえもんですから、それはそれで便利で。風さびゅうって飛ばさいでも、さっきみてえにひょんって戻ってきて、おもせえんだ」
不老不死の呪いをかけられ、呪いと共生するおじいさん、と聞いて、どんな人が出てくるのかと思ったら、想像していたよりずっと呪いと共に過ごす日々を楽しんでいるようである。
「呪いをかけられて……具者に囲われて、辛いと思ったことはないんですか?」
「囲う、なんて、よくそいな難しい言葉知ってるなあ。あんさん、お年はいくつだえ?」
「年……? ええと、十くらいです」
答えると、デュクシーは「たまげたあ」と目を見開いた。それから、僕の頭をわしわし撫でる。
「まだちっちぇのに勉強たくさんして、えらいなあ。めんこめんこすべ。めんこめんこ~。
あっしがそのくらいの年の頃は、数字を数えるのでいっぱいいっぱいだったけえ、小さい館主さんは、賢い子なんださあ。めんこめんこ」
撫でられながら、思い出す。本を一冊読み終えるたびに、僕は得意になって、母さんに報告していた。母さんは機織りの手を止めて、こうして僕の頭を撫でてくれたっけ。「アルルはいい子だね」「うれしい」って。
母さんは素っ気ない印象があったけれど、ちゃんと僕のことを愛してくれていた。そういう記憶を最近、きちんと思い出せるようになってきた気がする。
僕を撫でながら、デュクシーは語る。
「長く生きてればねえ、悲しいこと、苦しいこと、辛いことは山のようにあっと思う。でんもさあ、そういうことばりそのたんびに受け止めてたら、悲しくて、苦しくて、辛いだけだえ。あっしはそれが苦手なんでさ。山のような不幸の中から、砂の一粒でも綺麗なものを見っけて、それを美しいとか、可愛いとか、宝物みたいに愛でていく方が好きだおん。わざわざ苦手なことはさね」
デュクシーが永い時を上手く生きてきた心構えを教えてくれる。やはり、辛いと思うことはあったようだけれど、身の回りで起こることを「面白い」と思うことで辛さを中和しているのだ。
「話はちょいと戻りますがね、魅了の呪いが個性になりつつあるという話をしたでしょう? つまりはあんさんとおんなじような力になっているんでさあ。
前の館主さんも魅了の力は持ってたけんども、あんさんの力のがいっとう強い」
「そうなんですか?」
「ええ、ええ。そりゃあもう」
前館主が呪いをも魅了する不思議な力の持ち主なのはセルジュさんから聞いた話だ。実際、人形館が存在しているのは前館主のその力のおかげだと思う。セルジュさんのような貴族生まれの人と親交を深めるのも、デュクシーのような具者に囲われている人物に近づくのも、お金や権力、呪いを受け付けない体質があるだけではできない。
人を惹き付ける力が前館主にはたしかにあったのだろう。
でも、僕は……
「あっしは何人も人が生きていく様を見てきたもんですから、人を見る目にゃあ、ちょいとばかし自信があるんですぜ。まあ、実のところは、呪いに触れすぎて、呪いの輪郭みてえなもんがわかるようになっただけでさあね」
デュクシーはからからと笑う。日常会話の中で下らない冗談を言ったみたいに。
僕は全然笑えなかった。それどころかぞっとしている。
血の気をなくしているであろう唇で、懸命に問いを紡いだ。
「僕の力は、呪いなんですか?」
「おん」
デュクシーはあっさり頷く。
「そもそも、人形職人って人たちゃな、呪いを自分の体で散らせないから、呪いが体に溜まるんでさ。人形職人はその血が純なるものであればあるほど、たくさんの呪いを溜めるんで。溜まった呪いは水風船みたいに破裂するか、その体と添い遂げるしかないんでさ。
具者や呪詛破壊の人は、それを『業』って呼ぶんですけどねえ。あっしは『羊水』って呼ぶんでさ」
「ひつじみず?」
業というのは、絵本で赤いのが言っていたものだ。赤いのと同じく、呪いの力を自分が持ってしまうのか、と思ったら、怖くなった。
──いや、違う。僕が怖かったのは既に呪いになっていることだ。僕という人形職人に溜まった業が、水風船の許容量を超えて、破裂して、飛び散った呪いが母さんを殺したのかもしれない。家を燃やしたのかもしれない。もしかしたら、オークおじいさんの足が崩れ始めたのだって、僕のせいかもしれない。呪いの発動のきっかけとして、呪いとの接触はよくあるものだ。僕と出会ってしまったせいで、おじいさんは足を失ったというの?
デュクシーは違うと答えた。
「そう重く考えなさんな。羊水は新しい何かを育む力だえ。それが溢れるってこたあ、何かが生まれるってことでさ。それが良いもんか悪いもんかはともかく、何かの誕生ってえのはぁ、祝福することじゃあないかねえ」
めんこめんこ、とデュクシーは僕の頭を撫でる。妊婦が腹の子どもを慈しむみたいに。
「呪いと祈りは、昔はおんなじものだったんだよ。だからあっしにかかった呪いみたいに無害な呪いも存在するんじゃあ。
祝福が呪いに塗り替えられて、名前を忘れられてしもうた。ただ、それだけのことなんじゃあて」
まじない転じて呪いと化す。
いつか読んだ本に書いてあった。何度も何度も読み返した本だ。人が人を呪い、人に呪われるようになったきっかけが書かれた本。
まじないが、祈りが呪いになるのなら、その逆だってあり得るんじゃないか? いや、逆なんかじゃない。そもそも同じなんだ。
僕はデュクシーに聞いてみる。
「僕の力で、人の魂を特定の場所に固定し続けることはできますか?」
「どういうこった?」
少し説明するのも、実行するのも、どうかと思うけれど。
僕はデュクシーの呪いから、ある着想を得ていた。
「あなたは魅了の呪いで薪を割るときに位置を固定すると言いました。僕の力は魅了の呪いと同じようなものだとも。つまり、僕も僕の羊水の力を使えば。薪を固定することができるんですよね。薪だけじゃない。固定の解釈を広げれば、薪以外のものだって」
気づいた事実、回転する頭が自分に都合のいい構想をくるくると描いていく。それが楽しくて、呼吸さえ忘れて話していたけれど、デュクシーの顔を見て止まる。
デュクシーはきょとん、と置いてきぼりにされた子どもみたいな顔をしていた。はたと気づく。一人で突っ走りすぎてしまった。
とたんに恥ずかしくなって、誤魔化すように咳払いをした。
この考えに至った発端を話そう。
「僕はデュクシーさんの切り出した木材が欲しくて、あなたに会いに来ました。木彫りの人形のおじいさんが呪いで足をなくしてしまったんです。その足を直したくて、木材をもらいに来ました。
けれど、形だけ繕っても、おじいさんの呪いが解けるわけではないし、かといって、おじいさんの呪いを解いてしまうと、おじいさんは本当に物言わぬただの木偶になってしまうんです。
僕にとって、そのおじいさんは大切な人なんです。大切な人の家族だった人。もういなくなってしまった大切な人について語らえる、最後の人なんです。だから、いなくなってほしくなくて、考えたんです」
「魂を人形に固定する?」
「具者が人形に呪いをかけて喋らせて動かすのも、同じ要領だと思うんです」
そこでふと、馬鹿だなと思った。
僕がやろうとしていることは具者と同じだ。母さんとその家族を弄んだ具者と同じ。利己的な理由で、呪いを使うだなんて。あれだけ呪いを疎んでおきながら?
愚者の所業だ。
「あんさん」
そんな僕をデュクシーは撫でてくれる。「めんこめんこ」と唱えられるそれは呪いのようだ。
まじないのようだ。
「自分を傷つけなさんな。人形職人に呪いをかけられない具者がなにゆえに人形職人の作った人形を呪うか、おわかりか? 人形職人の心を壊すことで、具者は悦楽と優越を得ているのだよ。人に生まれて、人に膿まれて、人の体が、心が壊れていく様を見るのが具者の史上の目論見なのさ。
あんさんは賢くて、自分の行いを省みれる。それで罪悪を知る。罪悪感に苛まれ、心を砕くことは具者にはないことでさあ。だからあんさんは具者と同じにんかでない。
だからどうか、心を壊さないで。自分を苛んで傷つけないで。具者の思い通りになんか、ならないでけろ」
デュクシーの言葉が、嘆願が、その切実さが、じんわりと胸に沁みて、全身を温めていく。
ああ、ああ、その言葉が欲しかった。呪いの人形に魅入って、大切にしてくれた母さんを裏切って、失って。一番大切な母さんを裏切ってまで、一人の人形の女の子を見捨てられなかった僕は今、僕のことを大罪人としか思えない。とても、自分の行動を正しい、と肯定することができなかった。
だから誰かに肯定してほしかったんだ。僕は間違っていないって。自分を責めないでって、言ってほしかった。
欲しい言葉を得られたから、僕は決断した。
オークおじいさん、僕のわがままを許して。




