第玖話 おやふこうのとり
親不孝の鳥
アウルという名前は人物名として好んで使われる。なぜなら、アウルとは梟を意味する言葉だからだ。
梟は幸福をもたらす象徴として、古くから有名な動物である。かつて貴族が家の名を示す家紋に梟を取り入れていたこともあったくらいだ。他にも宗教やまじないの道具として梟の要素を取り込むことはあった。
だが、梟は「親不孝の鳥」として疎まれる側面もある。なぜなら、梟は共食いをすることがあるからだ。しかも、雛が母親を食うのである。
殻が破れるまで、一人で飛べるまで、守り育てた母を食うという梟の残酷性を「親不孝」と表現したのは実に人間らしい残酷性だ。
そんな由来を知る一部の具者が、呪いの媒介に梟の羽根を用いることもあると言われている。
ぱたん、と本を閉じた。読んでいたのは名付け参考書。親が子どもに名前をつけるときに参考にするものではなく、小説や演劇の登場人物に名付けを行うときに使用される。娯楽的な役割の強い本だ。メビウスが取り揃えてくれたうちの一冊である。
本を読むことが好きだと明かしはしたけれど、メビウスはそれをどう解釈したのか、時折こういうよくわからない本が混じっている。
僕はあくまで娯楽小説や勉学に役立つ本を読むだけだ。物語を書いたりなんてしない。だからこの本も不要だと思っていたけれど……
まさか、開くことになるなんて。
名前を忘れた前館主の名乗った名は、アウル。本に記載のあった通り、梟のことだ。
セルジュさん曰く、前館主の友人が名乗っていた名だそう。その友人とやらにはついぞ会うことはなかった、とセルジュさんは言っていた。
「アウルという名は呼びやすくての。名も梟で縁起がいい。前館主も気に入っておったようで『友がなぜこの名を捨てたかわからない』と言っておった」
そんなセルジュさんの言に不穏なものを感じ、「アウル」という名前について調べることにした。
だっておかしい。名前は親から授けられる一生物の贈り物だ。それを捨てるなんて、普通なら考えない。縁起がいいとされるなら、尚更。
それで、調べた結果がこれだ。子が母を食うことがある生態から「親不孝の鳥」とも呼ばれる梟。そんな意味があると知ったら、アウルという名前を好きではいられなくなる。
梟の羽根が具者の使う道具として好まれるのは、以前本で読んだことがあって知っていた。由来があるとして、それがろくでもないことなのは想像していたが、まさか「親不孝の鳥」だなんて……
僕が唖然としていると、ジリリリリッと電話がけたたましい音を立てる。
この音、びっくりするからどうにかならないかな、と思いながら電話を取る。別邸のメビウスからだ。
「はい」
『アルル様でございますか? 実はアルル様宛にお荷物が届いておりまして』
「僕宛に?」
荷物が届けられる心当たりはない。第一、僕がこんな山奥の館に住んでいることを知る人はいないはずだ。僕は身一つで人形館に来たが、僕にはこの身一つしか残っていなかった。家が焼けて、マーガレットさんも、マーガレットさんが僕のために揃えてくれた本も、全部なくなった。全焼とはそういうことだ。
『不審物ではないか、中身を確認しましたら、手紙が入っておりました。「ヨセフス」という名に覚えは?』
ヨセフス先生?
「ヨセフス先生は町医者で、ここに来る前にお世話になっていた」
『そうですか。では手紙もお持ちいたします。あと、荷物についてなのですが……煤を被った絵本のようで』
ぞわり。
ヨセフス先生、絵本。それで煤を被っている、なんて、心当たりが一つしかない。
けれど、どこに返すこともできない。なぜならそれは、僕の家の僕の部屋にあった僕のものなのだから。
「わかった。持ってきて」
『承知いたしました』
本当なら、あり得ないはずだ。僕の家は全焼した。僕の部屋が全部燃えていたのを僕はよく覚えている。そこかしこの赤に包まれて、何もかも失って、絶望に沈んだことを、忘れるはずがない。
もし、予想どおり「あの本」なのだとしたら、これはもはや呪いだ。どうあろうとあの物語を僕に伝えたいらしい。
一度始めた物語は、終わらせなくてはならないから。
ほどなくして、メビウスが絵本を抱えてやってくる。
「ありがとう、メビウス。体は何ともない?」
「はい。……まさかこの絵本、呪いがかかっているのですか?」
「メビウス」
僕の声にメビウスが肩を跳ねさせる。たぶん怖かったんだろう。僕があんなに反発して、躊躇していたメビウスの呼び捨てをさらりと行ったのだから。
絵本のタイトルを見て、ああやっぱり、と安堵のような、落胆のような感情を覚える。
絵本のタイトルはこうだ。
「僕の可愛い黄色い人」
呪いのようだ。けれど。
僕はメビウスに向かい、うっそりと笑む。
「何も心配はないよ。譬、呪いがかかっていたとしても、大丈夫。僕は人形職人なんだから」
安心させるために笑ったはずなのに、メビウスは僕の弓なりの唇を見て、恐怖にその青い目を濁らせていた。
「……──ル……」
ひきつれた声が、聞き覚えのある名前が聞こえた気がしたが、あまり気にしなかった。
僕はメビウスを置き去りに、二階へと向かう。部屋で一人で読みたかった。
寝室に入り、扉を閉める。ベッドに腰掛けて、本についた煤を払ってやる。ああ、床が汚れてしまうが……別にいいか、と僕は煤を落とす。落ちていく黒い煤は、もしかしたら呪いなのかもしれない。
表紙に描かれたススヤと赤いのにまとわりついている呪い。
僕は呪いを見る力を持たないけれど、なんとなく、そう思った。
本を開く。
世界には二つの人種しか存在しない。
そんなのよく考えればわかる簡単なことだ。
これはそんな簡単なことが、どうしてかわからなかった大馬鹿野郎の話。
「え……?」
思わず疑問がこぼれた。
この世界に存在するのは「四人種」だ。読んで字のごとく、人種は四つ存在する。一般人、呪詛破壊者、具者、人形職人。
四つのはずだ。
ページをめくる手が震える。
知ってはいけないことを知ってしまう予感と、知ってしまったらもう後戻りはできないという予感。
常識が覆されて、僕という存在が大きく変わってしまうという、漠然とした恐怖。
それでもこの絵本を読みたかった。
人形館に来たのと理由は大差ない。僕はメイのことが知りたい。メイのモデルはきっと、この「僕の可愛い黄色い人」だ。
だって、黄色い子はあまりにもメイとそっくりだ。人形のメイの表情は固定されて動かなかったけれど、メイはきっと絵本の女の子のように笑う。空色の目で。
メイのことを知りたい。
ページをめくる。
俺は人形職人の家の子だ。父と暮らしている。俺の家は街で二番目に偉い。
だから俺は誰とも対等ではない。
そんな俺と友だちになった変なやつがいる。
真っ黒な髪の毛に真っ黒な目。仕事のせいでいつも煤まみれの黒い男の子は人々かれススヤと呼ばれていた。
「赤いのがそう呼んだんだよ」
そいつはからからと、澄んだベルのように笑う。ススヤも、歌も、君が考えたんだよ、とからからと。君が考えたから好きなんだよ、とからから。恥ずかしげもなく、言ってのける。
赤いの、というのは俺のことらしい。曰く、そいつの目に映る俺はいっとう鮮やかな赤なのだと。たしかに、俺は赤い髪をしている。
目も時々赤いよ、とそいつは言う。俺の目は茶色だ。だが、茶色の中でも赤みが強いとか、そういうのだろう。
鏡で自分の目を見ても、自分では「茶色」としか認識できない。父は琥珀という宝石の色と同じだと教えてくれた。その石はたしかに茶色い。本でしか見たことがないけれど。
ススヤは学校に通っていないから、表現する言葉を知らないだけで、随分と目に映るものを細やかに彩り豊かに見極める目を持っているようだった。きっと俺には黒くしか見えない煤も、あいつにはきらきらとして見えるのかもしれない。
うちの父親は人形職人だ。人形を作って稼いでいる。今の時代、人形はよく売れる。だからうちはそこそこに金持ちだ。稼ぐ分、素材もいいものを選ぶ。きちんと選んだ素材で作られた人形は、単なる子どもの遊び道具の枠には収まらない「価値」がある。呪い、呪われる世界にて、人形は呪いの媒介として好まれ、それゆえに一般人も人形を欲する。呪いを身代わりしてもらうために。
呪詛破壊の修行にも人形が使われる。人間にかかった呪いを解くとき、失敗してしまってはいけないから、人形で練習するのだという。
俺は学校以外でも、様々なことを学ぶ。ゆくゆくは父の跡を継いで、人形職人になるからだ。人形の作り方はもちろんのこと、どういった素材が、どのような用途に好まれるか、どのようなデザインが流行っているか、など、人形職人に必要な知識と知恵を学んでいる。
呪いにおいて赤は特別な色だ、と父に教わった。特別な色だから、信仰とはいかないまでも俺という存在は尊ばれている。
黒髪と違って。
俺は馬鹿馬鹿しいと思っている妙な信仰のシンボルにされているようだった。悪しき黒髪に対峙する高貴なる赤。……馬鹿みたいだ。
赤い血が流れるのを恐れるくせに。
赤い炎を疎むくせに。
たしかに、ススヤたちのいる街の黒髪を忌み嫌う文化は変わったものだ。元来人間は赤いものを恐れる。赤から血を連想し、血から死を連想する。死とはどんなに恐れても決して逃れることのできない、元から生き物にかけられていた呪いのようなものである。
死と呪いの違いは、回避方法の有無だ。形あるものがいつか壊れるように命が壊れるのが死。故意に壊すのが呪いだ。
ページをめくる。
俺はずっと、俺が本当に人形職人なのか考えている。
学校で茶髪のやつが燃えたとき、近くにいたのは俺だけだ。あいつは発火物なんて持っていなかった。
俺だって持っていなかった。けれど……あの炎は、俺の感情に反応して起こったように思う。
感情のままに超常の力で人を傷つけるのは呪いに他ならない。ただ、それだと俺は具者で、人形職人ではないことになる。人形職人が呪いを扱うわけがないのだ。
「この街って、火事が多いの?」
ふと問いかけられて、意識を戻す。無垢な空色が俺を見上げていた。
黄色い転校生。体が人一倍弱いらしい金髪の少女はそのか弱さとは裏腹に。物怖じしない性格をしていた。体が弱いっていうのに、火事の中に飛び込んでいった馬鹿を助けに行こうとするような馬鹿だ。
街に来たばかりのこいつは、黒髪を嫌う因習を不審がっていた。ススヤに興味を示し、ススヤをからかっていじめる俺たちのこと、を酷い、と言った。
では、どうして今、俺に平気で話しかけてくるのかというと、先日の学校の火災のときに、俺がススヤを助けに行ったからだ。案外悪い人ではないのかも、と気を許してくれたらしい。
ススヤはこの街で唯一の黒髪の人間だ。黒髪の人間はこの街では排斥される。追い出されたり、殺されたり、売り飛ばされたり。聞いた中で一番非道だったのは、黒髪を頭皮ごと剥いだ、という話だったか。
そんな街でススヤが生きているのは、ススヤが火事の後片付けという仕事を一人で請け負っているからだ。
火事跡の煤や灰は人体に害をなす。特に呼吸をする器官に悪いらしく、ススヤが現れるまで、火事跡の掃除には苦労したという。
「火事、多いか? 三日から四日にいっぺんくらい、普通だが」
「いや、それが多いんだってば。他の街では月に一回あるだけでも大騒ぎよ」
なんとなく気づいていた。
大人も言う。昔より火事が多くなった、と。
ススヤや俺が生まれた辺りから、ぐっと火事の頻度が高くなったらしい。そのため、ススヤを呪われた子どもだとするやつも少なくない。
それでもススヤが追い出されないのは、地主がススヤの仕事と功績を認めているからだ。地主は街で一番偉い人だ。地主が受け入れれば、街の皆は受け入れねばならない。だからススヤは存在を許されている。
早く、早く。灰が散れば病が散る。病が散れば人が死ぬ。働かぬなら、人殺し。さあ、運べ運べ。
「火事が起こる限り、ススヤは存在を許される。いいことじゃないか」
転校生は顔色を変える。
「それ、本気で言ってるの? 人が死んでいるのに」
そうさ。正気の沙汰じゃない。
人を殺すのは灰でも煤でもない。
炎だ。
茶髪のやつが炎に包まれた瞬間が忘れられない。
ススヤはあれを見てなお、俺と友だちになろうとするやつだ。異常だとしても、俺はススヤの方が信じられた。
俺と友だちでいても、傷つかない。
そういう友だちが欲しかった。
歪んでいる。
ススヤもススヤだけれど、赤いのもなかなか複雑な精神構造をしている。
でも、友だちが欲しいという気持ちや友だちを失いたくない気持ちはわかる。友だちには側にいてほしいし、自分のことで傷ついてほしくない。
右目を隠す髪に触れる。目を失ったあのとき、僕はメイか母さんかなんて選べず、メイに酷いことを言ってしまった。
あのあと、メイは目を失って死にそうになっていた僕を助けるために人を探して、ヨセフス先生を見つけてくれた。僕は酷いことを言って、メイを突き放したのに。
ただ、安心もした、ああ、この子は僕から離れていかないって。安心した。最低だ。
つまりは、この赤いのへの嫌悪感は同族嫌悪。自分が嫌いだから、自分に似たものが嫌いなのだ。
この歪みは一体どうなっていくのだろうか。
でも、どうしてこの因果に気づかなかったのだろうか。よく考えればわかることだった。
俺やススヤが生まれた頃から、この街で火事が増えた。黒髪を忌むべきものとする慣習から、街の者たちは降りかかる災いを、全てススヤのせいだと考えていた。第一、俺は人形職人で、具者ではない。
けれど、俺は疑問に思っていた。なぜなら、具者とは呪いの権化で、呪いが自らを蝕むことすら厭わず、呪いを振り撒く者、とされているからだ。つまり、呪いをかけているとしたら、ススヤがぴんぴんしているのはおかしいのだ。
嫌な予感がする。
この予感や疑問を解明してはいけない気がした。けれど同時にとても知りたい。知って、この街を覆う気味の悪い煤のようなものの正体を明かしたかった。すっきりしたかったんだ。
だからまず、父に尋ねてみた。
「父さん、この街で火事がどうして多いのか、父さんは知ってる?」
「とうとう……」
「え?」
父がぼそぼそと何かを言う。判然としなかった父が、突然、俺の肩を掴み、叫ぶ。
「とうとう、お前がその疑問を口にしてしまうのか! とうとう、とうとう、このときがやってきてしまった。十年、怯え続けたこの日々が、とうとう、とうとう、終わりを迎える! 我が妻よ、見ているか? ようやく終わるのだ。もうすぐ、そちらに……」
「父さん? 母さんが、何?」
問いを口にして、俺は後悔した。父がかっと見開いた目が怖かったし、その顔に滲む狂気に背筋が凍る心地がした。
簡単に言うのなら、命の危険を感じた。
父は短剣を鞘から抜いて、その反射光をぼうっと眺めながら語る。
「お前は、お前の名がなぜ『アウル』というのか、考えたことはあるか? お前が生まれるまで、そうして生まれてから、どのような経緯を経て、どのような意図でもって、お前に『梟』という意味の名をつけたか。そこにどんな思いが込められているか。どんな因果がお前をお前にしたのか」
父がこんなに饒舌なのは初めて見た。きっと、ずっと話したかったのだ。俺に。
「まずは何から話そうか。ああ、そうだ。どんな事実が存在したとしても、お前は私の息子であることに変わりはない。お前が人形職人であるということも変わらないよ、永遠に」
父はずい、と顔を寄せた。俺は一歩退く。
「人形職人は呪いにかからない。けれど、それによって、具者が生み出した怨嗟を打ち消すわけではない。人形職人は呪いにかからない代わり、具者が残した業を溜め込む。
そうして溜め込まれた業は、どうなると思う? 業は人形職人から人形職人へ、脈々と受け継がれていく。そんな膿はいつかやがて破け、自分以外の周囲に災いを撒き散らすようになるんだ。今回は炎の呪いを纏って生まれた。その炎は母親を焼き殺した。ああ、親を殺すなんて、なんて親不孝なことだろう。
そうは思わないか? アウルよ」
本で読んだことがある。世の中には、仲間を食ってまで生き延びようとする動物がいる。人間はそれを共食いと呼んで蔑んだ。更にその中でも親を食う習性のものを親不孝と忌み嫌う。
梟の雛は母梟を食うことがあるという。つまりは「親不孝の鳥」ということだ。
父が懇切丁寧にここまで語ってくれたのだ。俺は業深い力で母を殺した親不孝の鳥ということだろう。
「俺は、具者なの?」
「ああ。お前は生まれながらにしての具者だ。だが、勘違いするな。お前は人形職人。人種はそれで間違いない」
「なら、どうして母さんは死んだ?」
「呪いの中でも炎の呪いは特殊だ。時に、人体発火現象だって引き起こせる。けれど、人形職人を発火させることはできない。
だが、呪いで生み出された炎は炎だ。例えば、人形職人に炎をつけることはできなくても、人形職人の使うベッドを燃やすことはできる。人形職人が眠るベッドを発火させればいい。発火させる瞬間が呪いで、燃え上がる炎は呪いではなく、ただの炎だ」
俺は震えた。
そうだ。俺は知っている。人を殺すのは灰でも煤でもない。
炎だ。
「同時期、黒髪の子どもが生まれた。黒髪を疎む人々の視線はそちらへ向き、真相を知るのは私と地主だけとなった。
黒髪の子ども──お前がススヤと呼ぶあの子は、お前の因果に呼ばれた子だ。あの子はお前がもたらした炎から逃げられる」
ススヤをまるで愛し子のように呼ぶ父。息子である俺のことを忌み子のように語る父。
当たり前だ。最愛の人を死に至らしめた存在をどうして愛せるというのだろうか。
「具者や呪詛破壊者というのは職業であり、人種ではない。体質により向き不向きはあるが。呪うか、呪いを解くかの違いだ。具者も呪詛破壊者も、なろうと思えば、誰でもなれるのだ。人形職人がなろうとしないだけであって」
「じゃあ、俺は?」
恐る恐る訊ねる。生まれついての具者で人形職人。呪いにかからないはずなのに、呪われているみたいだ。
これ以上、考えてはいけない。そんなことはわかっていた。だって、部屋にはもう熱が渦巻いている。俺を親不孝の鳥と嘲笑うように。
父は仄かに笑った。
「お前のことを、愛しているよ、アウル。その呪いを解くことができるとしたら、それは黒髪のあの子だろう。あの子と友だちになれたのだろう? それなら、あの子を大切にしなさい。あの子の力ぎお前に報いてくれるように、うんと大切にしなさい」
ごう、と炎が唸る。伸ばした手の先にいたはずの父の姿を拐っていった。
黒い背景の中に赤い文字が燃え立つ。
なるほど俺が親不孝の鳥というわけだ。
次の見開きいっぱいを埋め尽くすのは真っ赤な炎。
炎の波間に白い文字が小さく小さく潜んでいた。
たすけてくれ、ススヤ。
本をぱたんと閉じる。部屋から出て、僕は電話のところへ向かった。
僕はススヤじゃない。けれど、煤の中に消えてしまったもののことを覚えている。
『はい、こちら人形館別邸、メビウスです』
「メビウス、今から僕が言うタイトルの本を取り寄せてほしい」
母さんが僕のために買ってくれた本のことを忘れたことはない。本は喋らぬ僕の友だちで、マーガレットという女性が僕に刻みつけた縛めである。呪いにかからないように、呪いを遠ざけるように。
その祈りを僕は無駄にしない。自己満足の償いでしかないとしても。
赤い具者を止める。
それがマグやホリー、マーガレットへの弔いになる。弔いにする。
決意を胸に人形部屋に向かい、扉を開けると。
「ああ、やっと人が来たわ」
「アリシア?」
アリシアの苛立ったような声が聞こえて、アリシアの方へ向かおうとしたが「お馬鹿、大変なのはあたしじゃなくってよ」とつっけんどんな声が返ってくる。
僕は辺りを見回そうとして、何かをざり、と踏んだ感触に気づく。
木くずだ。どうして、こんなところに……
「はは、そろそろ儂も年貢の納め時かのう」
オークおじいさんの声がした。きいこきいこ、と車椅子の音がして、顔を上げた。
絶句する。
オークおじいさんの左足。膝から先がぼろぼろと崩れかけていた。




